― 第18話 無垢なる供物 ―
「あ・・・っ!?」
長く続く坂の途中でフィールは立ち止まった。
高くそびえる岩山をとりまくようにらせん状にのぼり道が続いているその先、
地上も見えぬ高さの、白く霞む道をヘレシスたちが埋め尽くしていた。
キィ キィ 巨大なクモを思わせるヘレシスの声が本来なら静かであろう空間を騒がせている。
「うげ・・・
ウジャウジャいやがるぜ」
レオンの表情はうんざりというより、むしろあきれていた。
「・・・さっきのヤツと同じだ・・・」
フィールの表情がひきしまる。姿は違うものの、本質は異世界から来た侵食兵と同じ。
「一匹だけでも じゅうぶん 気色わりいってのに・・・」
なおもひとりごちるレオンの横でアルミラは彼らの様子をじっと観察していた。
「こいつら・・・神々に敵対しているのか・・・?」
「うわ! こっち ニラんでやがるぜ! おい!!」
「敵の敵は味方というわけにはいかないようだな」
ひとりでにぎやかなレオンと対照的に、アルミラはいつもと変わらぬ冷静な声を返した。
「ま こっちも願い下げだけどよ!」
これから始まる戦いの予感に、自然とレオンの顔に笑みが浮かぶ。
どちらにせよ、先に進むしかない、今まで黙っていたフィールが口を開いた。
「まともに戦ってちゃ キリがない!
一気に走り抜けよう!」
「ふふ・・・」
「・・・な なに?」
フィールは驚いて振り返った。
アルミラが声を出して笑うこと自体めずらしいが、なぜ笑われたのか分からない。
つと顔を上げたアルミラの隻眼はフィールを通して、別の人物の面影を映していた。
「いや・・・OZ(オズ)だった頃に戻ったような気がしてな」
それを聞いて、レオンも少し笑う。
「ああ 俺も今 ちょっとそう思ったぜ」
「え・・・?」
似てんのも当然だよな。
アルミラがフィールを誰と重ねていたのか、レオンにはすぐに分かった。
神々の子でねえなら、ボウズの父親はアイツだ。
ひとり訳もわからずきょとんとしているフィールをレオンは笑ってうながした。
「ほら 来るぜ!
気色わりいのが!」
「あ ああ!」
真剣な表情に戻ったフィールのとなりで、アルミラは杖を握りなおし、
レオンにも負けない不敵な眼差しを投げた。
「どこの何者かは知らんが OZの力 見せてやるとしよう!」
道は一本しかない。
もちろんしもべたちが待ち受けていたが、ヘレシスたちが次々と彼らに群がり倒してくれるので、
戦い自体は今までにないほど楽だった。
ときおり襲いかかってくるヘレシスさえ振り払えば、自然と道がひらけていく。
ぐるぐると、切り立った山の周囲をめぐるらせん状の道をひたすらのぼり、上を目指す。
ゆるやかだった道の角度は徐々にきつくなり、霧にかすむ風景は目もくらみそうな高さだ。
ふいにレオンは急ぐ足をゆるめた。
「急に静かになりやがったな・・・」
「嵐の前の静けさ といったところか・・・」
道端に倒れているしもべたちを目にして、アルミラが言う。
あれほどいたヘレシスはいつのまにか姿を消し、あたりは不気味なほどの静寂に包まれていた。
さして苦労もなくたどりついた頂きから振り返れば、雲が眼下にただよい、
今までのぼってきた道も霧が白く覆い隠している。
頂きは石畳が敷き詰められた円形の広場になっており、見事な文様が彫りこまれた床が荘厳な雰囲気を漂わせていた。
中央付近まで進んだところで3人は異変を感じ、足を止めた。
ヘレシスたちの声が近づいてくる。
円形のふちから数匹のヘレシスが現れたかと思うと、それは湧き出るかのようにみるまに数を増やしていった。
「囲まれた!」
「厄介だな・・・・・・」
身構えたフィール、レオンと背をあわせ、アルミラは油断なくあたりを見回す。
ん? 地鳴りに似た音に最初に気づいたのはフィールだった。
「な なんだっ!?」
レオンが音のするほうを凝視する。あたりを埋め尽くす無数のヘレシスたちもざわついていた。
次第に空気を震わす音は大きくなり、突如巻き起こった突風がヘレシスたちを吹き飛ばした。
残ったものがいっせいに空を振り仰ぐ。
3人が見上げた先で、大空を背に、6枚羽根の双頭の竜が咆哮した。
「これは・・・・・・!」
アルミラが目を見張る。無意識にフィールは叫んでいた。
「神!!」
3人とも身構える。
「・・・・・・やはり神も・・・・・・」
風神、テオロギア颶風圏司裁神(ぐふうけんしさいしん)セミナトリケス・マロルムを見据えたままアルミラは言った。
「ヤツらを敵と認識しているようだな・・・・・・」
空を支配する雄大な双頭竜に具現化した風神は空の高みから地にしばられたものを見下ろしている。
6枚羽根をゆらめかせ広大な空を翔けるその姿は、神という言葉にふさわしい威容を誇っていた。
「考えるのは 後にした方が良さそうだ!」
フィールは剣を持つ手に力をこめた。光が走り、全身がレクスの装甲に包まれる。しかし・・
「これでは攻撃があたらん・・・!」
アルミラは空を仰いだ。
レクスの装甲により身体能力が大幅に強化されたとはいえ、あんな上空を飛ばれては手の出しようがない。
「食らいやがれー!」 突然、レオンの声とともに一部のヘレシスたちが上空を舞った。
苛立ちをつのらせたレオンは、低く空をよぎった神に向けて力任せに次々とヘレシスたちを吹き飛ばしていた。
いくつかが取りつくことに成功したのか、風神の高度が落ちていく。
ざわついていたヘレシスたちがいっせいに移動を始めた。
「見ろ! 動きが止まったぜ!」
チャンスとばかりにレオンが駆け出す。
広場の端に降りた風神の巨体はいまやヘレシスたちに覆い尽くされていた。
だが身体を鋭く回転させ、自ら竜巻と化すと、黒山のごとく群がったヘレシスたちを一匹残らず弾きとばす。
うなりをあげて巻き起こる烈風が、真空の刃となって広場をかけめぐった。
「足場が!」
アルミラは背後を振り返った。
いくつもの竜巻が荒れ狂うなか、大きな音を立てて崩れ落ちた床が白くかすむ霧のなかへ消えていく。
体勢を立て直した神は巨大な6枚羽根をはばたかせ、ふたたび空へと舞い上がった。
風が吹き荒れ、轟音とともに稲妻が容赦なく降り注ぐ。
強風で思うように身動きがとれないなか、ときおり、地面すれすれを滑空しては縦横無尽になぎ払う風神をかわし、
ヘレシスたちを利用して確実に追い詰めていく。
熾烈な戦いの末、ついに風神は地に落ちた。巨体が砕け散り、解放された大量のエテリアが光の奔流となって広間に渦巻く。
「おにい・・・ちゃん?」
「!?」
聞きなれた声に反射的にフィールは振り返った。
「・・・ドロシー・・・?」
「・・・お兄ちゃん・・・」
エテリアの奔流がおさまり、おずおずと物陰から現れたドロシーの表情がみるみるゆるんでいく。
「お兄ちゃーーんっ!!」
「ド・・・ ドロシーーーっ!!」
「お兄ちゃん・・・
お兄ちゃんっ!!
おにいっ・・・!!」
目を見開き、ドロシーは立ちすくんだ。
「ボウズっ!?」
「後ろだ!!」
レオンとアルミラの声が響く。
振り向いたフィールの目に飛びかかってくるヘレシスたちの姿が飛び込んだ。
「!?」
その瞬間、やわらかな光があたりに満ちた。少女の歌声が光のなかにこだまする。
ヘレシスの叫びと消滅する音が聞こえ、やがて光は薄れた。
「・・・っ」 うつろな目をしたドロシーが立ち尽くしている。
「消えた・・・?」
「一体・・・
何が起こったというのだ?」
レオンと、さしものアルミラも不可解な出来事に戸惑いを隠せない。
「おに・・・ちゃ・・・」
「え・・・」
泣き笑いのような表情を浮かべたドロシーは安心したように目をとじた。
「よ・・・よかっ・・・」
小さな体がぐらりと揺れる。
「ドロシー!!」
かけよったフィールにトトがあせって尋ねる。
「おい! フィール!
ご主人の様子はどうなのだ!?」
「・・・大丈夫だよ」
様子をみたフィールは穏やかな顔をあげた。
「気を失ってるだけ・・・と言うより 疲れて眠ってるだけだと思う」
「そ そうか・・・」
安心して力が抜けたのか、トトはその場にへたりこんだ。
「お おい アルミラ・・・」
一方、レオンはいつになく深刻な表情をしていた。
「さっき この娘が歌ったのは やっぱり・・・」
「ああ・・・
私も同じ事を考えていた」
アルミラも横を向いて考え深げに答える。
「あれは・・・ 15年前の・・・」
「アルミラ レオン・・・」
フィールは横を向いてうつむいた。
その表情が悲しげに見えたのは気のせいではないだろう。
「ごめん・・・ その話はしないでくれ。
ドロシーには 聞かせたくないんだ・・・」
「あ ああ・・・
そうだな・・・」
このときばかりはレオンも神妙にうなずいた。
「わかった・・・」
アルミラは倒れているドロシーに目を向けた。
やはり神々の子は・・・。そして視線はすべてを知っているであろうフィールにうつる。
しかし彼はいつもどおりの穏やかな表情に戻っていた。
「トト おまえもしゃべるなよ?
ネコなんだから」
「む むう・・・
いたしかたあるまい」
「う・・・ん・・・」
「ドロシー?」
ドロシーは眠そうに目をこすりながら、ちょっと首をかしげてフィールを見上げた。
「あ・・・あれ?
・・・お兄ちゃん?」
「おはよう ドロシー。
迎えに来たよ」
「・・・ん・・・」
急にドロシーはびっくりしたように目を見開いた。
「お お兄ちゃん!?」
「ああ」 フィールは優しく笑う。
「ゆ・・・ 夢じゃなかったんだ!」
大きな瞳から涙があふれてきて、小さな体がフィールの胸に飛びこんでくる。
「お兄ちゃん お兄ちゃん お兄ちゃあん!
会いたかったよぉ!」
「ぼくもだよ・・・」
「ニャ〜!」
そのときフィールにばかりいい思いをさせてなるものかというふうに、わざとらしく、トトがないた。
振り向いたドロシーの表情がぱっと明るくなる。
「トト! トトも来てくれたんだね!」
「あっ! そうだ お兄ちゃん!
ほかのみんなは!?」
「大丈夫だよ。
もう助けたから・・・」
「あ・・・」
張り詰めた表情がみるみるうちに涙にゆがんでいった。
「よかった・・・ よかったよぉ・・・ うわあ〜〜〜〜ん・・・
お兄ちゃあ〜ん! トトぉ〜〜! ぐすっ・・・」
「・・・ほら ドロシー
もう大丈夫だから泣きやんで。
人が見てるよ?」
「ぐすっ・・・
・・・えぇ?」
フィールはそばに立つ、ふたりに目を向けた。
「アルミラとレオン
ここまで一緒に来てくれた 友だちなんだ」
「アルミラさんと・・・
レオンさん?」
大きな目でじっと見上げていたドロシーは、突然、背筋を伸ばしてふたりに向きなおった。
「は・・・はじめまして!
お お兄ちゃんがいつも お世話になってます!」
めいいっぱい力んで 頬がかすかに赤い。
その勢いにかえってレオンのほうがたじろいでいた。
「お・・・おう」
「あ ああ」
アルミラも、ドロシーのあまりの緊張ぶりに気圧されているようだったが、
当のドロシーはそんなことに気づく余裕もなく、なおも直立不動のまま、声を張り上げた。
「そっそれから
た 助けに来てくれて あっありがとうございます!」
「そんなに緊張しなくていいよ。
二人とも 顔は怖いけど 悪い人たちじゃないから」
笑いながらフィールが口をはさんだ。
「・・・顔が怖いは余計だ」
レオンの言葉にアルミラは苦笑する。
「まあ その通りではあるが」
「・・・・・・・・・」
そのやりとりを見ていたドロシーからふっと固さが消えた。
「・・・ううん 怖くないよ。
お兄ちゃんの事 すごく優しい目で見てる。
いいなあ お兄ちゃん・・・」
「・・・へえ・・・なるほど」
レオンは納得の笑みを浮かべた。アルミラもわずかに口元をゆるませる。
「フィールが血相変えて 助けに来る気持ちもわかるな」
「・・・え?」
首をかしげるドロシーの横でフィールはごく自然に答えた。
「・・・ああ。 自慢の妹なんだ」
「も もう・・・」
またドロシーの顔が赤くなる。
「い いいから 早く帰ろうよ!
きっとみんな 待ってるよ!」
「・・・っ」
ふいにフィールの顔に緊張の色が走った。
静かだったあたりは不穏な気配に包まれ始めていた。
「ど どうしたの? お兄ちゃん・・・」
ドロシーは不安げにフィールを見上げた。
「村に・・・帰るんだよね?」
「ごめん ドロシー・・・
ぼくには まだやらなきゃいけない事がある」
「え・・・?」
向けられたフィールの瞳はさっきまでの穏やかなものとは違って、覚悟ともいうべき真剣な光を帯びていた。
「それが終わるまで・・・
安全な所に隠れて 待っててくれるかい?」
「お兄ちゃん・・・」
ドロシーは心配そうにうつむいた。
「あ・・・危ない事なの・・・?」
「安心しな。 おれたちが一緒だ」
レオンが不敵に笑う。
「すぐに終わらせてやるさ」
アルミラも安心させるように言った。
「フィールに 可愛い妹を長く待たせるような事はさせられないからな」
「アルミラさん・・・
レオンさん・・・」
ドロシーは微笑んだ。
「うん・・・わかったよ。
わたし 待ってる」
「ドロシー・・・」
「がんばってね。お兄ちゃん!」
「・・・ああ」
笑って送り出してくれるドロシーにフィールもまた笑顔でこたえた。
五柱の最後の神、神々の王でもある光神との戦いはすぐそこにせまっていた。