「ふう・・・・・・」
部屋に入るなり、わたしはベッドの上に倒れ込んだ。
結局、こうして戻ってこられたのは日が暮れてからだった。
(それにしても・・・・・・ まさか、異端審問官の方たちが、全員・・・・・・
ああっ、神様! どうしてこんなことばかりが起きるのですか!?
わたしがなにか御心に背くようなことをしたと言うのでしょうか?)
わたしは神に祈りを捧げた。
結局、異端審問官はコンラッドさんひとりだけ・・・・・・
それと・・・・・・『キルヒリッター』 と言ったかしら?
キルヒリッター・・・教会の騎士。コンラッドさんにピッタリの名前だと思う。
(あの人がぜんぶ決めることになるのかしら・・・・・・?)
その時、夜風がわたしの頬をなでた。
「・・・えっ?」
窓が開いたままになっていた。
「おかしいな、閉め忘れたのかしら?」
そうかもしれない。今日は朝からいろんなことがありすぎた。
「窓を・・・・・・閉めなくちゃ。このまま眠ったりしたら、風邪をひいてしまう・・・・・・ ふわあ」
どうしてだろう。とても眠い。
(あぁ・・・・・・)
身体に力が入らない。まぶたがどんどん閉じていく。
(窓を閉めなきゃ・・・・・・)
そう思うのだけれど、思えば思うほど、わたしの意識は眠りの中へと吸い込まれていく。
振り払うだけの気力が、体力が湧いてこない。
(ああ、ダメ・・・・・・もう・・・・・・ おやすみ・・・なさい・・・・・・)
(・・・・・・・・・・・・)
「・・・・・起きてよ、メアリ」
(えっ?)
「私を呼ぶのは誰?」
「ボクだよ、レルムだよ」
「レルム!?」 あっという間に目が覚めた。
「どうしたの、いったい?」
「キミに用があって来たんだよ。ジェラルド様も一緒だよ」
「ジェラルド様も?」
「入ってもいいかな?」
「え、ええ。どうぞ」
領主様の上着の裾が、鳥が翼を広げて羽ばたいたように、ふわりとなった。
空中を歩くような、ゆっくりとした滑空で、領主様は窓のすぐそばに降り立つ。
「領主様・・・・・・ そ、空を飛んでいらっしゃった?」
わたしは見たままを口にしていた。それぐらい驚いていた。
「父祖から与えられし力のひとつだ。べつに自慢するようなことではない」
「でも、すごい・・・・・・領主様。人間じゃないみた・・・・・・あっ」
「そのとおりだ、メアリ。余は人ではない。そなたたち人が 『貴族』 と呼びし、高貴なる血の者」
「領主様・・・・・・」
「その呼び方はやめるがいい」
「は、はい?」
「・・・・・・ジェラルド。余のことは、そう呼んでくれてかまわない」
「えっ、でも、そんな・・・・・・わたしなんかが領主様のことをお名前で・・・
そんなこと、できません」
「良いのだ、メアリ。そなたにはその資格があるのだから」
(資格・・・・・・?)
「はい、じゃあ・・・・・・ジェラルド、様」
さすがに呼び捨てまではできなかった。
けれど、ジェラルド様はそれでも充分満足した様子で微笑んでくれた。
「メアリ・・・・・・アルトメイデン」
「はい、ジェラルド様」
「うん、うん。やっぱりおふたりはとてもお似合いですよ」
レルムがうれしそうに頷く。
「ところで、あの・・・・・・ 今日はどういったご用でしょうか」
夜の闇が急に不安になった。
このまま万が一、ジェラルド様から一緒に来るように言われたら、わたしは拒めるだろうか?
「わたしの誕生日までは、まだ何日か・・・・・・」
「心配することはない」
わたしの考えていることなんて、ジェラルド様にはすべておみとおしらしい。
ジェラルド様はわたしを安心させるように、また微笑んでくれる。
「余は、そなたを連れにきたわけではないのだ」
「そうだよ。ジェラルド様とボクはキミに謝りにきたんだ」
「わたしに謝りに?」
「キミのとこに、異端審問官とかっていう生意気な人間が来たんだろう?」
「ああ・・・・・・」
「ジェラルド様はね、キミがひどい目に遭ってるんじゃないかって、ずっと心配なさっていたんだよ。
自分が告白したせいで、迷惑かけちゃったんじゃないかって」
「・・・・・・」
ジェラルド様を見る。沈痛な面持ちで、わたしを見つめていた。
「すまない、メアリ。本当に。余はそなたを苦境に陥らせる気は毛頭なかったのだ。
余は、ただそなたの身を案じればこそ・・・・・・ 許してくれ、メアリ」
「ジェラルド様・・・・・・」
「婚礼のことも無理強いする気はない。そなたが自らの意思で決めてくれさえすれば、それでいい。
余の元に来るのも、あるいは別の道を選ぶのも・・・・・・ ン!」
ジェラルド様の表情が不意に引き締まった。
「えっ?」
「ジェラルド様、来ます!」
「・・・・・・わかっている」
「そこまでです!」
窓とは反対側の、部屋のドアが勢いよく開いたかと思うと――コンラッドさんが中に飛びこんできた。
「メアリ、下がって!」
「コンラッドさん!?」
コンラッドさんは、わたしとジェラルド様の間に割って入る。
「コイツ・・・・・・コイツッ! 無礼者ッ、無礼者ッ!!」
「使い魔に・・・・・・」
コンラッドさんの視線がレルムから、ジェラルド様へと移動していく。
「・・・・・・『貴族』 ですか。まさか本当に姿を現わすとは」
「! そなたは・・・教会の者か」
「コンラッドと申します・・・・・・シュトラールよ」
シュトラール、という言葉にジェラルド様は敏感に反応する。
「その呼び名を知っているとは、一介の信徒ではないな。
異端の者を狩る力を持った人間がいると耳にしたことがあるが・・・・・・。
たしか、キルヒリッター」
「そのとおり。私はキルヒリッターです」
「ジェラルド様っ! この生意気な人間をやっつけましょうよ!」
「シュトラールよ。汚れなき魂を持つ 『貴族』 よ。
私はあなたが人に危害を加える存在ではないことを知っています。
ですが・・・いまこの事態を招いたのは、あなたです。
あなたの言葉が村の混乱を引き起こした」
「・・・・・・」
「あなたが村に魔物を送り込んでいるわけではないのでしょう。
しかし村人にそれを理解させるのは難しい。
なにより、私の仲間の異端審問官たちが殺されています」
「それは・・・・・・初耳だな」
「このヤロー! ジェラルド様が、そいつらを殺したっていうのか!?
そんな失礼なことを言うと、ボクが許さないぞ!
このボクが、正体をあらわして・・・・・・ オマエを八つ裂きにしてやるッ!!」
レルムは手足をバタつかせながら、コンラッドさんの周りを威嚇するように素早く飛び回っていた。
けれど、コンラッドさんは意に介した様子もなく言った。
「異端審問官たちの死にあなたが関係しているのか、まったくの無関係なのか、それはまだわかりません。
判断するための材料が欠けていますから。しかしまるきり白だと言い切れないのも確かです」
「それは認めよう」
「シュトラールであろうとも、白でない限りは放置しておけない。
まして彼女に近づけるわけにはいきません!」
「ここから立ち去れということか」
「そうです」
「こ、このーっ! ジェラルド様に対して、なんて無礼なやつだっ。もう許さないぞっ!!」
「やめて、レルム!」
「うう・・・・・・」
「わたしはどちらも信用しています。だから・・・・・・」
「じゃあ、ジェラルド様のことも!?」
「ええ、ジェラルド様は領主様だもの。
それに私に対して一度も、ひどいことはしてない・・・・・・」
「しかし、彼が現れたせいでキミは・・・・・・いや、そうですか。
キミがそう思っているのなら、なにも言いません」
コンラッドさんは構えを解いた。
彼の後ろにいるわたしを見て、ジェラルド様はやさしく微笑む。
「アルトメイデン・・・・・・
その言葉が聞けただけで、余は来たかいがあった。ありがとう」
「あの、ジェラルド様? だからといって、わたしはまだ花嫁には・・・・・・」
「その答えはいま口にする必要はない。約束の日まで考えてくれればいい」
「はい・・・・・・」
「ゆくぞ、レルム」
「はい、ジェラルド様」
ジェラルド様とレルムの姿が、そのまますっと後ろに移動する。
「じゃあね、メアリ! また来るから、元気で待っててね。
キミの16歳の誕生日の夜に、答えを聞きに来るからね」
「・・・・・・また逢おう。アルトメイデン」
窓をすり抜けたみたいに、そのまま姿勢を変えることなく、ふたりは現れた時と同じように、闇の中に溶け込んでいった。
「・・・・・・」
「だいじょうぶですか?」
「はい、コンラッドさん。あの・・・・・・ありがとうございました」
「いえ、無事でなによりでした。
ところで、さきほどのシュトラール・・・・・・いや、『貴族』 が言っていたことですが・・・・・・」
「はい?」
「・・・・・・」
「ん?」
コンラッドさんは、なにか言いたげな顔をして、わたしを見つめている。
そのためらいの表情は、彼の初めて見る顔だった。
「あの、コンラッドさん? なにか・・・・・・?」
「彼はキミのことを 『アルトメイデン』 と呼んでいましたね?」
「そう・・・ですね。 なぜそう呼ばれるのか、わかりません」
「そうですか。だとすると・・・・・・
あの 『貴族』 のほうにそう呼ぶべき事情がある、ということでしょうね。なるほど・・・・・・」
コンラッドさんは、なにやら考え込むようにおとがいに手をあてた。
「あの、コンラッドさん・・・・・・?」
「ああ、すみません。時間を取らせてしまって。
今夜はもう、なにも起きないでしょう。ゆっくり休んでください」
「はい」
「おやすみ、メアリ」
「おやすみなさい、コンラッドさん」
コンラッドさんに軽くお辞儀する。
簡単に寝つけるとも思えなかったけど、とにかくベッドに入るとしよう。
そうすれば、いまのこのモヤモヤした気分からも逃れることができる・・・・・・