CHAPTERへ     カイルとレイル 〜精霊物語・外伝〜

CHAPTER 7 水の庭園


      
飛び込んだのは青に彩られた世界。

この世に存在するありとあらゆる青が混在し、
折り重なっては無限に連なっている。

カイルは何かに引き寄せられるように猛スピードで、
この世界を突っ切っていった。

遥か先に見えたほんの小さな光の点がみるみる大きくなり眼前に迫る。

無意識に腕で顔を覆った瞬間、
光に包み込まれるのを全身で感じた。

しばらくして、おそるおそる腕を解いたカイルが
目にしたものは、まさに別天地だった。

「これが水の庭園・・・水の精霊族の聖地」

まばたきすることすら忘れてしまう。
見渡す限りの青と銀の世界。

巧みに組み合わされた無数の泉や滝に光射す水が満ちている。
あふれだす水はせせらぎをつくり、清らかな水音を奏でていた。

優しい光を含む水しぶきがきらめき、
あちらこちらに七色の虹を描き出す。

精霊の祝福に満ちた楽園。
足元に目を向けると、そこに地面はなく水だった。
にじむように様々に彩りを変えてゆく水面はずっと見ていても飽きない。

足はその水盤の上に沈むことなく、しっかりと立っていた。

一歩足を踏み出してみる。

普通の地面となんら変わりなく水の上を歩くことができる。
足は濡れはしないが、歩くたびに水面には波紋が広がった。
少し先に見慣れた後ろ姿を見つけ、緊張していた表情がゆるむ。

「レイル!」

駆け寄ろうとしたカイルの足が途中でぴたりと止まった。
戸惑いの眼差しが目の前の女性をとらえる。
声に振り向いた女性はレイルによく似ていた。
着ている服も同じだ。

だけどレイルではなかった。

光射す水辺に佇む女性の容姿は星々から生まれ出たかのように
純粋で輝かしく、伝説に聞く光の精霊族を思わせた。
もちろん彼女が精霊族でも精霊使いでもないのは一目見て分かったが、
それでも普通の人間とは違う、特別な何かを秘めているのを
カイルは直感的に感じ取っていた。

レイルと同じクリアブルーの瞳がけげんそうにカイルを見つめている。

一定の距離をおいて、2人は互いに見つめあっていた。


レイルは呼ばれて振り向いたものの、
声をかけてくれた青年が誰だか分からず困惑していた。

あの奇妙な門に吸い込まれたと思ったら、
青いトンネルをものすごい速さでくぐり抜け、気が付いたらここにいた。

あまりに素晴らしい光景に見とれている時、
カイルの声がして振り返ったのだが、カイルの姿はなく、
代わりに見知らぬ男の人がこちらに来ようとしていた。

返事に困って見つめていたら、
向こうも人違いに気づいたのか、立ち止まってこちらを見ている。

その青年は瞳の色をのぞけば、外見はカイルにとてもよく似ていた。

レイルを見つめる眼差しは琥珀を思わせる
金色の穏やかな光をたたえていた。

しかし何より決定的な違いはその青年の雰囲気。

まるで自然のようにそこに存在するのが当然であり、
それゆえに圧倒的な存在感を持ちながらもまわりにそれを感じさせない。

そんな人間にはとても持ち得ない雰囲気をこの青年はまとっていた。

「あの・・・さっき、私の名を呼びましたよね。
あなたはどなたですか?」

長く思われた沈黙のあと、レイルがためらいがちに口を開いた。

「レイル?」

カイルの声で青年は尋ねる。

「はい。なぜ、あなたは私の名をご存知・・・」

「僕だよ。カイル・・・」

「え!? 嘘でしょ!?」

青年に近づき、穴のあくほど顔を眺める。

「なにかヘン・・・かな」

目の前の青年はバツわるそうに頬をかいた。

「なんで瞳の色が違うの?」

「え? 目の色? なんかなってる?」

「水に映してみなさいよ」

レイルはすぐそばの泉を指差した。

「おお!?」

泉をのぞきこんだ青年の後ろ姿から驚きの声があがる。

しみじみとのぞきこんでは、信じられなさそうに
顔に手を当てたり、水面に手を伸ばしたりしている。
そんな動作は普段のカイルっぽくて思わず微笑をさそわれた。

「これが僕?」

自分で見ても泉に映っている姿は別人に見えた。

これではレイルが分からないのも無理はない。
瞳の色が違うだけでこんなにも印象が変わるとは・・・

それにこの姿、見覚えがある気がする。
どうしてだろう。懐かしい感じさえするのは。

「また頭が痛いの?」

レイルが心配そうに近づいてくるのが分かる。

「ううん。違うよ」

たぶん僕はこの水面に映る人を知っている。
でもそれを考えるとまた頭痛に襲われそうだ。
これ以上レイルに心配かけちゃいけない。

カイルは水面から視線を外した。

「ごめんなさい。気がつかなくて」

振り向いたカイルにレイルが照れたように微笑ってみせる。

少し遅れてカイルも微笑んだ。
琥珀の瞳がレイルを映して、穏やかに揺れる。

「やっぱりレイルだよね。
よかった。人違いかと思ったよ」

「私も。ぜんぜん分からなかったわ。
瞳の色もそうだけど、雰囲気がぜんぜん違うんだもの」

「それはレイルだって同じだよ。
なんていうか・・・すごくきれいだ」

「え?」

思わず聞き返してしまったレイルの頬が、
ややあってほんのりとバラ色に染まった。

カイルはたまに聞いているこっちの方が照れてしまうようなことを
平気で口にする。

単に素直と言えばそうなのだろうが、
相手の変化にまるで気づかないところがまたカイルらしかった。

「それにしてもすごいところね」

レイルは顔が赤くなっていることを気づかれないよう、
あたりを眺めるふりをしてカイルに背を向けた。

本当に夢のようだわ・・・
古の昔に存在したと言われる精霊たちの世界。

単なるおとぎ話だと思っていたけど、
聖地にいる今、史実として信じざるを得ない。

「ウォーター・ガーデン・・・まさか実在したなんて。
私たちは歴史をさかのぼって、伝説の中にいるのね」

ここは明らかに普段いる世界ではない。
かつてあったが失われてしまったところ、
人々が憧れてやまない仙境の地。

ここと比べれば、地上のどんな美しいところでも
俗っぽく汚れて見えるだろう。

「あ!!」

突然のカイルの大声にレイルの体がびくっと震えた。

「驚かさないでよ。急にどうしたの?」

きょろきょろとあたりを見下ろしていたカイルは、
レイルに向けて、両方の手のひらをひらひらと振ってみせた。

「剣がない」

「嘘でしょー!?」

慌ててレイルも周囲を見回した。
しかし無限の水で潤う広大な庭園は一面に乱反射し、
このなかから水の剣を見つけ出すのは考えただけでも眩暈がしそうだった。

「剣の精霊力とか感じないの?」

「そう言われても、この場所自体、水の精霊力にあふれてるんだ。
砂漠に埋もれている一粒の宝石を捜すようなもんだよ」

「そんな・・・ここまで来て」

ふいに背筋にぞくっとしたものが走った。

『何を慌てている。私はここだ』

すさまじい精霊力を背後に感じる。
純粋な精霊力そのものの圧倒的な力。

レイルは怖くて振り返ることができなかった。

「ルドウ・・・」

聞こえるカイルの声はわずかにうわずっていた。

『ほう。少しは記憶が戻っているらしいな。
ここではすべてが真なる姿をとる。そのせいか。
私もこの姿をとったのは久しぶりだ』

声は心に直接響いてくる。

レイルはおそるおそる振り返った。

巨大な有翼の獣が空に浮き、カイルと対峙していた。

狼に似た全身はつややかな銀色の毛並みに覆われ、
カイルを見据える瞳は蒼氷の色を帯びていた。
額には水の宝石がはまっている。

獣の存在は完全にこの聖地と一体となっていた。

レイルはカイルをちらっと見た。

視線に気づいたカイルが獣から目を離さないまま答える。

「水の神獣ルドウ。
僕が預かった水の剣の正体だ」

「!」

『さあ、行こう。我が主のもとへ』

獣はばさりと翼を羽ばたかせ、2人に背を向けた。

さして高くないところを風も起こさず、水面を乱すこともなく、
滑るように進んでいく。

2人は先導されるまま、ルドウの後をついていった。

向かう先はほどなく分かった。
この広大な庭園を形作るすべての水の源。
中央にそびえ、ひときわ目を引く白亜の塔。

どくん! カイルの心臓が高鳴った。
表面は平静を装いながらも進むのがやっとだった。
それでも彼は確実にらせん状の階段を一段一段のぼってゆく。

塔の頂上は泉になっていた。
周囲を純白の花に囲まれている。

「リネスの花だわ」

レイルの表情がほころんだ。
しかしカイルは無言だった。

この先に待ち受けるものに強い期待と恐れを抱きながら、
ゆっくりと近づいていく。

リネスの花は今を盛りに咲き誇っていた。
その可憐さは普段だったら心をなごませるのだろうが、
今のカイルにそこまでの心のゆとりはなかった。

なるべく花を痛めないよう気を使いながら、泉のふちまで辿ってゆく。

先に到着したルドウは泉の上空で静止したまま、泉を見下ろしていた。

登りつめたカイルたちも縁に手をかけ、泉の中をのぞきこんだ。

決して大きくない泉なのに、中は無限に広がっていた。
底なのだろうか、遥か下の方に真珠玉のような
淡く輝く球体が沈んでいるのが見える。

『あそこだ』

ルドウの声が微妙に変わっていた。
冷たさの中に何かを押し殺した感情らしきものが滲み出ている。

「あんな水の底じゃいけないよ」

『安心しろ。あの方の司る水は人を殺めたりしない。
行くぞ』

上空から水音ひとつ立てずにすうっとルドウは泉にもぐっていった。

鏡のような水面に大きな波紋がひとつ広がる。
銀色の毛並みを時折きらめかせながら、
まっすぐ光る球体へ下っていく様子がはっきり見えた。
逃げ切れなかった空気が誘うようにきらきらと
幾筋かの泡となって水面に浮かんでくる。

視線に気づいてレイルは顔を上げた。

カイルはいつになく真剣な表情でレイルを見つめていた。

「僕は行かなくちゃいけない。レイルは待ってて」

「・・・」

言葉もなく見つめるだけのレイルにカイルはふっと微笑んでみせた。

「じゃ、行ってくるね」

パシャン 涼しげな音が響く。

「あ・・・」

思わずレイルは手を伸ばしたが、
すでに目の前にいた男はそこにはいなかった。


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CHAPTER:7「水の庭園」