ナゾトキ 第三話

じゅうたんの上にアーロンがうつぶせに倒れていた。
ノブに手をかけ、大きくドアを開けたまま、カイトはすばやく周囲の状況を確認した。
倒れているアーロンのそばに中身がわずかに残ったワイングラスが転がり、グラスの先の絨毯を濡らしていた。
テーブルの上には絨毯にこぼれているワインが入っていたであろうワインボトルと部屋の鍵。
ベランダにつながる大きな窓から光が差しこみ、室内は明るい。
アーロンの横顔にはっきりと浮かぶ苦悶の表情とその状況に誰もが毒死だと思った。

「ドアを開けてくれてありがとう。立てる?
 カムイ、リンを休ませてあげて」

レンに支えられるように少女は力なく立ち上がった。

「かしこまりました。リン様、サロンへどうぞ。
 リン様? ・・・失礼いたします」

立ち上がったものの、うつむいたまま、声に反応する気配がないのを見てとると、カムイはリンを抱き上げた。
少女は驚くこともなく、じっとカムイの腕のなかにおさまっていた。
泣きも叫びもしない。それがかえって重苦しい雰囲気に拍車をかけていた。

「みなさんはサロンに戻っていてください。ぼくたちもあとで行きます」

そう言い置くと、カイトは部屋のなかに足を踏み入れた。レンもあとを追う。
少年はアーロンの様子を確認しているカイトのわきを通り抜け、ベランダの窓にかかるレースのカーテンをめくった。
窓の鍵はかかっている。周囲に異常がないのを確認すると、別の窓に向かった。
部屋のなかのふたりの行動を、ビョルンとコーラルはドアのところからつぶさに見守っていた。

「コーラル様、ビョルン様、私たちはカイト様のおっしゃるとおりにいたしましょう」

リンを抱き上げたカムイにうながされ、ふたりは気になる素振りを見せながら、その場をあとにした。


「いったいどうなってんだ?」 

サロンに戻ったビョルンはいまいましげにつぶやいた。
暖炉のほうに向けた視線の先には、ソファのひじ掛けにもたれかかっている少女の姿がある。
微動だにしないが、ベールをしているので眠っているのかは分からない。
ビョルンとコーラルのふたりはソファから離れたダイニングテーブルの椅子に座っていた。
テーブルの上にはビョルンのための朝食が用意されていたが、手付かずのままだった。

「まさか自殺・・」   コーラルはリンに聞こえぬよう、声をひそめて言う。

「バカいえ、あいつがそんなことをするタマか。
 殺されたんだよ。オレたちを招待したグラーベンとかいうやつにな」

「そんな!」

さすがにビョルンもリンに聞こえぬよう声をおさえていたが、不穏な言葉ににコーラルはびくっと身を震わせた。

「おい、もう観光どころじゃねえだろ。すぐに引き返せ」

キッチンの奥から姿をみせたカムイを見て、ビョルンは席をたつ。
しかしかえってきたのは、意外な答えだった。

「それはできません」

「なんだと! 人が死んだんだぞ! 」

跳ね除けた拍子に勢いよく倒れた椅子が耳障りな音を立てた。
それでも使用人は静かにこたえた。

「申し訳ございません。この船を操縦するものと連絡を取る術がないのです」

「そんな馬鹿な話があるか!」

カムイの胸倉をつかむ。目を伏せはしたものの、カムイは抗うこともなくされるがままになっていた。

「彼の話はおそらく本当ですよ」

割りこんだ声にビョルンとコーラルが振り向く。
入り口にカイトとレンがいた。
レンはソファにリンがいるのを見つけ、そちらに駆け寄っていった。
カイトはゆっくりこちらに向かってくる。

「レンの話ではカムイも船員ではなく、雇われた者だとか。
 昨日船内を見てまわったけど・・・、どうやら客室とクルーたちは完全に分断されているようだ」

「チッ!」  ビョルンはカムイを突きはなした。

「アーロン様は・・・」   カムイの問いかけに、カイトは静かに首を振った。

「毒を飲んだのは間違いないだろう」

「自殺ですか」   コーラルが不安げな目を向ける。

「それは分からない。ドアはオートロックだしね。
アーロンさんにはシーツをかぶせておいたけど、港に戻るまであのままにしておくしかないだろうな」

カイトはため息をついた。

「カムイ、リンの部屋を移したいんだけど」

「はい。ご用意いたします」   いったん奥に姿を消したカムイは鍵の束を手にサロンを出て行った。

「さて」

出て行くカムイと入れ違うようにふたりのそばにやってきたカイトはダイニングの椅子に腰かけた。
テーブルの上にひじをつき、口元を隠すように手をやると、上目づかいにビョルンとコーラルを見る。

「おふたりにうかがいましょうか。アーロンさんとはどういったご関係ですか」

「それは仕事上の・・・」   コーラルが口ごもる。

「いつごろからお知り合いなんですか」

「そんなの関係ねえだろ! 探偵ならさっさと犯人を見つけろよ!」 

ビョルンが怒鳴ったが、カイトは平然としていた。

「関係があるかないかは聞いてみないとわからないでしょ。犯人探しに役立つかもしれないし」

「チッ、もう何年も前からの付き合いだ。俺とコーラルは一緒に会社をやっている。アーロンはその得意先さ」

ぶっきらぼうにビョルンは答えた。跳ね飛ばされた椅子を拾い上げ、また座る。

「何年も前というのは・・・」
「ねえ、人を焼く炎って見たことある?」

ふいにカイトは口をつぐんだ。
カイトだけではない。怒っていたビョルンもぎょっとして、かぼそい声の主を見た。

「私はあるわ」

「!?」

皆が凍りついたように見つめるなか、身をおこしたリンは暖炉に燃える炎に手を伸ばしていた。
うわごとのように話し続ける。

「あの日、お客さんが来てたから、私たちは見つからないように台所の倉庫で遊んでた。
 誰かが静かにって言って、ぎゅっと抱きしめたから見ることはできなかったけど、音は聞こえた。
 お母さんの短い悲鳴と大きな物音。時計から流れる明るい曲。
 おびえた声に別の声が火をつけろって言って、そして・・・」

「やめろっ!」 

叫んだコーラルは青ざめていた。
炎に向けて伸ばしていたリンの手が力を失って落ちる。

「リン?」   レンがのぞきこんだが、眠ったのか意識を失ったのか反応はなかった。

「もうたくさんだっ!!」   踵をかえし、鍵をひったくるようにとると、コーラルはサロンから足早に出ていった。

「チッ! 娘までおかしくなっちまったのか!」  ビョルンも席を立ち、キッチンの奥に消えていく。

なにやら物音を立てていたが、やがて酒ビンを持って、足音も荒く出て行った。

「・・・」  ふたりを見送るように、しばらくドアを見ていたカイトは小さく息をつくと振り向いた。

お姫様を守るかのように、レンは自分の肩にもたれかかっている少女を優しく抱きとめていた。

「リンは・・・火事のことを思い出したの?」 

カイトに問いかけるレンの声は、ひとりごととも取れる、かすかなつぶやきだった。

「どうだろう。たぶん意識ははっきりしていなかっただろうな。
目が覚めたときには、今のことは覚えていないかもしれない」

「そう・・・」 

レンは左手で愛しむように少女のぼさぼさの髪を梳いてやった。
カイトはしばらく考え事をしていたが、やがて席を立った。

「ぼくは中をちょっと見回ってくる。リンを頼むよ」

「分かった」

「あ、そうだ。これ預かっといて」

カイトはテーブルの上に鍵を置いた。
カイトとレンの部屋の鍵はキーキャビネットにかけてある。アーロンとリンの部屋の鍵だった。

「持ち歩きたいところだけど、なくすわけにはいかないからね」


  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


リンは目を開けた。覚えていないが、とても悪い夢を見たような気がする。
横を見ると、よりそうようにレンが眠っていた。
? 一瞬、状況が分からなかったが、すぐに思い出した。
あれは夢ではなかったのだろう。
リンはかたわらの少年を見つめた。
探偵の助手をしているくらいだから、きっと賢いんだろうし、しっかりしてるんだろうけど、私と年はそんなに変わらない。
あどけない寝顔だった。

どうしてレンは私のことをこんなにも気にかけてくれるのだろう。
ふとそんなことを思った。眼差しや言葉から彼が私を心配してくれているのが伝わってくる。
男の子なのに近くにいてどきどきするというより、落ち着くというか、自然な感じがするのも不思議だった。

「・・・」

かけられていた毛布をレンにかけると、少女はテーブルの上の鍵を手にサロンを出て行った。


「リン様。お一人ですか」

廊下で立ち止まっていたリンに気づき、カムイがやってきた。

「うん。着替えようと思って」

「・・・。あの部屋に戻られるのですか。今、新しい部屋をご用意しています。
 のちほど荷物もお運びしますので、着替えられるのはそれからのほうがよろしいのでは」

「でもこの格好はやだ」   リンは自分の服を見下ろした。

上に羽織っているとはいえ、ネグリジェ姿はやっぱり恥ずかしいし、悪い夢を見たせいか、少し汗ばんでいた。

「そうですか。・・・では私も部屋の入り口までご一緒いたします。
よろしければこれを。お風邪でも召されたら大変です」

カムイは自分の上着をふわりとリンにかけた。

「あ、ありがとう」    貸してくれた上着はカムイの体温が残っていて、ドキッとした。

「いいえ、では参りましょう。 ? リン様?」

「うん」   リンはなぜか立ち止まったまま、軽く首をかしげてあたりを見ていた。

「どうかされましたか。そういえばここで立ち止まっておられましたね」

「なんか違和感を感じたんだけど・・・。気のせいかな」

両手で上着を押さえたまま見渡した。廊下が続いていて、カムイの背後にドアが並んでいて・・・。

「あ、カイト様」   不意にカムイが声を上げた。

「なんだい、カムイ、と、おや、リンじゃないか。レンは?」

「サロンにいるわ」

「?」

よく分からないといった表情を浮かべたカイトに、カムイが話しかけた。

「カイト様、リン様が部屋に戻って着替えたいと」

「それは・・・やめといたほうがいいんじゃないかな」   困ったような笑みを浮かべ、頬をかく。

「着替えたらすぐ部屋を出るわ」

「うーん、しかたないな。じゃあ、ぼくも一緒に行くよ」

「では私は急いで新しい部屋を整えますので」

カムイは一歩後ろに下がった。

「ああ、頼むよ。そうだ、コーラルさんとビョルンさんを見かけなかった?」

「ビョルン様なら自室に戻られたかと思います。直接見てはおりませんが、声とドアを閉める音がしました」

「そうか。あとでいってみるかな。じゃあ、行こうか」

「よろしくお願いいたします」   カイトとリンの背にカムイは一礼した。


「探偵さんとレンは兄弟なの?」

「ぶっ! いや、失礼。
 斬新な質問をするね、きみは。確かに年齢的にはおかしくないけど、全然似てないだろ?」

リンと並んで歩きながら、カイトは小さく笑った。

「レンは双子なんだよ」

「へえ。似てるの?」

「ああ。性別は違うけどねー 分身かと思うくらいそっくりだったな」   リンに目を向ける。

「そんなに似てるんだ。
 そういえば、レンは片手で弾いていたけど、すごいピアノが上手でびっくりした。探偵さんも上手なんでしょ」

「・・・昔はね。 今は弾いてないんだ。
 さて、到着。ぼくはここで待っているから、着替えたらすぐに出て来るんだよ」

「うん。ありがとう」

シーツがかかっているアーロンを気にしながらも、リンは小走りに奥に消えていった。
ドアを完全には閉じず、少しすきまをあけたまま、壁によりかかり、カイトはリンの後ろ姿を目で追っていた。
その瞳は普段の彼では見せない色を帯びている。

「きみは・・・本当に忘れてしまったんだね」

口のなかでつぶやいた言葉を聞いているものは誰もいなかった。


「あ、カムイ! リンを見なかった?」

新しい部屋の準備を終えたころ、かなりあわてたふうなレンが駆け寄ってきた。

「リン様なら、少し前にカイト様とご自分の部屋に向かわれました」

「え!? まあいいや、ありがと!
 くっそー この船、無駄に広すぎ」

廊下を全速力でかけていくレンを見送ったあと、カムイはまた歩き出した。

「あれ?」

急にレンは走る速度を緩めた。

「いない」

リンの部屋のドアをノックしてみたが応答はない。
ノブを回したけど、鍵がかかっていて開かなかった。

「うそだろ〜 リーン!」  レンはまた走っていった。


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