ナゾトキ 第五話

カムイ!?

視界の端で揺れているものの正体が分かった瞬間、リンは息をのんだ。
声が出そうになるのをとっさに手で押さえる。
一番上の甲板の手すりから垂らしたロープにつかまり、カムイが降りているところだった。
固唾をのんで見守る。もし驚かせて海に落ちたら・・・ そう思うと声は出せなかった。
ロープは下の階のベランダまで垂れ下がっている。

「コーラルさんの部屋か」

カイトは走り出した。レンもあとを追おうとしたが、リンが動こうとしないのを見て足を止めた。
少女の大きな目はまばたきを忘れ、手をぎゅっと握りしめたまま、カムイを見守っていた。
途中まで降りると、カムイは自ら身体をゆらし、反動でベランダに飛び込んだ。
無事に着地したのを確認して、ほっと息をつく。

「行こう」

レンの声に顔を上げ、リンは駆け出した。
カムイが飛び移ったベランダはコーラルさんの部屋。
かけてくるふたりに気づき、廊下から部屋の中をのぞいていたビョルンが振り向く。
ドアの奥にカイトとカムイの姿が見えた。

「きちゃダメだ!」

ふたりに気づいたカイトが制したが、遅かった。

「っ!?」

凍りついたように立ちすくんだリンの視線は一点に釘付けになっていた。
視線の先にあるのは、カイトとカムイの足元で足を投げ出し、壁に寄りかかっているコーラルの姿。
胸には刃が見えないほど、深々とナイフが突き立っていた。死んでいるのは誰の目にも明らかだ。
視線を外すこともできず、リンの目はコーラルを凝視していた。
レンがすっと彼女の前に立ち、視界をさえぎることで、ようやく瞬きをすることができた。

「リン様、少しお休みになられたほうが。だいじょうぶですか?」

部屋のなかからやってきたカムイが外に出るよう、うながす。
気が抜けたのか、ふっとひざの力が抜けた少女の身体をとっさに支えてくれた。

「カムイ、リンをサロンに連れて行って。ビョルンさんも」

ビョルンもショックが大きいのか、カイトの言葉に素直にうなずく。

「リン様、歩けますか?」

「だいじょうぶ」

3人が去っていったあと、カイトは部屋をひととおり見てまわった。
とくに変わったものは見受けられない。
窓近くにガラスが飛び散っているが、それはさっきカムイが部屋に入るさいに外から割ったのだろう。
外には上からぶらさがったロープがゆれていた。
しばらく外を眺めていたカイトは、振り返ってレンにたずねた。

「どうしてカムイはあんな危険な真似を?
 コーラルさんのことは気にはなったけど、ここまでして行く必要はなかっただろ?」

「ああ、それは、ビョルンさんが・・・」

少年は記憶をたどるように一瞬宙を見つめたあと、言葉を続けた。

「カイトが出ていって、しばらくあとにビョルンさんがサロンにきたんだ。
 コーラルさんの部屋がやかましいって言って」

レンはテーブルの上の時計に目をやった。

「それでカムイと三人でコーラルさんの部屋にいったら、目覚ましがずーっと鳴っていた。
 だけど鍵がないから入れなくて。
 それでカムイがちょっと待っててって言って、どこかに行ったきりなかなか戻ってこないから、その間に呼びにいったんだ。
 工具でも取りに行ったのかと思ってたんだけど、まさか窓から入るとはね。
 ついたときにはもうドアは開いてた?」

「いや、まだ閉まってたけど、目覚ましは鳴ってなかったな。
 ついてすぐにカムイが中からドアを開けて、ぼくだけを部屋にいれたからどうしたのかと思ったけど、 コーラルさんを見つけたときはびっくりしたよ」

「これ、ここにあったの?」

レンはテーブルの上に置かれた時計を目でさした。
目覚ましの針は少し前に設定されている。

「ああ、あったな。 ・・・レンの言いたいことは分かるよ。
 どうして目覚ましがここにあるのか、なぜこの時間に鳴るようにセットされているのか、だろ?」

「まあね」

カイトは部屋のなかをゆっくり歩き回った。

「単純に考えれば死体を発見してほしいから、だろうな。
 船は明日港に着く。それまで何もなければ気にはしながらも、無理にドアを開けるようなことはしなかっただろう」

・・何のために? レンは考えこんだ。

「さて、これ以上見るものはなさそうだ」

カイトはベッドルームにいき、シーツを手に戻ってきた。
それをコーラルにかけてやると、カーテンを閉め、風に飛ばぬよう、そこらへんの荷物で押さえる。

「あ、そうだ。鍵取って。それを忘れたら、またカムイに危険なことをさせなきゃならない」

レンはテーブルの上に置かれていた鍵をポケットに入れた。
出ようとして、ドアのノブをにぎったカイトはふと、ドアの側面をのぞきこんだ。
内側のノブをガチャガチャとやりながら、カギのかかるところを見ている。

「うーん」

考えながらカイトは出て行き、忘れずに鍵を持ったかもう一度確認したあと、レンがドアを閉めた。
ふたりがサロンに入るのを認めるなり、ビョルンがソファから立ち上がった。

「コーラルは誰に殺されたんだ? いや、ヤツを殺したのは誰だ?」

にらむように全員を見渡す。

「落ち着いてください。まだ他殺と決まったわけでは」

「いや、ヤツに自殺する勇気はねえ! おまえがやったのか!?
 アーロンのときだって、おまえなら簡単に殺せた!」

大きな手がリンに迫る。

「やめろよ!」   レンの鋭い声がさえぎった。

「決め付けるのは早すぎます。仮に他殺だとしても・・・
 誰にでも犯行は可能なのですよ」

!? 時がとまったような空気のなかをカイトはゆっくりと歩いてきた。

「この船のオートロックはドアから壁側の穴に金属板が飛び出る簡単な仕組みだ。
 だからドアの横の鍵の部分にテープを貼ってしまえば、鍵はかからない。誰でもいつでも彼の部屋に入ることができる。
 あとではがしてしまえば誰にも分からない」

「そういえばヤツは部屋に入る前、廊下をうろついてた。誰かと話があったのかもしれねえ」

「それに身軽で勇気があれば、カムイのように窓から入ることも不可能ではないし」

「クソッ! 部屋にいても安心できねえってことか!?」

ビョルンは身を投げ出すようにソファに腰かけた。

「みんなで一緒にいるのが一番安全かもしれませんよ」

カイトの一言がきいたのか、ビョルンはそのあとは部屋には戻らず、サロンのソファに寝そべりながら、時折酒を飲んでいた。
やがてカムイはキッチンの奥に入り、夕食の準備を始めた。
昨日と同じ、7時少し前に食事の支度をし、テーブルを整え終わる。
昨日と違っているのは、メニューと人の数。
ビョルンはダイニングには行かず、サロンのテーブルに食事を運ばせ、ひとりで酒を飲みながら、夜食をつまんでいた。
食事後、リンはサロンを出て行った。

「リンが出て行ってから、結構時間が経つよね」

時計を見ながら、レンが言った。リン以外は全員ここにいる。

「そうだね」

「鍵があるから部屋には戻ってないし・・・。
 あ、そうだ。鍵、どうする?」

レンはポケットから鍵を出した。
コーラルの部屋の鍵だ。

「差し支えなければ、キーキャビネットにお返し願えますか」

カムイが声をかけた。

「万が一失くされますと、港についたあと、警察の方が部屋に入るのに手間取ってしまいます。
 それにのちほど私が割ってしまった窓を何かでふさごうと思っておりますので」

「あの部屋に入るの?」

「はい」

予想外の言葉にレンはカムイを見たあと、意見を求めるようにカイトに目を向けた。
視線の意図に気づき、カイトが口を開く。

「明日港につくし、そこまでしなくてもいいんじゃないかな。
 紙を張るぐらいだったらぼくがやってこようか」

「いえ、割ったのは私です。カイト様に後始末させるわけには参りません」

カイトは小さく息をついた。

「あの部屋に入るのは賛成しかねるけど・・・確かに鍵を失くしたら困る。
 一応戻しておこうか」

カイトもポケットから鍵を出した。こちらはアーロンの部屋の鍵だ。
レンが鍵を受け取ると、自分の持っていた鍵と一緒に右下の隅のフックにひっかけた。
そのままコートを手に取ると、扉に向かう。

「ちょっとリンを探してくる」  レンは出て行った。

甲板に出たレンは素早くあたりを見回した。
視界は開けているから、日は落ちていても、見渡せばすぐに分かる。
リンはいなかった。この船の甲板は3段になっていて、レンがいるのは中段の甲板だが、下を見下ろしてもリンの姿はない。
上を見上げても、見えるかぎりではリンの姿は見当たらなかった。
通路を抜けて、一番上の甲板にも行ってみたが、やはりリンの姿はない。

「どこにいる?」    レンは階段を駆け下りていった。


レンと入れ違うように、カイトもまた甲板に出ていた。
一番上の甲板でカムイが降りるときに結びつけたロープを見たあと、歩き出したカイトはぴたりと足を止めた。

「どうしました? ビョルンさん」

気配に気づいて振り返る。
暗くて顔は見えなかったが、少し離れたところに大柄な男がたたずみ、じっとこちらをうかがっていた。
声をかけられると、ゆっくりと影は動き出す。

「あんたが殺したんだろ」

低く、うなるような声が聞こえた。
外に漏れでた光に照らされた顔は無表情で目が据わっている。

「いきなり何を言うんですか」

「俺はだまされねえぞ。黙って殺されるなんてまっぴらだ」

「ちょ、ちょっとビョルンさん? 落ち着いて・・・」

マフラーをにぎる手が汗ばむ。
あとずさったが、すぐに手すりにぶつかった。
なおもじりじりと近づくビョルンの様子に、カイトの表情はひきつった。


下の甲板に駆け下りたレンの耳にかすかにピアノの音が聞こえた。
弾かれたように走り出したレンはガラスがはめこまれた分厚い扉から光が漏れているのを見て、足をゆるめた。

グランドピアノの椅子に腰掛けている少女の背中。
ピアノを弾いているというより、右手の人差し指だけで、鍵盤を雨だれのように押しながら歌っていた。

「なかなか怖い歌をうたってるね」

少年の声に少女は動きを止めた。彼女が歌っていたのは、「10人のインディアン」
10人いたインディアンがひとり、またひとりと人数が少なくなっていき、最後は誰もいなくなってしまう歌。
ピアノの上においていた帽子を取ると、彼女は帽子の下から探偵の助手に話しかけた。

「キミは気づいてる? この船は復讐の船。
 ・・・この歌のように次々に人が殺される話があったよね。
 この歌を知って人を殺すことを決めた人がいるのなら、そうしたら歌にも罪はあるのかな」

少し驚いたように目を見開いたあと、レンははっきりとこたえた。

「その歌に罪はないよ。意味もない。ただ人間に悪意があっただけ」

少女はうつむいた。視線の先にある両手をじっと見つめている。

「あの人は罪をかかえてた。殺されても仕方なかったのかもしれない。
 でも、それでも本当に殺されたのだとしたら、私はその人を絶対に許さない」

「・・・・・・」   以前とは逆の位置で、少年は少女を見つめた。

帽子のつばが目を、マスクが口元を、淡々とした声が感情を隠してはいたが、それがかえって決意の深さを感じさせた。

「君は何か知ってるの?」   少年は問う。

「いいえ、まだ何も」    少女は答える。

「・・・リン、僕が君を守る。約束する。だから君はこれ以上、 !」

ふいにレンは振り向いた。
リンも異変に気づき、不安げに視線をさまよわせる。
今、聞こえたのは・・・叫び声と、銃声?

ふたりは部屋を飛び出し、甲板に出た。
夜の闇のなかに、何かが金属にぶつかったような鈍い音と大きな水音が響く。
とっさに音のするほうを見たふたりの目に映ったのは海に落ちた男性の背中。

「カムイッ!」

見覚えのある衣服、リンにかけてくれた上着が暗い水面に揺れていた。
何も出来ぬまま、彼の身体は暗く冷たい海に沈んでいく。
ふたりは手すりから海を見つめたまま、しばらく動けなかった。
レンがはっとしたのは、リンのつぶやきを聞いてから。

「さっき聞こえたのって、カムイじゃなくて探偵さんの声だったよね」

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