「OZ−オズ−」 は、コナミのPS2用、リズミカルコンビネーションアクションゲームです。
このゲーム自体、かなり面白かったのですが、音楽もとても素敵だと思います。
とくに OZメインテーマ Trance ver が気に入って、さっそく歌ってみよう♪
ということで、聞こえたとおりに書いてみました。ちなみに歌詞はロシア語です。

原曲は 「イ長調」 ですが、OZの主題歌では 「ハ長調」 になっています。
聞き比べてみると、イ長調は澄んだ美しさを持ちつつも、どこか孤独感が
漂う感じなのに対し、ハ長調は安定しているというか、歌いやすくないですか。
ちなみに 「エテリアと共に」 も 通常Ver と リズムVer では調が違います。
「調」 が変わると同じ曲なのに雰囲気も変わります。音楽とは奥が深いです。


だったん人の踊り 〜 ハ長調 ver 〜

  OZ − Polovtsian Dances And Chorus −

※ ウリェターイ ナゥクィリャフア ヴィエトラ ディス フライアン
   ラダファーイ ヤ ゲスニャ ナーシャ
   トゥダグテ メィテイクュオー スヴァボーヴァナ ピエリー
   グーチェ ブィラタクヴォー ナーナス スタボーヨ

※ くりかえし

タームァイ ソーマーニィマ ニェバーム
ニェーガイ ガーアイ アーサゥス ポーラン
ターム ウェー ドーヴァル モーリャ
ドゥリィエムリュード リゴールイターン

※ 2回くりかえし 

!注意!  これは実際のロシア語の発音とはまったく違います。
 あくまでも口ずさむ時の参考程度にしてください。

原曲の 「だったん人の踊り」 は通称で、正式には 「ポーロヴェツ人の踊りと合唱」 といいます。
OZで歌われているのは、「おまえは風の翼に乗って飛んでゆけ」 の前半部分で、
ポーロヴェツ人(だったん人) に捕虜として連れてこられた乙女たちが、美しい故郷を想い、
「故郷の歌よ、おまえは風の翼に乗って、私たちが自由だったあの国へ飛んでゆけ・・・・・・
そこでなら、歌よ、おまえは自由気ままでいられる。 おまえはふるさとへ飛んでゆけ」 と、
遥かな自由を懐かしんで歌う歌詞が、神々に抑圧されるOZの世界にぴったりだと思いました。


参考に


アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン 作曲

歌劇 「イーゴリ公」  ダッタン人の舞曲と合唱 より

娘たちの流麗な踊り 〜 全体の踊り 〜 娘たちの流麗な踊り

Alexandre Porfirevich Borodin  “Polovtsian Dance With Chorus”

  <原語歌詞>  <日本語歌詞>
Улетай на крыльях ветра
ты в край родной, родная песня наша,
туда где мы тебя свободно пели,
где было так привольно нам с тобою..
そよげ 西風よ
はこべ 歌を 故郷(ふるさと)へ
住みなれしは その里よ
乙女たちは 群れ遊ぶ
Там под знойным небом
негой воздух полон,
там под говор моря
дремлют горы в облаках: (OZの歌詞はここまで)

Там так ярко солнце светит,
родные горы светом заливая
в долинах пышно роза разцветает,
и соловьи поют в лесах зелёных.
и сладкий виноград растёт.

Там тебе привольней песня.
ты туда и улетай.
のどかに吹け
春の風よ
海原より
山の嶺(みね)まで

赤き陽(ひ)に燃ゆる
みどりの丘 さすらわん
茂る草に まじり咲く
香り高き 花うばら
木(こ)の実も 熟れたり

そよげ 西風よ
運べ わが歌
Пойте песни славы хану ! Пой !
Славьте силу доблесть хана ! Славь !
Славенъ ханъ ! Ханъ !
Славенъ онъ, ханъ нашъ !
Блескомъ славы солнцу равенъ ханъ !
Нету равныхъ славой хану ! Нетъ !
いざ いざ 讃えよ! ああ
いざ いざ 祝えや ああ
万歳 カン ああ
万歳 カン 万歳
いざ いざ 讃えよ! ああ
いざ いざ 祝えや ああ


歌劇 「イーゴリ公」  〜おおまかなあらすじ〜

未完成だったこのオペラは、リムスキー・コルサコフとグラズノーフによって完成し、
ボロディンの死後3年半を経た、1890年10月23日にペテルブルグの帝室劇場で初演されました。
内容は12世紀ロシアの叙事詩、「イーゴリ遠征物語」 「イーゴリ軍記」 をもとにしています。
キエフ公国の大公、イーゴリ公はポーロヴェッツ人の侵攻を阻止するため、
遠征に行きますが、戦いに負け、捕虜となってしまいます。
敵の将軍コンチャーク汗(ハン)はイーゴリ公に手を組むように誘いますが、彼はそれを
断ります。その武人としての立派な態度にほれこんだコンチャックは彼を捕虜としてではなく、
客人として扱い、宴会を開いて、もてなします。(だったん人の踊り)
しかしこれ以上、ポーロヴェッツ人に侵略をさせないためにイーゴリ公は
ポーロヴェッツ人でありながらキリスト教徒であるオヴルールの力を借りて脱走し、
無事帰還した彼を皆が喜び迎えるところで幕となります。

 ※ 豆知識 ※  汗(カアン、カン、ハーン、ハン)は
            “カアン” だと、皇帝、
            “ハン” だと、王、分国の王 という意味です。
             チンギスカン (成吉思汗) とか、フビライハン (忽必烈汗) が有名ですね。
             間違っても、“あせ“ と読んではいけません(笑)


だったん人とは・・・

漢字で書くと、韃靼人。 韃靼とはタタール人の中国名で、ロシア人は東の遊牧民族の総称として使いますが、とくに蒙古人を指す場合が多いです。
ここではポーロヴェッツ人をさします。
ポーロヴェッツ人とは、蒙古人襲来のまえからロシアの南にいたキプチャク人ともクマン人とも呼ばれるテュルク系の遊牧民で、
キエフを中心とする南ロシアにたびたび攻めこんでは、ロシアの町や村を襲って火をかけたり、住民を殺したり、奴隷として売るために捕らえたりしていました。
のちに蒙古人がそこに土着し、キプチャク汗国を作ったので、タタール人として総括されますが、
イーゴリ公の話は蒙古襲来(1223年)以前のことなので、厳密に言えば韃靼人とするのは誤りです。


ポーロヴェツ人の踊りと合唱 (だったん人の踊り)

これはひとつの歌ではなく、いくつかの短い曲が連なっている形です。
流れは、「娘たちの流麗な踊り(風の翼に乗って飛んで行け)」 → 「男たちの激しい踊り」 →
「全体の踊り(汗を讃える合唱)」 → 「奴隷たちの踊り(コンチャークの歌と汗を讃える歌と合唱)」
→ 「少年たちの踊り」 → 「男たちの踊り(汗を讃える歌)」 → 「娘たちの流麗な踊り
(風の翼に乗って飛んで行け)」 → 「少年たちの踊り」 → 「男たちの踊り(汗を讃える歌)」 →
「全体の踊り(奴隷たちよ、踊りで汗を慰めなさい)」 となります。


「娘たちの流麗な踊り」 の英訳はたぶんこんな感じ。 OZでは途中までです。

Fly away, our native song, on the wings of the wind to our homeland.
To the land where we can sing you freely,
Where it was so carefree for you and me.
There, beneath the burning sky, the air is full of sweetness.
There the cloud capped mountains, dream near the murmur of the sea.
There, the sun shines on the mountains with brilliant rays.
In the valleys the roses bloom resplendently,
and the nightingales sing in the green forests.
Vineyards yield sweet grapes.
There, our song, you would be much freer to sing.
Fly away to our homeland of freedom.


日本語ではこんな意味のようです。

私たちの故郷の歌よ、おまえは風の翼に乗って故郷へ飛んでゆけ。
私たちがおまえを自由に歌っていたところへ。
私もおまえも自由だったあの国へ。

そこでは、灼熱の空のもと、空気は優しさに満ちあふれ、
海のさざめきのすぐそばで山々が雲に包まれてまどろんでいる。
(OZの歌詞はここまで)
そこでは、太陽がさんさんと照りつけて、故郷の山々に光を投げ、
谷間ではバラの花が華やかに咲き誇り、緑の森ではウグイスが歌っている。
(そこでは太陽がさんさんとして、バラが咲き誇り、甘いブドウが実っている)

そこでなら、歌よ、おまえはもっと自由でいられる。
お前は故郷へ飛んでゆけ。

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