第3話 襲来
「祭りで浮かれている今こそ、あの賢い頭が乗った首を落す好機…クックック」
舞台も無事終わったし、着替えてお祭りを見に行こうかな。
ん? チカッと山の方で何かが光ったのが視界に入った。
あの山に光を反射するものなんてあったっけ。
妙に気になって、そのまま人の少ない裏側から外に出た。
山の方へ歩いていく。
「おや…おやおやおや! これは舞姫殿、よいときに会えました」
? 初対面…だよね。目の前の人をじっと見つめた。
大仰に両手を広げたのは、長身の男の人。
長い髪を無造作に垂らし、色白で、どこか儚げな美しい容貌をしている。
けれど、棘のついた肩当と、背にある巨大な一対の武器が、彼が武人であることを物語っていた。
一度会ったら忘れなさそうな人だ。
「この桜舞がうずいて仕方ありません。貴女の舞で鎮めていただけますか」
背から死神の鎌のような武器を手に取り、ゆらりと立つ。
蛇のような目が私を捕らえ、何の前触れも躊躇もなく、鎌が振り下ろされた。
くっ、とっさに采幣で薙ぎ払う。
「お見事! 護身術の一つも身に付けておくものですね、ククク…」
驚きの表情はすぐに顔を歪めたような笑みに変わった。
ゆらめくような独特な身のこなしで、一対の武器を無造作に振り回す。
元就さまの剣舞で鍛えられたおかげで、なんとか反応できているけど、これは…マズい。
リーチが長いうえに一撃が重い。
このままでは確実にやられる。
後ろに大きく飛びのいた勢いのまま、走り出した。
「…前菜にもなりませんね。
お逃げなさい…あなたを追うのは死ですよ」
無防備すぎた。
今さらながら、自分の迂闊さに後悔する。
中国の覇権を握る毛利家が治める安芸の国といっても、戦乱の世。
戦のない現代とは違うのに。
「さあ、あがいてみせてください。獲物を追い詰めるのは実に愉しい」
見逃してはくれなさそうだ。このままでは、追いつかれる。
「ふう、のどが渇きましたね… そろそろご馳走としましょうか。
顔を見ながら斬るか…いや、背中からにするか」
声が近くなっている。息が、苦しい。もう足が…
「いただきましょうか、血と涙を」
声がすぐ背後まで迫っている。そのとき、
「壁(へき)!」
聞き慣れた声と同時に、緑色の光が広がったあと、パリンと砕けるような音がした。
「女、我が盤上に無き行動は慎め」
元就さま! 最後の力を振り絞って駆ける。
無事に毛利軍のなかに逃げ切ったのを確認すると、元就さまは冷ややかな目を男へ向けた。
「餓鬼道に堕ちたる貴様が何用か」
立ち止まっていた男は薄く微笑んだ。
「深紅に染まる海が見たくなりました。
貴方も、ご一緒にいかがですか?」
「戯言を…これから獲物を釣る時よ」
元就さまが合図をすると、背後にずらりと並んだ弓兵がいっせいに矢を番えた。
どういうこと? 荒い息のなか、その様子を見上げる。
元就さまもさっきまで礼服で祭りの場にいたはずなのに。
今は鎧兜を身に付け、輪刀も携えている。
まるで攻めてくることを予期していたかのような…
「ククク、これはこれは… さすがは毛利元就…といったところですか。
これは一刻も早く潰しておく必要がありそうですね」
「…フン、元より獲物は貴様よ、明智光秀」
明智光秀? 織田信長に仕える武将の?
改めて明智という人を見る。
圧倒的不利な状況なのにまったく動じていない。
血色のない唇の端が不敵に釣り上げる。
「おお怖い…殺されてしまいそうですね、私」
「我が策はすべて見通す。貴様程度には見切れぬわ。
この海で果てるがよい」
表情も変えずに言い切る元就さまを、狂気を孕んだ瞳が品定めするかのように見つめた。
「愉しめそうですね…とても。
端正なお姿、どこから刻んでみましょうか…」
「下衆が…恐怖に屈する我と思うてか」
明智光秀が地を蹴って仕掛ける。激しく打ち合う金属音が響いた。
すさまじい応酬に固唾をのんで見守る。
「ここはいい場所ですね…土産でも持ち帰りたい」
「海の底にて塩水でも飲むがよかろう」
まわりが手を出せないほど熾烈な戦いを繰り広げているのに、ふたりとも道端で出会った人のように話している。
「つれないですね。
ではまた出直すと致しましょう」
「貴様を逃すなど、我が策の上にはない!」
「ククク…癒してください、この魂の渇きを! ハハハ!」
「なにっ?!」
振り回した鎌から無数の真空の刃が放たれ、元就さまだけではなく、背後の毛利軍にも襲い掛かる。
日輪よ! 無意識に私は采幣を振っていた。
五賊の倶に日ぞ在る!
采幣から薄い光のベールがたなびき、毛利軍の前に広がっていく。
っ! 不意に肩に鋭い痛みを覚え、身体ごと後ろに吹っ飛ばされた。
遠くなる視界に血飛沫が上がるのが見えた。体が冷たくなっていく。
「これですよ、この血飛沫の色! 私が飢えていた朱の色!
出来のいい芝居を特等席で見る気分ですよ」
鮮血を見た明智光秀の目に狂気の色が広がっていく。
「潮と血の混じり合ったこの香り…ハハハ! 愉しすぎて気を失いそうです!
さあ、急がないと大変なことになりますよ! 貴方も命は惜しいでしょう?」
「おのれ・・・愚劣な!」
「お名残り惜しいですが、本日はこれにて。クックック…」
暗くなる世界に声だけが聞こえていた。
目が覚めたのは、見慣れた部屋だった。
何気なく体を動かした途端、肩に激痛が走る。
そうだ、明智光秀にやられたんだった。ぼんやりと思い出す。
「お目覚めになられましたか。具合はいかがですか」
使用人の心配げな声に、安心させるように微笑んで見せる。
「急所は外れていたのが不幸中の幸いでした」
不意に真面目な顔になり、彼女は手をついて深々と頭を下げた。
「毛利軍に死者が出なかったのは、ひとえに神子さまのご加護のおかげ。
兵の中には私の身内もおりました。感謝いたします」
みこ?
「あ、お目覚めになられたことをお知らせしなくては。失礼いたします」
足早に出ていってしまった。
翌日、志道さんが訪ねてきた。
元就さまのところに挨拶に行ったとき以来…いや、舞の席で元就さまの近くにいたっけ。
部屋に入るなり、志道さんも手をつき、深々と頭を下げる。
「神子殿にお見舞い申し上げまする」
不思議そうな顔を見て悟ったのか、言葉を続けた。
「明智光秀の凶刃より、我らを守ったあの御業こそ、日輪の神子の証。
日巫女様の再来と皆、口を揃えて申しております」
んー 元就さまを真似て、采幣を振った気がするけど、すぐやられちゃったし。
元就さまが何かやったのを勘違いしてるのかな。
それより日巫女様って…
「日巫女様は、日輪の奇跡を宿せしお方と聞き及んでおります」
入り口近くに控えている使用人がうんうんとうなずく。
「実際に会われたことがあるのは、元就様のみでござりますれば、詳しいことは分かりませぬ」
え、そんなに最近の人なの?
邪馬台国の女王、卑弥呼のことだと思っていたけど、違うっぽい。
その人は今どうしているんですか。
手近にあった紙にそう書くと、彼は表情を曇らせた。
ためらうように口を開く。
「毛利家の家督争いに巻き込まれ、亡くなられました。
申し訳ありませぬ。療養中の御身に対して、不吉な言葉を。
ともあれ、ご快復の由、元就様がお知りになれば、きっとお喜びになるでしょう」
元就さまが喜ぶ…うーん、それはどうだろう。
正直、想像できない。
「元就様はご不在なれど、戻りましたらお会いできましょうぞ。
神子殿のご様子は、某が確かにお伝えいたしまする。ではこれにて御免」
元就さまはどこかに出かけているのかな。
聞きたいと思ったけれど、様子の確認が目的だったのか、早々に帰ってしまった。