第4話 排除

「これを機に、明智軍を討つ!
 皆の者、東へと歩を進めよ!」

元就の号令のもと、毛利軍が明智光秀を追って動き出した。
京近くまで退いた明智光秀も軍を整え、すでに山の中腹に陣を敷いている。
毛利軍はふもとに陣を構え、機を伺っていた。

「志道殿が到着されました」

本陣に響く声と同時に馬を降りた志道が足早に陣内に入り、奥の床几に座す主の前に片膝をついた。

「元就様、ただいま参じました」

「それで?」 表情を変えず、短く問う。

「…今は目を覚まされ、順調に回復されているご様子。
 ごのことを知れば、兵の士気も上がりましょうぞ」

厳島にいる神子の事だと知り、まわりの武将から安堵の声がもれる。

「…これより明智を攻める。
 布陣している軍のなかに明智はおらぬ・・・今のうちに山頂を取れ」

「はっ」

準備が整った毛利軍の前に姿を見せた元就は片腕を天をかざし、高らかに告げた。

「進め、天津日(あまつひ)の徒(ともがら)どもよ! 日輪の加護は我らにあり!」

「おーっ!!」

兵たちがいっせいに動き出す。
統率の取れた動きに毛利軍の練度の高さが伺える。
その様子を見やりながら、元就は小さくつぶやいた。

「フン…我が兵を懐柔したか。小癪な女だ」


同じころ、明智軍にも動きがあった。
一時、軍を離れていた明智光秀が毛利軍とは反対側のふもとに戻っていた。
毛利軍が動き出したのを知り、唇の端に笑みが浮かぶ。

「あぁ、数多くの悲鳴が聞こえます…ククク
 宴ですね…さあ、楽しみましょうか」

「クソッ! 明智が出てきたか!」

「皆さん、もっと頑張って殺してください」

中腹あたりで交戦中の味方を応援しつつ、無造作に鎌を振り回す。

「うわあ! 光秀様、俺は明智軍ですってば!」

「光秀様、敵だけを倒してください!」

敵だけでなく、味方の悲鳴も入り混じる。

「明智様って信長様とは別の意味で怖えよ…」
「拙者、蛇ににらまれた蛙の気分でござる」
「光秀様に殺されるよりは…ましか…」

自軍の将におびえるのは明智軍だけではない。

「元就様の策の為、我らも朽ちるしかないのか…」
「我らはただの捨石なのだ… 元就様によって軍(いくさ)の庭を動かされる、な」
「貴様には分からぬのだ… あの冷酷な目が如何に我らを凍えさせるかを。
 我らを黙らせるのはあの氷の眼よ…」

「…ふむ、実に興味深い。
 悪い主に仕えたのですね…かわいそうに」

明智光秀は憐れむような目を兵たちに向けた。

「挫けてはなりませんよ・・・最後までね」


「ご報告! 明智光秀、山頂を目指し移動開始!」

伝令が毛利軍本陣に駆け込んでくる。

「我ら、劣勢です! 明智軍は命を惜しんでおりませぬ!」

「なんたる無様な…使えぬ者どもめ…」

突き放すような眼差しが伝令を射すくめる。

「何があろうと退くことは許さぬ。命に代えても突破せよ!
 死して当然…それだけの覚悟で臨め」

「はっ…了解いたしました…」

戦場の熱が増したか…煩わしい。
小さく息を吐いた。
戦場は性に合わぬ。血なまぐさい勝利など、駒を動かして得るに限る。

「兵など所詮捨て駒よ」

我が導くのは国。その為には、人の犠牲など物の数に非ず。
凡愚どもとは、課せられし責の重さが違うのだ。
国を導けば、自ずと人も導かれる…それが真理。
戦に犠牲はつきもの。歩を失い、涙を零す棋士など居らぬ。
だが…

「我に、迷いがあると?」

・・ちっ…忌々しい女め。

「よいわ…ならばこの我みずからが軍を動かし、安芸の平穏を乱さんとする不届き者を始末するまで…」

元就は立ち上がった。

「我が出る!」

本陣を出た元就は輪刀を高く掲げ、集まる兵に高らかに叫んだ。

「勝利への道筋は我が行く先にあり!
 ゆけ! 参(からすき)の御旗を掲げよ!」

「おおーっ!」

大将の出陣に毛利軍の士気が上がる。

「貴様らなど雑魚の群れよ!
 どけ、早々に道を開けるがよい」

輪刀が舞うとともに、明智軍が押し戻されていく。
またたくまに前線へと攻めのぼっていった。

「何をしておる。進め、恐れなど抱くでない」

「元就様が!? まさか…信じられねえ!」

苦戦を強いられている前線の兵が目を見開いた。
諦めの色を浮かべていた兵たちの表情に力強さが戻っていく。

「我らは駒… されど戦の勝敗を決める礎の一つよ」

「生きて帰りたければ、前に進め! 見事盤上を動いて見せよ。
 遅れをとった者は斬り捨てる!」

「おーっ!」

自らも容赦なく敵を払っていく姿は、明智軍を威圧するのに十分だった。
元就が目を向けただけで明智軍の兵たちはたじろぐ。

「なんて冷たい目だ…寒気がする…」

「あんたも同じだ…光秀様みたいに…恐ろしい」

「おやおや…怖いお方ですね。
 お見事! 門を抜きましたか」

明智光秀が突破された門の方を振り返る。

「勢いをゆるめるな、そのまま攻め続けよ!
 …すべては毛利の地を守るため」

「なるほど…ククク…面白い方だ」

「は、早い! もうこんな所に…!」

勢いにのった毛利軍に、明智軍は完全に押されていた。

「毛利軍が強弓、その身で知るがよい!」

明智光秀が行った道とは違うルートで山頂を目指す。
頂上は間近だ。明智光秀の姿はない。

「山頂は我が軍がいただいた!」

毛利の家紋が入った旗印が山頂にはためく。
明智光秀はじきに姿を現すはず。
兵の歓声には無関心に、元就は思考を巡らせていた。

・・あまたの手駒を失ったか… だがかまわぬ…代わりはいくらでも居る。
 これも策のうちよ、精々疲弊するがいい…

勝つためには手段を選ばない冷酷な策略家として、元就は名を馳せているが、
その智略を支えているのは、戦局全体を冷静に見極めることができる視野の広さ。
情報を集め、常に盤上を俯瞰するかのように戦況を把握できる力は天賦の才と言ってもよいだろう。

突然、一角がざわめき、弓矢の音が聞こえた直後、複数の断末魔の叫びが響く。
次々と射かけられる矢を羽虫をはらうが如くいなし、長い髪をなびかせて、次々と弓兵を鎌の餌食にしていく様は白い死神が降り立ったようだった。

「ついに現れたか…! 我らでは勝ち目なし」

ここまで近づかれてしまうと、味方を巻き込む矢は使えない。
遠巻きに身構える毛利軍の兵などまるで気にせず、明智光秀は悠然と歩いていた。

「これはこれは、すばらしい!
 ここで宴を開きましょうか」

「貴様の蹂躙、許すまいぞ…!」

明智の方へ向き直った元就の口調は静かだが、声には怒気がこもっている。

「私を斬りに来たのですか? それとも斬られに?
 フフフフフ お分かりですか、この予感。かつてない戦いができそうです。
 私、明智光秀、信長公の御為に」

敵に囲まれながらもまったく動じず、優雅に腰を折り、頭を垂れる。
それが逆に底知れぬ恐ろしさを感じさせる。

「なるほど…駒では相手にならぬらしい。我がつぶす!
 采配は謀のみに非ず…我が武、とくと見よ」

輪刀を構えた。

「クックック…ああ、待っていましたよ。あなたに真っ赤な死に化粧を施す、この瞬間を!
 もっともっと血が欲しい…貴方の血を下さい!」

両手の鎌をゆらめかせ、襲い掛かる。
甲高い金属音とともに攻撃を弾いた輪刀が半円の形に分離し、2本の曲刀が流れるように反撃に転じる。

「貴様から漂うは腐臭のみ。餓鬼道にて永遠に這い続けるがよい!」

「ククク、冷たいですね、相手をしてくださいよ!
 貴方には血も涙もない… 何も持っていない…そうでしょう?」

「我に心は要らぬ…我の理解など求めぬ…
 伽藍洞の我だからこそすべてを見知れたのだ」

激しい打ち合いが続く。
両者の力はほぼ互角。
互いに無傷ではなく、相手に手傷を負わせている。

「ああ、痛い痛い… ひどいことをしますね。貴方も同じように苦しめてあげますよ。
 貴方は何をしにここまで来たのです?」

「知れたこと…我が計により貴様を排除するためよ」

「策、ね…ククク…アッハッハッハッハ!」

「貴様…何がおかしい!」

「…策だなんだと…取りつくろうのはやめましょう
 結局、貴方は私と同じ…ただ流れる血が見たいだけ!
 さあ、その心をさらけだし、私と共に微笑みあいましょう」

明智光秀が……笑っている…!
遠巻きに戦いを見守る兵たちは、血に酔ったかのような残酷な笑みにぞっとした。

「私はただ愉しみたいだけ…より多くの血の味をね。
 悪くない…悪くないですよ。貴方のとりすました顔を斬り刻みたい!」

「戯れ言を…生きて帰れると思うな」

「とぼけても無駄ですよ…貴方と私、一皮剥けば同じ色の腸がのたうち回っている…ククク!」

話しながらも激しい攻防が止むことはない。

「取り繕うのはやめましょう。
 貴方は私と同じ…そう、ただ血が見たいだけ!。
 実に残念ですよ せっかくお友達になれると思ったのですがね」

「我を愚弄するか、下衆が…貴様との馴れ合いなどいらぬ!」

「おやおや寂しいお方だ、一人ぼっちですか」

見透かしたように明智光秀は言った。

「氷の面で取り繕っても腹の色までは隠せない…ククククク…アーッハッハッハッハ!
 己を隠すのは苦しいでしょう? 欲望に素直になればとても楽になりますよ」

「言わせておけば…いい気になりおって!
 貴様ごときが我が歩んだ道を覆せはせぬ」

「苦しむ人を見るのはとても愉しい…! だから貴方を、ゆっくり眺めるとしましょう!」

「我を侮辱するとは…貴様…!」

「ククク…仮面を外してあげましょう。貴方の苦悶の顔が見てみたい!」

「貴様のような下賤の者が…我が聖地を…!」

「どうしました? 端正な顔が引きつっていますよ。
 もっと必死になってください! 身がちぎれ、もだえる程に!」

激高している元就とは対照的に、明智光秀は愉しそうに雄弁に語りかける。

「貴方の爪先から伸びるのは血塗られた道です。その道のりは、実に気持ちが良さそうだ。
 貴方の血は冷たそうだ。今から私が確かめてあげましょう」

「ほざけ…貴様如きに嘲られる謂れなどないわ」

輪刀が光を帯びた。

「消えよ、貴様の顔など飽いたわ!
 参(からすき)の星よ、我が紋よ!」

すさまじい連続攻撃が明智光秀に叩き込まれ、掲げられた輪刀がいっそうまばゆい光を放った。

「日輪に捧げ奉らん」

「ク、クククク…ここまでですね。
 死ぬのも悪くはありませんが、私にはまだ、やり残したことがあります…」

腹部を押さえた明智光秀は鎌を引きずり、切り立った崖の淵まで後ずさった。

「では、これにて。とても愉しい日でした…クックック…」

こちらを向いたまま、背後の崖へ倒れこむように姿を消した。
明智光秀がさっきまでいた崖の上には虚空だけが残っている。

「元就様、けがしてるぞ…大丈夫かな」

見守っている兵がささやく。

「耐えよ…これしきの傷、どうとでもなる」

元就はうつむき加減に、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
顔には出さないが、負った傷は浅くはないのかもしれない。

「手駒の血で大地をしとどに濡らそうとも…我が一手にて追い詰めるのみ…」

き、と顔を上げ、日を睨む険しい表情には覚悟の色が浮かんでいた。


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