「・・・・・・いやッ!! はあっ、はあっ、はあっ・・・・・・」
わたしはベッドから飛び起きた。
「どういうこと・・・・・・?」
確かめるように周りを見回す。
机に椅子、壁の絵、教会の服。見慣れたいつもの光景。ここは、わたしの部屋。
「はあ、はあ、はあ・・・・・・ゆ、夢?」
どうやら夢だったのは間違いない。
けれど、やけにリアルな夢だった。
決して現実には起きてほしくない、いや、起こってはいけない夢。
夢で良かったと思う反面、人々の悲鳴や炎の熱さ、失われてゆく肌のぬくもりが、まだこの身に残っている。
「ううっ・・・・・・」
わたしは身震いした。
「寒い・・・・・・」
その時初めて、肌着がぐっしょりと濡れていたことに気づいた。
「着替えなくちゃ。風邪をひいちゃう・・・・・・」
ベッドから抜け出して、着替えを始める。ふと窓の外を見ると、漆黒の闇が広がっていた。
鎧戸を閉め忘れて、眠ってしまったらしい。
見とおすことのできない、どこまでも続く闇。この先には、いったいなにがあっただろう?
それとも闇は闇。なにもありはしないのだろうか。
「怖い・・・・・・」
自分で自分の体を抱きしめていた。
闇への恐怖を感じたのは、生まれて初めてだった。
子供の頃から、一人で過ごす夜には慣れていた。
同級生の男の子たちですら、トイレに行くのを怖がっていたというのに、
わたしは不思議と暗いところは嫌いじゃなかった。
それなのに今夜は・・・・・・ いったいどうしたのだろう。
鐘が鳴り響き、空が白み始めた。
「・・・・・・。もう起きよう」
これ以上、怖ろしい夢を見ないために。
陽が昇れば闇は消える。そうすれば、もうなにも怖いものはいなくなる。
「あら、メアリ。おはよう」
「あっ、ダニエラさん・・・・・・」
廊下に出たところで、ダニエラさんとバッタリ出くわした。
「今朝は特に速いのね。よく眠れた?」
まるで幽霊にでも出会ったような、そんな感じ。言葉が出ない。
でも違う。ダニエラさんは、ちゃんと生きている。
(生きて、いる?)
ダニエラさんになにがあるというのだろう? なにもありはしない。
あるわけがない。
(・・・・・・ふう)
気持ちを落ち着けるように、大きく深呼吸する。
「えっ・・・・・・どうしたの?」
「い、いえ、あの・・・・・・ 今日も空気がおいしいなあ、と思って」
「クスッ。あなたって、おかしな子ね」
「あは、は・・・・・・そうですよね。
ダニエラさん、いまから学校ですか?」
「ええ、そうよ。オーギュスト先生に手伝いを頼まれたの」
「今日もですか? それにしても、すごい量の荷物ですね」
「ええ、今日は特別多いわね」
「運ぶの、お手伝いしましょうか?」
「そう? 頼めるかしら?」
「ええ、もちろんです」
「ありがとう、助かるわ。それじゃあ、行きましょうか」
「はい、ダニエラさん」
* * *
「・・・・・・ふう。やっと着きましたね」
「ありがとう、メアリ。あなたがいてくれたおかげで助かったわ」
「どういたしまして。お役に立ててなによりです」
「それじゃあ、わたしは授業の準備があるから、行くわね」
「はい、がんばってください」
「さてと、それじゃあ、そろそろ教会に戻りましょ」
(神様・・・・・・)
祈りを捧げようと礼拝堂に来たけれど、そこにはすでに人がいた。
「バージニア様・・・・・・」
「ああ、メアリ。あなたでしたか」
「はい、バージニア様」
バージニア総長は、この教会で一番偉い方だった。
生まれ育ったのもこの村で、若い頃の一時期は布教活動でここを離れたこともあったそうだけど、戻ってからはずっとこの教会にいる。
(わたしを教会に置いて、育ててくださったのもバージニア様)
お母さん。
そう呼ぶのは恐れ多いけれど、本当の母の顔を覚えていないわたしにとっては、まさしくそういう存在の人だった。
「さあ、こちらに」
「はい」
バージニア様に場所を譲っていただいて、神への祈りを捧げる。
「・・・・・・・・・」
祈りの時間はそれほど長くはなかった。
長いか短いかより、大切なのは密度。いかに自分の心と向き合い、神と対話するのか・・・・・・。
それこそが大切だというのが、バージニア様の教えだった。
「ありがとうございました、バージニア様」
「もうすぐですね、メアリ。あなたの誕生日は」
「はい、バージニア様」
(誕生日・・・・・・・ そうだ、もうじきわたしの誕生日なんだわ)
幼いわたしが教会に来た時、持っていたもの。
メアリという名前と誕生日、それが書かれた紙片だったそうだ。
去年までは誕生日が来るのが待ち遠しかった。
誕生日は、わたしがわたしのルーツを確認できる数少ない手がかりだったから。
それに、一つ大人になることで、教会の、バージニア様の、よりお役に立てる奉仕ができるようになる。
(だから、誕生日は一年のうちで一番好きな日だと言っても過言じゃなかった。
でも、今年は・・・・・・なんだかとても不安なの。
なにかよくないことが起きるんじゃないかって、そんな気がして・・・・・・
理由や根拠があるわけじゃないけれど、ただ・・・・・・)
「どうかしましたか、メアリ?」
「・・・・・・あっ」
わたしは我に返った。
「だいじょうぶですか、メアリ?」
「す、すいません、バージニア様。ちょっとぼうっとしてしまって・・・・・・」
「どこか身体の具合でも悪いのですか? ダニエラに言って、薬を用意させますよ?」
「い、いえ! 体調がわるいわけじゃないんです。ただちょっと考え事をしていただけで」
「そうですか。それならいいのですが」
「はい・・・・・・」
(なにも起きたりはしない。気のせい。そう、ただの気のせいよ)
夜になり、部屋で休もうとしているとき、異変に気づいた。
(・・・・・・なにかしら? 外が騒がしいみたいだけど)
わたしは様子を見に外に出てみることにした。
「・・・・・・見つけたぞ、ここだ!」
「えっ?」
「おう、いたか!」
教会の外に出たところで、わたしは数人の男の人に取り囲まれた。
「あなたたちは・・・・・・」
全員が村の自警団のメンバーだった。
「教会の奥に隠れていやがったのか」
「隠れて? わたしはただ自分の部屋にいただけで・・・・・・」
そこではっと気づいた。前にもこんなことがあったような気がする。
「いいから、オレたちと一緒に来い」
「・・・・・・わかりました、一緒に行きます」
私は素直についていくことにした。反抗しても無駄なような気がしたから。
(やっぱり、また・・・・・・)
広場は黒山のような人だかりだった。
(この光景・・・・・・見たことがある気がする・・・・・・ あの人たちの向こうには・・・・・・)
人と人の間をかき分けるように進むと・・・・・・。
羽の生えた小さな生き物がそこにいた。レルムだ。
「ああ、いたいた。キミがそうなのか」
「はい、レルムさん」
「ああ、レルムでいいよ・・・・・・って、あれ? なんでボクの名前知ってるの?」
「えっと、それは・・・・・・」
(なぜだろう? わたしのほうが知りたいくらい)
なんとなく頭の中に浮かんできたのだ。彼は 『レルム』
だ、と。
「まあ、いいや。あのね、ボクはジェラルド様の使い魔なんだ」
「ジェラルド様はどちらに?」
「すぐそこさ。ボクについてきて。 さあ、こっちこっち!」
「は、はい」
レルムの誘導で、わたしは彼についていく。
「アルトメイデン・・・・・・」
「あっ、ジェラルド様」
「・・・・・・ン?」
ジェラルド様は少し不思議そうな顔をして、あらためてわたしを見た。
「なるほど、そうか。それならば、話が早い」
得心したように頷くと、ジェラルド様は今度は村の人たちのほうに向き直った。
「余は、ジェラルド=ヴィルベルヴィント。西の地を統べる者」
(ジェラルド様は 『貴族』・・・・・・領主様なんだ。本物の・・・・・・)
「村の長はいるか?」
「はい、ここに」 村長さんが進み出た。
「この娘が16の誕生日を迎えた日、余はもう一度ここに参る。その日、彼女を捧げよ。
・・・・・・余の花嫁として」
村人たちがざわめく。
「静かに! 領主様の前だぞ!」
村長と領主様、レルムのやりとりが続いていたけど、わたしは違うことを考えていて、あまり耳に入っていなかった。
「ジェラルド様、どうしてわたしを・・・・・・」
「理由を知るべき時が、やがて訪れるだろう。その時になれば、おのずとわかる」
「・・・・・」
「いまはこれだけ知っておいてほしい。
余が決して、そなたを苦しめるために来たのではないということを」
「はい、でも、あの・・・・・・」
「答えはいますぐ出す必要はない。ゆっくり考えるといい。
行くぞ、レルム」
「はい、ジェラルド様」
ジェラルド様が黒衣をひるがえす。
と、一陣の風が突如として吹きおこり、村人たちはたまらず目を閉じた。
(・・・・・・あっ!?)
次の瞬間にはもう、ジェラルド様とレルムの姿は消え失せていたのだった。