第2話 厳島にて

はぁ、疲れたー
毎日毎日、舞と武芸で体力を、学問と作法で精神をごりごり削られてもうぐったり。
舞だけで十分なのに、あれもこれもいっぺんに覚えられないよ。
ただ、おかげでここの知識をだいぶ得ることができた。
例えば時間の呼び方。酉の刻は日没あたり。半刻は1時間くらい。
そしてこの島、厳島は安芸の国の一部で、国を治めているのが、私をここへ連れてきた毛利元就という人。
厳島が浮かぶ瀬戸内海の向こう側には長曾我部元親が治める四国がある。
毛利家と長曾我部家は瀬戸内の覇権を事あるごとに争っているらしい。

今日の授業が終わったら、舞台に行くよう言われている。
早めに終わったし、夕日が沈む景色を眺めていよう。

海にそびえる巨大な鳥居を臨む舞台にきた。
夕陽の光にきらめく海と、赤く染まった空にそびえる荘厳な朱の鳥居。
目を細めて見入ってしまう。ここは本当に美しいところだなぁ。

「フン、予期していたより早く済んだな」

この声は・・・。予期しない声の主に顔を向ける。
風に揺れる茶色い髪の下に見え隠れする切れ長の目。すらりとした体躯。
夕暮れを従えているかのような威厳に、やっぱり目を奪われる。

「相も変わらず呆けておるな」

くっ…黙っていれば完璧なのに。
それよりどうしてここにいるんだろう。

元就さまは、舞台の奥に進み、采幣を手に取った。
昨日の夜、私が手にしていたものだ。
でも昨日みたいに光ってはいなかった。

っ!? 彼が采幣を振るうと、房の部分が炎に包まれた。
繰り出した炎を意のままに操っている。振るうのをやめると、炎はおさまった。
采幣に焼けたあとはない。
すごい…まるで手品でも見ているみたい。

「やってみよ」

目を丸くしている私に采幣がつき出される。
受け取ったものの、何をどうすれば…
助けを求めて、ちらっと伺った視線は見事に無視された。
もたもたしていると怒られそう。
よくわからないけど、両手で持って神主さんがお祓いしているように振ってみる。

え、なにこれ? 振るたびに、小さな光の粒がはじけている。

「………………」

切れ長の瞳に光の粒が反射している。

うーん…
適当に振って光が出たものの、このあとどうすれば。
あの人みたいに、これを扱う術を知らない。
いつしかすっかり日は沈み、月が昇っていた。

「剣舞は習っていような」

うなづく。
この采幣を剣に見立てろってことかな。
舞台の中央に進み出た元就さまの手には、いつのまにか一対の曲刀があった。
柄に房飾りがついているから、儀礼用なのかな。
手にした曲刀に目をやっていた元就さまがぽつりと言った。

「ともに踊るか」

っ?!

こちらを見たと思った瞬間、刃が目の前に迫り、頭上から振り下ろされる。
反射的に受け止めると、逆の手の剣が脇腹を切りつけた。
とっさに床を蹴ってぎりぎり躱す。

「フン…なかなかの目だ」

切っ先に触れた服がすぱっと裂けて垂れ下がった。本物の刀?!
思わず元就さまを見ようとしたけど、すぐさま刃が繰り出され、顔を見る余裕もない。

満月の光に刃が煌めき、舞うように双刀が襲ってくる。
はたから見たら、美しい剣舞なのかもしれない。
でもこっちは必死だ。気を抜いたら殺されかねない。
それくらい、剣筋にためらいはなく、切っ先は確実に私を狙っていた。
攻撃を躱し、受け流し、集中して…
いつしか采幣の光は増し、流れうねっていた。

「頃合いか…」

つと、元就さまは距離を置き、刀を持つ手を下ろした。
あんなに動いたのに、涼しい顔で息ひとつ乱してはいない。

「女、采幣を預ける。奉納舞までに使えるようにせよ」

元就さまの姿が見えなくなると、私はその場にへたりこんだ。
し、死ぬかと思った。
舞というより、剣の稽古だよ。
攻撃を防ぐのに精一杯で、反撃する余裕なんて全然なかった。
まだ息が荒い。

采幣は、あれほど刀の攻撃を受け止めたにもかかわらず、傷一つ付いていなかった。
さっきは火を噴いていたし、これって、ものすごいマジックアイテムなのでは。
明日、舞の先生に聞いてみよう。

「その採物は、もしや元就様の…」

采幣を見るなり、先生が言う。
何も知らない様子を悟ったのか、続けて説明してくれた。

「元就様は優れた舞手でもあられるのです。
 以前、その采幣で舞われていたのを見たことがありますが…
 あの舞は本当に素晴らしいものでした」

先生は少しもの悲しげに、遠くを見るような目をした。

「当主となられてからは、人前で舞われることはなくなってしまいましたが、
 ぜひまた拝見したいものです」

へえ〜 
そういえば最初に輪刀で長曾我部という人と戦っていたときも舞うような優雅な動きだった。
リボンとか、輪とか、新体操が得意そう。

「さ、元就様のご期待に沿うためにも、いっそう修練に励みましょう!」

あー やっぱりそうなるよね。
でも確かに、目の前であんなのを見せられたらやる気を出さないわけにはいかないな。
・・・自主練するかー
ここには舞台が複数ある。
人目につかないよう、端の小さめの舞台で練習することにした。
ここなら昼でも人がくることはほとんどない。
見守ってくれるのは、空と海と朱の鳥居。その風景とともにいれるのが、すごく贅沢な気がした。

「なんだ貴様…いたのか」

誰も来ないと思っていただけに、びっくりした。
・・・このあたたかみの欠片もない声は。
振り向くまでもなく、声の主が誰だかわかる。
手をついて、元就さまに恭しくお辞儀をした。
最近習った礼儀作法がさっそく役に立つ。

「我を怖れるか? ならばそれでよい。所詮は誰も、信用ならぬ」

予想外の言葉に思わず顔を上げた。

「容易く他者を信じれば、即寝首を掻かれよう。
 そなたは我が駒… 上手く動けばそれで良い」

ふいと向きを変えて行ってしまった。
もしかして驚いたのを誤解されたかな。
あの人は、たぶん誰も信用していないんだろうな。
そう思うと、なぜか悲しい気持ちになった。

本州に住んでいる元就さまは頻繁に厳島に来ているようで、たびたび見かけた。

勉強と稽古に明け暮れる日々が続く。
うーん、風邪引いたかな。
少し熱っぽい気がする。自主練終わったら、早く寝よ。
練習を始めたものの、だるい。少し休憩するか。

「…巫女!」
額への冷たい感覚に目を開けようとしたけれど、とても瞼が重い。
なんだかふわふわする。浮遊感に身をゆだねるように私は意識を手放した。

目が覚めたとき、外は明るかった。
熱っぽさも消え、気分すっきり。
起き上がると、首に布に包んだネギが巻いてあるのに気がついた。

「失礼いたします」

使用人が入ってくる。
私が起きているのを見ると、具合を確認して、しばらくして食事を運んできてくれた。
薬草粥なのかな。緑色でちょっと苦みがあるけど、おいしかった。

「日輪粥は苦手な方も多いのですが、お口に合って良かったです。
 昨日、毛利様が貴方様を抱きかかえてこられたときは驚きました。
 お医者様の見立てでは、風邪と疲れによるものだとか。気がつかず申し訳ありません」

いやいや、こちらこそ。頭を下げる相手の動きを手で制しつつ、首を振る。
そうか、昨日、舞の練習をしていたときに気を失ったのか。
元就さまが運んできてくれたのか。
…正直、意外だったけど、お礼を言わないと。
さっそく、紙にお礼の言葉を書いたのを手にして、部屋から出た。

ここは人はあまりいないけれど、人ひとりを探すには広すぎる。
そもそも今、来ているのかな。
女中さんに確認しておけばよかったと後悔しつつ、とりあえず一周してみることにした。

…おかしいな。元気になったと思ったのに、足に力が入らない。
少し休憩しよう。近くの舞台の端に座り込む。
潮の香りを運ぶ風が頬をなでる。ここは本当に綺麗なところだなあ。
風景を眺めていると、神話の世界に迷い込んだ気持ちになる。

「女?」 聞き慣れた声がする。

元就さまの一瞬またたいた目は、私を認めるなり、厳しい眼差しに変わった。

「貴様は馬鹿か? 死にたいなら止めはせん。
 己が葬送の舞を舞うがいい。黄泉の入り口でひしがれておれ」

…そこまで言わなくたっていいじゃない。
紙を渡したら、すぐ戻るつもりだったし。って、あれ? 紙が無い。
何かを探している様子を見て、頭上からため息がこぼれる。

「呆れてものも言えぬ。恥を知るがよいわ。
 …明日、貴様の部屋に寄る。用向きがあらば、そのときにせよ」

いや、ちょっと待って!
慌てて元就さまの前に立って、首を振る。
お礼の言葉を書いた紙を渡すだけなのに、わざわざ寄ってもらうほどのことじゃない。
というか、それだけのために呼んだら、殺されそう。

「邪魔をするな、我は忙しい。
 よもや、また我に貴様を運ばせるつもりではあるまいな」

え? 思わずお姫様抱っこされた姿を想像して、一瞬で顔が熱くなる。
落ち着け私。頬を押さえてうつむいた私の横を、元就さまは、すっと通り過ぎて行った。

いやいや、あの人のことだから、服を掴んで引きずったとか…
悶々と考えながら廊下を歩いていると、途中で使用人が急ぎ足で迎えに来てくれたのに行き会った。

「探しましたよ! 数日は安静にと言われています。出歩くのはお控えください」

うつむいたまま、うなずく。確かに軽率だったかも。

「また熱が出たんじゃないですか。顔が赤いですよ」

いや、これは…そうか、風邪のせいかもしれない。
手紙を書けば良いのでは?
部屋に戻り、横になったあと、ふと思いついた。
さっそく布団から抜け出して、筆を手に取る。

…予想はしていたけど、我ながら字が下手。
習字なんて書初め以来やってないよ。
なるべく簡潔に、ていねいな字で書いていく。
お礼とお詫びと、用件は済みましたので、ご足労いただくには及びません、と。
よし、できた。部屋にやってきた女中さんに元就さまに渡してくれるよう頼んで一安心。
今度こそ寝よう。

ここは…痛ましい光景に顔を背ける。
目の前に広がるのはおびただしい数の兵の死体。
海に浮かぶ朱の鳥居…ここは厳島?

「命を絶て。貴様が消えても毛利は滅びぬ」

感情を押し殺した声が敗軍の将に向けられる。
元就さま…?
放った言葉とはうらはらに、目の奥にゆらめくのは深い悲しみ。
かつて賑やかだった広大な館に今はひとり。
・・所詮、誰も信用ならぬ。
深く刻まれたその思いに心が痛くて、手を差し伸べずにはいられなかった。

泣かないで…

「…泣いておるのは、そなたであろう」

彼の指先が頬に触れる。あたたかな感触にまた涙があふれ出た。

目が覚めたのは、昼も過ぎたあたりだった。
なんか目が腫れぼったいな。
顔を洗って、食事をして、これからどうしよう。
部屋から出れないし、本を読む気にもなれないし。
あれは・・・部屋の隅にある碁盤と囲碁の石に目が留まった。
碁盤は厚みがあって、足もついているずいぶんと高そうなもの。
碁盤の前に正座し、パチンと鳴らして石を置いたりすると、プロみたいな気分になる。
とはいえ、ルールすら知らないので、ひとり五目並べでもやってみることにした。

「入るぞ」

え? 元就さま?!

「怪訝な顔をしているな…どうした? 昨日申したであろう」

手紙は…と疑問がよぎったけれど、はっと気づいて、平伏する。

「碁を嗜むのか、いや、これは何ぞ」

碁盤の石の並びを見ている。
身振り手振りで五目並べを説明して、やってみようと誘ってみた。

「我に知で挑まんとするか… 身の程知らずめ。
 ………一局、それで全てを示してやろう」

冷たく断られるかと思ったけど、意外にも承諾してくれた。
頭脳ゲームが得意そうだもんね。

「話にならぬ。
 貴様は馬鹿か? その頭は何のためにある」

つ、強い…
予想はしていたけど、初めてとは思えない強さ。
有利な先攻なのにあっさり負けた。
囮に気をとられて、リーチがかかっている別の場所を見逃してしまったのが悔やまれる。

「すべては我が策の内…それがわからぬか。
 策士とは、策を打ったと気づかれぬように打つものよ」

勝ち誇った声に、ぐうの音も出ない。
けれど、五目並べが久しぶりだったのと、正直油断していた。
次はこうはいかない。きっと顔を上げ、再戦を要求する。

「よかろう。好きなようにあがいてみせよ」
 
よし、今度は油断しないぞ。盤面全体を見て…うーん
盤面を前に、懸命に考え込む私を映す目がわずかに細められた。

「ふむ、なかなかの攻め口だ。貴様の智、少しは認めよう…
 だが全て計算の上」

結局、2戦目も負けました。

「考えることはひとつ。いかに欺くか、だ。
 智を宿すことは毒でもある…並の者では耐えぬ」

元就さまは席を立った。

「女、これより我の前では面を上げることを許可する」

そう言い残し部屋を出て行った。
? 平伏しなくていいってこと?

数日後、医者のお墨付きをもらって、練習を再開することができた。
祭事までもう日がない。休んでいたこともあって、気合が入る。

あ、元就さまだ。

自主練のときに、元就さまをよく見かける。
いつもどこに行くんだろう。
元就さまは、ふいに立ち止まり、小さくため息をついた。

「女、無為に突っ立っておるなら、来るがいい」

背後から興味深げに目で追っていたのに気づいていたらしい。
小走りに舞台をおり、元就さまに駆け寄る。
鳥居に向かう回廊を後ろに付き従って歩いて行った。

「我は日輪を奉ずる。無論、貴様もそうあるがよい」

海に張り出した舞台に立つと、巨大な朱の鳥居の上に昇る太陽に向かって両手を差し伸ばした。

「日輪よ…… 我が厳島に…安芸に永遠の平穏を」

あれ? 目をしばたたかせた。
今、元就さまが神々しく…心がとても純粋で綺麗に見えた。

そして、祭事の日。
舞は緊張したけど、力は出し切れた、と思う。

「これは見事な…」
「まさに。飛天もかくやと思われまするな」
「さすが元就様…」

「毛利の威光をしめす働き、見事である」

形式的とはいえ、直接お褒めの言葉をもらうことができた。
良かった。これで海に沈められることはなくなったよね。
あとは元の世界に帰る方法を見つけるだけ。


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