お城のすぐ手前で、わたしたちは黒い影に襲われた。
影が目の前にせまっきて・・・。
「・・・・・・はあっ、はあっ、はあっ」
わたしは飛び起きた。
(・・・・・・夢?)
どうやらそうらしい。眠った時と、まったく変わらない景色だった。
「夢、だったの・・・・・・?」
全身が鳥肌立ち、冷や汗が噴き出していた。
「・・・・・・うっ」
なんだか胃がムカムカする。内臓全部が悲鳴を上げているみたいだ。
たまらず部屋を飛び出した。
「・・・・・・はあっ、はあっ、はあっ」
井戸の水で口をすすいで、やっと落ち着いた。
最近、いろいろな夢を見る。けれど、これほど恐ろしい夢を見たのは初めてだった。
血が流れたり、人が殺されたり、といった視覚的な恐怖とは違う。
自分の意思では抑えることのできない恐怖。
しいていうなら、魂(ゼーレ)で嫌悪感を覚えるような、そんな感覚。
「あれは夢じゃなかったような気がする・・・・・・」
音を立てないように、ゆっくりと扉を閉める。
わたしは一人で教会を抜け出した。
(確かめなきゃ。もう一度あそこに行って)
『貴族』 の、いえ、ジェラルド様のお城。あそこにすべての謎を解く鍵があるような気がする。
バージニア様にも、ダニエラさんにも、行き先を告げるわけにはいかなかった。
出かけることすら言えない。
言えば、ふたりとも止めるに決まっている。
わたしの決意が固いと知ったら、一緒に行こうとするだろう。
(ふたりを危険な目に逢わせるわけにはいかないもの・・・・・・)
一人で城まで行くのは恐い。それでも、一人で行かなければいけないんだ。
(だって、これはわたし自身の問題だから)
「・・・・・・見えてきたわ」
山をぬう道の先に、ジェラルド様の居城がそびえ立っていた。
城の周りに張り巡らされているという 『結界』
を通り抜けられるのかどうか、半信半疑だったけれど・・・・・・。
どうやら無用の心配だったみたいだ。
「そうか・・・・・・ もしかすると、ジェラルド様が
『結界』 を解いてくださったのかもしれない。
・・・・・・ふう」
大きく息をついて呼吸を整える。
山道を登り切って、城の入り口に辿り着いた。
「あっ・・・・・・」
玄関の大扉に触れると、力を入れたわけでもないのに、扉はひとりでに開いてくれた。
「良かった。歓迎されてないわけじゃないみたい」
少し不安だったのだ。
『結界』 を解いてくれたのなら、ジェラルド様はわたしの訪問に気づいているはずだった。
それなのに、ジェラルド様もレルムも出迎えにきてくれなかったから。
「ジェラルド様? レルム?」
ふたりからの返事は返ってこない。
(ヘンね・・・・・・)
「ジェラルド様の部屋・・・・・・」
しかし、部屋に主の姿はなかった。
(本当に、ふたりともどこに行ってしまったの・・・・・・?)
たんに外出している、というのならそれでいい。勝手に訪ねてきたわたしが悪いだけだ。
「ここだわ・・・・・・ わたしが泊めてもらった部屋。
ちゃんとお掃除されている・・・・・・」
ベッドも綺麗に整えられていた。
「・・・・・・」
呼吸をととのえて、鏡台の引き出しに手をかける。
城の主に無断でこんなことをするのは気が引けたけれど、もうあとには戻れない。
(あった)
平たい箱を取り出す。
開けると、ため息が出るような、美しいルビーの髪飾りが目に飛び込んだ。
(ごめんなさい、ジェラルド様。ほんのちょっとだけ貸してください)
手を伸ばし、髪飾りを指にからめる。紅玉のディアデムは揺れるたびに美しくきらめいた。
傷つけないように慎重に、頭にのせる。
意識がすうっと引きこまれる。
(良かった。またあなたに会えた)
夢か幻か、さだかでない空間。
目の前には鏡のように、あの少女がたたずんでいた。
「アルトメイデン・・・あなたは何者なの? どうしてわたしの夢にあらわれるの?」
わたしがつけている髪飾りと同じものをつけた少女にわたしは問いかける。
宝石と同じ真紅の瞳がわたしをみつめた。
『わたしはかつてのあなた。あなたはいまあるわたし』
(・・・どういうこと?)
「あなたはジェラルド様の大切な方ではないの」
濡れた瞳が悲しげにまたたき、アルトメイデンは白い指先でわたしの額にふれた。
「あ・・・」
頭の中に直接、記憶が流れこんでくる。
(そう、あなたはジェラルド様と婚約していたのね。
でもバラージュと出会い、恋に落ちてしまった・・・・・・)
「私たち、『貴族』 に約束を破ることは許されません。まして婚姻の約束は聖なる誓約・・・」
「アルトメイデン・・・」 男の人の声がどこからか響いた。
「貴女に運命をくつがえす覚悟がありますか」
(この声は・・・うっ!)
突然キーンとする頭痛がわたしを襲い、たまらず床にくずおれる。
「メアリ!」
駆け寄る気配のあと、誰かの腕が冷たい床からわたしを抱き起こしてくれた。
誰? もうろうとする視界に彼が映る。
「マックス・・・」
「メアリ、しっかりしてください!」
「あ、コンラッドさん」
目をしばたく。
あれほどひどかった頭痛は、いまはもう嘘のようにひいていた。
「・・・まったく、キミという人は」
ため息とはうらはらに、コンラッドさんの顔には安堵の色がうかんでいた。
「コンラッドさん、どうしてここに?」
「後ろ姿が見えたので追ってきたんです。キミこそどうしてこの城に?」
「実は・・・」
いいかけて、はっと髪に手を当てた。ちゃんと髪飾りをかえさないと。
「それはエントラスンスにあった肖像画の・・・」
「はい。よく気づきましたね」
「キミに似ていましたから・・・」
「え?」
聞き返したけれど、コンラッドさんはそれ以上、答える気はなさそうだった。
立ち上がり、興味深げに室内を見渡している。
その間に髪飾りをはずし、そっと引き出しのなかに戻した。
「・・・・・・これは!」
「どうかしたんですか?」
コンラッドさんはその場に置かれていた書物を手にとっていた。
「古い文書です。そう、とても古い・・・・・・ 見てください」
コンラッドさんが古文書を見せてくれる。
そこに書かれていたのは、はじめて見る文字だった。けれど・・・
「アルトメイデンは 『貴族』 において、始祖につらなる聖女。
コンラッドさん、これは?」
「ここに書かれているのは、『異端』 に関する教会の記録です。
この文字は私たちの使っている言葉の元になったものです。
いまではもう使われなくなっていますから、教会でも限られたものしか読むことはできないでしょう。
キミならもしかしたら読めるんじゃないかと、そう思ったのですが、やはり・・・」
「わたしなら?」
「行きましょう。ここに長くいてはいけない。そんな気がします」
「は、はい」
ざっと見た限りでは、アルトメイデンについて触れているのは、そこだけのようだった。
さすがに持ち帰るわけにはいかない。
「ここは・・・・・・?」 コンラッドさんはふと立ち止まった。
「中庭です」
「美しい場所だったのでしょうね・・・・・・かつては」
「ええ」
「滅びに向かう城。その象徴としては、ふさわしい・・・・・・
メアリ、永遠とはどのようなものだと思いますか」
「えっ?」
コンラッドさんは月に照らされた城の中庭を見つめて言った。
「永遠とは、変わることがない世界、閉ざされた世界。繰り返す世界」
(・・・・・・あれ? 同じことをどこかで聞いたような・・・)
わたしは見上げたコンラッドさんの横顔から、目をはなすことができなかった。