最終話 変わらぬ想い

海路で厳島へと戻ってきた。
厳島をバックにして海から見る朱色の鳥居も美しい。
懐かしい。帰って来たんだ。

? 様子が変だ。厳島が攻められている?
毛利の水軍が相対している船にはためく紋は「七つ酢漿草(かたばみ)」 長曾我部家の家紋だ。
船は水軍と合流した。
毛利軍の将が戦況を報告するが、冷徹な眼光に射すくめられ、恐れが声に現れている。

「よく持ちこたえた」

「は、ははっ」 思わぬ言葉に驚きつつも平伏する。

「功ある限り、叱責などせぬわ。
 戦に犠牲はやむなし…だが、我が智略を巡らさば最小の犠牲で最大の利を得るのだ」

元就さまが立ち上がる。

「そなたらは我が智略の駒…無策に走り無為に散るは禁!
 我が智の命無くして、命捨つる事罷りならぬ!」

「はっ」

「しらしめよ、我が毛利の武勇を」

「おーっ!」

士気が上がった毛利水軍が長曾我部軍を押し返している。

「元就様! 船が突っ込んできます!」

「毛利ー!」

聞き覚えのある声が響いてくる。
こちらに一直線に突き進んでくる船の舳先に、穂先を下にした碇槍に足をかけて、 寄りかかるように立っている隻眼の男が見える。
姿を現した元就さまを見据えて、長曾我部元親は言った。

「この野郎、久しぶりじゃねえか!
 騒ぎをけしかけて漁夫の利を狙うなんざ、相変わらず汚ねえやり口だな。毛利よォ」

元就さま…いったい何をしたんだろう。
ただ、言葉とは裏腹に、長曾我部元親の表情はどこか愉しそうに見える。

「敵対せし者を斯様なまでに喜色満面で罵倒いたすとは…
 長曾我部よ、貴様しばらく会わぬうちに人が変わったか」

「ここでアンタをぶっ倒し、安芸は俺がいただく!」

「貴様亡き後、四国は安芸の離れ小島となろう」

元就さまの言葉に、長曾我部元親は気色ばむ。
目つきが急に険しくなった。

「ぬかしやがれ!
 白黒つけようじゃねえか、毛利!」

「フン…つけるまでもないわ」

接舷すると同時にふたりは床を蹴り、空中で激しくぶつかり合う。
衝撃で海が放射状に波立ち、すべての船が大きく揺れた。

「鬼を退治してみるかい?
 昔語りの英雄になれるかもなァ! はっは!」

「鬼とはかくも野蛮なものよ。
 貴様と我、どちらが上か…分かるであろう?」

「あちこちで派手に暴れて来たみてえじゃねえか! ええ? 毛利さんよお!」

「海賊どもがこの厳島を蹂躙するとは…愚劣な海賊風情と水軍の質の違い、見せてやろう」

「船ってのは一人じゃ動かせねえんだぜ。それが分からねぇなら船に乗る資格はねえ」

「略奪しか能のない賊めが… 貴様らは泥船に乗っているのが似合いよ。
 塵が束になったところで所詮は屑」

「おい、俺の子分を塵とか屑とか呼ぶな!」

「愚物どもが束になろうと我には及ばぬ」

「あんたは戦の他は何も持たないんだな」

「この乱世、それ以外に必要なものなどあるまい」

冷静に切り捨てた。

「貴様が我をなんと評そうと、知ったことか…!
 大義、正義、情が、一体何の役に立つ!?
 悪も、卑怯も、人も、己も、全て使い捨ててくれるわ!
 我が安芸の地に…日輪が昇るこの安芸の地に、我が毛利の名を世の末まで残す…そのためならばな…!」

「世の末まで、ってか…そりゃまた大きく出やがったな。
 なるほどそれがテメエの船が向かう先か…
 へっ、心意気としちゃあ悪くねえぜ。いや、男としても立派なもんだ…
 ……でもよ、今のままじゃ、あんたはその船にひとりぼっちだぜ?
 毎日昇るお日様をよ…テメエはそこで、たった一人で見るつもりか?
 わからねぇ… あんた本当にそれで幸せなのか?」

「フン、下衆な物言いよ。貴様の言葉など、我には届かぬわ」

いつのまにか他の船は敵方とは距離を置き、遠巻きにそれぞれの主たるふたりの戦いの行く末を見守っていた。

・・長曾我部元親。この人は元就さまと同じ位置に立っている。
元就さまを一番理解できるのは、彼なのかもしれない。

「オラオラァ、どうした、毛利元就ッ! テメエと俺の何が違うのか…教えてみやがれってんだ!」

戦いは徐々に元就さまが押されていた。
いつもより動きが鈍いように見える。もしかしてまだ体調が回復していないんじゃ…

「思ったよりしぶてえじゃねえか、毛利よう」

「愚かよ…智略に武勇、我が貴様にひとつとして劣るわけがなかろう」

「無理するねえ。早く楽になりたいと顔に書いてあらあ。
 次でけりをつけてやるぜ」

碇槍を構えなおした。

「海賊が海の藻屑となるは本望であろう。その碇を水底の墓標とするがよい」

元就さまも輪刀を構える。
勝負はついた。
長曾我部元親が元就さまを見下ろしている。

「思えばあんたとも長い付き合いだったな。
 無事に渡りつけよ。あの世への旅は長いぜ」

巨大な碇槍を振り上げた。
だめ! 私は飛び出ていた。元就さまの前に身を投げ出す。

「なにっ!? ちっ!」

私に気づき、長曾我部は手を止めようとするが間に合わない。
勢いづいた槍は容赦なく振り下ろされた。

「日巫女っ!」 元就さまの声が響く。

肩に鋭い痛みが走る。槍の切っ先が風を切る音が聞こえた。
槍を止められないと知った長曾我部はとっさに腕を引き、軌道を変えてくれた。

「どきな、懲らしめたいのはあんたじゃねえ」

鋭い隻眼が私を見下ろす。
肩を押さえながらも、はっきりと首を振った。

「…下がれ」 背後から冷たい声が響いた。

「女、分をわきまえよ。我はこのようなこと…望んではおらぬ」

元就さまはふらつきながらも、私をかばうように立ち上がった。

「長曾我部、貴様の相手は我ぞ!」

「毛利、あんた… ふ、ふふ、はは…」

信じられないと言いたげな表情を浮かべた長曾我部は不意に笑い出した。

「ヘッ…… あんたもできるじゃねえか…そんな顔がよ。
 …ようやく冷たい仮面がはがれてきたじゃねえか」

「黙れ…その口を閉じろ!」

「言いたいことは言わせてもらうぜ。俺は我慢ってやつが大ッ嫌いでね。
 今、あんたのなかにあるもん、それが情だ」

「馬鹿な。恋慕の情など、策略には要らぬいびつさよ。
 情など、貴様のその鎖と同じよ…枷にしかならぬ」

「違うな…この頑丈な鎖のおかげで俺ァ生かされてんだ、そしてあんたもな。
 あんたがやったことは許せねえ。だが、俺は以前こいつに助けられた。借りは返すぜ」

長曾我部は背後へ目を向けた。

「おい野郎共! 引き上げだ」

「承知致しましたぜ、アニキィ!」

「これで貸し借りはなしだ。次はぶっ潰しにいくから覚悟しときやがれ」

「フン、鬼が人の知略にかなうはずもない。
 真に我を凌駕したくば、数年がけの策でも練ってくるがいい」

元就さまの言葉に長曾我部はニヤリと笑うと、槍を肩に担ぎ、大股に去っていった。

「敵に情けをかけるとは…甘い海賊もいたものよ」

長曾我部と部下たちの姿が消え、接舷していた船が離れていく。
良かった。
甲板に座り込んだまま、ほっとしている私に頭上から冷たい視線が突き刺さる。

「小癪な女め… この展開、さすがに読めぬわ」

・・顔を上げるのが怖い。
元就さまは私の前にかがむと、肩を押さえている手をどかし、傷を見た。
血が出ているけれど、切っ先がかすった程度で、それほど深い傷ではなかった。

「我があの男に借りを作るなど… 女、叱責は覚悟の上か。
 貴様には己が身の程をきつくすりこまねばならぬな」

肩からの出血は止まりかけているのに、顔から血の気が引いていく。

「何を慄く。自業自得よ」

「元就様! 神子様!」

毛利の将たちが駆け寄る。
立ち上がって視線を巡らせると、海原に四国へと引き揚げていく長曾我部軍の船団が見えた。

船は厳島を素通りして、本土の港についた。
そして、駕籠に乗せられた。どこに連れて行かれるんだろう。
傷は船のなかで手当てされたから、てっきり厳島で降ろされると思っていたのに。
ついたのは立派な屋敷だった。
ここはもしかして、元就さまの屋敷?

一室に通されて、そこから出ないように言われた。
部屋は綺麗に整えられており、快適だ。
さらになんと、この屋敷には温泉があり、入らせてもらうことができた。
はあ、極楽。
温泉をあがり、部屋に戻ると、布団が敷かれていて、食事が用意されていた。
天国か、ここは。
肩は痛むけれど、血は完全に止まったし、軟膏を塗るだけで良さそう。
こっちに戻ってから、すぐ九州に行って、いろいろあった。
温泉に入って、ごはんを食べたら眠くなってきた。


ここは…厳島だ。朱の大鳥居が海にそびえている見慣れた景色。
「山も海も、本当に綺麗な国。もっちゃま、この国と私(わ)を守ってね」
「…ああ」
ああ、そうだ。返事をしたこの少年は、元就さまだ。
これは夢じゃない。幼いころの私の記憶。
私は厳島で育ち、日巫女と呼ばれていた。
記憶は進む。
「日巫女様、お逃げください!」
火が放たれ、あたりは煙と喧騒に包まれ、何が何だか分からない。
! ふいに背中に痛みが走り、温かいものが流れていく。
助けて… 伸ばした手を誰かがつかんだ。
「もっちゃま」 大人になった元就さまが目の前にいる。
首の後ろに手をまわし、抱きついた。
「大好き」
「…我もだ。…愛している」 包み込むようにやさしく抱き寄せてくれる。
体の力が抜けていく。
私は泣いているのか、微笑んでいるのか。それすらも分からない。

目が覚めた。
体がだるい。額に手をやると、濡らした布が置いてあった。

…あのときはとっさに体が動いてしまった。
ぼんやりと昨日のことを考える。
同じ駒でも元就さまは玉の駒。
安芸の国には必要な、替えのきかない人だ。
元就さまをかばって死ぬのも悪くないと思っていた。

なぜ怒られるのか、正直わからない。
主を守るために家来が犠牲になるのは、この戦国の世では普通のこと。
もしかして、女に助けられたからかな。
衆人の目の前で女にかばわれることは、プライドの高いあの人には屈辱的なことなのかもしれない。
そんなことを思いながら横になっていると、しばらくして使用人の女の人がやってきた。

「目が覚めましたか。安静になさってください。
 医者の見立てでは、旅の疲れが出たのではないかということでした」

確かに。こちらに来たらすぐ九州に行って、いろいろあったし…
無事に戻ってきて、気がゆるんだのかもしれない。

「あとでお食事をお持ちいたします。ゆっくりとお休みください」

使用人は一礼し、出て行った。
横になったものの、今までずっと眠っていたし、すぐには寝付けない。
静かだった。
こんな広い屋敷にひとりなのか。
もちろん使用人たちはいる。でも、がらんとして寂しい気がした。

「入るぞ」

障子に人影が映る。この声は、元就さま?
あわてて起き上がり、身なりを整える。

元就さまの後ろに使用人らしき人がいて、一人用の鍋を持っている。

「貴様が熱を出したと聞いてな」

元就さまの後ろにいた人は、鍋を置くと、すぐに下がっていった。

「豊後国では世話になった。今度は我が貴様をしかと看病してやろう」

元就さまが笑っている。なんだろう、いやな予感しかしない。
本能的に首を振っていた。

「遠慮するでない」

鍋のふたを開ける。
・・こ、これは… な、な、なにを食べさせる気?
どうして食べ物なのに緑色に光っているの?
うわっ、い、息が、息が…できない。

「ふっ、我特製の日輪粥、たんと食すがよい」

匙に乗せられた緑色に光るものが目の前にせまってくる。逃げ場がない。
くっ、こうなれば、味を感じる前に飲み込もう。

ごくん…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!

遠くなりそうな意識は元就さまの思わぬ言葉で現実に引き戻された。

「女、我が妻となれ」

?! 口を押えたまま涙目で、思わず元就さまの顔を見つめてしまったけれど、感情は読み取れない。

「貴様は我のことを知り過ぎた。野放しにするは危険。
 生涯近くに置き、見張らねばなるまい」

…そういうことか。
なら、答えは決まっている。目を伏せ、静かに首を振った。

「そうか。…ならば聞こう、心と言葉のどちらが嘘だ」

え? どういうこと?
・・・。
布団を出て、机に向かう。
筆を手に取って半紙に書いた。

『好きな人いますよね』

元就さまは少しだけ眉を吊り上げ、訝し気な表情を見せた。

「何を言っている…?」

『寝言で誰かの名を呼んでました』

思い出して、熱くなった頬を隠すように、振り向かずに紙だけを見せた。

「いつ、我がそんなことを… っ! あれは真実であったか」

急に声が小さくなった。

「愚かな…
 見当違いもいい所…恥を知るがよいわ…」

? 振り向くと、元就さまの顔が少し赤い気がする。

「貴様は日巫女であろう。
 貴様以外の女に情を持ったことなど、一度もないわ」

それって…

「長曾我部とのときに貴様をまた失うかと… 我は…  今まで二度失った。三度の愚は決して犯さぬ」

「………」

衣擦れの音がした。
元就さまは立ち上がり、私のすぐ目の前に座った。

「どこを見ておる。我の目を見よ。
 我の目を見て、誓え」

顔を上げると、まっすぐに見つめる視線が私をとらえた。
姿勢を正して向き合う。

「私(わ)は…あなたの妻になることを誓います」

私の声に、元就さまは一瞬目を見開いたけれど、鋭い眼光がやわらぎ、かすかに口元をゆるめた。
この表情は見たことがある。
豊後国で、愛している人の名を呼んだときと同じ。

「フン、漸く決断したか…不断は愚者の始まりと知れ。
 我の心を暴いた代償は高く付く。
 我が計の全てにて、貴様の先を縛ってみせる」

言葉とはうらはらに、そっと腕が背後にまわされ、引き寄せられる。
肩の傷に触れないように、ふわりと抱きしめられた。
硬直する私のすぐ近くで元就さまの声がする。

「耳元で愛を囁いてやろう。そなたが理解するまで永遠に」


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