第9話 花火

「神子殿?」

見送りから戻ってきた毛利の人たちと入れ違いで部屋を出た。
どんどん足早になっていき、そのまま外に飛び出して、壁に寄りかかり口を押えてうつむく。

・・び、びっくりしたー

頬をつついていたら、元就さまが目を覚ました。
たぶん寝ぼけていたんだと思う。
聞き取れなかったけれど、誰かの名を呼んでいた。

元就さまは基本的に人の名前を呼ばない。
他人に興味がないのが一番の理由だろうけれど、もしかしたら意図的にそうしているのかもしれない。
名前を呼ぶと愛着を持ってしまう。それは国を守るための非情な判断を鈍らせてしまうから。
誰と勘違いしたんだろう、名を呼ぶばかりか、あんなに穏やかな微笑みを向ける人がいたなんて…
ちくりと胸が痛んだ。

…………。

目を覚ましたことだし、消化の良いものを作ろう。
さっそく借りることができた台所の一隅で腕まくりをする。
以前食べた日輪粥の記憶を辿る。
お米に大根に緑のものに…塩で味を整えて、早く回復するように言の葉も込めて。
作っている間に心も落ち着いてきた。
だいじょうぶ。何もなかったことにしよう。

一人用の鍋を手に戻ると部屋がやけに騒がしい。廊下まで声が聞こえてくる。

「…ザ、ビ…何だと? 待て、貴様…今、何と言った?
 扉が…閉まりゆく… か、帰らねば、ザビー様の元へ」

「お待ちください、元就様!」
「お気を確かに!」
「神子殿! 元就様が!」

「女?! …皆、下がれ」

元就さまは動きを止め、家臣たちを部屋から出ていかせた。
腰を下ろしてこちらを見る様は落ち着いていて、いつもの元就さまのように見えた。

「女、今まで何処に…いや、いつからここにいた?」

ん? もしかして記憶がない?
元就さまはふいに片手で口を覆い、顔をそらした。
鍋を脇に置き、近づこうとした私を手で制す。

「たいしたことはない。我の心配などいらぬ」

心なしか顔が赤い。もしかして熱があるのでは。
具合が悪そうなのに放っておくわけにもいかない。
失礼を承知で、手を伸ばして元就様の額に手を置いた。

「っ!! 構うなと申しておろう」

振り払う気力もないみたい。
うーん、熱があるな。めずらしく取り乱しているのも具合が悪いせい?
私特製の日輪粥を食べて、また休んでもらおう。
鍋のふたを開けると、ぐつぐつと緑色のものが煮たっていて、むわっと蒸気が上がった。

「これは…なんぞ? 呼吸が苦しくなってきたのだが。
 …息が…くるしい…」

袖で口を覆いながら、鍋を覗き込んだ後、私へ目を向ける。

「これは…食せるのか」

力強くうなずいた。

「………要らぬ。腹は減っておらぬ」

ふいとそっぽを向いた頑なな様子に私は匙を手にとった。
粥を掬い、火傷しないように冷ましてから元就さまの顔を見つめる。

「もっちゃま。食べて休んで」

「?! 女? う、うご」

話しかけた口に匙を突っ込む。

・・ゴクン。飲み込んだ瞬間、元就さまはかっと目を見開いた。

「うおーっ …うぅっ! あ、頭が…!
 おのれ…この頭が割れるような感覚は何だ…! 女め……我に一体何を…!?」

目から光が失われていく。

「サビー・・・様・・・ ガクッ・・・」

布団の上にぱたりと倒れた元就さまは眠っているようだった。
少し強引だったけれど、これでよし。
布団をかけなおして、鍋を持って部屋をあとにした。

ふたたび目を覚ました元就さまは、私の知っている、いつもの元就さまだった。
どうやら一部、記憶がないみたい。
ザビー教に関することや、ここ数日の記憶もないみたいで、私がいることに驚きつつも冷静に受け止めていた。

翌日、大友宗麟の使いという人がやってきた。
この大柄な人は…気絶した宗麟を城へ運んでいった家臣の人だ。
あのときは見逃してくれたばかりか、親切に出口も教えてくれた。

「手前は立花宗茂と申す者。
 我が主(きみ)、大友宗麟様の使いでやってまいりました。
 我が主より伝言がございまして…」

「申せ」

まだ完全に体調が戻っていないのか、元就さまは脇息にもたれるように肘をつき、目だけをちらりと向けた。
ためらうような妙な間があく。

「えー ゴホン……ざ〜びざびざびざび〜」

「だから何だ…? 我にそのような言葉を浴びせて、な…何が目的だ!?」

最後の方は明らかに動揺している。

「………………」
(やっぱり、タクティシャンだった時の記憶はないのかあ…その方が幸せだよね、きっと)

「貴様、何だその目は…? 憐れみの目で我を見るのか!?」

「いえ、そのようなことは…」

立花宗茂は視線を落とし、すっと畳の上に何かを差し出した。

「よろしければどうぞ…ザビー愛ランドの御招待券です。
 アトラクションはお勧め致しませんが、開園記念日は夜空に花火があがりますので是非」

礼儀正しく元就さまの前を辞すると、立花宗茂は帰っていった。
来訪者が部屋を出て行ったあと、私は放置された招待券に手を伸ばした。
花火の特等席のチケットもついている。

「要らぬ」

招待券を手に振り向いただけで、元就さまに一蹴されてしまった。
花火かー そんなに遠くないし、行ってみようかな。
夜とはいえ、人が出ていれば危なくないだろう。
引き取り手がなくなったチケットを懐にしまい込む。

「……。よもや、ひとりで行くつもりではないだろうな」

ぎくっ! 表情で分かったのだろう。気だるげに溜め息をついた。

「ならぬぞ」


「オーマイ、ザビー! これは、サンデー…!」

「言うな! それ以上、何事も口走るな!」

大友宗麟を前に元就さまがたじろいでいる。
家臣の誰かに一緒に行ってもらおうとしたのだけれど、許可が下りず、いろいろあって、元就さまとザビー愛ランドに来ている。
薄暗い中、めずらしい花火を目当てにそれなりの人がいたのに、目ざとく見つけられてしまった。
大友宗麟の横には、立花宗茂が控えている。

「我は何も知らぬ…! 我が名はサン…散!」

サンデーと言いかけて、煩悩を振り払うように鋭く言いなおす。

「ああぁ〜 そこにいるのは伝説の〜サンデー〜♪」

宗麟は誘うように両手を広げて、くるくると踊りだした。

「違う、我は… ニチリ〜ン〜モ〜トナリ〜♪
 …ッ! く…」

はっと我にかえり、ばつが悪そうに咳払いする。

「わ、我は、我は愛など、貴様など知らぬ」

こういう元就さまも人間らしくて良いと思うんだけどな。
でも今日は、体調も完全に回復していなくて、気がすすまないのに一緒に来てくれたから、 静かに過ごしたい。

「…我が主、信者たちが待っております」

立花宗茂が気を利かして、間に入ってくれる。
すかさず元就さまの腕に抱きついて、深くお辞儀すると、向きを変え、そのまま強引に歩き出した。
少し離れたところで、追ってこないことを確認して、腕をほどく。



急に立ち止まった元就さまを振り返る。
馴れ馴れしく腕を引っ張って気を悪くさせてしまったか、と思ったけれど、 不快というよりは、戸惑ったような、眉を寄せて考え込むような表情をしていた。

「なんでもない、ゆくぞ」

私の視線に気づき、足早に歩き出した。
会場に近づくにつれ、人が多くなってきた。
人混みのなかでも、元就さまはすうっと歩いていき、遅れがちになってしまう。
私との距離が開いているのに気がつくと、小さく息をついた。

「我を待たせるな」

手を伸ばし、私の腕をつかむと自分の方へ引き寄せる。
そのまま手を下ろし、私の手を握った。
歩く速さも遅くしてくれた。

・・恋人同士みたい。

人混みではぐれないように、ただそれだけ。
元就さまには想い人がいるのに。
分かっていても、つないだ手は温かくて、どきどきしてしまう。

「ここか」

会場につくまではあっという間だった。
手を離されて、残念に思っている自分に驚く。
特等席は見晴らしの良い場所に専用のスペースを割り当てられていて、ゆったりと眺めることができた。

たーまや〜

数々の打ち上げ花火は綺麗だった。来て良かった。
人の顔を模したような変わった花火も上がっていて、たぶんこれは教祖のザビーという人を象っているんだろう。
元就さまはまた思い出したりしないかな。気になって、隣へ目を向けた。

・・本当に綺麗な人だな。

夜空を見上げている横顔につい見とれてしまう。
元就さまは、私の視線に気づいたのか、ふとこちらを向いた。
いつもの冷たい光が宿った鋭い瞳ではなく、どこかぼんやりしていた。
もしかしたら熱があるのかもしれない。そういえば手が温かかった。
目が合ったまま、なんとなく互いを見つめている。

「女、愛とはなんであろうな」

ふと呟くように、言葉が元就さまの口から漏れた。
私が動揺している間に、ふたたび視線を夜空へと戻し、花火を見上げていた。
花火に照らされ、夜風にさらさらと髪がなびく。
透き通るような雰囲気に包まれた元就さまは、夜に溶けてしまいそうなほど、儚く見えた。


安芸に戻るまえに、大友宗麟に挨拶をしに行くことになった。
綺麗な城には多くの信者たちが行き交っており、どこからともなく歌声が聞こえてくる。

(旋律を止めろ・・・我は唄を好まぬ!
 我の内から何かが引きずり出されてしまう!
 この感情はならぬ! 我は流されることを拒否する!)

元就さまが頭を押さえて呻いている。だいじょうぶかな。

面会を求めると、すぐに通された。
廊下の壁には絵画がかかっていて、ステンドグラスやカーテン、豪奢なシャンデリアがあり 日本とは思えない内装だ。
待っていた立花宗茂が一歩進み出て迎える。

「毛利殿、遠路はるばるご足労いただきあり・・・おわっ」

巨体が横に突き飛ばされ、背後から現れた大友宗麟が元就さまの手を取った。
見た目は華奢な少年なのに、すごい力だ。

「おお、会いたかったですよ、タクティシャン! いや、サンデー!」

あまりの勢いに気圧されて、元就さまは数歩あとずさる。

「た、タク・・・サンデー?」

「まさか、記憶喪失っ! なんと不幸でドラマチックな展開!」

「なんの話をしている…?」

劇を演じているかのような大げさな動作に皆が呆気にとられるなか、宗麟の独白は続く。

「これはもしや、ザビー様から僕への試練!?
 今度は自分でサンデーを手に入れろとのお告げですね。
 ああ、ザビー様を中心に、サンデー、チェスト、ジョシー、そして僕。
 ああ、なんとドリーミーな… ああ、ザビー様!」

無表情に立っている元就さまを、立花宗茂はじっと見ていた。

「………………」
(ああ、この人、絶対わしらのこと変な目で見てるよ)

「話は済んだ。ここに長居をするなと我の心が唄っている。帰る」

「僕はこの試練を乗り越えてみせます!」

自分の世界に入った宗麟に背を向け、元就さまは城を後にした。


TOP      MENU      NEXT