CHAPTERへ     カイルとレイル 〜精霊物語・外伝〜

CHAPTER 5 霧の森

 

ふたりは霧渡る森を歩いていた。

白魔の森、白の領域とさまざまな異名の由来となったきらきらとした霧は
神々しさをもって、固くこの地を閉ざしていた。

それは見る者に畏怖の念を与えると同時に、
この先にはとんでもなく素晴らしいものが待っているような、
そんな期待感を抱かせる。

実際、この地には神代の至宝が眠っているという噂を確かめるため、
幾多の冒険者がこの地に挑み消えていったことか。

そのオルテアの森に歌声が流れる。


・・・彼方から響く水の音。闇の彼遠く渡りし者よ。

     深き瞳、水面を映し、追憶の光に想いは揺らめく。

     遠い空の下、今も思い出す。あなたに輝く星の光。




「きれいな歌だね」

歌がひと区切りつくのを待って、カイルは言った。

透明な歌声はレイルの口から紡ぎ出されていた。

口ずさむほどの小さな声だが、このオルテアの森はささやき声すら
はっきり聞こえるほどの完全な静寂に支配されていた。

輝かしい空間に響く歌声は、やがて霧の中に溶けこんでいく。

「ありがとう。つい口をついて出ちゃったの」

レイルは口に手をあて、はにかんだふうに笑った。

「物語っぽい歌詞だね」

「ええ。この歌はね、旅の吟遊詩人に教えてもらったの。
あんまりきれいな歌だったから、
後でその人が泊まっている宿に押しかけて。
でもこれってほんの一部分なのよ。
オリジナルはとても長い叙事詩なの」

「へえ。どんな話なの?」

興味をそそられて、カイルはレイルの顔を見た。

「精霊伝説って知ってる?」

「え!? ・・・うん。精霊王たちの話だよね」

思いがけない言葉を聞いて一瞬どきっとした。

「そう。この歌はその精霊王のひとり、水のシェラフィータが
ただひとり魔界へ旅立っていくくだりを語ってるのよ」

「・・・レイルはさ、その伝説をどう思う?」

「どう思うって?」

首をかしげた拍子に霧を含んだ金の髪の先から水の雫がしたたり落ちた。

ふたりともフードをかぶっていたが、そこに入りきれなかった髪の毛は
霧にふれて、しっとりと水を含んでいた。

カイルの脳裏には神殿で交わしたエレノアとの会話が
はっきりとよみがえっていた。

水の剣を託してくれた石像の女性、エレノアは確かに言っていた。

精霊伝説はまぎれもない真実なのだと。
古の昔、精霊界と魔界は存在し、戦いを繰り広げていた、と。

もし彼女のいうとおり
2つの世界が存在し精霊王たちも実在したというのなら、
彼らは今どこにいるのだろう。

「精霊伝説って本当にあったことだと思う?」

「そうねえ・・・」

軽く笑ってあしらおうかと思ったが、
カイルの顔が意外に真剣だったので、レイルは少し考えこんだ。

「よく分からないけど、実際にあったことでもおかしくないと思うわ。
だってあなたのような精霊使いが存在するんですもの」

「・・・。 ところで、さっき歌ってた水のシェラフィータって
最後どうなったんだっけ?」

「たぶん魔族を封印したあと、水の精霊族の聖地
水の庭園(ウォーターガーデン)』 に戻ったんじゃないかしら。
この精霊伝説って知らない人はいないくらいすっごく有名な話なんだけど、
最後が人によって違ってて、あやふやなのよね」

「やっぱりレイルもそう? 
僕が聞いたのは精霊王たちが魔族を封印して
めでたしめでたし、という話だったけど、
そのあとに実は封印は完璧じゃないから、
みんなが悪いことをすると復活しちゃうんだよとか、
精霊界と魔界がひとつになってこの世界が生まれたとか
いろいろあるみたいだね」

「そうそう。他に私が知ってるのは
時を作って、その狭間に封印した話よ」

「え、それ知らない。どんなの?」

「えーとね、精霊王たちが魔族を封印するために精霊神は時を作ったのよ。
時を司る3人の娘たちを生み出し、彼女たちの力を借りて
時の狭間に魔族を追い込んで封印することに成功したの。
でも時ができたために、無限の命を持っていた精霊人たちに寿命ができて、
老いや死が訪れるようになったんだって。
それで人には寿命ができたけど、
純粋な力である精霊には寿命がなかったから、
それまで一体だった人と精霊がわかれて、精霊人はただの人になって、
精霊界も今の世界になったっていう話よ。
だからカイルみたいな精霊使いが存在するのは、
昔、精霊人だったころの名残りなんだって。
その頃の力を強く残しているから精霊使いたちは
寿命も普通の人たちよりずっと長いって聞いたわ」

「へえ。それは初めて聞いたよ。
精霊使いが精霊人だったころの名残りっていうのはよく言われてたけどね」

「それにしても森に入ってどれくらい経ったのかしら」

無駄だと分かっていながらも、レイルは空を見上げた。

何もかも輝く霧にはばまれ、まったく状況がつかめない。

最初、霧は太陽の光を反射して輝いていると思っていたのだが、
どうやら霧自体が発光してるようで、今がまだ昼なのか、
それとももう夜になったのかすら見当がつかなかった。

ただ不思議なことに、ずっと歩きっぱなしなのに
全然疲れないし、おなかもすかない。

止まった時の中をさまよっているような奇妙な錯覚。

「あなたが預かった剣の持ち主は、
ずいぶん変わったところに住んでるのね」

「!」

「歌声?」

ふたりは耳をすました。

ハープやリュートの調べにのって、歌が流れてくる。

幾重もの声は演奏される楽器の音と絡まり、美しいしじまに響いていた。

流麗で深い郷愁を誘う、どこか哀しい旋律。

ふたりは歌が聞こえる方へと歩いていった。

途切れることなく旋律は流れ続ける。
声が近くなるにつれ、霧は薄れてゆき、
やがてすっかり晴れた緑輝く森でふたりは見た。

見慣れない衣に身を包み、楽器を奏で、歌う、
神の如き麗しき人たちの一団を。

ゆるやかなローブのすそが地になびき、
彼らの髪や瞳の色は様々だったが、雰囲気は皆似ていた。

彼らはすぐそばにいるカイルたちに気づいたふうもなく、歌い続けている。

「水の精霊族?」

カイルが呟いた。

なぜこんなところに彼らはいるのか、
そんなあたりまえの疑問は吹き飛び、ふたりはただ見とれていた。

あまりの輝かしさに気が遠くなっていきそうだ。

日の差し込む美しき森に彼らは集い、古き詩を歌う。

「!! この歌は魔詩(まがうた)
ダメ! カイル、聞かない・・・で・・・」

レイルが気づいた時はすでに遅かった。
ふたりは為すすべもなくその場に崩れ落ちた。

◇   ◇   ◇

「シェラ! 僕が分からないのか!!」

『!?』

次に目覚めたとき、
カイルは自分が誰かの意識のなかに捕らわれていることに気がついた。

その人は戦いの真っ最中で剣を交えながらも、
必死に戦っている相手を説得していた。

『なんてきれいな人だろう』

状況を忘れ、カイルは目の前の相手に見とれていた。
自分の意識が入り込んでいる人の目を通して、
戦っている相手の顔が見える。

その人はとても気高く、美しい人だった。
流れるような青銀の髪が動くたびに目を奪い、蒼く澄んだ深遠な瞳が心を射る。

さっき森で歌っていた人たちとどことなく雰囲気が似ていた。

そう思ってる間にも緊迫する戦いは続き、
剣がぶつかるごとに高い金属音が響き渡る。

カイルの意識が入っている人は何度も説得を試みるが、
相手の蒼氷の瞳に何の感情もあらわれることはなく、
剣を振るう手が容赦されることはなかった。

ふと視線が手元へいったとき、思わずカイルは息を飲んだ。

『大地の剣! この人は・・・』

自分が閉じ込められている人の姿を見ることはできない。
だけど、この人の手にはしっかりと大地の剣が握られていた。
いったいこれはどういうこと・・・

『!』

不意に胸に鋭い痛みを感じ、カイルの思考は中断した。

胸をおさえた手に生ぬるいものがあふれ、あふれでる鮮血に染まる。
大地の剣を持った男は荒い息をしながら、数歩あとずさった。

血がしたたる剣を持つ冷淡な対戦者の顔を見つめる。

やがて、戦いの最中とは思えないほど静かな口調で大地の剣の主は言った。

「シェラ、僕の命をあげよう。その代わり・・・」

『うわっ!』

突然カイルの意識はものすごい力で引き剥がされ、飛ばされた。


◆◇◆◇◆◇


「ここはどこ?」

神殿らしきところにレイルはいた。
歩くとさらさらと衣擦れの音がする。

「何、この恰好!?」

いつもと違う服の感じに何気なく目をやったレイルは目を見開いた。

横から後ろから全身を見下ろして、意味不明というように首を振る。

レイルが身にまとっているものはいつもの着慣れた旅の服ではなく、
神話に出てくる人たちが着そうなシンプルなワンピースの上に
鮮やかな色布をまとう、見たこともない衣装だった。

右肩とウエストのところで、ひだを寄せて留めてあり、
シンプルな装いに華やかさを添えている。

「なんで私こんなところにいるの? 
確か霧の森にいて・・・カイルは?」

まわりには誰もいなかった。

磨き抜かれたなめらかな石の床をレイルはカイルを捜して歩き出した。

しんと静まりかえった内部は相当広い。
やがて中庭に面した回廊に出た。

外は夜だった。
星々が輝き、月が中空にかかっている。

立ち止まって見上げた夜空を何かがよぎった。

鳥?

 いえ、違う。あれは・・・人?

有翼の人が上空にとどまり、レイルをじっと見下ろしていた。
月を背にしているため、顔はまったく見えない。
大きな翼と夜風になびく髪が月光をさえぎり、
手にした槍の刃が冷たくきらめいていた。

何の前触れもなく高々と掲げられた槍が放たれた。
風を切る音と同時に胸を突かれ、レイルはがっくりと膝をつく。
胸を貫いた槍の柄が最後にうつり、そして暗闇に閉ざされた・・・

“過去に囚われてはなりません。
お戻りなさい。あなたが今あるべき場所に”


聞き覚えのある声が響き、カイルの意識は緑色の優しい光に包まれる。
どこか懐かしい声が響き、レイルの意識を銀色の静かな光が包みこんだ。

ふたりの意識は光に導かれ、森で倒れている自分たちの体へと帰還した。


「う・・ん」

胸にあたたかいものを感じ、カイルは目を開けた。

胸元へ手をやると、エレノアからもらった緑色の石が光っている。
すぐに光は消え、もとの石になってしまったが、
それは彷徨う意識に語りかけ、ここまで導いてくれた光と同じだった。

「エレノアさんの声? レイル!」

近くに倒れているレイルを見て、カイルははっと我にかえった。
レイルは薄く目を開け、頭をおさえながらも、ゆっくりと身を起こした。

「カイル・・・私、いったいどうしていたのかしら。
確か、森の中で魔詩を聞いて、気を失って・・・」

額をおさえたまま、うめくようにレイルが言う。

「僕もよく分からないんだ。
でも、お互い無事でよかった」

「そうね。あれはこの霧が作り出した幻影なのかしら」

さっきの歌を奏でる人たちの姿はどこにもなく、
相変わらず輝く霧がふたりを取り囲んでいた。

「行こうか」

そこからほんの数歩進んだとき、突然森がきれ、湖のほとりに出た。
霧は森の中だけにとどまり、湖の上空は晴れていた。

「また幻?」

レイルが心細そうにカイルの腕に寄りそう。

「いや、違う。 どうやら・・・抜けたみたいだ」

霧の森を背にしたふたりの目の前には広大な湖が広がっていた。
青く澄んだ湖面は磨き抜かれた鏡のように冴え渡り、
差し込む陽光に静かに輝いている。

「森を抜けたんだ」

もう一度、カイルは呟いた。

ふたりは呆然と、
今まで誰もたどりつくことのできなかったであろう光景にみとれていた。

時に忘れ去られた、失われた風景。
きれいな円形の湖は霧の森にぐるりと取り囲まれており、
澄んだ大気に包まれていた。

湖の中央には白亜の城がそびえていた。
両翼を高く掲げた白鳥のように優雅な姿を水面にさらしている。
その城に向かって、湖岸から5つの長い橋が掛け違いに伸びていた。

「・・・ヴィシェラート? 痛っ!」

急にカイルが崩れるようにその場にしゃがみこんだ。
両手で頭をかかえ、うずくまっている。

「どうしたの? !」

差し伸べかけたレイルの手が一瞬、止まった。
手とフードが邪魔でもう見えないが、
ちらっとのぞき見えたカイルの瞳が金色・・・だったような気がする。

「! だいじょうぶ?」

はっと我にかえったレイルは慌ててカイルの肩に手をおき、心配そうにのぞきこんだ。

「ごめん。もうだいじょうぶ」

やがてカイルはふうっと息をついた。
ゆっくりと立ち上がる。
冷や汗のせいか、うっすらと汗ばんでいた。

「もう痛みはひいた。
行こう。早くいかないと夜になっちゃう」

「ほんとにだいじょうぶ?
今日はここで休んだほうが・・・ もう森は抜けたんだし」

気遣うような声に、カイルはレイルに目を向けた。

「心配してくれてありがとう。でもだいじょうぶ。
一種の発作みたいなものなんだ」

「・・・。 よくあるの?」

「最近ね」

緑の瞳がいつものように優しく微笑む。

やはりさっきのは目の錯覚か、光の加減かなにかなのだろう。
しかしそれでもレイルは確実にカイルの内の変化を感じとっていた。

何かが彼の中に眠っている。
それが殻を破って出てこようとしている。

今のカイルはどこかつかみきれなくて、
たまにどう接していいのか分からなくなる。

「私たち、白魔の森を抜けたのね」

ことさら明るくレイルは言った。
後ろ向きになりがちな思考を振り切るかのように。

あらためてカイルは周囲に広がる森に視線を向けた。
霧は上空から夕陽を受けて、茜色にきらきらと染まっていた。

この上なく美しい神秘の森。
だが一歩足を踏み込めば輝く霧が密集し、
方向や時間感覚まで狂わせてしまう。

この広大な迷宮を無事に抜けられたのは奇跡としか思えなかった。

「僕たちって・・・すごいね」

ふたりは顔を見合わせて笑った。


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