二月の丘

 PAGE 6



外は冬だった。

春の陽気は消え、身が縮むような寒気が僕らを出迎えた。

あれほど荒れ狂ってたツタの痕跡はまったくなく、丘は静寂に包まれていて、
僕は悪い夢を見ていたのかと思ったぐらいだった。

すぐそこに立ち尽くしたアヤの視線は
館の横に生えている木に釘付けになっていた。

何気なく視線の先を追った僕は息を飲んだ。

さっきまで葉ひとつついていなかった裸の古木は、
今や無数のピンク色の花で埋めつくされていた。

冬の凍てつく風にさらされて、小さな花びらが雪のようにちらちらと舞い落ちる。
その儚い美しさに僕らは寒さを忘れて立ち尽くした。

「さくら・・・」 

バッツ先生がつぶやいた。

「・・・。 先生、桜の花言葉って知ってる?」

いつもの快活さはなく、しんみりとした声でアヤは言った。

バッツ先生を見上げた大きな黒い瞳は
いまにもこぼれおちそうな涙でうるんでいた。

「桜の花言葉はね、
『あなたに微笑む』 っていうんだよ」

アヤの目に映る景色はバッツ先生から
先生の背後に広がる山査子へと移っていった。

「そして山査子の花言葉は、
『たったひとつの恋』 」

「アヤ!?」

大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちるのを見て、僕はどきっとした。

アヤは指の甲で涙をぬぐいながら、あせってる僕を見上げ、
照れたように笑った。

「なんだかね、この桜がミシェイルさんみたいに思えたの。
そしたら急に、この丘はミシェイルさんの想いそのものなんじゃないかって。
そう思ったらなんか急に切なくなってきちゃって・・・」

「・・・」

僕は振り向いてバッツ先生を見た。

でも先生は顔をそむけてて、その表情をうかがうことはできなかった。

僕らに背をむけ、桜の根元へ歩いていった先生は
手袋を取り、指輪を抜き取った。

そしてかがみこんで・・・
しばらくして戻ってきた。

「先生、指輪は?」

「ああ。・・・ミシェイルに返してきた」

バッツ先生は手で顔を隠していたけど、
そこからのぞく目は少し赤かったと思う。

寒さがまた身にしみてきて、僕はぶるっと身震いした。

「さっきまで春みたいだったのに」 

僕はマフラーを巻きなおした。

「時を止めてしまうほどの強い想い、か・・・」

バッツ先生の目に僕らは映ってなかった。

「時が経ってみんないなくなってしまっても、
ミシェイルは約束を忘れなかった。
忘れ去られた約束にとらわれて・・・ 心を見失ってしまったんだ」

「・・・。 人は忘却の生き物とはよく言うが、
忘れられないというのも哀しいことだな」

いままで無言だったウェル先生がぽつりと言った。

でも、僕は思った。

もしミシェイルさんが人々の記憶からこぼれおちてしまったとしても、
バッツ先生は忘れることはないだろう。

それはミシェイルさんにとって幸せなことなんじゃないんだろうか、と。



帰り、僕はまた山査子をかきわけていかなきゃならないのかと思って
うんざりしたけど、それは杞憂だった。

山査子の茂みには森に通じる細い道が出来ていた。

でも通り抜けたあと振り返ると道はもうなく、
山査子が隙間なく茂っていた。

森の中で僕はウェル先生とアヤが気絶していた時の話をした。

途中、何度も僕はバッツ先生の顔を見た。

先生は必要なことは話してくれたし、聞かれたことには答えてくれたけど、
それ以上のことは話そうとはしなかった。

時折、ケガの具合を心配して声をかけてくれる以外は
黙り込んでて、表情も沈んだままだった。

ウェル先生もバッツ先生に対するわだかまりが残っているのか無口で、
僕は居心地の悪さを感じていた。

アヤだけがいつもとおんなじで、それが重苦しい雰囲気を救ってくれていた。

そんな状況だったから、
みんなで歩いててもひとりで考える時間はいっぱいあった。

「バッツ先生、あの鏡ってなんだったんですか?」

僕は鏡に映った不思議な出来事を思い出して先生に尋ねた。

あれって絶対普通の鏡じゃない。
だって目に見える姿と鏡に映ってる姿が全然違っていた。

バッツ先生は物静かな黒い瞳を僕に向けた。

「あれは真実の鏡といって、
外見じゃなくて、人の心の真実の姿を映し出す鏡なんだ。
館でいろいろ読んで分かったんだが、あの館には以前、
人間の心を探求していたルシフェルという魔術師が住んでいたらしい。
彼はあそこでいくつか精神に関する魔法の品を作り出した。
さっきまではめていた指輪やあの真実の鏡もおそらく彼の作品だろう」

「ルシフェルなら聞いたことがある。
高名な付与魔術師(エンチャンター)だ」

沈黙を破って、ウェル先生が口を開いた。

「へえ。だからあんなすごい魔力が残ってたんだ」

アヤが納得したようにうなずく。

「そうか・・・あそこは彼の住んでいた家だったのか。
後日また調べに行ってみるか」

ウェル先生は考えこむ素振りをしつつ、つぶやいた。

その横を通り過ぎながらバッツ先生が素っ気無く言う。

「たぶん何もないと思うぞ。
あの館の書物はおおかた目を通したが、
さっき俺が言ったことが分かるくらいで、たいしたことは書いてなかった。
物置も鏡以外、正真正銘のガラクタだったしな」

「なんでおまえにそんなのが分かるんだよ!」

ウェル先生がかみついて、僕はまた先生たちのやりとりにはらはらしだした。

僕が知ってるウェル先生はいつも落ち着いていて優しかったから、
未知の一面を見てすごく意外だったっていうのもあるんだけど、
でもきっとこっちが地なんだろうな。と、無意識のうちに納得していた。

「先生たちって仲いいの?」 

僕はとなりのアヤにそっと耳打ちした。

「うん。すごーく仲いいよ」 

アヤは自分のことのようにうれしそうに微笑んだ。

「研究所に来てから知り合ったのに、小さい頃からの親友みたい。
研究分野はぜんぜん違うんだけどね、お互いに認め合ってるってカンジだよ」

「ふーん」 

僕は先生たちに目をやった。

会話の内容はいつのまにか魔術師ルシフェルのことから
バッツ先生のことに変わっていた。

「オレはまだおまえを許したわけじゃないからな。
勝手に姿をくらましやがって」

「だからそれに関しては素直にあやまっているだろう」

そのやりとりを聞いて、くすりと笑ったアヤは僕の耳元でささやいた。

「ウェル先生、ほんとはバッツ先生のこと、
すごーく心配してたんだと思うよ。
でもそういうトコ、素直じゃないからねー あの先生は。
そこがまたかわいいんだけど。
さて、そろそろバッツ先生を助けてあげようかなっ」

まだ小競り合いを続けている先生たちにアヤが大きな声で言った。

「もう! ウェル先生もバッツ先生もいい加減にしてください。
私たちの前で大人気ないケンカはやめてくださいよ。
バッツ先生のいうとおり、あの館にはもう何もないと思いますよ。
私たちが帰る時、今まで感じてた魔力は消えてしまってたし。
そのルシフェルって人、相当強い魔力持ってたと思うけど、
そんな強い力、どこに隠されてたって私が気づかないわけないもん」

「そうか。残念だな」

ウェル先生はアヤの言葉でやっとあきらめがついたのか、
心底残念そうに息をついた。

そんな様子に僕は思わず小さく笑ってしまった。

「先生ってやっぱり学者なんですね」

「でも心の真実を映す鏡かー
 私も見てみたかったな」

頭の後ろに手を組みながらアヤが思い出したように言った。

そっか。
ミシェイルさんの本当の姿を見せてくれた真実の鏡。

鏡はあのあと粉々に砕かれて吹き飛んでしまったから、
アヤもウェル先生も実物を見ていないんだ。

そんなアヤにウェル先生がからかうように言った。

「アヤちゃんが見たら子供が映ってるかもな」

「ひっどーい! どういうイミですか、それ」

ふたりのやりとりを聞きながら、
僕は降誕祭の夜に見た夢のことを思い出していた。

やっぱりあれって正夢だったのかもしれない。

館の物置で見たもの。
僕は首をひねった。

あれはいったいなんだったんだろう。

驚くことばかりが続いたあの館で、
一番驚いたのは物置で真実の鏡を見つけたときだった。

僕が見た真実の鏡には僕と同じ青銀の、
長い髪の人が映っていた。

あんな気高くて美しい人、宮殿でも見たことない。
でもそれ以上に僕を見つめる哀しい瞳が印象的だった。

やっぱりあれってどう考えても僕が映っていた・・・よな。

あれが僕の心? そんなまさか。

「で、どうだったの?」

「え?」

 アヤに急に話を振られて僕はきょとんとした。

「え? じゃないでしょ。
シェラは鏡みたんでしょ。 どんなだった?」


「ごめん。よく分からなかった。
とっさのことだったし、ミシェイルさん見てびっくりしちゃったから」

僕は自分自身でもわけが分からなかったので、
あいまいにごまかしてしまった。

「そっか。残念だったね〜
 でも昔風のノイッシュさんだった先生もかっこよかったな。
そうだ! 先生、今度仮装パーティでコスプレしてくださいよ」

アヤはノイッシュさんを思い出したのかうっとりとした。

「バッツ先生・・・あ、いえ、なんでもありません」

先生が僕を見た時、僕は言葉を飲み込んでしまった。

・・・真実の鏡に映ったふたりの姿、今でもはっきりと覚えてる。

ひとりは妖精のミシェイルさん。
もうひとりは烏のような漆黒の髪に雪のような白い肌の若い騎士。

あの人はバッツ先生にとてもよく似てたけど・・・
あれが本当のノイッシュさん? 

でもそれがバッツ先生と重なって映ったってことは・・・
 
先生は僕が気絶したあと、
鏡でミシェイルさんが正気を取り戻したとしか言わなかった。

けど、先生はもしかしたら本当に・・・

「あ、雪だ!」

ふいにアヤが叫んで、僕の思考をさえぎった。

「やけに冷えると思ったら、やっぱり降ってきたか」

そばでウェル先生の声がする。

僕は目を細め、空を見つめた。

白い息が踊る灰色の空から
花びらの雪が音もなく無限に降り注ぐ。

それを眺めていた僕はなんだか無性に心が痛くなって、
こぶしをぎゅっと胸に押しつけた。

今なら丘でアヤが泣いた気持ちが分かるような気がする。

永遠の想いはとけて、永久(とこしえ)の丘の魔法は消えた。

止まっていた時はふたたび流れ出し、
光踊る妖精の丘にも人界の冬が訪れた。

今ごろは丘を埋める山査子の茂みにも
二月の雪が静かに降り積もっていることだろう。

バッツ先生も黙って空を見上げていた。

先生が何を思っているのかは分からない。

でもなんとなくミシェイルさんのことを思っている気がした。


◇◆◇◆◇


驚きの連続だったこの事件が、まだ完全に終わっていなかったことを
僕らは皇都についてから身をもって知ることになる。

都に帰った僕らに訪れた、この事件最後の驚き、
それは森に踏み入った日から5日も経ってるという事実だった。

先生方は学会をすっぽかし、
僕はまた心配のあまり目の下に大きなくまを作ったばあやから
延々と嘆きの言葉を聞かされる羽目になったのだった。






あとがき
ZABADAKの歌が好きだったので、この話を書いてみました。
『二月の丘』 の歌詞は こちら です。興味がありましたらどうぞ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。