「ん?」

村にほどちかい森のなかで、見習いの少年はふいに立ち止まった。

「どうした、ヴォルマー」  エミリオが振り返る。

「なにかさっきから、いやな感じがするんですよね。誰かに見張られているみたいな・・・」

「フム・・・・・・。完全に気配を消したつもりだったのだがな。
 教会の犬にも、なかなか勘のいい者がいるようだな。
 いや・・・・・・犬だけに、鼻の利く者、か」

人を見下したような、独特のイントネーションのある声が闇の向こうから響いた。

「何者だ!」

「騒ぐな!」

「ぐああっっ!!」

「ディメトリオ!」

「ひとなでしただけでこのありさまとは・・・。
 少しは我を楽しませてくれるかと思ったが、期待はずれだったな」

闇のなかから若い男の姿が浮かび上がった。
黒いコートをまとった褐色の肌に銀灰色の髪が鮮やかで目を引く。

「『貴族』 か!? くそっ!」 

刃が一閃した。
その切っ先をかわし、紫色の瞳が異端審問官の一行をとらえた。

「スジはいいが、惜しいな、小僧。
 もう3、4人も、下級の 『貴族』 を殺して経験をつめば、我と互角に戦えたかもしれぬが・・・
 その程度では我は殺せぬ!」

「逃げろ、ヴォルマー!
 逃げて、コンラッド卿に伝えるんだ!
 こいつは例の伯爵だ。現存する 『貴族』 の中では、最大級の危険因子だぞ!」

「ほう、我を知っているか。貴様がリーダーだな」

「いかにも。
 私の名はエミリオ。異端審問官にしてキルヒリッターだ。
 異端審問官として、お前を異端と断定し、キルヒリッターとして、神の敵を討つ!」

不敵な笑みが 『貴族』 の顔に広がる。

「面白い! 少しは楽しませてくれよ」

「友の敵を討ちにきたか、忌まわしき者よ」

「マクシミリアン伯爵は優れた貴族であった。友人と呼ぶに足る男だ。
 だが勘違いしてもらっては困る。我が友、マクシミリアンは騎士。
 貴様らがいくら束になってかかろうと足元にも及ばぬ存在よ。
 彼は・・・まあよい。我が貴様らを殺すのは、かたき討ちのためだけではない」

「もらった!」   隙をつき、女性騎士が切りつけた。

「フム・・・・・・良い太刀筋だ」

「なっ・・・・・・!?」

「ならば、娘。貴様からだ」

「くそっ! はなせ!」

「忌々しい教会の犬どもたちだが・・・・・・
 高位の者は強い力を持ち、確固たる魂と身の純潔を保っている」

「ひっ・・・・・・!」

「我が食するのに相応しい獲物だ。そうは思わんか?」

「・・・・・・っ!!」

「オリヴィア!」

「悪くない。我の永年の渇きが一瞬で癒えるようだぞ!」

「くっ・・・オリヴィアの血を・・・・・・
 忌まわしき者に堕する前に彼女の身体を浄化せねば・・・・・・」

「安心しろ。貴様らは我が一族として甦らぬよう、すべてを吸い尽くしてくれるわ。
 我も友の敵をしもべとする趣味はないのでな」

「黙れ!」  怒りのこもった剣が 『貴族』 の胸に突き立つ。

「感じる・・・・・・。ちからがみなぎるのを感じるぞ」

「バカな!? 心臓を貫けないだと!?」

「その程度のちからでは、いまの我は倒せぬ。
 死ぬがよい、キルヒリッターよ」

「ぐっ、無念・・・・・・コン・・・・・・ラッド卿・・・・・・」

「たわいないな。もう少し手ごたえのある獲物のほうが食事も盛り上がろうに。
 だが・・・・・・さすがにキルヒリッター。悪くない味だ。
 これで我の・・・・・・」

「ひっ、ああっ・・・・・・エミリオ様ぁ・・・・・・」

「なんだ、さっきの小僧か。この男の言葉どおりに逃げなかったのか?
 どうやら、あまり賢くないとみえる」

「あ、ああっ・・・・・・」

「それとも恐怖で腰がぬけたか。まあ、いい」

「たっ・・・・・・助けて・・・・・・死にたくない・・・・・・」

「我はいま機嫌がいい。選ばせてやるぞ」

「ぐっ・・・」  ヴォルマーの身体を掴み上げ、『貴族』 はニヤリと笑った。

「生きたまま血を吸われるか? それとも、すぐに殺してほしいか?」

「ひっ・・・・・・あっ・・・・・・」

「答えられぬか。では、しかたない。
 さきほどの娘も生きながら吸ったせいで、血に恐怖の味が強くつきすぎた。
 貴様は楽に殺してやろう」

「・・・・・・がはっ」

「くくっ・・・・・・くくくくくくっ! はははははっ! はーっはははははははっ!」

高らかな笑い声が闇の森にこだました。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


(・・・・・・誰だろう? こんな時間に)

誰かが玄関の扉を激しくノックしていた。
まだ朝のお祈りの時間までだいぶある。訪問にはふさわしくない早朝だった。

(なにか急ぎの用事ってことよね)

「はい、ただいま・・・・・・!」

わたしはドアを開けた。

「・・・・・・ああっ!?」

「遅いぞっ!」

「事態は一刻を争うっていうのに!」

玄関まで応対に出たわたしを押し退けるようにして、数人の男の人が室内に入り込んできた。
全員が自警団のメンバーだった。

「あななたちは・・・・・・どうして・・・・・・?」

「どうしたもこうしたもあるか! ぜんぶおまえのせいだぞ!」

「来やがれっ! 今度こそ血祭りにあげてやる!!」

強く腕をつかまれて、わたしは悲鳴を上げる。

「ら、乱暴はやめてください!」

「ふざけるなっ!」

「もう審問なんて関係ない! オレたちの手で裁いてやる!」

「ああぁっ!」

極度の興奮状態にあるようで、みんな目が血走っている。
なにをされるかわからない。そんな雰囲気だった。

「・・・・・・待ちなさい。彼女への手出しは許さないと言ったはずです」

「ああっ、コンラッドさん!」

コンラッドさんの元に駆け寄る。

「だいじょうぶですか?」

「は、はい」

コンラッドさんは、わたしをかばうように立ってくれた。
自警団の人たちの敵意を遮ってくれる。

「おい、いいかげんにしろ!」

「アンタ、異端審問官だろ? いったいどっちの味方なんだ!?」

「私は自分に与えられた役目を忠実に果たすだけです」

「じゃあ、とっととその魔女を始末してくれ!」

殺気だった自警団の人たちに囲まれても、コンラッドさんは冷静そのものだった。

「正か邪か、白か黒かの判断をくだすのが、私の・・・・・・異端審問官の仕事です。
 ですが、いかなる場合であろうとも、予断をもって判断を下すようなことはしたくはありません。
 私の言葉ひとつが、人の生き死ににかかわるのですから」

「そんな悠長なことを言ってる場合じゃないだろ!
 放っておいたら、村の人間が何人犠牲になるかわからないんだぞ!」

「い、いったい、どういうことなんですか?」

コンラッドさんのおかげで、だいぶ安心してきたけれど、それでもまだわたしの身体は震えていた。

「実は・・・・・・」

「何事ですか、いったい」

「教会に押し入ってくるなんて・・・・・・あなたたち、恥を知りなさい!」

「バージニア様! ダニエラさん!」

「だいじょうぶ、メアリ? ひどいことされなかった?」

「は、はい、平気です。コンラッドさんが・・・・・・助けてくださいましたから」

バージニア様とダニエラさんの視線が、説明を求めるようにコンラッドさんに向けられる。

「実は、さきほど村の外で遺体が発見されました」

「遺体?」  バージニア様が問いかける。

「異端審問官のものです。それも一人ではありません。私の後続の審問官たち、全員です」

「なんですって!?」

「そ、そんな・・・・・・」

「おお、神よ・・・・・・」

初めて知る事件にわたしたちは驚きを隠せなかった。

「オレたちが見つけたんだ。村の近くをパトロールしていて」

「でも、それがこの子と関係あるとは限らないでしょう」

「死体は手足がバラバラか、水分を吸い取られたみたいに干からびていたんだ。獣のしわざじゃない!」

「あんな死体、いままで見たことがなかったぜ・・・
 ううっ、思い出しただけで気分が悪くなる」

「おい、メアリ!? 殺ったのはおまえじゃないだろうな!?」

「そんな、どうしてわたしが・・・・・・。わたしじゃありません!」

「どうだかな。領主に求婚されるような女だ。
 人間のように見えても、魔物が人のフリしているのかもしれない」

「ち、違います! わたしは・・・・・・!」

「そうよ! この子はずっと教会にいたわ。
 あなたたち、言っていいことと悪いことがあるわよ!?」

「・・・・・・ダニエラ」

「バージニア様!? ですが・・・・・・!」

「声を荒らげていても、なにも解決しません。
 この子が良い娘であることは、教会の者は誰でも知っていることです。
 自警団のみなさん。この子のことは、わたしが責任を持ちます」

「いずれにせよ、このような形で教会に押し入るのは恥ずべき行為です。神は決してお許しにならない・・・」

バージニア様やコンラッドさんの言葉に、自警団の人たちの興奮もようやくさめてきたようだった。

「オ、オレたちはべつに・・・・・・」

「そ、そうだ。オレたちは神に背く魔女を退治しようとしただけなんだ・・・・・・」

不満をつぶやく言葉にはもう、さきほどまでの迫力はなかった。
自警団は出ていき、あとには教会の人間とコンラッドさんだけが残った。

(どうなってしまうのかしら? これから・・・・・・)

「ふう・・・・・・やれやれね。あの連中、汚れたくつのままで入り込んできて。
 メアリ? あとで床を掃除するの、手伝ってちょうだいね」

「あっ、はい、ダニエラさん」

「それで、現場を調べてなにかわかったのですか? この子のかかわりを示すような物が」

バージニア様の問いにコンラッドさんは静かに答えた。

「いいえ、なにも。
 さきほどの連中も事件のショックで暴走しただけで、なにか確証があってここに来たわけではないでしょう」

「ですが・・・・・・異端審問官の方々がそのような目に遭われたということは、事態はいっそう深刻になりましたね」

「・・・・・・」

バージニア様の言うとおりだった。村の人がわたしに向ける目は、より厳しいものになるだろう。

(ううん、わたしのことはまだいいの。わたしのことよりも・・・・・・
 この場にいる人や、親しい友人たち。彼らがわたしのせいで被害を被ることのほうが心配だった)

「いったい、誰が異端審問官たちを・・・・・・。
 腕利きの護衛だってついているはずなのに」

「本当なのですが? さきほどクラウスが言っていた、遺体の様子というのは」

遺体は手足がバラバラか、水分を吸い取られたみたいに干からびていた・・・。たしかそう言っていた。

「それはそのとおりです。魔物のしわざに間違いないでしょう」

「まさか、あの 『貴族』 が?」

「それはわかりません。彼以外にも、村の周辺では別の魔物の目撃情報がありますから。
 いずれにせよ、事件のことを含めて中央教会の判断と指示を仰ぐ必要があります。
 明朝、使いの鳥を送ります」

「そうですね、よろしくお願いします。
 わたしは村長と今後のことを話し合ってみましょう」