曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く


誰かの句をくちずさんだ私はベランダの手すりにもたれて月を見上げていた。
綺麗な月。月光浴って、すごく落ち着く。

チャリ・・・ 首にかけていたロザリオが澄んだ音を立てた。
別にクリスチャンはないけれど、これは今日もらったので、たまたま身につけていた。
一度目光ると行って、二度目光ると戻る。そのときを逃すといけない。
だからいつも身につけていてね。と、意味不明な説明があったけど。。。
気持ちよい風が頬をなで、目を閉じると、降り注ぐ月光に身を包まれたような気がした。


・・・・・・。

「!?」

ここは・・・どこ?
目を開けた瞬間、見慣れぬ天井が目に入って、飛び起きた。
畳の部屋に敷かれた布団の上に起き上がったまま、私は必死に記憶をたどる。
自室で月を眺めていた。そのあとは・・・何の記憶もない。
視線をめぐらせれば、畳の向こうには障子で区切られていた。その先はたぶん外なんだろう、薄い光が差していた。
すごく大きい部屋。この部屋だけ見ても、家というより屋敷レベルだ。
明らかに自分の部屋ではない。
部屋のなかには誰もいないし、外も静かだった。
音を立てないようにおそるおそる障子に近づき、少しだけ開けてみた。
日本庭園が広がっており、積もった雪がまぶしい。

(雪!?)

「目が覚めたか」

「わっ!?」

予期しない男の人の声に、とっさに後ろに飛びのいて・・・思いっきりしりもちをついた。

「大丈夫か」

そういわれても、驚きのあまり、声も出ない。
見上げた先には知らない男の人が私を見下ろしていた。
それはいい、いや、良くはないけど、その男の人が刀を身につけていたら、さすがにぎょっとする。
男の人はちょっと怖い感じがした。なんていうか・・・その、任侠系?
そういうところだったら、この屋敷も納得できるけど、でもどうして私がこんなところに!?

「あの・・・ここは・・・あなたは・・・」

しどろもどろに言うのが精一杯だった。
目は腰に帯びた刀に釘付けになってしまう。
そんな私の様子を見ても、顔色一つ変えず、その男の人は言った。

「来い。政宗様がお待ちだ」

「まさむね・・・さま?」

逃げるわけにも行かず、長身の男の人のあとについて回廊を歩いていった。
先を歩く男の人にいろいろ聞きたかったけど、到底話しかけられる雰囲気ではない。
それにしても、本当に立派な日本家屋だ。広い庭も手入れが行き届いている。
やっぱりそういう系統の家?
おどおどしながらも、ついきょろきょろとあたりを見回してしまう。

「わっ! す、すみませんっ」

よそ見している間に男の人が立ち止まったのに気づかず、背中にぶつかってしまった。
でもその人は私を一瞥したものの、何事もなかったように部屋のなかへ声をかけた。

「政宗様、例の者を連れて参りました」

「ああ、小十郎か。入っていいぜ」  若い男の人の声が返ってくる。

ふうん、この人、小十郎っていうのか。古風な名前。
そんなことを考えてるうちに、私は部屋のなかの声の主と対面した。

「よぉ、アンタ、何者だ」

右目に黒い眼帯をした男の人が頬杖をついて、私を見ていた。
案内してくれた小十郎と呼ばれた人は三十歳くらいかなと思うけど、それよりずっと若い。
軽そうな言葉とはうらはらに、前髪の隙間からのぞく隻眼は鋭かった。

「・・・・・・・・・」

これはやっぱり、若親分とか頭とか、そういう感じだよね。
和服なのが珍しいけど。

「おい、小十郎。 こいつは耳が聞こえねえのか」

「いえ、政宗様、そういうわけではないようです」

雰囲気を察して、私はおずおずと口を開いた。

「すみません、ここはどこですか。
 あの、帰してもらえると・・・うれしいんですけど」

自分でも驚くくらい消え入りそうな声だった。

「What?
やれやれ。どうやらこのお客さんには一から説明してやらなきゃいけねえらしいぜ。小十郎」

「承知いたしました」  主の意図をくんで、小十郎さんが私に向き直った。

「ここは奥州筆頭、伊達政宗様の屋敷だ。
庭が光っており、調べに行ったところ、おまえが倒れていた」

「奥州・・・筆頭? 伊達、政宗・・・?」

奥州って仙台だっけ? ? わけ分からない。何が起こったの?
でも倒れていたってことは、助けてくれたんだよね。
一応、お礼は言っておいたほうがいいと思った。

「あの、助けてくれてありがとうございました。
それで・・・帰らせてもらってもいいでしょうか」

「アンタ、変わったカッコしてるな。どこから来た?」

「どこって・・・」

口ごもった。そもそも別に変わった服を着ているわけではない。ごく普通の洋服だ。
なんだろう、微妙に食い違う、この違和感。

「まあ、いいさ。好きにしな」

「ありがとうございます」

ほっとした、けど、別の問題に行き当たった。

「あの・・・」

「なんだ?」

「重ね重ね申し訳ないのですが、その・・・少しお金を貸してもらえませんか。
 必ず返しますから。それと駅か空港への行き方を教えていただけると」

「くうこう? なんだそりゃ」

若い男の人と小十郎さんは顔を見合わせた。意味が分からないようだ。
冷や汗が出た。さすがに駅や空港を知らないのはおかしすぎる。

「ここは仙台ですよね」  つとめて冷静に私は尋ねた。

「仙台? 奥州だと言ったはずだが」

小十郎さんが応える。若い男の人は頬杖をついて、興味深そうに私を見ていた。
なけなしの知識を必死に呼び起こす。仙台は伊達政宗が開いたから、ここはそれより昔ってこと?
いや、ちょっと待って。さっき伊達政宗の屋敷って言ってたような・・・。で、この人は政宗さん。
・・・。額を押さえた私は、ふいにぽんと手をたたいた。

分かった。これは夢だ。
夢のなかで、これが夢だと分かったのは初めての気がする。
なら楽しまなくちゃ。そう思うと、すっと気持ちが落ち着いた。
おじぎをして、私は言った。

「すみません。助けてくれてありがとうございました。
 それで、あの・・・唐突なんですが、しばらくここにおいてくれませんか」

「あ? 目的は何だ」

「奥州を平定したら、次に狙うは天下でしょ? それを見てみたいんです」

小十郎さんの目が険しくなり、口を開きかけた瞬間、ヒュ〜♪ と口笛が鳴った。

「Marvelous. 驚いたぜ。アンタ、たいした慧眼の持ち主じゃねえか。名前は?」

政宗さんの隻眼は、人をひきつける、どこか挑戦的な光を帯びていた。
無意識に胸に手をやったとき、ふと指先がロザリオにふれた。

「!? 名は・・・ 『天使』 とでも呼んでください」

そう答えてしまったのは、脳裏に浮かんだある仮定に心を奪われていたからかもしれない。
庭に倒れていたとき光っていた? 手にしたロザリオを見つめる。
もしかして、いやまさか、そんなやりとりが心のなかで繰り返されていた。
ロザリオをもらったときの、一度目光ると行って、二度目光ると戻るっていうのは・・・

「Angel?  はっ、ずいぶんと大層な名じゃねえか。
OK. Angel,この奥州筆頭、伊達政宗の天下取りを見物してな。
独眼竜は伊達じゃねえ、you see?」

「I see」

つい反射的にこたえてしまったけど、素直にとれば、独眼竜は政宗さんだから、伊達なんだよね。
自己否定というか・・・でも伊達じゃないといわれればそうだなと思うし、なんか言葉遊びみたい。
私の返事を聞いて少し驚いたふうに目を見開いた政宗さんは、すぐにニヤリとわらった。

「いいね、いいね。あんた、気に入ったぜ。気が済むまでここにいな」

「ありがとうございます」

「政宗様、そのようなことを軽々しく決められては」

「いいじゃねえか、小十郎。そんなに心配だったら、おまえがこいつを見張ってろ」

なるほど・・・。見張るために置いてくれるのか。
確かに向こうから見れば、あやしいことこの上ないもんね。
まあいいや、無事にすんだだけラッキーと思うことにしよう。
我ながら、自分の大胆さに少し驚いていた。

天下統一に向けて出陣するのは、雪が消えてから。
それまでの間、私は小十郎さんに頼んで、武術を教えてもらった。
もちろん戦で戦うつもりなんて毛頭ない。すべては自分の身を守るため。
何日たっても夢からは覚めなかった。
本当に長い夢だったら死んだら目が覚めるだけですむかもしれないけど、現実だとしたら死ぬわけにはいかない。
政宗さんはふらっと姿を見せては、見物したり、話したりしていった。
戦に連れて行けると認められるほど腕があがったのは、たぶん小十郎さんの教え方がうまかったんだろう。
伊達軍の軍師でもある小十郎さんは、六爪流と呼ばれる六本の刀を使いこなす政宗さんの剣術指南役らしいから。

こうして冬は過ぎ、ついに伊達軍は奥州を出発した。
目指すは川中島。
手始めにそこでにらみ合っている、越後の上杉軍と甲斐の武田軍の膠着状態を突こうという作戦みたいです。


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