CHAPTERへ     カイルとレイル 〜精霊物語・外伝〜

CHAPTER 9 覚醒


      
カイルの身体からいっせいに光が放たれ、水の空を黄金に染めた。

新たな力が全身にみなぎっていく。
光の渦に包まれながら、確実に彼は変貌していった。

黄金色のさらさらした髪がかかる額には淡緑の五芒星が光り、
琥珀の瞳は大いなる力をたたえている。
彼を包む光がひくと、額の五芒星もすっと消えた。

「シェラ・・・」

穏やかながら強さを秘めた金の瞳が彼方の一点を見据える。

遠ざけようとする見えない力をいとも簡単に振りほどき、
カイルはドームを目指した。


小さかった花園の風景がぐんぐん近づいてくる。

目を見開いてこちらを見ているシェラフィータが視界に入り、
やがて彼はふわりとシェラフィータの前に降り立った。

「エ・・イド・・」

シェラフィータの声は震えていた。

「そうだよ。シェラ。僕は死んではいない」

カイルが光の中で変貌した時、
身体(からだ)に満ちる力と共にある記憶がよみがえった。
カイルではない、まったく別の人の、大地の精霊王エイドリアンの記憶。

彼こそが魔詩で意識が飛ばされた時にシェラフィータと戦っていた人物。

「そう。それはよかった・・・」

吐息のようにシェラフィータは呟いた。
愁いを帯びた水の瞳が変わる。

どこか漂っていた虚無感が消えてゆく。

「やっと時は巡った」

今までまとわりついていた儚さは姿を消し、
瞳には強い輝きが宿っていた。

人形に命を吹き込んだかのように生の輝きを取り戻したシェラフィータは
内からあふれでる強さに彩られ、美しさをさらに際立たせていた。

表情を変えぬまま、すらりと水の剣を抜き放つ。

「シェラ?」

「エイド。あの時の決着をつけましょう」

「どうして!? 僕はそんなことのために来たんじゃない」

「剣を抜きなさい」

「いやだ。今、僕らが戦う理由はどこにもない」

シェラフィータはため息をついた。

「・・・。 そこまでいうのなら、
理由を作って差し上げましょう」

構えていた剣をおろし、片手を天へ掲げた。

「巫女はけなげなお方ですね」

「シェラ、何を・・・ !」

意識を水面へ向けると、鮮やかなビジョンが脳裏に浮かんだ。

「レイル!」

彼女は目を閉じ静かに祈っていた。

巨大な氷の柩の中で。

「あの氷は確実に巫女の命を削ってゆきます。
氷を溶かす唯一の方法は・・・
私を倒すこと」

「シェラ、どうして・・・なぜそんなことをするんだ」

その問いにシェラフィータはわずかに顔を歪ませた。

「理由はひとつ。
許せないだけです。
あなたには到底理解できないでしょう。
優しさが時にどんな仕打ちよりも残酷だということが。
さあ、早くしないと巫女が死んでしまいますよ。エイド」

ゾクッ

あまりのなめらかな声に鳥肌が立った。
声には楽しむような響きすらある。

「あなたにその気がないのなら、私から行きます」

「!」

カイルの体に戦慄が走った。

シェラフィータの額は青く輝いていた。
額にくっきりと薄青の五芒星が浮かび上がっている。

さっきまでドームに満ちていた暖かい空気は消え去り、
強烈な冷気が渦巻いていた。
シェラフィータが掲げた手の周りの空気が白く輝きはじめる。

本気だ。

カイルはシェラフィータの額の星を、まばたきもせず凝視していた。
精霊王の額に五芒星が輝くのは真の力を行使する時のみ。

「シェラ! レイルを解放してくれ!」

懸命な叫びも虚しく、シェラフィータは無言で手を振り下ろした。
白く輝く凍気が無数の氷の刃となって容赦なく襲いかかる。

「くっ!」

とっさにカイルはひざまづいて、地面に片手をついた。
と同時に岩盤がそそり立ち、無数の凍気の刃を受け止めた。

ふたつの力が正面から激突し、
砕け散った大地の破片がぱらぱらとくずれ落ちる。
勢いをなくした氷の刃は澄んだ音を立てて消滅し、
凍った花びらが雪片となって、ふたりの間に散った。

その向こう側でシェラフィータは満足げな笑みを浮かべていた。

すべるように水の剣が動き、カイルに向けられる。
鋭い切っ先はカイルの額に光る淡緑の五芒星をぴたりと指していた。

「・・・」

長い息をついたあと、カイルはゆっくりと立ち上がった。
大地の剣に手をかけ、静かに引き抜く。

シェラフィータの剣の腕は誰よりも彼の記憶がよく知っている。
手加減など到底できる相手ではない。

魅入られそうなシェラフィータの微笑が揺らめいた瞬間、

「来る!」

その刹那、神速の剣がカイルを襲った。
ひときわ高い金属音を響かせ、ふたつの剣は激しくぶつかり合い、
剣圧に凍った花びらが舞う。

あの時と同じだ・・・
カイルの脳裏に霧の森での出来事がよみがえった。

魔詩で飛ばされた意識が経験した戦い。
しかし今、それ以上考える余裕はなかった。

すさまじい速さで次々と繰り出される剣を、それでもカイルは受け止めていた。
隙をみて反撃に出ればシェラフィータも華麗な剣さばきで受け流す。

両者の腕はまったくの互角だった。
可憐な花園に不釣合いな剣戟の音が響き、ふたりは飛びすさった。

「さすがですね」

いったん距離を置いたシェラフィータはカイルを眺め、一言つぶやいた。
構えていた剣をおろし、乱れて顔にかかった髪を後ろに払いのける。
その仕草に剣を持つ手をゆるめたカイルは、
まっすぐシェラフィータを見つめたまま言った。

「お願いだ。レイルを解放してくれ。
このままじゃふたりとも共倒れになる」

「いいえ。倒れるのはひとりです。
巫女に残された時間もあとわずか。
・・・次の一撃で決めましょう」

再び、持ち上げられた剣の切っ先がゆらめき、狙いを定めた。
蒼氷の眼差しがカイルを捉える。

「躊躇すれば間違いなくあなたは死にます。
そして運命の巫女も」

「・・・」

カイルは覚悟を決めた。
レイルを死なせるわけにはいかない・・・

ふたりは同時に地面を蹴った。
ふたつの影が交錯する。
それは一瞬の出来事だった。

凍ったリネスの花が空を舞い、ふたりの頭上に降り注ぐ。
戦いの終焉を告げる鐘の音のように。


静寂がドームを覆った。

巫女は祈りつづけている。

彼女を包んでいた氷は跡形もなく消えていた。

レイルはふと顔を上げた。

天空から優しい銀色の光が降り注ぐ。

立ち上がって見守るレイルの前に一人の女性がゆっくりと舞い降りてきた。
カイルが気を失っている時にレイルの前に現れた神秘的な女の人。

「時は満ちました。さあ、行きましょう」

女性はレイルに向かって手を差し伸べた。
滅紫の眼差しがレイルに注がれる。

すべてを知っているかのような物静かな瞳をレイルは見つめていた。

この人の名をたぶん私は知らないはず。
私を呼ぶ夢ではこの人は何もしゃべらなかったし、
さっきカイルが倒れてしまった時に初めて声を聞いたけど、
名前は聞いていなかったと思う。
それなのに、今ならこの女性の名を確信を持って言える。

レイルは差し伸べられた手に自分の手を重ねた。

「ファーラ姉さま・・・」

「レイル、思い出してくれたのね」

女性の顔がほころんだ。
レイルの手を取り、水の底をのぞきこむ。

「さあ行きましょう、レイル。
あなたの最初の仕事です」


リネスの花が震えている。

「シェラ! なんで剣を止めた!?」

カイルは振り向きざま駆け寄った。
ふたりの額に輝いていた五芒星はいつのまにか消え、
ドームの中は静けさに包まれていた。

抱き起こされたシェラフィータは薄く目を開けた。

「ずっと眠っていたせいで手がしびれてしまったようです。
見事ですよ、カイル」

「知ってたんですか!?」

「ええ。エイドを出してくれてありがとう」

シェラフィータはカイルの胸に手を当てた。
疲れたカイルの体に力が湧き、戦いで受けた傷も癒えてゆく。

「これは治癒魔法! 僕よりあなたを!」

シェラフィータはかすかに首を振った。

「いいのです。あの魔界との戦争の時、
私の唯一の救いはあなたの・・・いえ、エイドの優しさでした。
彼の笑顔にどれだけ私は救われたことか。
それなのに私は彼を・・・」

「違う! あれは僕自身が決めたんだ。
今でもあの時のことは後悔していない!」

もうひとりの記憶が無意識にカイルに言わせたが、
もう彼は驚いてはいなかった。

シェラフィータは微笑んだ。

それは水の精霊王がはじめて見せる人間らしい表情だった。
凍てつく氷は溶け、慈愛を司る優しき女王の素顔がそこにあった。


『不思議です。あなたは人を優しい気持ちにさせる。
とうの昔に失ってしまった何かを思い出すような、
氷の心でさえもあなたの前では溶けてしまうようです。
決着をつけるとき、本当に手が動かなかったのですよ。
あなたの変わらぬ瞳を見てしまったから』


魔界との戦争の時、エイドの遥かな記憶にある水の統治者シェラフィータは
疲れ傷ついた者にあたたかい手を差し伸べる神の癒しだった。
戦いに病んだ者は皆、救いを求めてやってきた。

だけどシェラは?

他人の傷や心は癒せても、自分の心は癒せない。
あの戦争で一番傷ついていたのは、
他の誰でもない、シェラフィータ本人だったのかもしれない。

「?!」

穏やかな表情を浮かべたまま、シェラフィータの瞳は閉じられていた。

リネスの花が風もないのに身をふるわせ、さざめいている。

カイルの腕の中でシェラフィータの体がさらさらと
細かい光の粉となって空気に流れ、消えていった。

なすすべもなく見守ることしかできなかった。

「どうして・・・ やっと会えたのに。
どうしてこんなことに・・・
シェラーッ!!」

大地に両手をついて、つっぷすカイルの頬を涙が伝い、
落ちた雫をリネスの花が静かに受け止めていた。


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CHAPTER:9「覚醒」