CHAPTER 10 転生 |
「お迎えにあがりました。シェラフィータさま」 「!?」 聞きなれない女性の声にカイルは濡れた顔を上げた。 「レイル!」 いつのまにか、レイルが銀髪の女性に寄り添い、 少し離れたところからこちらを見ていた。 レイルを従えてる女性は若く、神秘的な存在だった。 シェラフィータがまとっていた服に似た独特の衣装に身を包み、 銀の髪に彩られた物静かなたたずまいは、 深夜に降り注ぐ月光を思い起こさせる。 その女性の隣にいるレイルは痛ましさと喜びとが入り混じった 複雑な表情を見せていたが、それでも目が合うと微笑んでみせた。 「ついに覚醒したのね」 「覚・・醒・・・」 レイルはうなずいた。 「精霊神は来たるべき日に備えて、 あなたがた精霊王に特別な能力を最後に授けたのよ」 レイルから目をそらしたカイルは涙のあとをぬぐい、 ゆるゆると立ち上がった。 「来たるべき日? 特別な能力?」 「転生です」 さっき聞いたのと同じ声が響いた。 カイルの視線がレイルの隣にいる銀髪の女性にうつる。 神智をたたえた滅紫の瞳がカイルの眼差しをまっすぐ受け止めた。 「あなたがたはいつか復活する邪神とそれに従う魔族たちから、 精霊神の加護を失ったこの世界を守るため 女神が残された唯一の希望」 「そんな馬鹿な! 邪神は封印されたんじゃ・・・ 第一、あなたは誰ですか」 「巫女・・・」 シェラフィータの声がした。 「シェラ!」 幻のごとくシェラフィータの姿は大気に揺らめいていた。 「さきほど説明したでしょう。 時を司る三姉妹の巫女のことを。 彼女は『変革』の名を持つ月の姫」 「ファーラと申します。 はじめまして、大地の王。 名乗るのが遅れた非礼をお許しください」 銀髪の女性は優雅に腰をかがめた。 さらさらと肩から流れ落ちる細い髪は銀のさざ波を思わせる。 だが精霊王エイドリアンの記憶を持ってしても、 カイルには巫女についての知識がまったくなかった。 それを見透かしたように星々の巫女レイルが言葉を継いだ。 「カイル、あなたは私たちのことを知らないわ。 だって前世であなたは私たちと会っていないもの」 「前世?」 「まだ少し混乱してるみたいね。 でももう気づいてるでしょ。 あなたは大地の精霊王エイドリアンの転生」 「巫女よ。私の身体は滅びました。 なぜ私をとどめておくのです」 物憂げなシェラフィータの声が響いた。 その言葉に月の巫女が慎み深く頭を垂れた。 「私たちはあなたをお迎えに参りました。 水の王よ、あなたに転生していただく為に私たちはここへ来たのです」 「いいえ」 シェラフィータの声は弱々しくはあったが、はっきりと否定した。 「転生した私が覚醒して、今の私と同じ思いをするのは耐えられません」 伏せた瞳は自らの指にはめられた指輪の光を鈍く反射していた。 「私が今日まで死なずに生き永らえてきたのは、 ある方との約束のため・・・ 自ら命を絶たないと約束したから。 その長い時も終わります。 どうかこのまま行かせてください」 「ではこの世界はどうなるのですか? 女神なき今、あなたがたの力が必要なのです」 「それは分かっています。 しかし・・・お許しください。 この思いを負って生きるのは私だけにしたいのです」 「・・・」 巫女は言葉を失った。 精霊王の転生を導くのは巫女の仕事なのだが、 ここまで強い意志で拒絶されてはどうにもできない。 周囲が重苦しい雰囲気に包まれた時、カイルの胸のあたりがぽわっと光った。 胸元から取り出したのは、エレノアからもらった翠色の石。 「・・・シェラフィータ様」 翠色の石は優しい光をこぼしながら大気に溶けだし、一ヶ所に集った。 淡い緑の光をまとい、可憐な女性が揺らめくように姿を現す。 ひざまであろうやわらかな鳶色の髪が揺れ、 優しいエメラルドの瞳は儚く瞬いていた。 「エレノア!」 シェラフィータとカイルは同時に叫んだ。 カイルはその女性をはっきり思い出した。 精霊国に春を告げる森の姫、新緑のエレノア。 僕の前世・・・大地の精霊王エイドリアンが愛した女性。 エレノアはシェラフィータにうやうやしく頭を下げた。 「こうしてまたお目にかかることができて、うれしく思います。 私の体は遥か以前に還りましたが、 闇の王のお力で心だけこの世にとどまっておりました。 もしあなたに会うことができたら伝えてほしいと闇の王から言伝がございます」 「闇の王から?」 「はい」 エレノアはシェラフィータの顔を見上げた。 「『過去に囚われていては一歩先にある希望に気がつかない。 ふたたびあなたに会うときを楽しみにしている』 そう伝えてほしいとおっしゃられておりました」 シェラフィータとエレノアは何か話しているようだったが、 カイルには声は聞こえなかった。 しかし巫女と同じく、黙ってふたりのやりとりを見守り続ける。 「彼女も転生したのですか?」 「いいえ。 闇の精霊王は現在魔界にくだり、竜妃となられています」 「竜妃?」 「あの戦争で邪神とそれに従う魔者を時の狭間に封印したあと、 闇の精霊王は精霊神の命により魔界へ赴かれ、 後に竜族の王と婚姻されました。 魔界ではこの世界と時の流れが異なります。 闇の精霊王は転生することなく現在もご健在のはずです」 「何の為に魔界へ?」 「精霊神は闇の精霊王を傷ついた双生の妹神の代行者として、 光の精霊王を自ら亡き後皇帝として、 それぞれの世界を見守るよう望まれました。 ですから転生するのは光と闇の精霊王をのぞいた 水、炎、風、大地の4人の精霊王だけです」 「・・・」 「シェラフィータ様、皆があなたの転生を待ち望んでおります。 自ら新しい生を歩まれることを。 封印は完璧ではありませんでした。 今度こそ決着をつけなくてはならないのです。 守護神を失ってしまったこの世界は、あなたがたがいなくては 邪神やそれに従う魔者たちに到底太刀打ちできません。 シェラフィータ様、どうか新しい道をお進みください」 「・・・。 あなたは私を許せるのですか。 あなたの最愛の人を・・・奪ってしまった私を」 「私はあなたを恨んだことなどございません。 あの人は私に希望を残してくれました」 エレノアはちらりとカイルを見た。 「むしろ、詫びなければいけないのは私の方です」 深い吐息がこぼれた。 「私はあまりにも弱すぎました。 自分のことで精一杯で何も気づいてあげられなかった。 つい先ほどまでまったく気づきもしなかったのです。 あなたがエイドを・・・」 「エレノア!」 鋭い叫びが言葉を打ち消した。 が、その後に続いたシェラフィータの声は一転して 普段の落ち着いた口調に戻っていた。 「それ以上言う必要はありません。 それにあなたが気に病むことなど何もないのです。 皆、自分で決め、自らの意志で行動したのですから」 「・・・。 お願いです。シェラフィータ様。 転生に同意してください。 そして今度こそ、神々の古き争いに終止符を打ってください。 あのような哀しい想いを二度と繰り返さないために。 精霊神が愛されたこの世界を、カイルたちとともに守ってください」 いつもの弱々しさが嘘のように、 声には逆らいがたい強さが込められていた。 手は祈るように固く組み合わされている。 「エレノア・・・」 繊細な若葉色の瞳はふるえていた。 自分の思いすら人に伝えられないほど弱かったエレノア。 昔のままに怖がりなのに、何が彼女をここまで強くさせるのだろう。 悲しみを終わらせたい、ただそれだけではないような気がする。 それよりも、もっと強い、もっと切実な・・・ 祈るような声がシェラフィータの心に答えを投げかけた。 「お願いします。 どうかカイルを助けてあげて・・・」 シェラフィータはふいに視線をカイルに向けた。 「カイル、あなたの真の名を教えていただけますか?」 「え? はい。 僕の真名は、カイル・グノーシス・コリドラス・・・」 「!! 神よ!」 シェラフィータは天を仰いだ。 うるんだ瞳が問いかけるようにエレノアへ向けられる。 エレノアはそっと頷いてみせた。 エレノアが言った希望の意味をはっきり悟ったシェラフィータは ふたりの巫女に向きなおり、小さく告げた。 「転生に同意いたします」 「シェラ!」 シェラフィータの声は呟くようだったけれども、カイルにもはっきりと聞きとれた。 「私はわがまますぎたようです。 転生は女神が私たちに託された最後の願い。 精霊王として私は女神の意思に従います」 「ありがとうございます、シェラフィータ様」 花がこぼれるような笑顔がエレノアに戻った。 そんなエレノアをシェラフィータは見つめていた。 『・・・あなたの笑った顔はもう見れないと思ってました。 私の罪は消えないけれど、 少しだけ救われたような気がします。 ありがとう。森の姫君・・・』 何も語らない口とはうらはらに、水の瞳は穏やかな光をたたえていた。 「巫女。ひとつだけお願いがあります」 ファーラの耳元に口をよせ、シェラフィータは何事か短く言った。 「分かりました」 「感謝します」 シェラフィータは振り返った。 「エレノア、それにエイド・・・いえ、カイル。 あなたがたに心から感謝します。さようなら」 青い宝石の瞳は静かに閉じられた。 ふたりの巫女が祈りを捧げる。 シェラフィータの体は光に包まれ、小さな青い光球になった。 ふわふわと漂うそれを月の巫女は大事そうに両手で受け止めた。 と同時に銀色の輝きが取り巻き、ファーラの体がふわりと浮き上がる。 宙に浮いた彼女は皆に視線をめぐらし、深々とおじぎをした。 「私はもう行かねばなりません。 皆様、本当にありがとうございました」 「姉さま・・・」 不安そうに見上げるレイルにファーラは優しく微笑みかけた。 「レイル、必ず時の神殿に来てね。 それまで私ひとりで持ちこたえてみせるから。 きっとよ」 光球を抱いて空にのぼったファーラの姿は銀色の光に抱かれ、消えた。 「カイル、それにレイルさん。ありがとう。 これで私も旅立てます」 エレノアはふたりを交互に見つめていた。 「エレノア、君は」 「私は精霊王と違って転生の権利を持ちません。 これでお別れです。 ですが、もう何も思い残すことはありません。 すべてあなたがたのおかげです」 限りない愛情が込められた眼差しがカイルに注がれる。 エレノアはカイルを近寄り、優しく抱きしめた。 「さようなら、愛しい人の転生・・・最愛の我が子。 あなたたちのまわりにいつも神の祝福があらんことを」 その姿は薄れ、 やがてエレノアを包んでいた緑の光もなにもかもすっかり消えた。 後には一振りの剣が残された。 つややかな輝きを放つ青く美しい水の剣。 剣は変化し、氷狼ルドウの姿になった。 「ルドウ・・・」 『これでよかったのだ。 大地の王よ、頼みがある』 水の剣がカイルの前に漂ってきた。 見かけは水の剣そのものだったが、 柄にはまっていた蒼い宝石が抜けていた。 『この剣を転生した我が主に渡していただきたい。 剣は抜け殻だが、この聖地への鍵になる。 主が迎えに来る日まで我は故郷に抱かれて眠りにつこう』 カイルは自分の前に浮かぶ剣を受け取った。 今度は素手で触っても平気だった。 姿なきルドウの声が荒れた花園に響く。 『もう戻るがいい。主なき今、聖なる庭は再び禁断の地となる。 我が主が剣を携え、封印を解く日まで。 さらばだ』 あたりの風景が流れるように溶け出した。 浮遊感がして足元がどうなっているのか分からない。 すべてが青に溶けこみ、次の瞬間、意識は蒼天の光に吸いこまれた。 |
|