― 第15話 暗き流れの果て ―

火の階層、土の階層に続き、あらたな階層に足を踏み入れたフィールの前には湿った薄暗い石の迷宮が広がっていた。
高低差のある冷たい床の低いところは水に沈み、どこかの城の地下牢、そんなふうに思えるほど重苦しい空気が充満していた。

「チッ 水の中は動きづらいぜ!」

派手な水しぶきをあげて、レオンがしもべを殴りとばしたその音にフィールははっと目をまばたかせた。
迷宮の閉塞感に少しぼうっとしてしまったらしい。いつのまにかしもべに囲まれていた。
気をひきしめ、しもべを追って水のなかに飛び降りようとしているフィールにアルミラが声をかけた。

「水中では移動が遅くなる。
 注意しろ」

水中、といってもひざに達しないほどの深さなので、動きづらくはあっても戦えないというほどではない。
しもべたちを退け、ほとんど光のささない通路から幅の広い階段をのぼりきってたどりついた次のフロアもまた、 中央を横切るように水が流れていた。
どうやらこの迷宮は水路が縦横無尽にはりめぐらされているらしい。
流れはゆるやかで、さほど深くもないが、フロアの半分以上の幅がある。
両岸は戦うには狭すぎるし、いくつも建っている太い柱に視界がはばまれるので、どうしても水のなかに入らざるを得ない。
冷たい石壁にいくつもの水音が反響する。迎えうつしもべたちは数も種類も多く、敵味方入り乱れる乱戦になっていた。

砲弾や空中から飛来するしもべの体当たりをかわし、突き出されるヤリをよけ、巨大なしもべの腕をかいくぐる。
両岸にいるしもべたちは高低差があって、水のなかにいるフィールの剣が届きにくい。
だがそんな不利な状況でもフィールは戦えていた。
一人だったら戦うどころか、ここにたどりつくことすらできなかったに違いない。
アルミラとレオン、二人が一緒にいてくれたからこそ、今ここにいる。
時には言葉で、時には態度や無言の背で、ふたりはいつもフィールを導いていた。

「やるねぇ」 フィールの戦いぶりを横目に、レオンが楽しげにつぶやいた。
アルミラも確認するかのようにときおり視界のはしにフィールをいれている。
本人は気づいていないかもしれないが、今のフィールは村を出たばかりのころに比べると別人だ。
そしてそんなフィールの成長を理解し、うれしく思っているのは、アルミラとレオン、ほかならぬこのふたりだった。

進むにつれ、乾いていた通路も薄く水が覆い、水が占める割合が多くなってきていた。
迷宮のなかに水路があるというより、もはや水のなかに迷宮がたっているといったほうが近い。
狭い通路から抜け出たとたん、壮大な水の景色が目にとびこんできた。
左右の壁一面から滝が流れ落ち、フロアにたたえられた水に涼しげな音をたてて流れこんでいる。
三人が立っているところから高いアーチのしたをまっすぐにのび、向こう側の出口へ通じている一本の道以外、すべて水に沈んでいた。

? わきのほうから、ふわふわと大きなしゃぼん玉のようなものが漂ってきた。
目を向けると、滝が流れる壁近くに砲台が浮いていて、そこから砲弾ならぬ、大きなしゃぼん玉がうちだされていた。
水上をゆるやかに漂う大きなしゃぼん玉はきれいだが、のんびりと見ているわけにはいかない。
ひとつしかない通路の先から、今まで見たことのない青色の小型のしもべが群れをなしてせまってきていた。

「こいつら 今までの奴らと動きが違うぞ!」

スピードにのって突き出された鋭い爪を間一髪かわしたレオンから驚きの声があがる。

「水中に適応したしもべか。
 あなどれんな・・・」

アルミラはふわふわと漂ってくるしゃぼん玉とすべるように突っ込んでくる新たなしもべを大きくジャンプして同時にかわした。

「こっちだ!」 フィールはためらうことなく不利なはずの水のなかに飛びこんだ。

水はかなり深く、胸ぐらいまである。
さすがにここまで深いとかなり動きづらいが、それでも水をかきわけ、まっすぐ砲台をめざした。
派手にふきとばされる火山弾に比べれば脅威は感じないが、このしゃぼん玉もぶつかると割れて、わずかながらダメージを受ける。
通常なら気にするまでもないことでも、身動きのとりにくい水場での乱戦では致命傷になる可能性があった。

あん? フィールを追って、思い切りよく水に飛びこんだレオンはふと足元を見下ろした。
水は澄んでいて、足元までよく見える。
危険を察したのか、レオンの足に食いついていた魚がついと離れ、足元をよぎっていくところだった。
たいした痛みはないが、かまれたあとに軽いしびれが残る。
・・こんなモンまで作るなんざ、神もご苦労なこったぜ。
水に浮かぶ砲台を破壊し、さて、と振り返ったレオンだが、思わず足が止まり、見開いた目をしばたたかせた。
いったいどこからわきやがった?
そんな疑問が浮かぶほど、背をむけていた少しの間に、広いフロアには多くのしもべたちがひしめきあっていた。
さっきの水が得意そうなヤツばかりじゃねえ。 空を飛びまわるヤツ、ばかでけえ剣を振りまわすヤツ。
はっ こりゃあ、ずいぶんと楽しませてくれそうじゃねえか。 不敵な笑みが自然と広がっていく。
いくぜっ!  しもべたちに突っ込んでいくレオンの表情はいつになく生き生きとしていた。

フロアにひしめくしもべたちをエテリアにかえし、いくつものフロアを通り抜けていく。
水と冷たい石の迷宮は果てしなく続いているかのように思われた。
そんななか、暗い階段をのぼり、ひざまである水のなか、水しぶきを上げながらたどりついたひときわ大きなフロアは、 明らかに今までとは様子が異なっていた。
蓮の葉のように、薄い水のかたまりが幾層にも連なり、上へ上へと伸びている。
たゆたう水がいくつも連なって浮いている、不思議で幻想的なフロアに駆けこんだ3人はふいに立ち止まった。

「ヴィティス・・・・・・」  アルミラがつぶやく。

「そういや まだコイツが残ってたか・・・・・・」

レオンは息をついた。
前方の、フロアの中央に位置する大きな六角形の石畳の上に白い服を着た金髪の男が背を向けて立っていた。

「全く予想外だ」

背を向けたまま、低くもよく通る声が言った。

「あの状況で3人とも生き延びるとはな・・・・・・」

振り向いたヴィティスは冷ややかに水のなかに立つ3人を見下ろした。
その表情や声からはまったく心のうちを読み取ることは出来ない。
頭上では、ゆったりと水がゆらめいていた。

「二柱の神が滅び OZ(オズ)も事実上 壊滅した・・・・・・
 これは私の失策だ。
 命に代えても償わなければならない」

フィールはじっとヴィティスを見つめた。

「どうしても・・・・・・
 やるのか・・・・・・?」

「・・・・・・そうだ」

ゆるぎない眼差しが3人に注がれる。凛とした声がフロア中に響いた。

「君たちの意志も目的も 私には関係ない。
 私はただ 神命に従うだけだ・・・・・・」

一瞬にして光が走り、ヴィティスの全身がレクスの装甲に包まれる。

「最後のOZとしてな!」

両手に剣を宿し、落ち着き払った足取りでヴィティスが近づいてくる。
全身から発せられる威圧感に、フィールたちは無意識に武器を構えた。

「来るぞ!」

いつになく張りつめたアルミラの声が油断するなと告げていた。
現在、御使いたちの頂点にたつヴィティス、その強さをアルミラもレオンもよく知っている。

「たぁっ!」 

「遅い!」

うちかかったフィールの剣をいともたやすく受け止めると、その剣をはねあげ、そのまま流れるような動きで体勢を崩した体へ 目にもとまらぬ速さで無数の連撃をたたきこんだ。

「うわぁぁぁ!」  吹き飛んだフィールの体が石畳にたたきつけられる。

「ボウズ! 野郎!」

追撃をしようとしたヴィティスの前に素早くレオンが割り込んだ。
振り下ろされる鋭い爪がとらえるより早く、ヴィティスは後方へと高くとびあがっていた。 が、それはレオンの拳をよけるためだけではない。

「消え失せるがいい」

冷たい声が頭上から降り注ぐ。
あわせられた二本の剣の先に紫色のレクスの光が凝縮しふくらんでいった。

「やべぇ! よけろ!」

剣先から放たれた光弾が視界を覆うように広がっていく。
半ばレオンに突き飛ばされるようにフィールは横へ大きく跳んだ。すぐそこで爆発が起こり、烈風が吹きつける。

くっ! 床に一回転して、体勢をたてなおしたフィールは顔を上げた。視線の先にはヴィティスが悠然と立っている。
強い・・・ これがOZの長の力。
武器の扱いに秀でた護衛のしもべもいて不用意に近づけず、距離をおけば光弾で一方的に攻撃される。
だけど負けるわけにはいかない。 フィールは突き立てた剣につかまり、立ち上がった。
まずは護衛のしもべを・・・ヴィティスが従えるだけあってかなりの強さだが、先に倒してしまえばチャンスはある。
ぼくひとりなら無理でも隙をつくることができれば・・・。アルミラもレオンもいる。

「こいつを狙うぞ!」  体が自然に動いていた。

「了解だ」
「任せろ!」

アルミラとレオンが同時に攻撃をたたみかけ、速攻で連携に持ち込む。
しもべを追っているうちに石畳の外の水へ降りていた。
ヴィティスが放つ光弾がすぐ近くで着水し、水しぶきが全身にかかる。
次々と放たれる光弾をかわしながら、連携にもちこんだしもべが受身をとる隙を与えないよう、空中でも攻撃をたたみかける。
そして宙に打ち上げられたしもべがエテリアに還った瞬間、チャンスはおとずれた。

「やるぜ! ボウズ!」

ふいに向きをかえると、フィールとレオンが猛然とヴィティスに向け、突っ込んでいった。

「無駄だ。 なにっ!」

かわすヴィティスの動きを予知していたかのように、アルミラが横からすっと現れた。

「この一撃に全てを賭ける! はぁぁあ!」

アルミラの杖が一閃するとほぼ同時にフィールとレオンも床を蹴る。
3人の息がぴたりとあわさったとき、3つのレクスは調和し、ひとりではなしえない膨大な力の渦がヴィティスをまきこんだ。
巨大な火柱が薄暗いフロアを鮮やかに照らす。
レクスの装甲が解除されたヴィティスの体が炎の渦から弾かれ、弧を描いて冷たい石の床に落ちた。

「く・・・う・・・」

かすかに表情をゆがめ、苦しげに目を閉じている。

「ヴィティス・・・」 

アルミラの声にヴィティスは目をあけた。
さっきまでの苦しげな表情が引き、無表情の仮面がふたたび表にあらわれる。

「そうか・・・
 これが・・・ 神をも倒す力か・・・
 なるほど・・・
 これならば・・・確かに・・・」

「なんだ こやつ?
 やけに落ち着いておるぞ?」

いつのまにか赤猫の姿になったトトが、うつむいたままつぶやくヴィティスをけげんそうに見下ろした。
レオンもおもしろくなさそうに視線を投げる。

「可愛げのねえヤツだぜ。
 ジュジュやガルムみたいに 怒るとか取り乱すとかしてみろよなー」

「だが 冷静に話ができるのなら その方がありがたい」

「ヴィティス・・・」  アルミラの言葉にフィールは意を決してよびかけた。

「ドロシーは・・・
 ぼくの妹は どこにいるのか 教えてくれ」

「・・・それを聞いて どうするつもりだ?」

「え?」

ヴィティスは少し視線をそらした。

「君たちはすでに二柱の神を倒している。
 仮に君が今すぐ妹と共に このテオロギアを去ったとしても 残った神々は君を許さないだろう。
 全てのしもべを動員してでも君たちを狩り出し 抹殺しようとするはずだ」

「・・・・・・・・・」  

フィールは何も言い返せなかった。
ヴィティスの指摘は的確で、負けた者であっても十分な説得力をもっていた。

「君たちが安息を得るには 全ての神を葬らなければならない。
 その覚悟はあるのか?」

怜悧な眼差しがフィールをとらえた。

「・・・覚悟なんてない。
 何かを滅ぼす覚悟なんて ぼくはしたくない。
 それでも・・・ ドロシーを助けるためなら・・・
 人や カテナや エテリアたちを 今の苦しみから救い出す事ができるのなら・・・」

穏やかな灰色の瞳に強い光が宿った。

「ぼくは・・・
 神々を討つ!」

「・・・・・・・・・。
 アルミラ レオン
 君たちの意志も同じか?」

「聞くまでもねえだろ」

レオンが薄くわらう。

「私は・・・ 最初からそれを考えていた。
 フィールが私の呪いを解いた時からな」

「え・・・」

驚きの声をあげるフィールに、アルミラは顔をあげ、静かな目を向けた。

「すまない フィール。
 今まで黙っていた事は謝る。
 だが・・・もし私が 世界を神々の支配から解き放つために力を貸してくれ・・・と頼んだら・・・
 おまえは断れないだろう?」

「あ・・・」

「そういう形にはしたくなかった。
 あくまでも おまえ自身の意志で戦ってほしかったんだ・・・」

「アルミラ・・・」  見開いたフィールの目がふっと優しい色を帯びた。

「ありがとう。
 そこまで考えてくれてたなんて・・・
 嬉しいよ」

「フィール・・・」

「・・・君たちの意志はわかった。
 伝えるべき情報は全て提供しよう」

「!」 自分に集まる視線を気にする様子もなく、ヴィティスは行く手をみやり、淡々と告げた。

「君の妹はおそらく 次の階層にいるだろう。
 ただ そこへ至る領域には 水のエテリアによって 強力な結界が施されている。
 隠された結界の核を 全て破壊しなければ この階層を出る事はできない」

「・・・わかった」

真顔でうなずくフィールをちらっと見る。

「もう一つ・・・
 これは余計な事かもしれないが・・・」

「あぁ?」  レオンからいぶかしげな声があがった。

「水の結界の中には 神々の記憶が封じられた領域もある。
 調べてみるのもいいだろう」

「・・・なに?」  アルミラの柳眉がぴくりと動いた。

「神々の・・・記憶だと?」  トトも興味深げに聞き返す。

「・・・以上だ」

周囲の興味を完全に無視して、ヴィティスは向きをかえ、歩き出した。

「あ ヴィティス!?」

「てめえ どこ行くんだよ!
 まだ話は終わってねえぞ!」

フィールとレオンの声に振り向いたものの、ヴィティスは冷たく言い切った。

「私にはもう話す事などない。
 それに 私がどこへ行こうと君たちの関知する所でもない」

「・・・あ〜 そ〜だよな。
 てめえは そういうヤツだったよなぁ」

さも今思い出したというふうに、あからさまに不快な表情を浮かべてレオンがぼやく。

「ヴィティス!
 もう一つだけ聞きたい事がある」

「・・・・・・・・・」  物言わぬ瞳がアルミラへと向けられた。

「なぜ・・・フィールの妹だけが こんな上層まで連れて来られたんだ?」

「!!」 フィールがはっとする。

かすかにヴィティスは視線をそらした。

「・・・それは私の口から言うべき事ではない」

ふたたび歩き出したヴィティスは姿を消した。

「・・・・・・・・・」 

アルミラは考えにふけっていた。
フィールは神々の子ではない。ならば神々の子はもしや・・・

「行こう アルミラ」

「フィール・・・」

「いいんだ・・・
 いいんだよ・・・」

目をとじ、顔をふせて言ったフィールの声は自分に言い聞かせているようでもあった。
幼いときの記憶がかすかによみがえる。
テオロギアへ向かう途中、廃棄された神殿で、どうしてエテリアたちが力を貸してくれたのか。
今思えば分かる気がする。
でも今は先を急ごう。ドロシーを助ける。そのためにぼくはここまできたんだ。