― 序 章 ―
ヒョオォォォー
薄暗い谷間を風が吹きぬける。
暗い谷間の入り口に立った3人はしばし無言で空を見上げた。
雲がちぎれそうなほど早く流れ、立ち枯れた木が伸ばした黒い枝影の先、膨大な光が谷間を埋め尽くしている。
そこから一条の光が暗澹たる空を切り裂くかのようにまっすぐ立ち昇っていた。
「凄いな・・・。 神々でもない者が、これほどのエテリアを集めている・・・」
周囲を漂うわずかなエテリアでさえ、ゆっくりと奥へ、光のほうへ流れてゆく。
万物の源であるエテリア。
自然界のエネルギーそのものである彼らが神々の手を逃れて、なぜ、これほどまでに・・・。
「気ぃ抜いてっと、こっちの分まで持ってかれちまいそうだぜ。
なあ アルミラ! あそこに何があるってんだ?」
名を呼ばれ、彼女は思考を中断した。
知性と冷たさをたたえた右の瞳がわずかに揺れたが、それっきり振り向くこともなく、
素っ気ないともとれる口調で言葉を返す。
「・・・わからん。
推測するだけの情報もない。
カインは何も聞いていないのか?」
眼帯をしている左側にいるせいか、今度は顔を向けて、銀髪の男に目をやった。
優しげな風貌の男は、不穏な気配が漂うこの場所でさえも、
場違いなほど穏やかな空気をまとっていた。
「ご命令はいつもどおり・・・
「処分せよ」・・・それだけだよ。
・・・ただ・・・」
そこで言葉を切り、谷間に膨れ上がる光の中心に目を向けた。
言葉の続きを待っているふたりの視線に気づき、かすかに微笑む。
「エテリアたちはあそこにいる何かが好きなんだと思う。
・・・神々よりもね」
「カイン! それは神々に対する冒涜だぞ!」
アルミラの語気鋭い声が飛んだ。
つりあげた柳眉の下の隻眼がにらみつけている。
が、彼女の頭のなかは強い叱責とはうらはらに、いたって冷静だった。
つかみがたい男だ・・・。ことあるごとにそう思う。
神々に仕える御使いのうち、最強の力を持つ3人に与えられる称号、OZ-オズ-。
その称号を賜り、リーダー的存在であるカインとともに行動するようになって久しい。
OZのメンバーは神々から身体能力の一部を強化されており、それゆえに他の御使いを
はるかに上回る戦闘力を持っている。
アルミラが強化されたのは知性。
だが、誰もが及ばない彼女の思考能力をもってしても、いまだにカインのことははかりかねていた。
決して信頼していないという意味ではない。
むしろその逆だ。 他者を思いやる温厚な人柄、どんな状況でも冷静に下せる的確な判断力、
そしておそらく、御使い中最強を誇る剣技。 仲間としてこれほど信頼にたる者はいない。
客観的に見ても、カインは指揮官として稀有なまでの申し分ない才を備えていた。
だが普段の彼はというと、幼い子供の純真さと、賢者のごとき見識が同居しているかのような、
具体的に言えば、神々に忠誠をつくしながらも、否定する事実を平然と述べたりするさまは、
アルミラの理解の範疇を超えているといってもよく、彼女の明晰な頭脳をもってしてもつかみがたいものだった。
「ま なんでもいいさ。
おれたちOZにお呼びがかかったんだ。 それなりに手強い相手って事だろ?」
「嬉しそうだね レオン」
カインの言葉にレオンはにやりと笑うとレクスに覆われた左腕を前へ突き出した。
肩口でやぶれているコートからは、人のそれではなく、金属質の獣を思わせる腕が現れている。
手の部分は巨大な爪になり、通常の人の形状をしている右腕よりもひときわ大きく鋭い。
「血が騒ぐんだよ!
おれはそういう風にできてるからな」
「・・・まったく おまえたちと来たら・・・
久々のご下命だというのに気がゆるみすぎているぞ!」
緊張感のかけらもないふたりのやりとりにあきれて、アルミラがため息をついたとき、
カインがつと顔をあげた。
「・・・・・・。
アルミラ レオン・・・ あっちも気がついたようだ」
「おーおー!
なんかワラワラ出て来たぜ!」
谷間の暗がりに鈍い光が集まり、小鬼のようなものが10体ほどあらわれ出る。
その姿は見覚えがあった。
しもべ と呼ぶ、神々が吸収したエテリアから作り出す擬似生命体と同じ。
だが、これは・・・。
「エテリアが実体化しているのか?
レクスもなしで!?」
アルミラの驚きも無理からぬことだった。
空中にふわふわと漂う光る粒子、自然界のエネルギーであるエテリアが実体化するには、
神々が作り出した擬似生命体、レクスの力が必要だ。
アルミラたち御使いは神々から与えられたレクスを装着して、
周囲に漂うエテリアを吸収、実体化し、己の武器と化している。
むろん神々ならレクスなど必要ないが、そうして作り出されたしもべは神々の命に絶対服従する。
神々以外にレクスなしでエテリアを実体化させる存在など聞いたことがなかった。
「こりゃあ 楽しめそうじゃねえか!!」
心底うれしそうに両手を胸の前で突き合わせたレオンを目の端にとらえ、
カインがすばやく言った。
「向こうの手の内がわからない。
二人とも慎重に頼む」
「わかったわかった!
いいからさっさと始めようぜ!」
「・・・本当にわかっているのか?」
いかにも適当なレオンの返事にまたもアルミラの口からため息がもれた。
敵は何者をもはばむかのように谷の入り口に陣取っている。
「では・・・」 カインの表情が引き締まり、眼前の敵を見据えた。
「われら OZの名において
これより神命を執行する!」
3人の体に己のレクスの光輪が広がり、全身が鎧状のレクスに覆われた。
カインの手には赤く輝く斧状の大剣が、右足が青く光るアルミラの手には先に太く鋭い棘が突き出た杖が握られ、
レオンの獣を思わせる左手の爪は黄色く淡い光に包まれていた。
これがレクスの力だ。
金属質の不定形生命体レクスは、原型は武器らしい形状をとってはいないが、
ひとたび装着されれば、その者固有の魂の形に応じた形態へ姿を変え、ひとつとして同じものは存在しない。
そして装着者がレクスの力を最大限に引き出したとき、レクスは全身を覆う鎧となり、戦闘能力は飛躍的に向上する。
いくら数が多いとはいえ、しもべの中の最下級のクラスでは、御使いの、しかも装甲形態になったOZの敵ではない。
だが、倒して進めば、また次の間で待ちうけ、ついには巨大なゴーレム型のしもべまで現れたときは
さすがにレオンもうんざりしていた。
「ちっ 次から次へとキリがねぇ・・・
カイン! 一気にけりをつけようぜ!」
「ああ、そうだな。
アルミラ! いけるか?」
「無論だ」
「では・・・いくぞ!」
カインの声を合図に3人は地を蹴った。 レクスの力が交錯し、渦巻く火柱がたちのぼる。
それがおさまったとき、3人以外の気配はなく、谷間はもとの静寂に戻っていた。
「ふう・・・
ザコは今ので品切れらしいな。
あとは本命だけか?
レオンが奥へと目をやる。
アルミラもまた慎重に周囲を見回しながらひとりごちた。
「しかし・・・わからんな。
どうやってあれだけのエテリアを実体化させたのか」
「そうじゃない。
エテリアたちが自分からあの姿をとっていたんだ」
「なんだと!?」
「まさか!」
カインの言葉にレオン、アルミラが同時に叫んだ。
無理もない。
レクスを介さずに実体化することすら驚きなのに、それがエテリア自らの意思とは。
カインは顔をあげた。
谷間をうめつくす巨大な光のかたまりはすぐそこにせまり、闇のなか、神々しくも優しい輝きを放っている。
本来意思を持たないはずのエテリア。
それなのに無数に集まった彼らはひとつの意思を放っている。
アルミラ、レオンは気がつかない。カインだけに届く想い。
エテリア共感能力・・・それが神々が強化したカインの能力。
彼らは願っている。
「そうまでして・・・ 守りたかったのか?」
♪ ・・・ ・・・・・・ ・・・〜・・・
つぶやきに似たカインの問いに答えるかのごとく、歌が聞こえた。
エテリアが集う巨大な光の中心で誰かが歌っている。
けっして大きな声ではないのに、すぐそこで口ずさんでいるような、頭の中に直接響く歌声。
「ん?」
レオンが不思議そうに顔を上げた。
「なんだ…?」
アルミラも顔をあげ、いぶかしげな視線を投げる。
そのとき、
「アルミラ! レオン!
さがって!」
とっさに叫んだが、遅かった。
「うっ!!」
「おおっ!?」
アルミラ、レオン、ふたりのレクスから光の粒子がいっせいに弾けていく。
吸収していたエテリアを失ったレクスは全身の装甲を解除し、アルミラの右足、レオンの左腕と、
最小限の形態におさまった。
「大丈夫か!?」
「あ・・・ああ・・・
エテリアを奪われただけだ。
私自身に問題はない…
しかし・・・ 何が・・・起こったんだ?」
冷静に答えつつも、カインに向けられたアルミラの目には戸惑いの色が浮かんでいた。
すぐそばでレオンが己の左腕を見つめながら、あせりと苛立ちの混じった声をあげる。
「くそっ!
エテリアが戻って来ねえ!
どうなってんだ 俺のレクスは!?」
「レオン・・・
レクスのせいじゃない」
なだめるように告げたカインにアルミラは問いかけた。
「エテリアたちの意志・・・ という事なのか?」
「じゃあなんで おまえだけ平気なんだよ!?」
おさまりのつかない苛立ちがレオンの声にありありとあらわれている。
確かに装甲が解けたのはアルミラとレオンだけだ。
カインの装甲はいまだ解けてはいない。
さも当然のように、カインは答えた。
「知っているだろう?
きみの言葉を借りれば
私はそういう風にできている」
レクスに覆われて顔は見えないが、鎧の下の表情は、
きっといつものように微笑んでいるに違いない。
そんな穏やかな口調だった。
「ちっ・・・ かなわねえな・・・」
怒りの矛先をかわされて、レオンはふいとそっぽを向いてしまう。
「きみたちは先に戻ってくれ。
この先へは私一人で行く」
「おいおい! ちょっと待てよ!」
あわててレオンが視線を戻した。
「ダメだ! 危険すぎる!!」
アルミラも異を唱えたが、カインはあいかわらず落ち着き払った口調で続けた。
「そう・・・危険だ。
この先へレクスなしで進むのは無理だろう。
しかし OZが神命を果たさず帰還する事は許されない。
つまり・・・ 私が行くしかないんだよ」
「くっ・・・」
アルミラは奥歯を噛んだ。
ここまで理路整然と答えられては止めるべき言葉もない。
「ったく・・・おまえは
こんな時だけ強気だからな」
しゃあねえなぁというふうにレオンは笑った。
「行くんならさっさと行けよ!
そんでさっさと帰って来い!
もたもたしてっと追っかけて連れ戻すぜ!」
「ああ わかっている。
きみたちも早くここを離れるんだ。
彼等がまた襲って来るかもしれない」
「わ・・・わかった・・・」 そう答えたものの、アルミラは納得してはいない。
「おーう!
じゃ また後でな!」
背を向けたレオンを追いつつも、アルミラは何度も気遣わしげに振り返っていた。
ふたりの姿が見えなくなると、カインは穏やかに輝く渦のなかへ歩を進めた。
天に屹立する光の柱にエテリアが寄り添うようにとびかっている。
「これは・・・・・・・」
足を止めた先にあるものをまじまじと見つめ、カインはつぶやいた。
卵、といえばいいのだろうか。 中心にぼんやりと光る球体が浮いていて、脈打っている。
輝くエテリアのなかに入りこんだはずなのに、なかはぼんやりと薄明るいくらいで、
夢に迷い込んだような現実味のない空間だった。
もしかしたら子供を宿した母親の胎内とはこういう感じなのかもしれない、ふとそんな思いがよぎる。
命の脈動を打つ球体から無邪気な子供の笑い声が響き、羽根のようなものが舞う。
神々のものであるべきエテリアを幾重にもまとい、アルミラやレオンのレクスが定着させていたものでさえも
ひきつける。それほどまでにエテリアに慕われる存在。
「そうか・・・・・・
神々は・・・・・・これを・・・・・・」
カインは卵の前に立った。
全身の装甲は解かれているが、手には赤く輝くレクスの剣が握られている。
「神命を・・・・・・執行する!」
高く掲げた剣を振り下ろした瞬間、
「うわあああああ!」
エテリアが奔流となって流れ、またたくまにカインを飲み込んだ。
翼持つ人の影。その羽根が粉々に砕け散る。
「・・・・・・わた・・・・・・しは・・・・・・
・・・・・・な・・・・・・にを・・・・・・」
吹き飛ばされ、仰向けに倒れたカインの目から一筋、頬に涙が伝わっていった。
ゴゴゴゴゴ・・・
「なんだっ!?」
突然の地鳴りに振り返ったレオンは目を見開いた。
谷が揺れている。
カインのように共感能力を強化されていなくても、そこに集まるエテリアたちに
ただならぬ変化が起こったのはすぐに分かった。
エテリアの奔流は谷間を埋め尽くしすべてを飲み込む。
「カ・・・ カインーーーーーっ!!」
アルミラの叫びは膨張する真っ白な光に吸い込まれた。
・
・
・
それから15年後。
レクスの装甲に身を包んだアルミラは、はるか上空から辺境の村を見下ろしていた。
周囲に何体もの飛行型のしもべを従え、それがまわすプロペラの音がブンブンとうなっている。
しばらく空にたたずむ彼女の背には翼のような突起物がはえていた。
やがて手にした杖を握りなおし、彼女は眼下の平穏な村へ急降下する。
運命のときまであと少し。