明智光秀の襲撃により武田信玄は深手を負い、崩壊した堤から流れ込んだ水はあたりの村や畑を飲み込んだ。
雨はまだ降り続いている。
楯無しの鎧の間に手当てをされた信玄公が寝かされていた。
幸村さんとともに下流で発見されたものの、意識はまだ戻っていない。
時を同じくして、越後の軍神、上杉謙信が織田方の濃姫と蘭丸に襲われたという情報が入った。
かろうじて命はとりとめたようだが、戦場に赴くことは無理なほど重体のようだ。
「う、うう・・・」 幸村さんは信玄公の横にずっと付き添っていた。
「今しがた忍隊の配下が、魔王が山城の国へ向かったとの情報を得て戻った」
信玄公がふせているところから少し離れた、入り口付近に座っている政宗さん、小十郎さんに猿飛佐助が報告している。
「瀬戸内へ侵攻するべく、定宿の本能寺へ入るつもりなのかもしれない」
「おそらく、罠だろう」 考え込みつつ、小十郎さんが口を開いた。
「織田にとって目下の殲滅対象は、長らく局所的な均衡を保っている毛利と長宗我部よりも、敵対の意思をはっきり示した我々、東方の軍勢だ。
長篠で兵力を削がれたこちらがしばらくは動けないであろうことを見越して、魔王は九州を攻めた。
それは様子見を決め込む南方への奇襲であったと同時に、蹂躙される以外に道はないと、結果として瀬戸内の両雄に知らしめることにもなったはずだ」
「それじゃあ、もし前田の風来坊が双方の大将を説得していたとしても、時すでに遅しってことか」
「事実上、勢力圏内に取り込み、いつでも攻められる状況になった瀬戸内より、甲斐の虎と越後の軍神を欠いた東国をこの機に潰しておくほうが織田には上策と言える」
「なるほどね。こっちへ背中を見せて、まとめておびき寄せるための山城入り、ってわけだ。
たしかに今、徳川も浅井の残党も主君の無念を晴らすべく、討ち死に覚悟で織田とまみえることを望んでいる。
武田も、無論上杉にも、その気運は高まるだろう」
小十郎さんと猿飛佐助の会話を聞きながら、政宗さんは幸村さんを見ていた。
幼い子供のように頼りなく、うちひしがれた横顔。
「曠久の念に駆られて押し寄せた軍勢を一網打尽にする。
分からん策ではない。
だが、これまで正攻法であれ、不意打ちであれ、例外なく相手を一気に潰してきた織田がなぜ大将の謀殺などという手を講じてきたのか」
「長篠で東の連携はやっぱり厄介だと踏んだんじゃないのか」
「それもあるだろう。
だが、なによりこのやり方には戦を、人の心を弄ぼうとする邪念を感じる。
天下を取るべく名乗りを上げた志を、恨みを晴らすための殺意へと貶め、それをあざ笑い、踏みにじろうとするような、このいやらしさは魔王のそれじゃねえ。おそらくは・・・」
「小十郎」
今まで黙っていた政宗さんがふいに口を開いた。
「その罠、乗ってやろうじゃねえか」
「政宗様?」
「そこに魔王がいることに変わりはねえ。
たとえ、姑息な段取りをしやがったのが、あの明智でもな」
「っ!」 小十郎さんに向け、政宗さんは不敵な笑みを見せた。
「野郎の言ってやがった意味が分かったぜ。
その一網打尽にされる軍勢の総大将に、このオレが選ばれたってわけだ。
I’m mad! どこまでもナメてくれやがる。
明智には一度、生殺与奪を握られた。あの落とし前もつけなきゃならねえ」
政宗さんは立ち上がった。
「お待ちください!
織田が痺れを切らせ、個別攻撃に切り替えるまでの時を利用して、態勢を整えるべきかと。
さすれば、瀬戸内に赴いた前田慶次の働き次第で織田を包囲することも」
「武田のオッサンとあのお祭り男の目論見はもう織田に知れちまってる。
囲もうとしてることを分かっている相手を囲んだところで今さらどうにもならねえ」
「ですが、懐へ飛び込むには相手が大きすぎます。慎重を期さねば」
「どうした? 小十郎。
奥州を統べる前からオレたちはずっとそうやってきたはずだぜ。
おまえ、長篠でオレが横腹に鉄砲玉をくらったことを、まるで自分の責任みてえに思ってるようだが・・・
おまえが守るのはオレの背中だろ? you see?」
小十郎さんを見下ろし、ニヤリと笑った。
「政宗様、まさか・・・」
そのとき、小十郎さんは分かったんだろう。
いつもの言葉のなかに隠された意図が。
政宗さんが何を考えていて、そのために小十郎さんに何を望んでいるのか。
「真田幸村、アンタはどうだ?」
政宗さんは信玄公のそばに座ったまま、何の反応も示さない幸村さんに目を向けた。
「オレはアンタが真っ先に飛び出していくもんだとばかり思ってたぜ」
幸村さんは力なく、目をふせた。
「お館様・・・申し訳ございませぬ」 深くうなだれる。
「明智光秀の奇襲に際し、某なんのお役・・・」
「真田の旦那」 猿飛佐助が言葉をさえぎった。
信玄公のそばを離れない幸村さんのところへ歩いていく。
「敵はいつも一番大事なものを狙ってくる。
これまで俺たち武田も、伊達も、そうしてこの戦国をのしあがってきた。
それはお互い様だ。分かってるはずだろ」
いつもの飄々とした様子とは違い、厳しい口調だった。
けれど、幸村さんは力なく言った。
「某、戦場以外で敵を討ったことはござらん。
ましてや、武器を持たぬ民を巻き込むようなやり方で」
「だったら怒ってくれ!
そのままお館様の枕元でうつむいて、織田に潰されるのを待つつもりなのか!?」
猿飛佐助はひざをつき、幸村さんの横顔をのぞきこんだ。
「そうしていたいのはダンナだけじゃないんだぜ!」
「どうしたらよいのか分からぬ。 心細い」
幸村さんは震えていた。震えを押さえつけるように自分の腕をつかむ。
「怖いのだ・・・」
外では雷が鳴っていた。
「・・・うらやましい野郎だぜ」
政宗さんは一言そう呟いて外へ出て行った。
そういえば私の知っている歴史では、政宗さんのお父さんは・・・。
政宗さんには小十郎さんがいるけど、自分より上の立場の、頼れる父親のような存在がいない。
弱さを見せられる相手もなく、一国の主として常に強くあらねばならなかったのだろう。
政宗さんがどんな気持ちで、うらやましいと言ったのかは分からない。けれど、私はそんなふうに思った。
「筆頭! 出陣っすか」
「待ってました!」
庭にいた伊達軍が門へ歩く政宗さんのもとに駆け寄る。
「Break it up」 立ち止まった政宗さんはくちずさむように言ったあと、鋭い口調で告げた。
「奥州伊達軍は本日、只今をもって解散するっ!」
「政宗・・・殿っ?」 思いがけない言葉に幸村さんも思わず振り向いた。
「どこへ行く、独眼竜!」 猿飛佐助が声をかける。
「本能寺に決まってんだろ。
今度こそ、このオレが直々に、魔王の首とらせてもらう!」
「どういうことっすか。筆頭!?」
「俺達も一緒に」
かけよろうとする伊達軍の人たちの前で政宗さんの刀が一閃した。
伊達軍のひとり、良直さんのリーゼントがすぱっと斬られて、空に舞う。
刀を鞘におさめたあと、政宗さんは言った。
「こいつはてめえらと楽しむ party じゃねえ」
「ま、政宗殿っ!」
あわてて、幸村さんが飛び出してきた。
伊達軍の人たちをかばうように政宗さんの前に立って、両腕を広げる。
「な、何をするのでござる!
この者たちは貴殿のために、貴殿と天下を取るまでは死ねぬと、大仏殿の下敷きになっても気力で生き延びた、得がたき家臣たちでござるぞ」
「Ha! てんで説得力がねえな! あっさり死んじまった野郎が何を吠えようがよ。
こいつもただのお飾りってわけだ」
近づいた政宗さんは、幸村さんがいつもひもに通して首にかけている六文銭をつかみとった。
真田家の家紋と同じ六文銭。
「地獄の川の渡り賃、初めてアンタに会ったとき、オレはそう踏んだ。
残念ながら見込み違いだったみてえだな!」
乱暴に突き放して、門へ歩いていく。
「筆頭!」
「追うんじゃねえ!」
「片倉様」
小十郎さんは厳しい表情をしていた。
「政宗様の決められたことだ。
織田は武士の戦とは程遠い、下衆な命の取り合いを仕掛けてきやがった。
武将たちの誇りと尊厳をことごとく踏みにじりやがったあいつらを、織田信長とその手先どもを、もはやひとりの武将として許せねえんだ」
「だ、だからって、ひとりで・・・」
「おめえはどうなんだ、真田幸村」
小十郎さんの言葉に、幸村さんはうつむいた。
「無論、某とて思いは同じ。
されど某には、お館様がすべてなのでござる!
お館様のおられぬ明日など、某にとっては無意味!
もし今おそばを離れ、その間に万一のことあらば・・・」
「甲斐の虎を、見くびるんじゃない」
つかつかと歩いていった小十郎さんは、武田信玄の枕元にいき、ひざまづいた。
「ご無礼いたす」
「あっ!」
布団をめくると、意識がないにもかかわらず、武田信玄のこぶしは固く握られていた。
「何年、甲斐の虎のそばにいる。
明智ごときの不意打ちでくたばるわけねえことぐらい、おめえが一番分かっているはずじゃねえのか、真田」
「っ! お館、さま・・・」
たぶん幸村さんの脳裏には今までの信玄公とのやりとりが浮かんだのだろう。
今まで共にいて教えてもらったこと、熱くこぶしで語り合ったこと、大きな手で頭をなでられたことも。
どこか虚ろだった目に力が戻ってくる。
にぎりしめた両のこぶしを目の前にもってきて、叫んだ。
「お館さまぁっっ!!」
幸村さんは槍を手に駆け出した。
「待たれよ、独眼竜!」
馬の鞍に手を置いている政宗さんが振り向く。
「拙者、同道いたす!」
「Ha! All right」
試すように政宗さんは刀を抜いた。
言葉を並べ立てるよりも刃を交わすほうが、はっきり分かる。
幸村さんの覚悟のほどが、迷いがないのかどうか。
甲高い音を立てて、刃が激しくぶつかった。
ふたりの気迫が天を突く。
「真田幸村、その鋼の牙を、甲斐の虎と研いできた牙を、今こそ立ててみせなっ!」
「某の牙、それ即ち、お館様の教え! すべてこの胸に!」
「上出来だ!」
雨のあがった森のなかを二頭の馬が駆け抜けていく。
「オレとアンタで、この Last party を存分に楽しもうぜ!」
「望むところ! 魔王の首、必ずや我らの手でとってみせましょうぞ!」
ふたりの声が重なった。
「敵は、本能寺にあり!」
<おまけ・・・伊達政宗の英語セリフの訳や意味など。前回までにのせたものは除きます>
I'm mad! ・・・ 頭にくる。(怒り狂う、ぐらいの激しい怒りです)
Break it up ・・・ (パーティは)お開きだ。 直訳は、解散する。
All right ・・・ 上等! 直訳は、分かった。承知した。