「あの馬鹿、どこへ行きやがった!」

「落ち着かれませ、政宗様! 落ちたのは本流ではなく、村に向かう流れ。
 皆が探しておりますれば、ほどなく見つかりましょう」

遠くに聞きなれたやりとりが聞こえた。
小十郎さんは普段どおりに返しているけど、政宗さんのほうは、いつもの皮肉っぽい、余裕の漂う声とは違っていた。
どこか切迫した、いや、単にものすごく怒ってる?
・・・もしかして、政宗さんが言う 「馬鹿」 って、私のことだろうか。
私のせいで、明智光秀をみすみす逃がしたから・・・?

「いたぞー!」
「筆頭! いやしたー!」

まわりに人が集まる気配がした。

「おい」

肩がゆすられる感覚がして、政宗さんの声が聞こえる。
意識はあるんだけど、ずぶぬれになった体も、まぶたも鉛のように重くて、ぴくりとも動かない。
力をふりしぼって、ほとんど吐息に近い、かすれた声だけが、なんとか出た。

「ま、さ・・ ・・・ね・・・さん」

「! 小十郎、オレはこいつを連れて先に戻る」  直後、私の体は抱き上げられ、運ばれていく。

「承知いたしました。 後はお任せを」

これは・・・たぶん抱きかかえられて馬に乗ってるんだ。
揺れているけど、しっかりと腕で支えてくれて、安心する。
なんか幸せな気持ちだな。
凍死する人は、温かく幸せに眠るようにって聞いたことあるけど、こういう感じなのかもしれない。

「こんなとこでくたばるんじゃねえぞ。オレはアンタを・・・」

私の意識は、心地よいまどろみに落ちていった。

 *     *     *     *     *     *     *

意識が戻ったのは、布団の上だった。
今度は目が開いて、手も動く。
ゆっくりと起き上がると、知らせを受けたのか、すぐに小十郎さんがやってきた。

「私・・・助かったんですね」

「ああ」

「すみません。ご迷惑をおかけしました」  深々とおじぎする。

「その言葉は政宗様に言うんだな。
政宗様は下流を探し回り、おまえを見つけると、手ずからここへ運んできてくだすったんだ」

「政宗さんが・・・?」

じゃあ、あれは夢じゃなかったんだ。

「政宗さんにお礼を言ってきます」

「無理だ」  立ち上がろうとした私を小十郎さんは制した。

「政宗様は真田幸村と本能寺へ向かわれた」

「本能寺って、信長を討ちにですか」

「そうだ」   小十郎さんは私の意識がなかった間におこった出来事を話してくれた。

「あの・・・ 政宗さんは怒っていませんでしたか」

あれが夢じゃなかったとしたら、すごい勢いで馬鹿と連呼していたのは私のことだと思う。

「なぜ、そう思う?」

「え、だって、私のせいで明智光秀を逃がしてしまったようなものですし。
 それに、馬鹿って怒鳴っていたような気がするんです」

「確かにな」

「やっぱり」

「だが政宗様がお怒りになられていたのは、おまえのせいで明智に逃げられたからじゃねえ」

小十郎さんは小さく息をついた。

「・・・己の死すら恐れぬ政宗様が、おまえを失うことをあれほど恐れていたとはな」

「え?」   小十郎さんの声はかすかな呟きのようで、よく聞こえなかった。

「いや、なんでもない」

「・・・政宗さん、行ってしまったんですね」

今度は私のほうが、呟くように言った。無意識にため息がこぼれる。
ただ幸村さんと一緒とはいえ、小十郎さんが政宗さんをすんなり行かせたのが意外にも思った。
政宗さんの怪我が完治してはいないのは、小十郎さんも知っているはず。
無茶しなければいいけど・・・。
そんな私の様子をじっと見ていた小十郎さんは、ふいに言葉を切り出した。

「おまえに確認したいことがある」

「なんでしょうか」  うつむいていた顔を上げる。

小十郎さんは真剣な表情をしていた。
いつもとは違う感じに、もうついてくるなと言われるんじゃないかとドキドキしたけど、小十郎さんが口にしたのは意外な言葉だった。

「おまえは、とどまる気はないのか」

「?」

少しの沈黙のあと、小十郎さんは重ねて尋ねた。

「これからも政宗様とともにある気はないのかと聞いている」

「! そんなこと・・・ 急に言われても」

驚きのあまり出した大きな声が、小十郎さんを見上げたあとから、急速に弱く消え入るようになっていく。
小十郎さんの目は真剣そのものだった。笑ってごまかせる雰囲気ではない。
返事に困って、ふたたび視線を手元に落とす。

ここにとどまる・・・そんな選択肢があることすら気がつかなかった。
私はいつか帰る。何の疑問もなくそう信じていたから。
手は無意識に胸元の十字架を握り締めていた。
黙って私を見ていた小十郎さんは、やがてふっと視線を外し、立ち上がった。

「心の枷を外して、自分の気持ちに正面から向き合ってみるんだな」

小十郎さんが出て行ったあと、私は布団の上に座り込んだまま、言われた言葉を反芻していた。
心の枷?
どういう意味だろう。
解散を宣告された伊達軍が集まっている広間に行くと、心配したみんなが集まってきてくれた。

「おお! 具合はどうだ。とんだ災難だったな」

「すみません。ご心配かけて」

「ともかく無事でよかった。でもアレだな、俺は筆頭にも驚いたぜ」

「俺も。片倉様に止められてなきゃ、川に飛び込みそうな勢いだったよな」

「ああ。すげえ勢いで探してたしな」

「そうだったんですか」

小十郎さんが止めてくれて本当に良かった。
まだ怪我が治っていないのに、あんな体で川に飛び込んだら政宗さんのほうがあぶない。

「あんたを見つけるなり、すぐに抱きかかえて馬に乗って行く姿は、くぅー かっこいいぜと思ったね」

「筆頭は何をやってもサマになるぜ。あれぞ苦流ってヤツか」

苦流? Cool のことだろうか。

「筆頭・・・俺は筆頭が天下取るまで生死を共にする覚悟ができてんのに、なんで」  

不意にひとりが涙ぐみ、ぽつりと言った。
みんな同じ気持ちなのだろう。まわりもどよんと暗くなる。
政宗さんは本当に皆に慕われているんだな。

「こうなったら俺らだけでも・・・」

? 急に外が騒がしくなった。
ものものしい音が聞こえてくる。と思ったら、勢いよく障子が開かれ、その先に小十郎さんがいた。

「おめえら! 出陣の用意だ!」

どよめきが起こる。

「片倉、様?」

「なにをぼーっとしてやがる! 早く支度しろ」

「だ、だって、筆頭は・・・ 伊達軍はもう解散だって」

「いいから来い。ふっ、どのみちそのつもりだったんだろうが」

急いで支度を整えて門を出ると、そこにはいくつもの軍勢が集まっていた。
武田、徳川、上杉、浅井・・・ さまざまな旗印が立っている。

「す、すげえ!」
「こいつは・・・ 片倉様?」

小十郎さんは満足げな笑みを浮かべていた。

「思ったとおりの頃合に集まるべきものたちが集まった。
これまでなりを潜めていた連中までもな。
政宗様はおめえらに、また徒党を組むなとは一言もいっちゃいねえ。違うか」

そうか。やっと私にも分かった。
たぶん政宗さんはこうなることを見越してたんだ。
だから小十郎さんに後を任せて、自分は幸村さんと先に本能寺へ向かった。
小十郎さんも政宗さんの考えていたことが分かったから、あえて先に行かせた。
すごいな。二人の信頼関係は。言葉にしなくても分かり合えるんだ。
軍馬にまたがった小十郎さんは、先頭にたち、馬首をめぐらせた。

「目指すは山城の国、本能寺!
政宗様と真田幸村の後詰に向かう。
織田の兵隊どもを残らず蹴散らすぜっ!」

「Yeah!」
「おおーっ!!」

全軍からときの声があがる。
ほら貝が吹き鳴らされ、軍勢はいっせいに動き出した。


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