ナゾトキ 最終話
少年を見下ろす、少女のうつろな瞳。
音も消え、誰も何も動かない。止まった世界。
「おやおや、レンを殺してしまったのかい?」
聞こえるはずのない声に少女はびくっと身を震わせ、するどく振り向いた。
ドアのところには誰もいない。
「こっちだよ」
「っ!?」
窓の向こうに彼はいた。彼が窓ガラスに手をかけた瞬間、弾かれたように少女はサロンから飛び出していった。
「どこに行くのかな」
廊下を抜けていく少女のあとをゆったりと追う。 鍵を持たない彼女に逃げ場がないことなど承知の上。
磨き上げられた大理石のロビーに出たところで少女は観念したように振り向いた。
「なんであなたが・・・」
信じられないようにつぶやく。
帽子を深めにかぶった彼は、顔はよく見えず、いつもの長くて青いマフラーもしていないけれど、間違いなくカイトだった。
「この床ってチェス盤みたいだと思わないかい」
少女の動揺に気づかないのか、いつものごとく鷹揚な口調で、彼は靴先で軽く床を打ち鳴らした。
白と黒の鮮やかな市松模様から硬質な音が返ってくる。
「今のぼくたちにぴったりの舞台だ。
それじゃ、ナゾトキを始めようか。きみとぼくのふたりで」
少女の前で、カイトは誘うように腕を広げた。
「ひとつめのナゾは、何故彼がひとりの部屋で毒入りのワインを飲まなければいけなかったのか?」
人差し指を立てて 「1」 を示しながら、探偵は話し始めた。
少女はふとポケットの中に忍ばせてあるナイフに気づいた。
そっと手をいれ、ナイフを握る。
探偵は気付かず、話し続けている。
「理由は簡単。彼はあの時死ぬべき宿命と決まっていたのだから」
「・・ワイングラスは本当はふたつあったのでしょう?
彼は “毒” で死なずとも、いずれ “ナイフ” で死んでいたのよ」
押し殺した声が少女の口から紡ぎだされた。
抜いたナイフをそっと背後に隠し持つ。
「誤った真実、か」
探偵はふたたび話しはじめる。
「では次のナゾにうつろうか。
ふたつめのナゾは 彼らが海へ落ちたワケ。
彼らの中に犯人がいたのか?」
「“彼ら”? 海に落ちたのは何人だったのか、あなたは答えを知ってるわ。
だってあなたの目の前ですべて起こったのだから」
少女は一歩足を踏み出した。
「今度は私からナゾをかけましょう。
六年前のあの事件のとき、あなたは探偵だった?」
「!?」 探偵を見つめ、少女は言葉を綴る。
「私があなたをナゾ解いてあげましょう。
あなたはあのとき、ピアニストを志していた。
私を助けたその腕がピアノを弾くためにあると知っていたなら、私は奪わずにいられたのかしら・・・」
探偵はわずかに瞳を細めた。
一瞬の翳りに少女は息を呑む。
「あの人は償おうとしていた。 贖罪を悪意にすりかえたのは・・・」
少女は言葉を止めた。次の瞬間、手が目に留まらぬ速さで動き、ナイフを投げつけた。
しかしそれはカイトの横をすり抜け、ドアをかすめて廊下に落ちる。
「いいかげん出てきたら?」
「気づいていましたか」
少女の声にこたえるように物陰からすっと現れた人影はロビーに足を踏み入れた。
長い髪がゆれ、硬い床に足音が響く。
左手には鞘に納まった長い日本刀を握っていた。
「ビョルンさんをそそのかして、ぼくを襲わせたのはきみだよね」
たいして驚いた素振りもなく、カイトは言った。
「それは違います」 日本刀を携えたカムイは今までと変わらず、ていねいな物腰で否定した。
「私は別にそそのかしてはおりません。
あの夜、アーロン様の部屋に入っていく人物を見た、そうお伝えしただけです。
どちらか、あるいは両方とも消えていただいて構わなかったのですが・・・ 自ら飛び降りるとは予想外でしたよ」
「下は船室だと分かっていたからね。きみの行動が参考になったよ」
カイトは帽子をとった。
カムイがカイトを見る目に、ほんのわずかに賞賛の色が浮かぶ。
「探偵役だとばかり思っていましたが。予想以上に頭がきれて、勇気もある方だったようだ」
「それはどうも。 動機は? なぜこんな真似を?」
カムイはそれには答えず、刀の柄に手をやった。
「時間がありません。もうすぐ船は港についてしまいます。
”Avenger” という物語を完結させるためにはすべての人間が死ななくてはならない」
言葉が終わると同時に、カムイは大きく足を踏み出した。
流れるような動きで鞘から抜かれた刃はカイトの頭上を正確にとらえ、躊躇なく振り下ろされる。
「うわっ!?」
避ける間もない。とっさにカイトは手で防いだ。
左手で、じかに刃をつかむ。刃紋が埋まるほど、手のひらに刃が深く食いこんだ。
「っ!?」
血は、出ない。刃をにぎったまま、手をねじり、カムイの体勢がぐらついた瞬間、
「レン!」
「はい!」
カイトを踏み台にして軽やかに飛び上がった少女のスカートが大きくめくれ、強烈な回し蹴りがカムイを襲う。
とっさに防いだものの、衝撃は大きく、後ろによろめいたカムイは壁にたたきつけられ、ひざをついた。
「動かないで」
間髪おかず、首筋に冷たいものが触れる。
自分の置かれた状況を瞬時に理解したカムイは目の前に立つカイトを見上げた。
「義手だったのか」
「ああ。容赦なくやってくれたね。結構高いんだよ、これ」
力をこめて刀を外すと、左手はざっくりと、本物の手だったらと思うとぞっとするほど深くえぐれていた。
「もうひとりの探偵も登場とは・・・これも天命か」
小さく息をついたカムイは、自分にナイフを突きつけている少年の服を着たリンに目を向けた。
「予想外でしたよ、あなたの存在は。おかげで計画が狂ってしまった」
「きみは誰? 6年前の事件が発端なら加害者は全員亡くなったはずだ。
どうしてぼくたちまで狙う?」
カイトの問いにカムイは仮面のような表情をわずかにゆがめた。
「・・・火事のとき、あの方はまだ生きていた。
どちらにせよ、もう終わったこと。敗北を認めよう。殺していいよ」
天をあおぐように上を向き、突きつけられているナイフの前にのどをさらけだす。
カイトとレンが緊張した面持ちでリンを見た。
ナイフはかすかに震えていた。しぼりだすようにリンは言った。
「私だって助けたかった。でもお母さんはレンと一緒に行きなさいって。
柱が崩れて、次に気づいたときは病院だった」
リンの大きな目から涙がこぼれ落ちる。
炎がまわり、息苦しいほど焼けつく空気のなか、触れた手は冷たかった。
一緒じゃなきゃイヤと泣く私に、お母さんは微笑んで・・・
(リンの優しいところ、大好きよ。レンと一緒に生きなさい。
レン、リンを守ってあげてね)
そっと私たちを押し出した。
「・・・・・・」 カムイはリンを見つめていた。
「あなたになら殺されてもいいと思ったのに。
けれどあなたの手を汚すのは本意ではない」
カムイはポケットに手を入れた。
カイトたちは思わず身構えたが、特になにかをする様子はない。
「カムイ?」 異変に最初に気づいたのは、すぐそばにいるリンだった。
「・・・・・・」
カムイはうつむき、目を閉じたまま答えない。
カイトが近づこうとしたそのとき、なにか低いうなるような音が聞こえた。
「!」
突然、リンがカイトに向かい、カムイに突きつけていたナイフを投げつけた。
金属音を響かせてカムイの足元に落ちたそれは、切っ先に何かを貫いていた。
大きな・・・スズメバチ。
「アナフィラキシーショックか!」
カイトがカムイに駆け寄り、ポケットに入れた手を引き出した。
力なく、床に滑り落ちた手は何箇所か腫れていた。
ポケットのなかには空の小瓶、そして胸のポケットに鍵があった。
「リンは蜂の毒を傷口から出して! レン、おいで!」
カイトとレンは駆け出していった。
ひとり残されたリンはカムイを見下ろした。
すでに意識はなく、息が弱い。放っておけばそのうち死ぬだろう。
犯人は明らかだ。今なら床に落ちているナイフで簡単にとどめを刺すこともできる。
「・・・。完結させる気なんてなかったくせに」
リンはカムイの横にひざをつき、床に投げ出されている手を両手ですくいあげるように取った。
しなやかで綺麗だった手は何箇所も刺され、刺されたところもはっきり分かった。
おもむろにリンはカムイの手に口づけ、傷口から毒を吸い出しては吐き出した。
カムイの部屋にかけこんだ2人は引き出しや棚、バッグを探した。
蜂を持ち運んでいたということは、カムイは自分がハチ毒にアレルギーを持っているのを知っていたことになる。
自殺するために持ちこんだにしても、そのときが来る前に思わぬところで刺されてしまうかもしれない。
彼ならきっとその可能性も考慮していただろう。
なら、あるはずだ。
「カイト」 すぐ後ろでレンの声がした。
「なんだい?」 ふり向かず、声だけ返す。
「僕はカイトに殺されても文句は言えない。だけど、リンを・・・。もしリンを利用したり、傷つけたりしたら」
カイトは振り向いた。まっすぐに自分を見つめるレンと目が合う。
「そのときは殺すよ」
「レン・・・」
「なんてね。あったよ、行こう!」
マジックペンのようなものをカイトに見せると、レンは部屋から駆け出していった。
レンが駆け込んできて、やや遅れてカイトも戻ってくる。
ペン型のキャップを外すと、注射針が出てきた。
注射器と一体になった薬剤をカムイにうつ。
「間に合った、かな」
症状がおちついたのを確認し、カイトは息をついた。
なんとなく全員が押し黙っているとき、汽笛が鳴り、船が港についたことを知らせた。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
やがて人が入り、警察がやってきて、あたりは一気に騒がしくなった。
リンは荷物を取りに部屋に行った。汚れた服は着替えたが、もうベールも帽子もかぶっていない。
長い前髪をピンで留め、頭の上には大きなリボンが揺れていた。
カムイの部屋のドアが開けっぱなしになっているのに気づき、何気なく目をやったリンは机の上に置かれたものに興味を引かれて、
部屋に入っていった。
それは伏せてある写真立てだった。
なかにおさめられている古い写真を見たリンは、それを自分の荷物のなかにいれ、部屋を出ていった。
事態を知った警察により、リン、カイト、レンの3人は下船を許されず、甲板で待たされていた。
「これで事件は終わりだね」
「なにが終わりだね、だよ。バカイト!」
急に思い出したようにレンが叫んだ。
「カムイをおびきだすつもりだったのに、なんであんたが出てきたんだよ。信じらんねえ!」
「いやー てっきりレンが殺されたのかと。にしても、さすが双子だね。
入れ替わったのに全然気づかなかったよ。声も真似できるとはねー」
「で、気づいたのはいつ?」
「それはほら、火事でリンを助けたのはレン、レンを助けたのはぼくだからね。
しかし我ながら運が良かった。ビョルンさんがナイフをもって迫ってきたときは、ほんとに死ぬかと思ったんだけど」
「とっさにマフラーをロープがわりにして、下のベランダに逃げたんだ。
我ながら自分の機転にほれぼれするね」
「無駄に長いマフラーが役に立って良かったな」
すぐ近くで、ふたりがそんなやりとりをしている間、リンは手すりによりかかり、船を見上げていた。
"REGNEVA"号。 逆から読めば、招待された人たちは偶然ではなく、必然だったことが分かる。
私を見逃した時点で彼は復讐という物語を完結させることができなくなった。
彼は私を確実に殺すことができたのに。
だって、レンがいなくなったあと、私は彼とふたりきりになったんだもの。
レンが私の部屋で入れ替わりを提案したとき、自分が犯人をひきつけているうちに、部屋に戻ってじっとしているように言われていた。
私の格好をしたレンがキッチンでナイフと一緒にケチャップも持ち出して、もみあっているふりをしてそれを刺した。
誰もいなくなったあと起き上がった私は、言われたとおりにすべきだったのかもしれない。
けど、どうしても気になって、ナイフを拾い、ふたりを追おうとしたとき、引き止める声がした。
「死人役が動いてはいけませんよ」
「!? なんで・・・海に落ちたはずじゃ・・・」
はっと我にかえる。
唐突にひとつの答えが脳裏にひらめいた。コーラルさんの部屋の近くで感じた違和感の理由。
「やっと分かったわ。 コーラルさんの部屋のコサージュは隣の部屋にかかっていたんでしょ。
数が多いから、よほど注意深い人じゃなきゃ、ひとつずれていても気づかない。
鍵が開かないコーラルさんはあなたを呼んだ。違う? カムイ」
カムイは無表情だった。
ひとつひらめけば次々と答えが見えていく。ひも解くようにリンは言葉を続けた。
「海に落ちたのはあなたじゃない。あなたの服を着たコーラルさんよ。
銃を使ったのは音で注意を引き、海に落ちるところを目撃させるため。
おそらくコーラルさんをロープに結んでおいて、頃合をみて上の甲板からロープを切った。
日が落ちていたから暗くてよく見えなかったし、ロープが一緒に落ちていても不思議には思わないわ」
カムイはじっと少女を見つめた。
「すばらしい推理です。本物の探偵のようだ」
賞賛の言葉とはうらはらに、彼は瞳をふせた。
「残念です。この地上ではもう会うことはかなわないと思っていた面影を見つけることができたのに。
あなたにだけは知られたくなかった。このまますべて終わるまで眠っていてくれればよかったのに」
「っ!?」
握り締めていたナイフはこともなげに叩き落された。
カムイの手が少女にせまる。
あっと思う間もなかった。
倒れたリンをカムイは優しく受け止め、抱き上げると、そっとソファに横たえた。
手が首筋に触れる。
そのあとつぶやくように彼の口が動いたけど、聞き取ることはできず、意識は薄れていった。
カムイの部屋にあった写真に写っていたのは、子供のころのカムイと、そして私にとてもよく似た人。
あれはたぶん・・・。 写真のふたりは笑っていた。
カイトはどうして私をひとり残していったのだろう。
カムイを殺すのをためらったとはいえ、私が犯人に殺意を抱いていたのを知っていたのに。
ロビーで交わされていた会話は通路にも聞こえていた。
語られたことに嘘があった・・・? いいえ、カムイは嘘は言わないと言っていた。
それが真実なら。こんな形で事件を終わらせはしない。
海風が彼女の髪を優しく撫でていた。
担架にのせられ、カムイが病院へ運ばれていく。
刑事がこちらにやってきた。
「話を聞かせてもらいましょうか。まずはあなたからですな、カイト・アーロンさん」
刑事が手帳を開く。
「犯人は誰なのかしら」
リンのつぶやきにレンは顔を向けた。
TOP
※ 読んでいただいた方にひとつお知らせがあります。
話のなかでリンが毒を吸い出すシーンがありますが、あれは口のなかに傷があると、
そこから毒が入ってしまったり、あやまって飲み込んでしまう可能性があり、危険です。
もしそういう状況に出くわしたときは、血ごと毒を傷口から押し出してくださいね。
それでは、最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪ 2012.5.5 るね
|