ナゾトキ 第一話
『REGNEVA号』
港に中型の、美しい客船が停泊していた。
雲間から光がさし、海は穏やかだが、冬の名残が残る風は冷たい。
2泊3日の流氷クルーズ。
タラップの近くに立つ、執事のようなきちっとした身なりの若い男はまぶしげに空を見上げ、目を細めた。
明るい陽光のもと、招待客がひとり、そして間をおいて、やってきた男がまたひとりと船に乗りこんでいった。
「先生、早く早く! 乗り遅れちゃうよ!」
よく通る声とともに船のタラップ近くで振り返った少年が左手を大きく振る。
右腕はギプスで固定され、肩からつりさげた三角巾のなかにおさまっていた。
「そんなに急がなくたって待っててくれるさ」
あとからゆっくり歩いてくる男が鷹揚に言葉を返す。
長いマフラーを巻き、帽子が海風に飛ばされないよう目深にかぶり、手でしっかりと押さえている。
「チケットを拝見いたします」
少年は左手でポケットをまさぐると、チケットを差し出した。
海風が吹くたびに、中身のないコートの右腕がなびく。
「カイト様とレン様ですね。ラインエヴァ号にようこそお越しくださいました。
部屋はのちほどご案内いたしますので、出航までサロンでおくつろぎください」
ふたりが船内に入ってしばらくのち、身なりのいい紳士がもうひとりと連れだってやってきた。
そのあとにスーツケースを運ぶ者があとからついてくる。
チケットを拝見しますと定型的に告げた男は、紳士の連れに思わず目を止めた。
たぶん少女と思われる紳士の連れは、すっぽりとベールをかぶっており、顔がまったく見えなかった。
なぞめいた印象だったが、当の本人はものめずらしげにきょろきょろとあたりを見渡すと、甲板に上がるなり手すりに駆け寄り、遙かな海を眺めていた。
「身を乗り出すとあぶないよ」
紳士が注意した様子をみるに、彼の子供なのだろう。
スーツケースを船に乗せると、運んできた者は船をおりていった。
「荷物をお持ちいたします」
チケットを確認した男は紳士のスーツケースを預かると、いったん脇に置き、タラップを収納しはじめた。
ほどなく船は汽笛を鳴らし、陸地を離れていく。
決して大きくはないが、内装が美しい船だった。
ロビーは黒と白の市松模様の大理石が敷き詰められており、上品な光沢をはなっている。
紳士と、彼のスーツケースを運ぶ受付をしていた男のあとを遅れがちになりながら、少女があちこち見回しつつ通り過ぎていった。
透かし彫りの装飾が施されたガラスのドアをあけ、サロンに入る。
入ってきた紳士を認めるなり、ソファに座っていたふたりの男が立ち上がり、そのうちのひとりがいきなりつかみかかった。
「どういうつもりだ! こんなとこに呼びだしやがって!」
「アーロン卿・・・」
「ビョルン!? それにコーラル? おまえたちも招待されたのか」
紳士は目を見開いた。
その様子につかみかかった男はますます苛立ち、声を荒げる。
「何言ってやがる! 自分がしたことも忘れたのか!?」
「落ち着け、いったい私が何をしたっていうんだ。
コーラル、説明してくれ」
アーロンと呼ばれた紳士はそばに立っているもうひとりの男に目を向けたが、彼は怒っている男性とは逆に、
怯えた目を向け、口をつぐんだままだった。
「ふざけるな! あんたが招待したんだろうが!」
「何を言ってるんだ」 アーロンはわめくビョルンの手を強引に引き離した。
「まあまあ、落ち着いてください」
二人の間にただよう緊迫感を打ち消したのは、場違いなほどのどかな声だった。
いっせいに声の主を見る。
「とりあえず座って話しませんか」
青いマフラーをまき、帽子をかぶった青年が愛想のよい笑みを浮かべていた。
「ふん!」
ビョルンはいまいましげにその場を離れると、さっきまで座っていたソファに身を投げ出した。
サロンは豪華な屋敷の居間のようだった。
大人の背丈ほどもある大きな床置きの振り子時計とカチカチと絶え間なく鳴り、レンガ作りの暖炉には火が入っていた。
暖炉を囲むようにソファとテーブルがあり、先は広々としたダイニングキッチンへとつながっている。
部屋にはアーロンと、さきほど彼に詰め寄ったビョルン、どこかおどおどしているコーラルのほかに、
アーロンに連れられてきたベールをかぶった子、それにケンカを仲裁した青年と、その青年と一緒に来た少年がいた。
アーロンの荷物を運んできた若い男が部屋に入ってきて、壁際に立つ。
「ラインエヴァ号にようこそお越しくださいました」
彼は皆のまえで一礼する。
正面から見ると分からなかったが、首の後ろで長い髪をひとつに束ねていた。
「明日は流氷観光、明後日に帰港予定となっております。何かあれば、私、カムイまで声をおかけください。
食事は7時の予定です。それまで船内でご自由にお過ごしください。
では部屋の鍵をお渡しいたします」
カムイは奥の壁にとりつけてあるアンティーク調のキーキャビネットのガラス戸を開き、中にかけてある鍵をとりだした。
「部屋のドアはオートロックになっております。部屋を出る際は鍵を置き忘れないよう、ご注意ください。
なお、スペアはございませんので、部屋を出られたさいは鍵を持ち歩かず、必ずこちらにおさめてくださいますよう、お願いいたします」
そう前置きして、少年と少女以外の4人にひとつずつ鍵を渡す。
「えっらくレトロな鍵だな」
誰もがものめずらしそうに渡された鍵を見た。
小さいながらもずっしりとした重みを感じさせるそれは、中世の物語に出てくるような古びた雰囲気をかもしだしていた。
花をかたどっているらしき柄の部分は、それぞれ若干違うデザインになっている。
「では部屋にご案内いたします」
「ちょっと待ってくれ」 アーロンがカムイを呼び止めた。
「グラーベン氏に招待されたのだが、彼はどこにいるのかね」
「申し訳ありません。私は乗船された皆様のお世話をするように言われているだけで、詳しいことは存じ上げておりません」
「? どういうことだ・・・」
アーロンは内ポケットから招待状を取り出した。
そこには、船旅に招待する文面のあとに、E.Gravenと署名してある。
「それなら私も受け取りましたよ。文面はちょっと違いますけど」
「先生!」
少年が止めようとしたが、青年は招待状を取り出し、紳士に手渡した。
ビョルン、それにコーラルもわきからのぞきこむ。
『・・REGNEVA号にて何かが起こる。それを解いてもらいたい。
探偵殿のナゾトキに期待する・・ E.Graven』
「あんた、探偵なのか?」 ビョルンとコーラルは意外そうな表情を隠そうともせず、青年に向けた。
「はい。ご依頼はどうぞお気軽に」
彼は帽子をとって、微笑んだ。まだ二十代だろうか。
先生と呼ばれるわりにはかなり若い。
「それにしても、みなさまがたはお知り合いのようですね〜」
「ああ」 アーロンはうなずいた。
「ビョルンとコーラル。ふたりとも古くからのつきあいだ」
アーロンはふたりを紹介した。
さきほどつかみかかった体格のがっちりしている男がビョルン、怯えた様子を見せていた細身の男がコーラル。
三者三様というか・・・一見するかぎり、あまり共通点がなさそうで、意外な組み合わせに思えた。
「ところで私が招待したというのは?」 アーロンがビョルンに目を向けた。
「あんたが送ってきた手紙にここのチケットが入ってたんだ。だから来たってのに」
「私も」 ビョルンの言葉に便乗したあと、コーラルはやはり怯えたように室内を見渡した。
「ねえ、外に行ってきていい?」 ベールをかぶった子がアーロンの袖を軽くひっぱった。
「ちょっと待ちなさい」
「あんたの子か? なんでそんな格好」 ビョルンがあからさまに不審な目で見下ろした。
「親戚の子なんだが、火事にあってね、顔に火傷のあとが残ってしまったのだよ。
屋敷に引きこもりがちなので連れてきたんだ。リン、ご挨拶しなさい」
「こんにちは」
軽くひざを折り、優雅に少女は会釈した。
「えっと、ぼくたちも一応自己紹介したほうがいいですかね。
ぼくはカイト。先ほど言ったとおり、探偵です。この子はレン。どうしてもついてくるって聞かなくて」
「当たり前だろ、僕は先生の片腕なんだから。
レンです。はじめまして」
十代半ばくらいの少年は軽く頭を下げた。
「みなさま、部屋にご案内してよろしいでしょうか」
頃合を見計らってカムイが声をかける。
「ああ」 誰ともなく返事がして、カムイに続き、みな、部屋を出て行った。
途中から足元はふかふかとしたじゅうたんに代わり、重厚感のある扉が並んでいる。
扉には部屋番号はなく、代わりにコサージュがぶらさがっていた。
どうやら、鍵にデザインされている花と一緒らしい。
「アーロン様とリン様はこちらの部屋をお使いください。
私の部屋はこの通路の左側にございます。サロンか部屋におりますので、御用の際は声をおかけください」
カムイが順に案内していく。同じ扉がいくつも並んでいて迷子になりそうだ。
それぞれの部屋は何部屋もの空室を間にはさんでいて、直線ではないが、ほぼ等間隔になっていた。
使う部屋にだけコサージュがかかっていて、それが目印になっている。
「はー すごいねー」
部屋に入るなり、カイトは感嘆の声をあげた。
スイートルームには豪華な調度品が置かれ、ベランダに続く大きな窓には純白のレースのカーテンがかかっている。
寝室のベッドも広々としていて、高級ホテルの一室そのものだった。
荷物を置いたあと、ふかふかのベッドに座ってみたり、ベランダに出てみたり、ひとしきり歩きまわったあと、カイトはドアのほうに行った。
「ちょっと船内を見てくるよ」
「あ、僕も行く、と、鍵、鍵」
レンがテーブルの上に置いた鍵を取り、カイトを追って小走りに外に出て行った。
「最初にサロンに行こうよ。鍵を置いといたほうがいいし」
「そうだね」
ふたりがサロンに行くと、アーロン、ビョルン、コーラルの3人がいた。
「おや、みなさん、ここにいたんですか」
「ああ、ここのソファは居心地が良くてね」
香りたつコーヒーを口に運びながら、アーロンがこたえる。
カイトが話している間にレンは奥に歩いていき、キーキャビネットのガラス戸をあけた。
番号や記号などはどこにも書いていない。
中についているフックの色がドアにかけてある花の色に対応しているのかと思ったが、そうでもないようだった。
「ねえ、鍵って返す場所決まってるの?」
「いいえ、どちらでも構いません。覚えやすい場所をお使いください」 キッチンからカムイが顔をのぞかせた。
あとで分からなくならないように、フックの色と場所を覚えて鍵をもどす。
フックはたくさんあったが、船室のだと思われるアンティークな鍵は、今レンが戻したのをいれて5つしかかかっておらず、
それぞれ隅っこや端など分かりやすいところにかかっていた。
部屋はたくさんあるのだが、使わない鍵は別にしまってあるのだろう。
「カイト様とレン様も何かお飲みになりますか」
キッチンから出てきたカムイが声をかける。
「いや、ぼくたちは船内を見てくるから」
「そうですか。では私はしばらく部屋におりますので、何かご用があれば声をおかけください。失礼いたします」
カムイは一礼して、出て行った。
「ぼくたちは船内を見学してきます」
レンが戻ってきたのを見計らい、カイトも軽く手をあげ、レンを連れてサロンから出て行った。
3人が完全に離れていったのを確認したのち、コーラルはふたりに向き直った。
「どういうことだ? この部屋はまるであのときの! それに Graven(心に刻まれた)って。
まるで仕組まれてるみたいじゃないか。6年前の」
「うるせえ!」 ビョルンの怒鳴り声にコーラルは口をつぐんだ。
「今さらそんなの掘り起こして何になるってんだ。あれはもうとっくに終わったんだ」
「でも」
「あんた、変な気おこしたんじゃねえだろうな」
ビョルンはアーロンに鋭い視線を向けた。
「とにかく気をつけるに越したことはないだろう」
暖炉の炎を見つめたまま、アーロンは静かにコーヒーカップを口もとに運んだ。
「あさってまで誰も逃げることはできないのだから。私たちも誰かも」