「さあ、どうぞ。ここがキミの部屋だよ」
部屋を背にしてレルムが大きく両手を広げる。
(・・・・・・わあ!)
思わず部屋全体を見渡してしまった。
こんな豪華な部屋は、はじめてだ。
ジェラルド様と対面した部屋に比べれば広さはそれほどでもない。けれど、装飾の豪華さは遜色なかった。
「・・・・・・いいのかしら。わたしなんかが、こんな素敵なお部屋に」
「なに言ってるんだい」
「えっ?」
「ここは元々、キミのために用意した部屋なんだからね。だから、遠慮は無用さ」
「そう・・・・・なの?
どうもありがとう、レルム」
「いえいえ、どういたしまして、お姫様」
レルムはおどけた調子で深々と御辞儀する。
「まあ・・・・・・レルムったら。くすくすっ」
「やっと笑顔が出たね」
「ええ、本当に」
やっとほっとできた気がする。心の中にどれだけ緊張の糸が張りつめていたか、いまになってわかる。
「じゃあ、ボクはこれで失礼するよ。
なにか用があったら呼んでね。すぐに駆けつけるから」
「わかったわ。 あっ、レルム」
「なあに?」 部屋を出て行こうとしたレルムが振りかえる。
「すぐには眠れないかもしれないから・・・・・・ 出歩いてもいいかしら?」
「かまわないよ。廊下側からカギをかけて、キミを閉じこめようなんて不届き者はここにはいないからね。
自分の家だと思って、どこでも好きなことろに行っていいよ」
「そう、ありがとう」
「あっ、ただし。出歩くのは城の中だけにしておいてね。
外には魔物とか、なにより恐ろしい人間たちがいて、危ないからね」
「わかった、外には出ないようにするから」
「うん。じゃあ、ボクはこれで」
「・・・・・・ふう」
ひとりになると、いろいろ思い出してしまう。
(やっぱり、一人だとかえって落ち着かないな。いろいろあった夜だから、気持ちがたかぶっているの?
どうしよう? レルムに言ったとおり、お城の中を探検してみようかしら。
それとも、無理にでも眠ってしまったほうがいいのかな・・・・・・?)
ちょっと迷ったけれど、せっかく許可ももらったことだし、城のなかを歩いてみることにした。
(それにしても静かだわ・・・・・・)
冷たい石壁に手をつき、中庭から夜空を見上げる。
空には満天の星がまたたいていて、とても美しかった。夜気は寒さを感じるよりも、むしろ気持ち良い。
こうしてたたずんでいると、村で事件なんて、なにも起きていないような気すらしてくる。
(ほかの場所にもいってみよう)
「ここは・・・・・・お城のエントランスホールね」
お城というだけあって、いままで見たことがないくらい立派なものだ。ただ・・・・・・。
(なぜだろう? 寒々しい感じがする・・・・・・ ああ、そうだわ。人の気配がしないからだ)
話し声や歩くときの音など、生活感が感じられない。
(・・・・・・あら?、あれは、ジェラルド様だわ)
中央の階段を登ったところに、ジェラルド様が立っていた。
こちらに背を向けている。どうやら、壁の大きな絵を見つめているみたいだ。
ただ、じっと絵を見つめていた。
声をかけることがためらわれるような、そんな空気だった。
「・・・・・・ああ、メアリ。どうした? 眠れぬのか」
ジェラルド様がわたしに気づいた。
「いえ、ちょっとお城の中を散歩していたんです」
「ああ、そうか。 ここはそなたの城のようなもの。自由にするといい」
「はい、ありがとうございます」
わたしは、ジェラルド様が見つめていた絵を見上げた。
それは、男女を描いた肖像画だった。ふたりとも、とても美しい。
その装いもさることながら、全体から醸し出される気品のようなものが、高貴な出の人であることを物語っている。
(男の人は、ジェラルド様、よね?)
絵の中の男性は、目の前のジェラルド様とよく似ている。というか、そのものだ。
女性のほうは・・・・・・。
「・・・・・・」
「どうしたのだ?」
「えっ!?」
「戸惑ったような顔をしている」
「・・・・・・」
「なにか、余にたずねたいことでもあるのか?」
「あの・・・・・・ジェラルド様、この絵はいったい?」
「・・・・・・アルトメイデン」
「えっ!?」
「アルトメイデンだ、この絵に描かれているのは」
「アルトメイデン・・・・・・」
(そうか、この人が・・・・・・)
いままでに出会ったどんな女性よりも美しい人だった。
絵の中の女性だけれどわかる。どれほど気高く、優しい人だったのかが。
「素敵な人ですね」
「・・・・・・」
「・・・・・・ジェラルド様?」
「あ、ああ、そうだな。そなたの申すとおりだ」
(アルトメイデン・・・・・・)
「ありがとうございました、ジェラルド様」
「ん?」
「素敵な絵を見せていただきて。
なんだか、気持ちが落ち着きました」
「そうか・・・・・・それは良かった。
余のほうこそ、そなたに礼を言わねばな」
「えっ?」
「そなたとこの絵を見ることができて、今夜はとても楽しかった」
「い、いえ、そんな・・・・・・ 一緒に絵を見ただけですよ」
「それが、余にはなによりの贈り物だったのだ。
ありがとう、メアリ」
「はい・・・・・・」
ジェラルド様とわかれ、部屋に戻る。
髪を梳こうと、ブラシを探して何気なく鏡台の引き出しを開けた。
(? なんだろう、これ)
ブラシも入っていたその引き出しの端に、ひらたいケースが置かれていた。
好奇心にかられて、テーブルの上に取り出し、開けてみる。
(わあ! すごい・・・)
つややかな真紅の輝きが目に飛びこんだ。
それはルビーがちりばめられたネックレスのようだった。けれどネックレスにしては、ちょっと形が変わっている。
(・・・どこかで見たような気がする)
どこで、いつ見たのだろう。
こんな素敵な宝石、目にする機会すらないはずなのに。
「・・・・・・」
ケースごと持ち上げて近くで眺める。
深く静かなルビーの赤に、目も、心も魅入られそう。
・・・・・・。
『ごめんなさい、ジェラルド』
美しい扉の前に彼女はたたずんでいた。
いつも夢で会う少女・・・アルトメイデン。
ああ、これはあなたのものだったのね。
長く美しい金の髪を彩る、彼女の瞳の色と同じ、真紅の宝石。
!? ふいにわたしは目をしばたかせた。
「いまのは・・・?」
頭をふる。起きているときにまで夢を見るようになってしまったのだろうか。
ケースを元通りにしまい、用意されたベッドに潜りこんだ。
シーツからは洗濯したてのいいニオイがした。
(これって、レルムが洗濯したのかな? まさか、ジェラルド様が洗濯・・・・・・したわけないよね。・・・・・・くすっ)
ジェラルド様の洗濯姿。想像するとちょっとおかしい。
「ふわあ・・・・・・ おやすみなさい・・・・・・」
やがて、わたしは深い眠りに落ちていった・・・・・・。
深い闇の中に、わたしはいた。
あるいは、まばゆい光につつまれていた。
深い闇の中で一筋の光を求め、まばゆい光の中で安息の木陰を求めていた。
自分がなにを恐れ、なにを求めているのか、それさえよくわからないけれど・・・・・・。
なにかを恐れ、なにかを求めているのはわかった。
わたしは、なにかから逃げ惑い、なにかを求めて闇雲に走っていた。
それが夢だという実感がある一方で、いままで現実だと思っていたものが夢であるようにも感じられた。
そう・・・・・・きっと、お城に来たから、こんな夢にうなされるんだろう。
村のみんなが言うような恐ろしいお城ではなかったけれど、なにかを思い出す、そんな空気を感じた。
思い出す? なにを思い出すというのだろう。 子供の日の思い出? それとも・・・・・・。
「うっ・・・・・・うぅっ・・・・・・」
声が聞こえた。さっきのわたしと同じだ。
闇の中でかぼそい光を求めるような。まばゆい光の中で木陰を探すような。
「ぐっ・・・・・・ぐぁぁっっ」
顔に吐息がかかるのを感じた。
「ジェラルド・・・・・・様?」
なにかを求め、なにかを恐れている。
わたしの夢は、領主様の夢だったのだろうか。
それとも、わたしの悪夢を、領主様も感じてしまったのだろうか。
「くっ・・・・・・済まぬ・・・・・・メアリ。驚かせて・・・・・・しまったな・・・・・・」
苦しそうに息をしながら、搾り出すように声をかけてくれる。
「いえ、そんな・・・・・・。それより・・・・・・だいじょうぶですか?」
「くっ・・・・・・すべては余の未熟の招くこと。そなたが案じることはっ・・・・・・くっ!」
「ジェラルド様!」
「くっ・・・・・・ぐうぅぅっ」
闇の深さを思わせる、魂の奥底から来るような呻き声に、わたしには突然わかった気がした。
領主様の苦悩が。恐れているものが。求めているものが。
「いいですよ、ジェラルド様」
「なにを・・・・・・くっ。なにを、言っている?」
「欲しいん・・・・・・ですよね? わたしが。いえ、わたしの血が」
「なっ・・・・・・なにを・・・・・・」
「そんなに苦しいなら・・・・・・わたしは、かまいませんから。
覚悟はできています。たぶん」
「くっ・・・・・・そなたの覚悟の問題ではない。これは、余の問題だ。
余の魂(ゼーレ)のありようの問題なのだ。
いっときの憐憫で、余の意思を揺るがすようなことを言わないでくれ」
「で、でも・・・」
「余なら・・・・・・だいじょうぶだ。
すまなかったな、メアリ。驚かせてしまって」
そう言ったジェラルド様は、少し疲れたような表情に見えるけれど、いつものジェラルド様だった。
「そ、そんなことないです。でも、本当にだいじょうぶなんですか?」
「心配には及ばぬ。すべては余の未熟が招いたことだ」
「でも・・・・・・原因は、わたしなんじゃ?」
「・・・・・・なぜそう思う?」
「こう、ってはっきりとは言えないんですけど・・・・・・」
さっきまでの感覚を思い出す。
「目が覚める前、悪い夢を見ていたんです」
「・・・・・・」
「それがきっと・・・・・・原因なんじゃないかと。・・・・・・違いますか?」
「ふむ・・・・・・。やはり、聡い娘だな。
たしかにそなたの言うとおり、そなたがうなされていたことがきっかけかもしれない。
だがそもそも、そなたがうなされたことの原因は、そなたを余の城に招いたことだ。
余の城に渦巻く諸々の気が、そなたの心に働きかけて、うなされるような夢を見せたのだ」
「そんなの、ジェラルド様のせいじゃないですよ」
「だが、そなたのせいではあるまい。ならばそれはやはり余の責任なのだ。それに・・・・・・
そなたが悪夢にうなされるのを察し、たまらず様子を見にきたことは、余の迂闊であった。
眠るそなたのまぶたに・・・・・・ うなされて汗に濡れた額に・・・・・・ 白くわななく喉元に・・・・・・
あのように心を乱されるとは。
もう少しで余は、取り返しのつかぬ過ちを犯すところであった。本当に、すまなかった」
「そ、そんな! 謝るようなことじゃありません、ジェラルド様。
わたしのことを心配してくれたんですよね? ありがとうございます」
「メアリ・・・・・・。優しいのだな、そなたは」
ジェラルド様は、わたしの頬に手をふれ、微笑んだあと、つと立ち上がった。
「深夜に驚かせてすまなかった。
おやすみ、メアリ。良い夢を」
「はい。おやすみなさい、ジェラルド様」
こうしてわたしは、城での一夜を過ごした。