(良かった・・・・・・)

わたしは自分の部屋の窓から、夜空を眺めていた。
こうやって落ち着いた夜を過ごせるのも、バージニア様のおかげだ。
バージニア様の説得の甲斐あって、その後、村の中は静けさを取り戻していた。

「・・・・・・ねえ、メアリ。起きてるかい?」

「えっ?」

(いま、外で誰かがわたしの名前を呼んだみたいだけど・・・・・・)

けれど、闇の中には誰の姿もない。

(これはさすがに夢じゃなさそうだし・・・・・・空耳かしら?)

もう眠ったほうがいいかもしれない。そう思って、窓を閉めようとした時だった。

「待って、メアリ! ボクだよ、リチャードだよ」

「えっ・・・・・・リチャード!?」

目をこらして階下を見ていると、木の陰からリチャードが姿を現した。
旅に出るような大きな袋をかついでいる。

「リチャード・・・・・・。こんな時間にどうしたの?」

「ああ、ゴメン、さすがに遅い時間だよね」

「ええ・・・・・・」

時間帯もさることながら、この訪問は異例だった。
こうやって部屋の外から直接声をかけてくるのが不思議だし、そもそもリチャードが訪ねてくること自体、めずらしい。

(なんだか、他人に見られたくない・・・・・・って感じ)

「どうしたの、いったい?」

彼の答えがなかったので、もう一度たずねる。

「いま降りていくから、中に入ってきたら?」

「それはちょっと・・・・・・」

リチャードは口ごもった。
暗くて、彼のはっきりした表情まではわからないけれど、雰囲気からすると困惑しているように思える。

「外は寒いでしょう?」

「キミにどうしても話したいことがあるんだ。
 降りて、出てきてくれないか?」

「は、はあ・・・・・・」

「一刻を争う話なんだよ。
 頼むよ、メアリ! もう時間がないんだ」

いつもと違う様子が気になった。

「わかったわ。着替えるから、少し待ってて」

手早く支度をととのえ、下におりてゆく。

「・・・・・・リチャード?」

「ここだよ」

「お待たせ」

「いや、平気さ。キミのことを待つ時間は、ちっとも苦にはならないからね」

「それで、話ってなあに?」

「うん、ここじゃちょっと・・・・・・一緒に来てくれる?」

「はあ・・・・・・」

「ああっ、そうだ! ダニエラさんたちには、出かけることを言ってきた?」

「ううん、もう休まれていたから・・・・・・メモだけ残してきたの」

「そっか。それは良かった、うん」

「えっ?」

「い、いや、良かったっていうのは、ちゃんと書き置きを残したってことで、べつに深い意味はないんだよっ」

「わかってるけど・・・」  何かリチャードの様子は慌てているというか、少し変な気がした。

「じゃ、じゃあ、行こうか。すぐそこだから」

「はい」

「こっちだ」

「はい」

「こっち、こっち」

「はい」  リチャードに促されるまま、わたしは村の中心を抜けて、森に出た。

「ねえ、リチャード?」

「・・・・・・」

わたしの声が聞こえないかのように、リチャードは足早に進んでいく。

「はあ、はあ、はあ・・・・・・」

速い。これほど体力があるとは思わなかった。
ついていくのがやっとだ。

(話があるって言ったのに・・・・・・ どこまで行くつもり? 他人に聞かれたくない話だから?
 ううん、それならそれで、こんなに遠くまで来なくてもいいはず。
 こっそり話しができる場所なら、いくらでもあると思うし・・・・・・)

「はあ、はあ、はあ」

木々の間をすり抜け、草をかき分けて、道無き道を進んでいく。

「リチャード? どこまで行くつもり?」

「いいからついてきて」

「でも・・・・・・村からどんどん離れていくけど」

「いいんだ、それで!」

リチャードの発した大きな声。せっぱつまったようなその語気の強さに、わたしは思わず立ち止まってしまった。

「・・・・・・どうしたの?」

「わけを言って」

「・・・・・・」

「ちゃんと説明してっ。言ってくれなきゃ、なにもわからないじゃない!」

「・・・・・・」

「理由を聞かせてくれないかぎり、わたしはもうここから一歩も動かないから!」

「・・・・・・わかったよ」

覚悟を決めた、とでもいうように、リチャードは大きく息を吐いた。

「本当は、村を出てから話すつもりだったんだけど・・・・・・」

真正面から、わたしを見つめる。

「メアリ。キミの身に危険が迫っている」

「えっ? どういうこと?」

「自警団がキミのことを狙っているんだ」

「自警団? でも、それは前から・・・・・・」

「違う、今度はただの脅しじゃない。
 彼らは村のルールも異端審問も、ぜんぶを無視して、キミを血祭りにあげる気なんだ」

「わたしを・・・・・・殺すってこと?」

「そうだ。正気とは思わないよ、まったくっ」

(ウソでしょ、そんな・・・・・・)

身の危険を感じるくらい脅されたし、なにより夢のこともある。
そういう意味じゃ、予想していなかったことではないけれど・・・・・・ショックだった。
人が人の命を奪う。しかも、最初からその意図をもって。
わたしの育ってきた環境からすると、とても信じられない考え。

(でも、リチャードがウソを言っているようには見えない)

「ボクが彼らを止められれば良かったんだけど・・・・・・無理だった。
 だから、ボクはせめてキミを・・・・・・」

「・・・・・・」

リチャードは真剣だった。
彼の目の、彼の言葉も、彼の態度も、すべてが告げていることが偽りではないと物語っていた。

(どうすればいいの・・・・・・?)

「・・・・・・そうだわ。いい考えがある!」

「いい考え?」

「村長さんよ。リチャードのお父さん。
 あの人だったら、自警団にも命令できるし、彼らだって従うはずでしょう?」

「パパは・・・・・・ダメだ」

「どうして?」

「イリヤのことがあって・・・・・・パパは自警団を抑える気がない」

「えっ? あの、それって、どういうイミ・・・・・・」

「黙認したんだ、キミの処分を」

「そ、そんな・・・・・・」

「黙認・・・・・・いや、違うな。そうさ、違う。違うんだ。
 ふふ・・・・・・ふふふふっ」

「・・・・・・リチャード?」

「パパはね、このボクにキミを教会から連れ出して、屋敷に連れてくるように命令したんだ」

「そ、それって・・・・・・」

「そうさ! キミが来たら、そのまま自警団に捕まえさせる気だったのさ!
 こんなことってあるかい!? このボクに、キミを・・・罠にかけろだなんて」

「・・・・・・」

「ひどい! ひどすぎるよ!! だから、ボクはパパの命令には従わないことにしたんだ。
 生まれて初めての、反抗期ってやつさ。ふふっ・・・・・・ふふふふっ。あはははははは」

「リチャード・・・・・・」

「行こう、メアリ! ここから逃げるんだ」

「で、でも、逃げるっていっても、どこに行けばいいの?」

「このまま森を抜けて、とりあえず領主様の城のほうに逃げよう。
 あそこなら村の人間も近づかない」

「領主様のお城? で、でも・・・・・・」

「だいじょうぶさ。城の中に逃げ込もうってわけじゃない」

「でも、もし領主様が・・・・・・」

「あの人は、キミを無理矢理連れ去ろうとか、そんなことはしなかっただろう?
 正気を失った村の連中よりは、まだ信用できるよ。
 あの人は、決してキミを傷つけたりしない。そんな気がするんだ」

「え、ええ」

たしかにリチャードの言うとおりだった。
領主様はわたしを傷つけたりはしないだろう。

「とにかく、グズグズしてはいられない。出発しよう」

「・・・・・・わかったわ。わたし、リチャードについていく」

「よし!」

「・・・・・・どこに出発するって?」

「えっ!?」

「だ、誰だっ!?」

「待ってたぞ、リチャード」 「来ると思ってたよ」

現れたのは、自警団のふたり、クラウスとステファンだった。

「キ、キミたちは!? な、なんでここが・・・・・・」

「オマエの行動なんて、予想がつくんだよ」

「お坊ちゃん育ちのオマエより、オレたちのほうが抜け道には詳しいってことさ」

「くっ! 逃げるんだ、メアリ!」

「えっ!? で、でも・・・・・・」

「ここはボクが食い止めるから!」  そう言って、足元に落ちていた木の棒を拾い上げる。

「・・・・・・」  どうしたらいいのか、迷った。

その間にも自警団のふたりがこちらに近づいてくる。

「誰が誰を食い止めるって?」

「無駄なことはやめろ。剣も握ったことがないお坊ちゃんが」

自分たちの優位を確信しているからなのか、ゆっくりとした足どりだった。

「・・・・・・このおっ!」

リチャードは木の棒を振り上げ、クラウスとステファンに突っ込んでいく。

「わああああああぁーーッ! 彼女はボクが守る! 指一本、触れさせないぞっ!!」

(リチャード! ・・・わたしはどうしたらいいんだろう? 彼を残して一人で逃げるなんて・・・・・・
 でも、わたしがここに残ってもなにができるの? 彼の気持ちを無駄にするだけのような気がする・・・・・・)

「このっ、このっ、このおっ!」

わたしが迷っている間も、リチャードは奮戦していた。

「くっ、こいつ!?」

「往生際の悪いやつだっ」

彼ががむしゃらに棒を振り回すものだから、自警団のふたりも迂闊に近づくことができずにいた。

「なにをしてる!? 早くっ!」

自警団の一人と揉み合いながら、リチャードが叫ぶ。

「行くんだ、メアリ!」

(ごめんなさい、リチャード!)

彼に感謝しながら、背を向けて走り出した。

「はあっ、はあっ、はあっ・・・・・・」

わたしは無我夢中で駆けていた。
どの方向に向かっているのか、自分がどこにいるのか、完全に見失っていた。
リチャードから聞かされたことがショックで・・・あの場から逃れたい一心で、走っていた。

(はあっ、はあっ・・・・・・く、苦しいっ。でも、止まったらダメ。はあっ、はあっ、はあっ・・・・・・)

わたしは闇雲に走り続ける。けれど・・・・・・。

「・・・・・・いたか!?」

「いや、見つからない!」

「・・・・・・!」

それは自警団のクラウスとステファンの声だった。

「くそっ。リチャードのヤロウが余計な手間をかけさせやがるから・・・・・・」

「こっちに逃げたのは間違いない。もっとよく探すんだ」

「ああ! 絶対に見つけ出して、始末してやるっ!」

わたしを追いかけてきている!

(そんなっ・・・・・・)

息切れするほど駆けたせいだけではなく、心臓の鼓動はさらに早くなった。

(ど、どうしよう!? あんなに一生懸命走ったのに!)

彼らのほうが、森を歩くのに慣れているということなのか。

「遠くには行っていないはずだ!」

「ああ、わかってる! アイツを殺らなきゃ、こっちが殺られるんだ!」

声は意外なほど近くから聞こえた。もうあまり離れていない。

(とにかく逃げなきゃ!)

「はあっ、はあっ、はあっ・・・・・・!」

「いたぞ、こっちだ!」

「絶対に逃がさねえっ! あの魔女をぶっ殺してやる!!」

「・・・・・・ああっ!?」

ついに追いつかれてしまった。

「手間をかけさせやがって」

「もう逃げられないぞっ! 魔女め!!」

「ち、違う・・・・・・わたしはそんな・・・・・・」

後ずさるわたし。近づいてくる彼ら。

(・・・・・・いやっ!?)

彼らが武器をかまえる。

「や、やめて・・・・・・」

「悪く思うな。これも村を救うためなんだ」

「いやあっ!」

わたしは再び走り出そうとした。

「このやろうッ!!」

「・・・・・・っ!?」

ステファンの投げたナイフがわたしの足元に突き刺さった。
恐怖にすくむ。凍りついたように足が動かない。

(いやっ・・・・・・死にたくない。ううん、死ねない。
 わたしが死んだら、それで悪夢は消えてなくなるの? それならまだいい。それでみんなが助かるのなら。
 でも、本当にそうなの? 真実を知るまで、わたしは・・・・・・死ねない!)

「覚悟を決めたか」

「・・・・・・」

見ると、ふたりはもう、わたしの目の前に立っていた。

「死ねえッ!!」

ステファンが手にした剣を振り上げる。

「・・・・・・!!」