わたしは夕闇のせまる森の入り口にいた。
闇に染まり始めた森に心まで包まれるのを感じながら。

影は濃くなり、もやにかかったようにおぼろげな視界が広がっている。
強い風が木々の間を抜け、精霊がおびえるわたしの前におりる。
わたしは熱の残る空を見上げる。
太陽の光が去った世界。それはやがて別の世界に変わる。
静かに照らす月の光。
わたしをまどわそうとする精霊はふいに何かにおびえたようにかき消えた。

「・・・バラージュ」

こんなふうに輝く目をまた見る
わたしに向けられるまなざし。
心臓は鼓動を高める。

いつもいとしい。
いつも優しい。
いつも強い。
いつも生きている。

わたしの中でおぼえている。
何度もくりかえされた彼のキス。

そして、心は永遠にわたしを壊した。

   *   *   *

わたしは夢と現実の狭間をただよっていた。
目のまえにダンケルハイトが現れても、どこか現実離れした、夢の続きに思っていた。

「我を呼んだか、メアリ」

「えっ? あっ、ダンケルハイト・・・」

「・・・まだ目覚めぬか。我の名はバラージュ」

「バラージュ・・・・・・」

声に出して呼んでみる。どこかなつかしい。

「こんなところでなにをしている?
 夜は我ら、『異端』 の時間。過去の過ちをくりかえすつもりか」

「あ、あの、バラージュ、わたし・・・」

「フム、ここでは邪魔が入るな。こっちへこい」

「えっ?」

腕をつかまれ、とっさに踏みとどまるわたしを振り向き、ひとこと言った。

「面倒なことになりたくなければ、ついてくることだ」

「え? あ・・・」

背後を振り返ると、たいまつの明りがちらちらと見えた。
自警団の見回りだ。
少し迷ったけれど、やがてわたしはバラージュと一緒に森の奥に姿を消した。

獣の遠吠えも聞こえたし、異端もうろついている危険な森なのに、ぜんぜん怖くなかった。
それは前をゆくバラージュがあまりにも悠然としていたからかもしれない。

「ここらへんでいいだろう」

バラージュは足を止めた。

「あの、ありがとうございました。イリヤを助けてくれて」

深々とおじぎをする。
バラージュが助けてくれなければ、大切なわたしの親友は、イリヤは確実に命を落としていた。
精神的なショックが大きくて、ほかの街で治療をうけることになったけれど、それでもバラージュには感謝してもしたりない。

「ああ、そのことか。構わぬ。
 わざわざ我に礼をいうために夜の森にきたのか?
 友を追って森に入ったことといい、大胆な姫君だ。
 昔から・・・変わらぬのだな」

木によりかかり、わたしを見るバラージュの眼差しは穏やかで、
コンラッドさんに聞いたダンケルハイトのイメージとはあまりにも遠いように思えた。

「・・・・・・」

「どうした?」

「あ、すみません。なんだか不思議な気がして。
 あなたはイリヤを助けてくれた親切な方なのに・・・
 コンラッドさんがいうダンケルハイトとは違う気がするんです」

「コンラッド? ああ、あの異端審問官か。あの者は・・・ いや」

バラージュはふいに言葉を切った。

「我には、徳などありはしない。
 ただ貴族たる力と、その力にふさわしい自らの意思があるのみだ。
 我がしたいと望んで、おまえの友を助け、我がそうあるべきと定めて、いまおまえのそばにいる。
 我は為したいように為す。ただ、それだけのことだ」

その様子はすべてを知っているように落ち着いていて、何かを心に秘めている、そんな感じだった。

「バラージュ・・・ あなたはわたしを知っているの?
 あなたは、誰?」

コンラッドさんはダンケルハイトがジェラルド様以上に真相を知っていると思っていた。
わたしもいまはそう思っている。
けれど、バラージュの答えは素っ気ないものだった。

「我のことなど、わからなくていい。
 おまえはおまえのままでいることだ。
 ・・・メアリ」

「はい?」

ふと、バラージュはわたしを見つめ、問いかけた。

「永遠とはどのようなものだと思う?」

「えっ? 永遠、ですか。
 えっと・・・ずっと変わらないこと、でしょうか」

「そうだな。永遠とは、変わることがない世界、閉ざされた世界、繰り返す世界」

そうつぶやいたバラージュの表情に浮かんだ感情がなんだったのか。
言葉に表せない想い、決意。
わたしにはこの人のことを、まだかけらほどもわかっていない。
そんな気持ちになった。

「バラージュ、またあなたに会えますか」

そんな言葉が口をついて出てしまったのも、彼の心の一端を垣間見てしまったからかもしれない。
バラージュは寄りかかっていた木から身を起こし、言った。

「ああ。我はここにいる。会いたくば夜、訪れるがいい。
 そろそろ戻るか。送ろう」

森の奥は深く、わずかな先も見とおせない。
わたしに見えるものはあまりにも少ない。バラージュの背を見ながら、そう思った。