政宗さんの傷の具合はだいぶよくなって、庭で稽古ができるようになっていた。

「長篠での傷も癒えつつあるようで」  小十郎さんがやってくる。

「ああ。いつでも魔王の首を取りにいけるぜ」

「大事に至らず、安堵いたしました」

「フッ、おまえが言うか」  政宗さんは刀へ目を向けた。

「もう一度、手合わせといくか、小十郎」

「はっ。 稽古のお相手ならばいつなりと。
 ・・・政宗様」

小十郎さんはふっと真顔になった。

「なんだ」

「魔王を討ち果たし、しかるのち天下をとられた暁には、この小十郎、覚悟はできております」

「ああ?」

「理由はどうあれ、あなた様に刃を向けましたこと、いかなる罰をも受ける所存・・・ あっ!」

政宗さんは振っていた刀をいきなり、小十郎さんの喉元に突きつけた。
そして、ふっと笑う。

「野暮なことを言いやがると、今ここでたたっきるぜ?」

「政宗様・・・」

・・・いいなあ、こういうの。私は縁側でふたりのやりとりを眺めていた。
幸村さんと信玄公が親子みたいなら、政宗さんと小十郎さんは兄弟みたい。
ずっとこんな平和な時間が続けばいいのに。
そう思いつつ、空を見上げていたけれど、そのころ同じ空の下の九州では最南端に上陸した織田軍が薩摩の島津を倒し、そのまま北上。
日向、肥後を討ち、完膚なきまでに焼き払い、九州全土をその手中におさめていた。

『三河の徳川家康が討たれた』

思いがけぬ凶報に、武田方と伊達方は広間に集まった。

「討ったのは、明智光秀」  猿飛佐助が報告する。

「織田に正式な同盟破棄を申し入れた徳川へ魔王の名代として現れ、丸腰のところを問答無用で斬りつけたと」

「ん?」  腕組みして聞いていた政宗さんはふと幸村さんに目を向けた。

幸村さんは肩を震わせていた。

「家康・・・殿っ!
忠義に篤き、徳川家臣の無念、心痛、いかばかりであろうか」

「信長の九州攻めに明智は同行しなかったということか」

小十郎さんの質問に猿飛佐助が答える。

「報告によれば、明智だけじゃなく、織田のなかでも群を抜いた戦闘力を誇る、魔王の嫁、濃姫と森蘭丸って弓使いも」

「本隊を九州制圧にあて、長篠の傷癒えず、いまだ再包囲網ならぬ我らへ刺客としてその者たちを差し向けるつもりやもしれん」

厳しい表情をみせる信玄公に小十郎さんが目を向ける。

「東国の連携を断ち、個別に落とそうって腹か」 

「だとすりゃ、次の狙いは武田のオッサンか、このオレか、あるいは・・・」

政宗さんの言わんとすることを察した猿飛佐助が信玄公に報告する。

「越後へもすでにこのことは」

「うむ」  信玄公は考え込むようにうなずいた。  


ここ数日、雨が続いている。

「ふっ! はっ! てやぁっ!」  激しく雨が打ちつける庭で、幸村さんは槍の稽古に励んでいた。

「アンタは真田幸村が気に入ったみたいだな」

幸村さんを遠くから見ていた私に気づいて、政宗さんが声をかける。

「政宗さんのライバルですから。
・・・あそこまで素直でまっすぐだと、この戦国の世はつらいかもしれないですね」

空を見上げた。雨は止む気配がない。

「何かイヤな感じがするんです。この天気のせいならいいんですけど」

「お館さまーっ!!」

男の人が屋敷にかけこんできたしばらく後、信玄公たち一団が雨の中、馬に乗り、飛び出していった。

「政宗さん、あたりの様子を見てきていいですか」

「おい」

「危ないところには近づきません。まわりを見てくるだけですから」

どうやら、信玄公たちは竜王の堤に向かったらしい。
竜王の堤とは、御勅使川と釜無川との合流地点である竜王鼻と呼ばれる高岩に建設中の堤防で、甲斐の里を水害から守るため、武田信玄が長い年月をかけて、腐心してきたもの。
それがここ数日の雨による増水で崩れそうになっているらしい。
堤防が崩れれば、あたりの村や畑は水浸しになってしまう。
高台から眺めると、堤のところどころから水が漏れていた。
なんとか持ちこたえてはいるけれど、何年もかけてしっかりめぐらされた堤がこれほどもろいわけがない。
もしかして、誰かが何か細工をした?
でも何のために?
高く組まれた板や石壁のあちこちから水が流れ落ち、どこから手をつければいいか、人々は途方にくれていた。

「うおおおおおおーーーっ!!」

到着した信玄公は大きな岩を持ち上げると、頭上に持ち上げ、走り出した。
水が漏れていた石垣の穴を大岩でふさぐ。

「急げいっ! 決壊はまだ防げる!」

「お館様!」
「お館様に続け!」

おろおろしていた人たちが、次々と動き始める。
石を詰め、棒をかけて板を補強する。
それを馬に乗って、上から見下ろしている人がいた。
あれは・・・明智光秀!?

「ふっふっふっふ。 はあっ!」

明智光秀は飛び降りると、岩を支えている信玄公の背後に迫った。

「くうっ!」

今、手を離せば、堤は決壊してしまう。
信玄公は片手で岩を支えたまま、もう一方の手に持った巨大な軍配斧で攻撃をふせいだ。
その衝撃で堤が大きくかしぎ、崩れたところから水がふきだす。

「明智・・・光秀」

岩を押し込むと、信玄公は振り向いた。

「尾張のうつけは敵将を落とすに手段を選ぶなと申したようじゃな。
あるいは・・・」

「ふっふっふっふ。家康の血を吸ったばかりだというのに、この桜舞が疼いて仕方がありません」

距離をとった明智光秀は、手にした大きな鎌に視線を落とした。

「鎮めるためには、貴方を喰らわねば」

一歩足を踏み出す。

「どうしたのです。甲斐の虎。貴方の斬撃を味わわせてください。
一瞬にして骨まで砕け散る快悦を、私に脳天から浴びせることなどたやすいはず。
なるほど。そうですね。今、貴方が技をふるえば私を霧散せしめると同時に、甲斐の民とともに苦労して築いたこの竜王の堤まで吹き飛ばしてしまいかねない。
いや、間違いなく、跡形も残さずに破壊してしまうでしょうねえ。 ふっふっふっふ。
ですが」

明智光秀は鎌を信玄公に向けた。酔っ払っているかのようにゆらゆらとゆれる。

「今はそのようなことを言っていられる時ではないのではありませんか」

激しくうちかかる。信玄公は防戦一方だ。

「お館様! 遅れて申し訳ございませぬ!」

幸村さんが一団を率いて、馬で駆けてきた。

「堤を持ちこたえさせるべく、資材を運んで参りました! 
 あれはっ!? お館様!」

「幸村、貴様は堤を持たせよ!」  光秀と対峙しながら、信玄公が叫ぶ。

「しかし!」

「早くせいっ! 決壊を許さば、あたり一帯飲み込まれよう。それだけは相成らぬっ!」

「はっ!」

「武田の恩義に報いるためだ。
おめえら、奥州魂見せろや」

松永久秀の人質となった伊達軍の人たちも補修を手伝っている。
その近くで信玄公と明智光秀は戦っていた。

「政宗様!」  小十郎さんと政宗さんも姿を見せた。

「明智・・・! 野郎!」  隻眼に怒りが宿る。

「ここより離れるほかに術はなし。
じゃが、きゃつがわしを追わず、堤を破壊せんといたすは明白。 なんとする・・・」

信玄公の刃が一閃し、明智光秀は大きく後ろに飛びのいた。
何、この音? 叫び声が反響するような、甲高い音が聞こえる。
明智光秀の鎌が・・・桜舞が鳴いている?

「ふっ!」  頭上に掲げた鎌を振り下ろすと、無数の強烈な旋風があたりをかけめぐった。

穴をふさいでいる巨大な岩に亀裂が入る。
岩がまんなかから裂け、水が流れ込んできた。
水流が穴を押し広げ、もう止まらない。 決壊が始まる。

「ぬおっ!」

「お館様!」

高く組んだ板の上で幸村さんが見たものは、水流に足をとられた隙に、明智光秀の鎌が肩に深く突き立った武田信玄の姿。
倒れ行く信玄公を踏み台にして、明智光秀は高台に飛び移る。
血を噴き出しながら、信玄公の体は激しい流れのなかに消えた。

「お館さまぁーーっ!!!」  ためらうことなく幸村さんは濁流に飛びこむ。

「もっとゆっくり味わいたかった。ですが最高の感触でしたよ。甲斐の虎」

武田信玄がいたところを振り返った明智光秀は、何かに気づいたように視線を向けた。
その先には政宗さんと小十郎さんがいる。ふたりは刀を抜いて身構えた。

「明智光秀・・・」  小十郎さんが低くうなるように言う。

「てめえ・・・ タダで帰れると思うなよ!」  にらみつける隻眼は激しい怒りを露わにしていた。

「やはり生きていましたか。 独眼竜、伊達・・・政宗。
余韻にひたる間もなく次の獲物とは」

血の滴る鎌が雨にぬれて、つややかに光っている。

「浅井の時と同じ目をしてやがる。 Crazy な野郎だぜ」

「筆頭! 片倉様!」

伊達軍が集まってきていた。流された者も自力で這い上がっている。

「残ったやつらと川下へ回れ!」

「は、はい!」  小十郎さんの指示にみんな走り出す。

「小十郎! 野郎に遠慮は無用だ」 明智光秀をにらみ、身構えたまま、政宗さんがいう。

「承知。 この場にて仕留めましょう」

ほぼ同時にふたりは地を蹴った。

「Death Fang!」

「ふっふっふ。いいですね」

明智光秀はゆらゆらと揺れるように振り向いた。陶酔しきった目をしている。

「独眼竜と竜の右目の剣、一度に味わえる果報者はそうはいないでしょう」

奇声とともに鎌を振ると、ふたりが飛びのいた隙に対岸に待たせてある馬に飛び乗った。

「Damn! Shit!」  政宗さんが小さく叫ぶ。

「たった今、甲斐の虎というごちそうをいただいたばかり。
食べすぎは体によくありません。それに貴方には大事な役割を負ってもらわねば。ふっふっふ」

「なんだと?」

「おや、貴方は」  まさか明智光秀がこっちにやってくるとは思わなかった。

「あの馬鹿」  政宗さんと小十郎さんが息を呑むのが伝わってきた。

「どこかでお会いしたことがあったでしょうか」

「・・・・・・」  怖い。でも逃げたらやられる。そんな確信があった。 

「気のせいでしたか」

ふたたび馬の歩を進める。その歩みが、ぴたりと止まった。

「ああ、思い出しました。貴方は確か、長篠で」

「!!」  言葉を最後まで聞く余裕はなかった。死神の鎌を思わせる、鋭利な刃が目の前にせまる。

「っ!」  かろうじて防ぐことができたのは、油断していなかったからだろう。

「野郎!」  政宗さんと小十郎さんがこちらに向かってくる。

「クク。貴方に何かあれば、独眼竜はいっそうやる気を出してくれそうですね」

狂気の目を間近に見て、鳥肌が立つのが分かった。 怖い。

「残念ながら遊んでいる時間はないようです」

鎌を一振りすると、ものすごい力で弾き飛ばされた。
政宗さんが叫ぶ声が聞こえる。
私の体は弧を描いて川に落ち、そのまま意識を失った。


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