― 第17話 侵食する虚無 ―

灰色の髪が風になびいていた。
湿り気を帯びた強い風に薄雲が流れてゆく。
フィールたちが立っている場所は険しい岩山の頂上部を取り去ったような円形の平らな地で、 高地特有のしんとした空気があたりを包んでいた。
円形のフロアの先は細いのぼり道になっており、一段高い岩場へと続いている。
紋様らしきものが一面に彫られた床とオブジェが立つ景観は明らかに自然のものではなく、 さながら神々が天空につくった闘技場、そんな印象を受けた。
尖った岩山の先端がいくつも霞む空は、足を踏み外したら最後、間違いなく死ぬであろう高さだったが、
フィールは高さの恐怖よりむしろ、テオロギアに入って以来初めてみる見慣れた空にどことなくほっとした、 開放感に近いものを感じていた。

「この階層のどこかに
 ご主人が捕らわれておるのだな・・・」

トトが細く切り立ったのぼり道の先をみやる。

「ああ・・・」

フィールの表情がひきしまった。

「早く助け出そう。
 考えるのは・・・そのあとだ」

「!!」 最初に異変に気づいたのはアルミラだった。

「なんだ あの黒い塊は!?」

「!?」

ほぼ同時にあがったレオンの声にふりかえったフィールは目を見開いた。
砂埃を激しく巻き上げている赤黒い大きな球体が目に飛び込む。

「どんどん近づいて来るぞ!」

いつも余裕ぶっているトトでさえ、暗黒球を見るなり翼をたて、尻尾の毛をさかだてた。

「新手のしもべか!?」

「いや・・・違う!
 ただのしもべなら こんなイヤな感じはしない!」

身構えたアルミラに答えるフィールも動揺を隠せなかった。
こんな感じ初めてだ。見ているだけで冷や汗が伝う。

「じゃあ なんだよ!?」

いらだたしさを隠そうともせず、強くなっていく風に負けじとレオンが怒鳴る。

「わからない!」

フィールにはめずらしくせっぱつまった、あせった声だった。

「・・・けど、あれには触れちゃダメだ!
 エテリアたちがそう言ってる!」

「おれサマも同感だ!
 見ておるだけでも毛が逆立つ!」

「了解だ!
 急いで離れよう!!」

アルミラは素早く踵を返した。
カテナ以上にエテリアの意思を解するフィール、そしてレクスの変異体であるトト。
そのふたり(一人と一匹)がこれほど警戒するとは尋常ではない。

道は一直線で迷うことはないが、それは悪く言えば、逃げ道はひとつしかないということだった。
しもべたちを撃破して細い小道をのぼりきると、そこにはさっきと同じ、円形の巨大な石のフロアが広がっていた。
細いのぼり道の先には円形の石のフロア、そしてまた登り道と同じ構造が繰り返されていた。
・・・。 いくつかのフロアを過ぎ、また新たなフロアの入り口に立ったとき、フィールは声を失い立ち止まった。
おびただしい数のしもべたちが待ち構えていた。
飛行型、中型のしもべはもちろん、巨大なしもべもいる。
彼ら、多種多様な部隊すべてと一度に渡り合うのは無理だ。
だけど、フィールは背後を振り返った。
確実に暗黒球はせまってきている。止まっている時間はない。

「こっちだ」  逡巡しているフィールをアルミラの声が導いた。

彼女は大きく迂回し、端のほうに陣取る一隊に攻撃をしかけた。
広い石のフロアにはオブジェのようなものがところどころに立っており、もやとともに視界をはばんでいる。
さらに強い風がおかげか、中央の巨大なしもべ率いる主力の一隊は端で起こっている戦闘に気づいていないようだった。
彼らを起点に攻撃をつなげ、勢いに乗ったところで、中央へと一気になだれこむ。
凶々しい大気が肌をなで、風の吹き荒れる音が近づいてきていた。

「レオン、こっちだ!」

後方に吹き飛ばされたしもべに追撃をしかけようとするレオンを鋭い声が引きとどめた。
いつもとは違うフィールの呼び声に足を止めた瞬間、体が吸いよせられる感覚にあわてて踏みとどまり、強引に身を引きはがす。
レオンの背後で倒れているしもべが暗黒球にひきずりこまれ、エテリアに還った。
そのエテリアさえも暗黒球に飲み込まれて消える。
! 目を見開くフィールとレオンの横で、一部始終をつぶさに見ていたアルミラがつぶやいた。

「どうやら何かを取り込むと 一時的に移動が止まるようだな」

先に進むたびに、しもべたちはより強力に、気が遠くなるほど多くなっていった。
まるで自分たちを追ってくるかのように迫りくる暗黒球に心ばかりがあせる。

「危険だ! フィール!」

「しまった!」

アルミラの声に気がついたときは遅かった。
戦いに夢中になりすぎて、背後の気配におろそかになっていた。
いつのまにか吹き荒れる風の音が間近にせまり、ものすごい力で体が暗黒球へと引っ張られる。

「チッ しつこい野郎は嫌われるぜ!」

とっさにレオンが手近なしもべをひっつかみ、力まかせに投げ飛ばした。
懸命に逃れようとするフィールの横をかすめて、しもべが一直線に暗黒球に吸い込まれていく。
暗黒球の動きが一瞬とまり、そのすきにフィールたちは安全なところまで距離をおいた。

「ありゃ なんなんだ、アルミラ?」

暗黒球の猛威から離れ、あちこちに突き立つオブジェのひとつによりかかったレオンが背後を見やった。
密集しているしもべたちを次々と吸い込み、赤黒い闇にちらちらとエテリアが散っている様子が遠目からでも見て取れる。

「これは私の推測に過ぎんが」

おもむろにアルミラは口を開いた。

「あれは空間に空いた 『穴』 のようなものではないかと思う。
 そして、おそらくその穴は『虚無』につながっている・・・」

「虚無・・・
 何もない空間ってことか?」

フィールを映した隻眼がうなずいた。

「そうだ。
 それゆえにあらゆるものを吸い寄せ、飲み込み、無に帰す性質を持っている・・・
 我々はレクスの張る結界のおかげで完全に飲み込まれるまでには至らないが、
 それでもあれに触れれば無事ではすまん」

「厄介だよな・・・
 あいつのせいで足を止めて敵と殴りあうこともままならねえんだからよ」

オブジェに寄りかかったままレオンがぼやく。

「とにかく近づかないように逃げ回るくらいしか手はないのか?」

「そんなやり方はおれの性に合わねえんだよ!」

フィールの言葉に色を変えて、レオンは勢いよく身を起こした。
浅黒い顔が苛立ちにゆがむ。

「大体それじゃあ 敵が出すエテリアだって 全部吸い込まれちまうじゃねえか!
 もっとなんかこう
 ドカンとあいつをぶっとばす方法とかはねえのかよ!?」

「あの 『穴』 そのものをぶっとばす方法などというものは見当もつかないが・・・」

腕組みをしたアルミラの瞳に思慮深い光が揺れていた。

「ヤツに追いつかれる前に一気に敵陣を突破して先へ進む方法なら 考え付かないでもない」

「どんな方法なんだ?」

見上げるフィールにアルミラは視線で広場の中央に陣取るしもべたちをさし示してみせた。

「かなりの危険を伴うし 熟練も必要だが・・・
 あちこちに大型のしもべがいるだろう。
 ヤツを利用するのだ。
 まず最優先でヤツの体力を減らす」

「そうか!
 くたばった敵は受け身をとらねえから・・・」

「そういうことだ」  意図を理解したらしいレオンのほうへ向きなおる。

「必殺技 ”OverZenith”で周囲の敵をまとめて撃破できれば、 まだ周囲に多少敵が残っていたとしても 迅速に殲滅できるだろう。
 あとは先に進むだけ というわけだ」

「へっ ちゃんと俺好みの方法があるじゃねえかよ。
 ちょいと試してみるか!」

一転してゴキゲンになったレオンに釘を刺すように、アルミラは言った。

「なんにせよ なるべくレベルの高い必殺技で  まとめて敵を殲滅するようにするのがこの方法の肝だ」

「よっしゃー 任せろ!
 いくぜ ボウズ! アルミラ!」

このあとにアルミラが何を言おうが、もはや無意味だったろう。
嬉々としてレオンはオブジェのかげから飛び出していった。

 * * * * * * * * * * * * * * * * * *

暗黒球をたえず気にしながらようやくしもべたちを倒したとき、ふいに圧迫感が消えた。
すぐ背後まで迫っていた暗黒球は急に進路を変えると、3人が見守る中、空の彼方へと遠ざかり、消滅した。

「消えやがった・・・
 やっとあきらめたのか?」

「これで終わりとは思えんが・・・」

追われるプレッシャーから解放されてほっとするフィールの横で、レオンとアルミラが話している。
その先のフロアの入り口で、フィールは立ち止まった。今までの場所と少し様子が違う。
組み立てられた巨大な岩が遺跡のように、円形のフロアをぐるりと取り囲んでいた。
相当高いところまでのぼってきたのだろう。あたりのもやはいっそう濃くなっていた。
それが風に流れ、薄れたとき、3人のまえに銀色の巨大なしもべが一体待ち構えていた。

「まったく
 キリがないな・・・・・・」

アルミラが小さく息をはく。
フロアの中央に立ちはだかるしもべから威嚇するような低いうなり声がもれるが、まったく動じてはいない。

「今さらこんなザコで おれたちを止められるかよ!」

レオンが大きく腕を振った。

「横着コイてねえで 出て来やがれ! 神!!」

!! その瞬間、雰囲気が一変した。
黒い霧が吹き出し、しもべの全身を包む。

「げっ! マジで来やがったか!?」

自分で言っておきながら、ちょっとあせったようにレオンが身をひく。

「いや・・・
 ・・・・・・見ろ!」

アルミラが見つめるなか、しもべだったものは刻々と変容していた。
全身を覆う漆黒の霧はエテリアさえも黒く染めていく。
赤い頭部の奥の闇に赤い点がふたつ、不気味に輝いていた。
蚊のように長くとがった赤い口、赤黒く禍々しい闇のたてがみをもつごつごつとした巨体。
充満する異様な気配はさっきまでフィールたちを苦しめていた暗黒球と似ている。
低いうなり声は、チチッチチッとねずみのようなかん高い音に変わった。

「な・・・・・・
 なんだコイツ・・・・・・」

レオンは驚きを通り越して茫然としていた。

「こんな神もいるのか・・・・・・!?」

「違う・・・・・・
 神じゃない・・・・・・」

半ばひとりごとのようなフィールの声は深刻な響きを帯びていた。

「・・・・・・もっと 良くないモノかもしれない!」

変貌したしもべから伝わってくるのは、とてつもない憎しみの念だけ。
神とは違う新たな脅威が暗黒球とともにやってきたことをフィールは本能的に感じ取っていた。
まわりを見れば、エテリアが未知の敵から逃れるようにフィールの近くに集まってきていた。

「エテリアたちが・・・・・・
 こんなに怯えてる・・・・・・」

そのただならぬ様子に、アルミラも注意深い目を向けた。

「神でないとしたら・・・・・・
 こいつは・・・・・・」

いっせいにレクスを構える。

「神なんだか違うんだか よくわかんねえが・・・・・・」

身構えたまま、金色の目がぎらりと獲物をみすえた。

「ブチのめさなきゃなんねえ事に違いはねえらしいな!」

叫ぶと同時に駆け出したそのとき、誰もが予想していなかったことが起こった。
小型のしもべたちの小隊が現れたかと思うと、リーダーらしきものの指示でいっせいに襲い掛かる。
しかし彼らはフィールたちには目もくれず、新たに現れた敵にむかっていった。
?! 三者三様に疑問がよぎり、やる気満々だったレオンでさえ、あっけにとられて立ち尽くしている。
3人の前で繰り広げられた未知の敵、異世界からの侵食兵ニグレドと神々のしもべたちの戦いは、 だが圧倒的にしもべたちが不利だった。
ニグレドは鋭く体を回転させ、まとわりつくしもべたちをたやすく弾き飛ばすと、フィールたちをまきこむのもかまわずつっこんできた。
とっさに飛びのいたものの、巨体に似合わず動きが速い。
黒い竜巻をまとって縦横無尽にフロアを駆け巡るだけでなく、まわりを取り囲む巨石の上に軽々と飛び乗っては、自在に渡っていく。
竜巻をまとって駆けまわっている状態ではどんな攻撃も通じないばかりか、逆にこちらが吹き飛ばされてしまうだろう。
壁にぶつかり、竜巻がとけるわずかな間ぐらいしか隙がない。
猛攻を避けながらフィールは冷静に神々のしもべたちをも視野にいれて戦況を見極めていた。
侵食兵の攻撃は強力だが、動きは単調だ。あせらなければいける。
神々のしもべたちと入り乱れながら、確実にダメージを与えていき、やがて

「とどめだぁ!」

レオンの叫びとともに、ついにニグレドは倒れた。
決着がついたとみるや、アルミラの思考は瞬時に侵食兵ニグレドを倒す方法から正体を探る方向へと切りかわった。
ヤツは何者なのか。
神々は敵として認識しているようだが、いったいいつ、どこで・・・
・・・。
ふと水の階層でみた神々の記憶が思い浮かんだ。
別の世界らしきところで攻撃され、炎上しているテオロギア。
神々は異世界で何者かに追われて、この世界へ逃れてきた・・・
その原因がさっきの黒い敵対者、暗黒球を通じてやってきた侵食兵だとしたら?
ひとつの仮定が頭をもたげる。
今になって思えば、神々はなぜエテリアを搾取し、神々の子を作りだしたのか。
カテナを完全に支配下に置き、人間たちは脅威とはなりえない。
安全なはずのこの世界でさらなる力を求めていたのは、かつて自分達を追放したもの、そして追ってくるものに対抗するため・・・

「どうかしたのかい?」

声に気づいて顔を上げれば、先を行くフィールが振り返ってみていた。
なんでもないと歩き出すアルミラを見て、フィールは再び向きを変え、行く手にそびえる山を見上げる。
その目には強い決意が宿っていた。
この階層のどこかにドロシーがいる。ヴィティスはそう言っていた。
ならぼくは前に進む。たとえ何が待ち受けていても。
必ずドロシーを連れて、みんなで帰るんだ。



《メモ》
・最初に暗黒球にしもべが吸い込まれたとき
アルミラ 「どうやら何かを取り込むと 一時的に移動が止まるようだな」
レオン  「どうやら 何かを吸い込むと 動きが止まるみてぇだな」

・ボス戦前フロアの敵が全滅し、暗黒球が去っていくとき
アルミラ 「消えた・・・か。 これで終わりとは思えんが・・・」
レオン  「消えやがった・・・ やっとあきらめたのか?」