Franz Peter Schubert |
1817年、バスかアルトのための作品として、1821年に出版されました。
少女と死神の対話の形で書かれたわずか8行の詩を歌詞としています。
前半は不安におののく少女の心を、後半はやさしい死の誘いを描き、死は恐ろしいものではなく、安らかな憩いに導くものとしてとらえています。
ハンガリーの貴族でシューベルト歌曲の詩人でもあるルイ・セーチェニ伯爵に献呈されました。
1824年に作られた弦楽四重奏曲ニ短調、第二楽章の変奏曲のテーマにこの曲の主題(伴奏部分)が用いられています。
<ドイツ語歌詞> | <日本語歌詞> |
(Das Mädchen) | (乙女) |
Vorüber! ach, vorüber! | 去りね とくとく |
geh, wilder Knochenmann! | 黄泉の神よ |
Ich bin noch jung, geh, Lieber! | 乙女のわれを |
und rühre mich nicht an, | ゆるしたまえ |
und rühre mich nicht an. | ゆるしたまえ |
(Der Tod) |
(死) |
とくこよ きよき乙女 | |
bin Freund und komme nicht zu strafen. | |
Sei gutes Muts! ich bin nicht wild, | こころをしずめて |
sollst sanft in meinen Armen schlafen! | わが腕にねむれや |
《直訳》
(乙女)
ああ あっちへ あっちへ行って
野蛮な死神よ
わたしはまだ若いのよ だからおまえは行って
わたしに触れないで!
(死)
美しく繊細な創造物であるおまえよ 手をお出し
わたしはおまえの友だちであって 罰するために来たのではない
機嫌をお直し! わたしは乱暴ではない
わたしの腕のなかで穏やかにねむりなさい
おまけ |
|
|
Franz Peter Schubert |
第一楽章の最後の部分を足してみたのですが・・・蛇足だったかも。
弦楽四重奏とは主に、第1、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの組み合わせからなります。
シューベルトが残した15曲の弦楽四重奏曲のうち、特にこの作品番号なしの、いわゆる遺作が広く知られており、
第二楽章のテーマに1817年に作った同名の歌曲のピアノ伴奏部分を用いていることから、「死と乙女」 のタイトルがつきました。
半公開的には1826年1月29日ウィーン、ひろく公開された形では、1833年ベルリンで初演されています。
この作品を書く前にシューベルトは、期待していたオペラの上演拒否という精神的な打撃と大病という肉体的打撃を受けたため、
一部の人々には、そのような体験が強く反映され、全楽章を通じて、生と死の闘争が表現されていると解釈されています。
鋭い和音から始まり、全楽章を通して漂う悲劇的情感、ほかの作品にはあまり見られない深刻さと力強さに満ちたこの弦楽四重奏曲は、
彼の弱点とされていたテーマや楽章などの対照の拙劣さが見事に克服され、
彼のすべての器楽作品のなかでも内容、技術ともに最高の境地に達していると評価されています。