CHAPTER 11 それぞれの旅立ち |
目を開けると、まっさきに森の緑が飛び込んだ。 その先には高い空が視界いっぱいに広がっている。 「!」 とっさに飛び起きたレイルは無意識に今いる状況をつかもうと あたりをきょろきょろと見回した。 「キュリスの森だよ」 すぐそばで聞きなれた声が響いた。 反射的に振り返った視線の先にカイルがいた。 強大な力を秘めた精霊王の琥珀の瞳ではなく、 見慣れた緑の瞳がレイルを映し、穏やかに揺れている。 「・・・夢?」 かすかな声は吐息に混ざり、レイルは呆然と空を見上げた。 木々の葉のすきまからまぶしい空が見える。 降り注ぐ日差しに鳥のさえずりが聞こえ、木々がざわめく命あふれる世界。 自分がこの世界にいるのを実感したとき、思わずため息がもれた。 すべては生々しく美しい夢だったのだろうか。 シェラフィータ様のことやエレノアさんのこと、 そしてファーラ姉さまのことも。 「違うよ」 「!」 一瞬ビクッと体が震え、大きく見開いた目がカイルをまじまじと見た。 レイルの視線に気づいたカイルは、もう一度同じ言葉を繰り返した。 「違う。 夢なんかじゃない」 ほら、というふうに、 カイルは一振りの剣をレイルの前に差し出してみせた。 「それは!」 レイルの目が剣に釘付けになる。 到底、人の手で作られたとは思えない見事な剣が カイルの手にしっかりと握られていた。 それは間違いなくレイルが夢の中で見た水の精霊剣。 柄の部分には精霊獣ルドウが変化する蒼い宝石がはまっていたはずだが、 カイルが差し出しているそれは宝石が抜け、大きなくぼみになっていた。 最後にルドウがカイルに託した剣そのままに。 「・・・夢じゃなかったのね」 レイルは両手の中に深々と顔をうずめた。 「・・・」 水の剣をしまったカイルは方角を探るように森の中を見渡した。 そしていつもの調子で言った。 「レイル、歩ける? 暗くなる前にバネッサさんのところに戻ろっか」 ふたりが見慣れた小屋にたどり着いたのは夕方前だった。 家のまわりには人の気配がない。 懐かしげに家を見上げる2人の背後で、 どさっと何かが落ちる音がした。 振り向いた2人の目の前に、 記憶より一回り成長したレピウスが立ち尽くしていた。 信じられない表情をありありと浮かべたレピウスの足元には買い物袋と、 落ちた衝撃で放り出された野菜や果物が転がっている。 カイルはにこりと微笑んだ。 「ただいま、レピウス」 「カイル〜!」 驚きが喜びに変わる。 子犬のように目を輝かせ、レピウスはカイルに飛びついた。 「おかえりなさい! きっと戻ってきてくれるって信じてたよ。 レイルも元気そうだな」 「レピウスも相変わらず元気そうね。 しばらく見ないうちに大きくなって」 レイルの顔も自然にほころんでいた。 「当たり前だよ。あれから1年たってるんだぜ」 「一年!?」 カイルとレイルは互いに顔を見合わせた。 「バネッサさんは?」 「中にいるよ。 ちょっと待ってて」 目をこすりながら、くるりと向きを変え、 レピウスは落とした買い物袋を拾いに行った。 レイルも駆け寄って、 転がった野菜を拾い集めるのを手伝っている。 「あ、バネッサさん、お久しぶりです」 玄関に姿を現したバネッサに気づき、カイルは軽く頭を下げた。 レピウスとレイルもカイルの声にバネッサへ目を向ける。 「ばあちゃん、これから呼びに行こうと思ってたのに。 よく気づいたな」 レピウスの言葉にバネッサは露骨に顔をしかめた。 「こんな狭い家の玄関で騒いでりゃ、イヤでも聞こえるさ」 「・・・普段ドアの前で鍋ガンガン鳴らしても ちっとも出てこないのはどこのどいつだよ」 その日の晩ご飯には レピウスが腕によりをかけてつくった料理がふるまわれた。 「あなたって本当に、料理の天才よねー」 ひと口食べるなり、レイルの口から感嘆の声がもれる。 「やっぱり? そうだろ、そうだろ? それで2人ともどこへ行ってたんだ?」 晩ご飯の会話は、ほとんどがレピウスの質問攻めだった。 世間話に脱線するまで、カイルとレイルは 代わる代わる無難な範囲で答えていた。 正直な話、あの出来事をレイルが夢と勘違いしてしまったのも無理はない。 霧の森に入ってから、信じられないことが次々と起こりすぎた。 この普通の生活にいると、すべてのことが幻のように思う。 ルドウから預かった水の剣、 それだけが、一連の出来事がまぎれもない事実だったという証だった。 その夜、しぶるレピウスを納屋へ送り出したあと、 カイルとレイルは自分たちが体験したことをバネッサに詳しく語った。 バネッサは暖炉前の揺り椅子に身をもたせ、時折揺らしながら、 彼らが語る突拍子もない話に黙って耳を傾けていた。 聞き終わったあと、納得したようにぽつりと言った。 「どうりで白魔の森が消えてしまったわけじゃ」 「消えた?」 「ああ。霧がすっかり晴れてしまった。 そのうち調べに行こうと思っとったんじゃが」 「それはシェラフィータ様が転生されてしまったからでしょうか」 レイルが尋ねた。 「おそらくな。 ・・・聖地に眠る水の精霊王こそ、 霧が守っていた伝説の宝じゃった、ということか。 その宝がなくなったから霧も晴れ、本来の姿に戻った。 そんなとこかの」 バネッサはカイルに目をやった。 カイルは預かった水の剣を見つめていた。 剣の柄のくぼみの部分を指でなぞっている。 「剣を返さないと」 決意を込めてカイルは呟いた。 「転生か・・・」 バネッサは揺り椅子に深々と身を委ねた。 重みで椅子は前後にゆっくり揺れる。 「あの・・・バネッサさん」 レイルが遠慮がちに声をかけた。 「おお、そうじゃった! 無事に帰ってきたら時の神殿の話をする約束じゃったな。 レイル、すまんが、私の部屋の本棚から 赤い背表紙のノートを持ってきてくれんか」 「はい」 ほっとした色を浮かべ、部屋を出て行くレイルを見送ったバネッサは 視線を戻し、おもむろに言った。 「どうやらすっかり平和ボケしてしまったようだ。 大地の王、まさか再び会おうとは思わなかったぞ」 「それはお互いさまですよ、バルバネシア。 驚きました。魔族のあなたがどうしてこんなところに?」 カイルが話しかけているのはしわだらけの老婆ではなかった。 鮮やかな炎を思わせる紅い巻き毛の妖艶な美女が 揺り椅子の肘掛けにほおづえをつき、面白そうにカイルを眺めていた。 人ならぬ魔性の瞳が不敵な光を放っている。 「気まぐれ、とでも言っておこうか」 艶のある声でバルバネシアは答えた。 「とにかく会えてよかった。 あなたには礼を言わなければと思っていたんです。 エレノアを助けていただいたこと、感謝しています」 「礼には及ばぬ。 我は敬愛してやまぬ我が君の意向に従ったのみ。 我が君は新しき神ではなく、古き女神を選んだ。 だから我も力を貸した。 ただそれだけのこと」 真っ赤な唇の端がわずかにつりあがり、魅惑的な笑みが浮かぶ。 「そう遠くない先、神代の戦いはよみがえる。 力を失った儚き種族がどれほど魔の脅威に対抗できるのか、 しばらく見物させてもらうとしよう」 「・・・。 レピウスは、 あの子は本当にあなたの孫なんですか」 「あやつは正真正銘、人の子さ。 我の魔力が混じってはいるがな」 「?」 もっと話を聞きたかったが、バルバネシアはまた老婆の姿へと戻ってしまった。 そのすぐあと、言われた通りの本を胸にかかえたレイルが部屋に入ってくる。 「さて、では時の神殿について話そうかね」 骨ばった手で赤い背表紙のノートを受け取ったバネッサは、 ぱらぱらとページをくった。 |
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