その時、夜風がわたしの頬をなでた。

「・・・・・・えっ?」

窓が開いたままになっていた。あれ? いまのは? 夢、だったの?

「・・・・・・。もう、いや・・・・・・ どうなっているの、わたしの頭の中。
 なにが現実で、なにが夢なのか。もうわからなくなりそうだわ・・・・・・」

それでも今回だけは感謝せずにいられなかった。
夢で本当によかった・・・。
わたしは窓枠に手をつき、大きく息をついた。
どこまでも広がっている闇・・・。
!? そのとき、ちらっとだけれど、金髪の後ろ姿が見えた、気がした。

「イリヤ!?」

まさか!? 考えるよりはやく、わたしは部屋を飛び出していた。
明日の朝、イリヤは・・・。
止めなきゃ。このままだと彼女は魔物に襲われて亡くなってしまう。
森は暗く、怖い。けれどわたしはためらうことなく夜の森へ入っていった。

     *     *     *

「それで、なんなの話って。わたしの親友のことだって言っていたわよね?」

イリヤは腕組みをして、自警団のふたりをにらみつけた。

「ああ、ここじゃダメだ。話すのはもう少し先まで行ってからだ」

「そうそう。大事なお友達の話だぜ? 聞かなくてもいいのか?」

「・・・・・・」

「心配なんだろう? あいつのことがよ」

黙りこんだイリヤにたたみかけるようにギルベルトが言う。

「・・・・・・わかったわよ」 

だが、森をしばらく進んでも彼らがいっこうに足をとめる気配はない。
ついにイリヤは立ち止まった。

「ちょっと、いいかげんにして! どこまで行くつもり!?」

「だから、あとちょっとだって言って・・・・・・」

「もう、いいっ、わたし、帰る!」

「っと、そうはいくかよ」  踵をかえしたイリヤの前にギルベルトが立ちふさがった。

「な、なによ・・・・・・。剣なんか抜いて、どうするつもり?」

「ここでオマエに帰られたら、オレたちの計画が水の泡なんだよ」

「計画?」

「あいつをかくまっているのは教会だ。踏み込めばかんたんにカタがつく。
 けど、村長のヤローは、教会への手出しだけは認められないって、ガンとして首を縦に振りやがらねえ。
 で、オレたちは考えたんだ。
 オマエが行方不明にでもなりゃ、ガンコ者の村長も、あいつがとんでもねえ災難を呼ぶ女だってことを理解するだろうってな」

「・・・・・・!!」

「オマエには恨みはない。何日か洞窟で暮らしてもらうだけで、手荒なまねをするつもりはない」

「ばーか、なに言ってやがる。この女はあいつの親友だ、同罪だぜ」

「ふざけないで! お父様に言いつけてやるからっ!!」

「お、おいっ! そっちは・・・・・・!!」

イリヤを追いかけようとしたステファンをギルベルトが引き止めた。

「やめとけよ。あいつが勝手に入っていったんだ。オレたちのせいじゃねえ」

「だ、だが、万一のことが・・・・・・」

「いいじゃねえか。手間が省けたってもんだぜ。
 計画がバレちまった以上、しかたねえだろ・・・・・・」

「・・・・・・」

「はあっ、はあっ、はあっ・・・・・・
 なんなの、あいつら。許せない。絶対にお父様に言いつけてやるっ
 村にはいられないように・・・・・・」

甲高い鳴き声と、けたたましい音が、怒りにとらわれていた彼女を恐怖におとしいれた。

「・・・・・・な、なに?
 な、なんなのっ? 驚かせようとしたって、ムダなんだからねっ!」

夜の森。闇をぬい、何かが迫っていた。

「キャアアアアアアァァァーーーッ!!!」

     *     *     *

「はあ、はあ。どこに行ったの、イリヤ・・・」

森は広く、暗闇のなかで、わたしは完全にイリヤの姿を見失っていた。
遠くで獣の声がこだましている。

「ほう、こんなところへ来るとは。ずいぶんと大胆な姫君だな」

「だ、誰!?」

声ははっきりと聞こえた。まわりを見回したけど、誰もいない。

「誰なの、いったい!?」

「我の姿を欲するか、メアリ」

「わ、わたしを驚かせようとしても、ムダよ! で、出てきなさい!」

木々の間に男の人の姿が浮き上がったかと思うと、次の瞬間、その人は空中を跳ぶようにして、わたしのすぐ目の前にいた。

「あ、ああ・・・・・・あ・・・・・・」

あまりの驚きに、わたしは声を出すことができなかった。
こんなことのできる相手が人間であるはずもない。
魔物。わたしは目を見開かれたまま、凍りついたように動けなかった。
その様子を見て、彼は小さな吐息をつく。

「・・・・・・我も少し、傷つくな。そこまで、怖がられているかと思うとな。
 恐れられるのも忌まれるのも、慣れてきたと思っていたのだがな」

紫の瞳がさびしげにかげった。

「我のことがわかるか、メアリ?」

褐色の手が、わたしに向かって伸びてくる・・・・・・。

「・・・・・・そこまでです! メアリ、こちらへ!」

「コンラッドさん!?」

「我と姫との語らいを邪魔するとは、無粋なやつめ」

闇に映えるシルバーアッシュの髪がゆれ、いまいましげな声が彼へと向けられた。

「・・・・・・あらたな 『貴族』 ですか」

「ン!? 貴様・・・」

なぜかコンラッドさんを見て、驚いたそぶりをみせたけれど、すぐに不敵な表情にもどった。

「なるほどな。
 その格好・・・・・・貴様も異端審問官か」

「それを知っているということは・・・・・・!」

コンラッドさんの顔に激しい怒りが浮かんだ。

「彼らの命を奪ったのは、あなたですか?」

「我だ、と言ったらどうする?」

「私が滅びを与えますッ!」

「フン、身の程知らずが」

「・・・・・・」

ふたりの間で、一気に緊張感が高まっていく。戦いは避けられそうもない。

「コンラッドさん!?」

わたしはたまらず声をかけていた。

「私の後ろから出ないでください。
 この 『貴族』・・・・・・ダンケルハイトは、キミの知っている 『貴族』 とは違います」

「えっ?」

「血に餓えた者。人に危害を与える、危険な存在です」

「ダンケルハイト・・・・・・」

(同じ 『貴族』 でも、領主様とは違うの?)

「フッハハハハ! そこまで知りながら、我に挑むか。面白い。
 長き眠りで、身体がなまっていたところだ。しばしの遊び相手になってもらおうか」

(たしかに、とても恐ろしい感じがするけど・・・・・・)

彼に目を向ける。
背が高く、たくましくて、声も大きい。

「・・・・・・ダンケルハイトよ」

「なんだ?」

「あなたに聞きたいことがあります」

「臆したのか? とっととかかってくるがいい。
 我はこの右腕一本だけで相手をしてやってもいいぞ?」

「彼女に関する事件の真相を、どこまで知っているのですか?」

「我がなにを知っていると言うのだ?」

「異端審問官の虐殺と、今ここにいること。無関係だと言うのですか?」

「さてな・・・・・・」

「私にはあのシュトラールより、あなたのほうが事態を解く鍵を握っているように思えるのですが」

「我から答えを引き出す気なら、証明せねばならんぞ。
 貴様が我を屈服させるに足る力を持つ者だということをな」

「無論です。私は血に餓えた者を滅ぼさなければならない」

「ま、待って!」  わたしは思わず叫んでいた。

正直なところ、自信はなかった。
コンラッドさんはキルヒリッターだし、このダンケルハイトがわたしの言葉を聞くとは思えなかったから。

(それでも、ふたりを止めなきゃ!)

戦ってはいけない。
どうしてなのかわからないけど、わたしの心の奥底で、そういう声がずっと聞こえていた。

「ふたりとも、戦ってはダメ」

「メアリ、キミ・・・・・・」

「フン・・・・・・」

意外にもふたりは動きをとめた。とりあえず、一触即発の状態は避けられたみたいだ。
わたしはあらためてダンケルハイトを見た。
ゆったりと落ち着き払っているさまは、威厳すらある。
ダンケルハイト・・・血と殺戮を好む、闇の貴族。
それでもわたしにはなぜか、このダンケルハイトが完全に悪人だとは思えなかった。
どうしてなのか、彼には親近感を感じてしまう。
長身でたくましく、恐ろしい感じはする。けれど、理由もなく人を殺すような、そんな人なんだろうか・・・・・・。

そのとき、声が聞こえた。