第1話 戦国時代へ

夢を見た。
私は、はしゃいで、海に面した大きな屋敷の回廊を小走りに抜けていった。
回廊は舞を奉納する大きな舞台へと続いている。

「もっちゃま!」

自分の声に、自分は今、幼い女の子だと分かった。
舞台の上から回廊を振り返って、手を振る。
視線の先には、こちらに向かって歩いてくる男の子がいた。

となりに来た男の子から、海へと目を向ける。
舞台の正面の海には、巨大な鳥居がそびえていた。
太陽の光にきらめく海と荘厳な朱の鳥居。
潮風は心地よく、ほおをなでていた。

「わ(私)はね、この景色が大好きなの」

なんの前触れもなく、目が覚めた。
…すごく綺麗なところだったなぁ。
ついさっきまで目の前に広がっていた鮮やかな光景の余韻に、しばらくぼーっとしていた。
さて、起きなきゃ、このまま二度寝したら遅刻しちゃう。
目が覚めた直後はあんなにはっきり覚えていたのに、5分後には夢の内容をすっかり忘れてしまっていた。
とても美しい景色と誰かと話していたという記憶だけが残っている。

学校に行って、ごく普通の日常が過ぎていく。
刺激はないけれど、平和が一番。
その夜、昨日の夢がよほど印象的だったのか、続きを見た。

「この海の先には何があるのかなあ」

「瀬戸内には賊が在る…ゆめ、足を引かれ…」

結局、その夢は三晩続いた。
続きもののリアルな夢を毎晩みると、どっちが現実だかわからなくなってくる。
まぁ、起きてしばらくしたら、不思議なくらい忘れてしまうんだけど。

波の音で目が覚めた。あたりは薄暗い。

「長曾我部元親、愚かな男よ」

「お前のやり方はわからねえ」

少し離れたところで、ふたりの男の人が対峙していた。
冷たい声と、どこか悲しそうな声。

「フン、馴れ合いをよしとする男に何が分かる」

「寂しい奴だな、毛利。一人ぼっちじゃねえか」

いかつい槍を担いだ眼帯の人が語りかけるように言う。
隻眼は目の前にいる輪刀を構えた男の人を見つめていた。

「…うるさい、だまれ!」

毛利と呼ばれた人は、払いのけるように手を振った。
冷酷だった声に苛立ちが混じる。

「我は貴様とは違う!
 我を理解できる者は、この世に我だけでよい!」

「一度だって寂しいと思ったことはねえのか?
 冷たい顔で取り繕えばそのうち心も凍りつくぜ」

「戯言を言うな…!」

「失っちまったら戻りゃしねえ…分かるはずだ。
 あんたの心はどっか欠けてる。お月さんだっていつかは満ちるってのによ」

「……そのような目で我を見るな!
 我を理解した気になるな……長曾我部元親ッ!!」

言い終わるや否や、地を蹴り、鋭い金属音が鳴り響く。
巨大な輪刀といかつい碇槍が何度も打ち合い、薄闇に火花を散らせていた。

「死んだ野郎共を、俺は決して忘れねえ。俺が死んでもあいつらは俺を覚えている。
 だが…あんたが死んだ後、あんたを思い出す奴は一人もいねえ!」

「なん…だと…?」

長曾我部は碇槍の先を相手を突きつけた。

「どんな策を使っても、あんたはそれしか手に入れられなかった!
 それがあんたの生き方だ! 孤独の魂だ!
 孤独ってのは、死んだ後も続くんだ!
 毛利元就、永遠の孤独の底で、泣いて後悔しやがれ!」

「貴様…! 我を、そのように言うか…ッ!!」

声が震えるほど激昂していた。

「我は何一つ誤っておらぬ! 策も、我が人生の道行きも、全て!」

「そうだろうな。ただそれが、どこまでも虚しいってだけだ!」
 テメエも少しは悔いた方がいいぜ、愚かな自分によ…
 さんざん兵を使い捨てて、後に一体何が残るってんだ?」

「黙れ! 貴様が我を語るなど許さぬ! 貴様の理解など、我は求めぬ!
 綺麗事を語る者の手にこそ、何も残らぬと知れ!」

戦いが激しくなるにつれ、風圧で突風が巻き起こり、身を伏せていないと吹き飛ばされそうになる。
まわりで多くの人たちが戦っているようだけど、巻き込まれるのを恐れてか、近くには誰もいなかった。
ふいに碇槍が弾き飛ばされ、武器を失った眼帯の人が大きくよろめく。

「ちぃ…ッ、あんた…こんなにも、戦えるじゃねえか…
 なのに…なんだって、……卑怯な手を…」

「フン、言ったはずだ。我を理解できるのは、我だけでよいとな…」

輪刀が一閃し、武器を持たない長曾我部が吹っ飛ぶ。

「心など、とうに焼き切ったわ。これが貴様には無い、我の強さよ……
 理解したであろう…長曾我部、この結果が全ての答えよ」

「へ、…へへっ、そうかよ… 俺だって、分かりたくも…ねえ…ぜ……」

「心は動かぬ…未来永劫にだ」 冷酷な声が響く。

「西海の鬼よ、瀬戸海の藻屑と消えるがよい」

だめっ! その男の人に向かって、無意識に私は走り出していた。
普通だったらその場で固まっているか、逃げるはず。そうしなかったのは夢、だから?
倒れた人と、輪刀を持って見下ろすふたりの間に割って入る。

「我を遮るとは… 女、死にたいのか」

頭上から降ってくる冷たい声。
刺すような眼差しは凍り付くほど冷たい。
その視線がふいに迫りくる巨大な刃に変わった。風を切って繰り出された刃が眼前に迫る。

っ!! ぎゅっと閉じた目の先で、刃はぴたりと止まった。
不意に刃がひるがえり、輪刀を持つ人の手元におさまる。

「フン…まあよいわ。無駄な圧勝など不要。
 長曾我部、此度は見逃してやろう」

氷の眼が私に向けられる。

「女、我と共に来い」

長曾我部には目もくれず、私を一瞥すると踵を返した。声には有無を言わさぬ響きがある。
ここで逆らったら今度こそ命はなさそう。

「アニキー!」

振り返ると、部下と思われる人たちが眼帯の人を取り囲んでいた。
長曾我部という人はずいぶん慕われているみたい。
ん? 長曾我部…毛利… 長曾我部君と毛利君? どこかで聞いたような。

「アニキ! 怪我は」

「これくらいなんでもねえ、それより」 隻眼が去っていく私たちを映した。

「何者だ、あいつ。
 毛利を…止めやがった」

仲間に囲まれている長曾我部元親の視線を背後に感じながら、私は毛利と呼ばれた人の後についていった。


自分がどこにいるのか、どこに連れていかれるのかわからないまま、無言で歩いていた。
前を歩く人は、振り向こうともせず先を行く。
逃げようと思えば逃げれたのかもしれないけど、そのときは全然思い浮かばなかった。
ほかに行くところもない。
まわりには鎧をつけた足軽たちが大勢いる。皆、驚いた表情で私を見ていた。
海に出ると、船団が待機していて、ひときわ大きな船、安宅船に乗った。

「女を牢に入れておけ」

「はっ」

えっ? あれ?
私の両腕を足軽が捕らえ、連れていかれる。

「元就様、あの者は?」

そばに控えた武将が恐る恐る尋ねていた。
ちょっとー その答え、私も聞きたいんですけど。

船底の牢でひとりになって、冷静に思い返した。
牢に入れられてはいるけれど、手荒な扱いはされていない。
私を連れてきた足軽たちも戸惑っているようだった。

時計もないし、外も見られないから、どれくらい時間がたったのかわからない。
やがて人の気配がして、足軽たちがやってきた。
船をおりて、足軽たちに囲まれて連れていかれる。
月明りはあるけれど、ここがどこなのかさっぱりわからなかった。
おそろしいほど皆、無言だ。
連れていかれるままに屋敷に入り、お湯で身体を拭いたり、ごはんも食べて、一室にひとりにされた。

ふうっ 緊張がとけて、大きく息をつく。
障子で区切られた部屋だから、見張りがいなければ、簡単に部屋から出ることはできそうだ。
あたりはしんとしている。部屋に明かりはないけれど、月明かりでぼんやりと見ることはできる。
障子に映る人影はない。なるべく音がしないように開けて、廊下に顔を出してみたけれど、誰もいなかった。
屋敷を取り囲むように長い廊下が伸びている。
どうしよう、部屋でおとなしくしているべきだろうか。
でも…迷いつつも廊下を進んでいった。

角を曲がると息をのんだ。
廊下は海に面していて、澄んだ月がのぼっていた。
月と波の照り返しに包まれて、海のなかに巨大な鳥居が幻想的に立っていた。
廊下は鳥居の正面の舞台へと続いている。
まわりに誰もいないことを確認し、静かに歩いていく。
鳥居があるし、たぶんこの舞台で能とか舞をやるんだろう。
ふと視界の端に光がうつった。
ハタキ? に似ているけど、ちょっと違うような。
金属でできているわけではないのに、それがきらきらとしていた。

あらためて周囲を見る。やっぱり誰もいない。
ちょっと迷ったけど、舞台に上がり、近くに行ってみた。
ああ、これ、采幣(さいはい)だ。戦のときに指揮官が振るやつ。
どうして光っているんだろう。好奇心のままに手を伸ばす。
振ってみると、きらきらした光が弾けて、とてもきれい。
采配が描く光の軌跡が美しくて、舞台の上で流れるように動かしてみる。
だんだん楽しくなって、笑みがこぼれたとき、かすかにゴンとにぶい音がした。

?!

はっと向けた視線の先に、廊下の柱にもたれている人影が見えた。
頭に手をやり、月明りの下に出てきたのは、息をのむくらい端正な顔立ちをした男の人だった。

「ふむ…呼吸を忘れておった。合格点をやってもよいな」

この声は…毛利、さん? 
冷たい瞳の印象が強かったのと、大きな兜に目が行って、顔は憶えていなかった。
今は鎧兜を外して、軽装になっている。
こんなに綺麗な人だったんだ。
なんだろう…目が、離せない。

「なにを呆けておる。阿呆か貴様」

思わぬ言葉に耳を疑った。今、何て言った?
現状を把握するまでに数秒かかった。
な、なんなの、この人?! 無礼にも程がある!

「女、その顔で我を睨んだつもりか」

小さく息を吐く。

「貴様ごときと論じる気はない。早々に戻れ」

いうだけ言うと、彼は踵を返し、行ってしまった。

結局、言われたとおり部屋に戻ったものの、思い返すと無性にイライラしてきた。
なにあれ?! 見た目と中身の反比例男め。もう、さっさと寝よ。

翌日、志道と名乗る年配の男の人が迎えにきた。

「これより、元就様のもとに参る。
 元就様は中国の覇権を握るお方。
 おぬしが何者かは存ぜぬが、命が惜しくば、決して逆らってはなりませぬぞ」

中国? ここは日本ではないの? と思ったけど、中国地方のことかとすぐに気づいた。
こくんとうなずく。
あの若さで中国地方を支配しているのか、すごいな。

「元就様、連れてまいりました」

隣でお辞儀する志道さんを真似て、自分も深々と頭を下げる。
すぐに志道さんは下がってしまい、ふたりきりになると、冷たい声が私に告げた。

「面を上げよ」

こういう礼儀を知らないんだけど、たぶん直視したらいけないんだろうな。
頭のなかで時代劇を思い出しながら、顔を上げつつも、目を伏せていた。

「女、出自はどこだ?」

私は静かに首を振った。

「分からぬだと? では、何が使える? 投射か、刃か?」

武器なんて使えない。また首を振る。

「よもや一つの取り柄もなしか。その身で何故戦場に、長曾我部をかばった?」

どうしてだろう? 自分でもわからない。体が勝手に動いていた。
首をひねる私を見て、あきれたように息をはく。

「それも分からぬか。女…」

声があからさまにイラついている。
こわいよー うつむいて縮こまっていると、乱暴に足音が近づいてきた。
蹴られそうな勢いに、身を固くする。
ふいに肩を強くつかまれた。

「どこを見ておる。我の目を見よ!」

顔を上げた途端、目が合った。まっすぐな強い光が私を射る。
その目がふと瞬いた。

「…口がきけぬのか」

うなずいた私を見て、肩をつかむ手がゆるむ。
上座に戻らず、そばに腰を下ろし、じっと私を見た。

・・愚かな…理に拠れば、貴様など懸念する価値もない…
だがなんだ、この感情は…



「………。三月後、祭事にて舞を奉納せよ」

舞? 舞って日本舞踊的な? 頭に伝統芸能として紹介されていた画像が浮かぶ。
無理無理無理ー! とっさに、立ち上がろうとした元就さまの前をふさいで、首をふるふると振る。
舞なんてやったことはおろか、見たこともない。

「師はつけてやる。こちらの舞台も好きに使うがよかろう」

そういう問題ではなくて! 必死で訴える目を氷の眼が一蹴した。

「舞を奉納できぬのであれば、貴様を厳島の海に沈め、日輪への供物としてやるが、それでよいか」

!? 冗談だと思いたいけど、そんな気配は微塵もない。
頭上から冷ややかな声が降り注ぐ。

「女、我に従うことのみを心得よ。それ以外は要らぬ。下がれ」

「どうなされた」

がっくりと肩を落として退室した私のそばに、いつのまにか志道さんが迎えに来ていた。
何かを察したのか、優しく諭すように言う。

「元就様のお心は、もはや誰にも理解できぬ。
 だが、きっと何かお考えがあるのであろう。さ、戻りましょうぞ」

もしかして悪い夢だったかもという淡い期待は裏切られ、翌日、さっそく先生が来た。
それもひとりではない。舞、武芸に、学問、作法の先生が入れ替わり毎日やってきた。
これ、学校よりずっとハードなのですが…
でもこんなところで死ぬなんて冗談じゃない。絶対生き延びて元の世界に帰ってやる。
「結果を出さないと、私も貴方も海の底」を合言葉に、先生と一緒に必死にがんばりました。


しばらく後、毛利元就は舞の師を呼び寄せた。

「首尾はどうだ?」

「率直に申し上げますと、驚きましてございます。
 おそらくは、あの娘…舞の心得があるのではないかと」

「…酉の刻、大舞台に来るよう伝えよ」

「承知いたしました」


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