「・・・・・・ふわあ」
いつもと変わらない目覚めだった。
「・・・・・・えっ!? ここは、わたしの部屋!?」
まぎれもなく、教会にある自分の部屋、自分のベッドだった。
「ジェラルド様のお城で眠ったはずなのに・・・・・・いったい、どうして?
・・・・・・あっ!」
テーブルの上にある一枚の紙片に気づいた。
それは、手紙だった。レルムからの。
「おはよう、メアリ。って言っても、キミがこの手紙を読む頃は、ジェラルド様もボクも眠っていると思うけどね。
目が覚めたら、自分の部屋でビックリした?
ジェラルド様がキミを、朝までには家に帰してあげなさい、って言うもんだから、ボクが運んだんだ。
気づいているかどうかわかんないけど、ジェラルド様もボクも昼間出歩くのは苦手だから。
ずっとキミのそばにいて守ってあげたいんだけど、そういうわけで無理なんだ。
あと、これはボクの勝手なお願いなんだけど・・・・・・
キミにはやっぱり、ジェラルド様のお嫁さんになってほしい。
ジェラルド様も、キミのこと、村から奪っちゃえばいいのにって・・・・・・
あっ、これはボクがそう思ってるだけで、ジェラルド様はあくまでもキミの意思を尊重するつもりだから、誤解しないでね。
ジェラルド様とキミがふたりで幸せになること。それがボクの願いなんだ。
じゃあ、またね。 レルムより」
「レルム・・・・・・ ふたりで幸せに・・・・・・か」
レルムのご主人様を思う気持ちがわかるだけに困ってしまう。
それにジェラルド様ご自身も決して恐ろしい魔物などではない。
優美な物腰と類いまれなる美貌。知性と包容力にあふれた大人の男性だった。
(どうすればいいんだろう、わたし・・・・・・。
でも、このままだと夢でみたことが現実になってしまいそう・・・・・・)
自警団の襲撃と教会の炎上。大切な人たちの死。
あんなことは絶対に見たくない。けれど・・・・・・。
(もう、そうなってきているわ)
自警団が襲ってきたことがそれを示している。
「なんとかしてそうならないようにしたいけど・・・・・・。
ううん、ダメ。絶対に、そうならないようにしなきゃ!
でも、わたし一人だけでは無理だわ」
(ふう・・・)
「・・・・・・バラージュ」
(えっ!? どうしてあの人が・・・・・・)
無意識にこぼれでた名に、わたし自身驚いていた。
でもあの人はふつうの人間じゃない。『貴族』 だ。
彼もジェラルド様と同じく、昼は苦手に違いない。
(・・・あ、お礼をいわなきゃ)
昨晩、自警団の手から助けてくれたのに、わたしは逃げ出してしまった。
夜になったら会いに行こう。そう決めていた。
夜の森・・・。
よほどのことがない限り、村人は決して近づこうとしない。
闇は深く、森の生命力の前では、一人の人間など無力な存在でしかない。
自然の中で生きているように思っていても、村での生活は本当の危険からは守られている。
いや、いまもわたしは守られている。
夜の闇も、深い闇も、何者にも動じない大きな力で。
「どうした、メアリ? 我の顔になにかついているか?」
お礼をいったあと、ずっとバラージュの顔を見ていたことに気づいたのだろう。
バラージュは不思議そうに問いかけた。
「い、いえ。バラージュと一緒じゃなかったら、こんな夜の森にはいられないな、って思って」
フム、と、すこし考える仕草をする。
そんな何気ない表情の変化にも、わたしの目はひきつけられてしまう。
「餓えた獣もおるし、我らの眷属もわいているようだからな。
たしかに、一人でここにいたら、すぐになにかの餌になってしまうかもしれんな。
だが・・・・・・」
「なんですか?」
「そもそも、我がいなければ、このような夜の森に来る必要もなかっただろう。
我がいるから、ここへ来たのであろう。ここへ来たら、たまたま我がいたわけではなく」
「ええっと・・・・・・そうですね。それは、たしかに」
「しかも、眷属どもは、我がここにいることでわいたようなものだからな。
危険な場所にその身を置いているのは、我のせいだぞ、メアリ?」
「でも・・・・・・バラージュがいるから、わたしはいま、安全なんですよ?」
「ふむ・・・・・・まあいい。そういうことにしておくか。
いまここに我とふたりでいる。そのことこそが重要なのだからな。
それ以外のことは、ささいなことに過ぎぬ」
「そうですね」
たしかに、ふたりでいる時間は大切で貴重なものだと、そう思った。
「メアリ!!」
不意に、わたしの腕が強くつかまれる。
腕が強く引かれ、身体ごと引き寄せられそうになる。
「えっ・・・・・・」
驚いて足を止めると、始めの一瞬よりは幾分弱まった力が、わたしの腕をつかみ続ける。
「バラージュ・・・・・・?」
「いい子だ、メアリ。そのまま、動くなよ」
そう言うと、わたしの腕をはなして、地面にしゃがみこむ。
「あの・・・・・・バラージュ?」
「ふむ・・・・・・やはり、生きているようだな」
「生きているって・・・・・・動物ですか?」
「ああ。小鳥が落葉の上に落ちておったのだ」
「ああ、それでわたしの腕をつかんだんですね。一瞬、なにかと思っちゃいました」
「ああ、驚かせてしまったか。すまなかったな」
「いいえ。小鳥を踏まなくて良かったです。でも、全然気づかなかった・・・・・・」
「まあ、それはな。闇の中では、我のようにものが見えることはないだろうからな」
すべてを見とおすような目で、そう言った。
バラージュは弱った小鳥を掌に乗せ、じっと見つめている。
その眼差しは、すべての命をいつくしむ父のようでもあり、すべての生命を掌中に握る絶対者のようでもある。
「怪我・・・・・・してるんですか?」
「見たところ、傷のようなものはなさそうだがな。
見ただけではわからぬようなところを骨折しているのか、あるいは、病をわずらっているのか」
その小鳥は、掌の中で、ぐったりとしていた。
「いずれにせよ、今夜が山だ」
「・・・・・・」
「このあたりの夜は冷える。寒さは体力を奪うからな」
自らの温もりを伝えるように、掌で包みこむ。
「助かると・・・・・・いいですね」
「これだけ弱っていては、もはや助からぬかもしれぬがな。
だが・・・・・・すでに定まった運命であっても、いや、すでに定まった運命であればこそ、我はそれをくつがえそう。
もはや決した定めであっても、我の力ならば変えられる。それこそが我の望みだからな」
「・・・・・・」
掌の上の小鳥をじっと見ている。自らの温もりを伝えるように。
あるいはわたしにはわからない方法で、バラージュの生命のちからを伝えようとしているのかもしれない。
「・・・・・・」
長い長い沈黙が続いた。
大理石の彫像のように、毛先すらも動くことはなかった。
そして、不意に口を開く。
「・・・・・・死んだ、か」
「えっ・・・・・・」
わたしの目には、その小鳥は、さっきまでと同じように見える。
魂(ゼーレ)が目に見えたなら、それが天に召されるところを見ることができたのだろうか。
「やはり、力なき者は死すが定めか」
「・・・・・・」
そうつぶやく言葉は、目の前の小鳥に向けられているようで、もっと遠くにいる誰かに向けられているようにも聞こえた。
あるいはどこかにいる誰か、ではなく、永遠とも思える長い時の中で出会った誰か、なのかもしれない。
「・・・・・・定めをくつがえすことはできなかったな」
掌がゆっくりとかたむけられ、その上に乗せられていた小鳥が地面に落ちる。
「えっ・・・・・・」
「どうかしたか、メアリ?」
「あ、あの、埋めて、弔ってあげたほうが・・・・・・」
「生きることは戦い。敗れたものは、生きるものの糧となるのが道理だ。
こうして森の中にあれば、虫やねずみが食らうだろう」
「・・・・・・」
「生きるものの糧となるのは、死せるものの果たすべき役割だ。
・・・・・・我を、冷たいと思うか?」
「・・・かわいそうだと思いました」
「まあ、そうだろうな。目の前で命が失われた時、人間はそう思うのが普通だろう」
「いえ・・・・・・小鳥もそうですけど、バラージュが」
「我が・・・・・・だと?」 わずかに目を見開く。
「はい」
「我のどこに、哀れむべきところがある?」
「哀れむというのとは違いますけど・・・・・・。
バラージュは、『貴族』 だから・・・・・・永遠ともいえる永い時を生きてきたのでしょう?」
「ああ」
「その永い時の中で、いまのように助けられない命や、失われる命を見てきたんだと・・・・・・
永く生きるとは、そういうことなんだと思うと、バラージュのことが・・・・・・」
「・・・・・・聡い娘だな、メアリ。
たしかに、永く生きればそれだけ・・・・・・見たくないものを見続けることもある。
我が身よりも大切に思ったものが失われる、そんなことも幾度となくあった。
それがいつのことで、同じようなことが幾度あったかも思い出せないほどにな・・・・・・」
そう言ったバラージュの言葉の奥の感情は、わたしには到底理解できないものなんだろう。
わたしはバラージュの十分の一、あるいは百分の一も生きていない。
そのわたしには理解できない大きな悲しみ・・・・・・。
あるいは悲しみという言葉では言い表せない感情がバラージュの根底に流れている。
「バラージュ・・・・・・」
「そのような顔をするな、メアリ。
おまえを悲しみから、苦しみから、解き放つことこそが我の望み。
我の前では笑っていろ。メアリ」
「・・・・・・はい、バラージュ」
「傷を負うのも、血を流すのも、すべて我が受け止めるべきこと。
たとえ我の身になにが起こっても・・・・・・目の前で我の魂が滅びても、笑っていてくれ。
そうであってこそ、我もまた、解き放たれるであろうから」
「バラージュ!?」
「そんなに驚くな、メアリ。たとえば、の話だ。
我の魂は絶対にして不滅。滅びることなどないのだからな」
そう力強く言いきったバラージュの顔は、なにかを心に定めたような色を浮かべていた。
どこか遠くを見て、わたしではない誰かと話しているようで、それがわたしの心を不安にさせる。
それでも・・・・・・。その瞳に浮かぶ色は、わたしの心に強く焼き付いていた。