鏡を隔てて出迎えるのは、いつもの自分?
それとも見知らぬ何か?
みんな知ってる。でも誰も知らない。
内なる自分、真なる姿。
本当のあなたはだあれ?
チチッ チチッ
木々が茂る広大な邸宅の敷地では小鳥がさえずり、
いつもと同じのどかな朝が訪れていた。
「・・・」
2階の大きな窓から差し込む明るい光に、
ねぼけまなこで起きあがった僕の頭はまだぼーっとしていた。
ベッドに起き上がったものの身動きもせず枕にもたれかかって、
ただぼんやりと夢のことを思っていた。
久しぶりに見た夢はリアルすぎて疲れた。
しばらくそうしていると、二月の冴え冴えとした冷気が
薄い寝衣の上から背中を包んで僕を現実へと引き戻していく。
そうだ。今日は約束があったんだっけ。
のろのろと首をまわし、時計の針を認識した瞬間、
「! ヤバッ」
眠気と寒気がいっぺんに吹っ飛び、僕は一気にベッドから飛び起きた。
いままでの緩慢な動きがウソみたいに
最短記録で着替えて部屋を飛び出す。
廊下ではもうメイドたちがかいがいしく働いていた。
僕を見ると、みんな手を止めて、ていねいに挨拶してくれる。
「おはようございます。シェラフィータ様」
「おはよう」
くせのかかった青銀の髪を手ぐしで整えながら、
足早に廊下を通り過ぎ、居間の扉をくぐりぬけた。
「ぼっちゃま。おはようございます」
テーブルにつくと、バーニャがいそいそとやってきた。
初老の穏やかそうな外見に似合わず、
てきぱきと朝食の準備を整えてくれる。
「ん? ああ、おはよう。
ばあや、何かあった? なんだかうれしそうだよ」
「分かりますか? 実はとてもいい夢を見たんですよ」
バーニャは何かを思い出したのか、心底うれしそうな笑みをこぼした。
「夢? ああ、そうか、昨日は降誕祭か・・・
それはよかったね」
降誕祭の夜に見た夢は正夢になる。
そんなふうに言われていた。
信心深いバーニャと違って、僕はそういう類いの話はあまり信じてはいないけど、
いい夢が見れたらそれはそれでいいことに違いない。
「ぼっちゃまはよい夢を見られましたか」
「夢・・・どうだろう。忘れちゃった」
パンをちぎりながら僕は首をかしげた。
起きたばっかりの時ははっきり覚えていたはずなのに、
今はほとんど思い出せなかった。
「真実の鏡」
「え? 今なにかおっしゃいました?」
「いや、なんでもない」
夢の中で真実を映し出す鏡が出てきた、
というのは覚えてるんだけど、その前後がさっぱり思い出せない。
唯一、確かなのは、
かなりせっぱつまってた状況だったということだけ。
だから夢だと気づいた時どっと疲れたんだ。
目が覚めた直後なんて心臓がドキドキいってたしな。
それで脱力してたら、またうとうととしだして、結局寝過ごした・・・って、
こんなこと、のんきに思い出してる場合じゃない。
僕は空中で止まっていたパンのかけらを慌てて口に放りこんだ。
「まあまあ。そんなにお急ぎになられて・・・
今日はどちらにお出かけになられるんですか?」
空になったスープの皿をわきへかたしながら、
バーニャはたしなめるように僕を見た。
「うん。ウェル先生とバッツ先生に会いにね。
ふたりとも学会で久々にメサに来てるから、会う約束したんだ」
「まあ、エンジェリアさんが!」
返す声が1オクターブあがってて僕は思わずばあやの顔を見上げた。
自分が会うわけではないのに、つぶらな瞳が輝いている。
そういえば、先生はばあやの大のお気に入りだった。
ウェル先生は数年前まで僕の家庭教師をしてくれていた若い男の先生で、
メイドたちの間でかなり人気が高かったのは子供だった僕でも知っていた。
でもほんとはウェル先生を一番気に入ってたのは他ならぬバーニャだったらしく、
一時期体調を崩して寝込んだ時期が、ウェル先生が研究所に移ることが決まって、
僕の家庭教師をやめることになった時と重なっていたため、
実は病気の原因は先生がいなくなることによるショックではないかという憶測が
メイドたちの間でまことしやかにウワサされていたほどだった。
「ぼっちゃま、先生を夕食に招待されたらいかがです?」
バーニャの声は弾んでいた。
「うん・・・ 僕もそう思って誘ってみたんだけど。
残念ながら今回は学会で忙しいから無理なんだって」
「あら・・・そうなんですか。
もうひとりのバッツさんという方はどのような方なんですか?」
バーニャは露骨にがっかりした声で答えたけど、
すぐにいつもの調子に戻って聞いた。
「バッツ先生は皇立学院によくきていた人だよ。
ウェル先生と同じくらいの年かな。
数年前ウェル先生と同じ研究所に異動していったんだ。
あ、もうこんな時間! ごちそうさまっ」
十数分後、コートとマフラーを腕にひっかけ、僕は勢いよく外に飛び出した。
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