黒い『なにか』の正体は、黒衣をまとった長身の男性だった。
彼が空からやってきたのだ。
(綺麗な人・・・・・・)
「アルトメイデン・・・・・・」
「えっ?」
「いや・・・・・・。驚かせてすまなかった、メアリ」
「い、いえ・・・・・・」
(そうか。この人が、レルムの行っていたジェラルド様・・・・・・
こんなに綺麗な人がいるなんて。しかも、男の人?)
男性だとわかったのは彼の声を聞いたからで、それより先に女性だといわれていれば、信じてしまっただろう。
ジェラルドという男性は、それくらい美しかった。漆黒の髪に高貴な紅い瞳、優雅な立ち居振る舞い。
(なんだろう、この世のものとも思えないくらい・・・・・・)
神の使いがいるとしたら、きっとこんな人だろう。
いや、神その人が降臨された姿なのかもしれない。
「あの、あなたが・・・・・・ジェラルド様・・・・・・」
「余は、ジェラルド=ヴィルベルヴィント。西の地を統べる者」
「ジェラルド様・・・・・・」
では、やっぱりレルムのご主人様はこの人なのだ。
「余が棲まうは・・・・・・あの山の城」
「えっ!? それじゃあ・・・・・・」
「人間たちは、我ら種族のことを 『貴族』 と呼ぶ。畏敬と崇拝を込めて」
「『貴族』・・・・・・領主様!?」
まさか、本当に・・・・・・?
(ただの言い伝えだと思っていたのに。
お城には誰もいないって、そう思って・・・・・・)
「村の長はいるか?」
「はい、ここに」
輪の中から、村長さんが出てきた。
「彼女が16の誕生日を迎えた日、余はもう一度ここに参る。その日、彼女を捧げよ。
・・・・・・余の花嫁として」
(えっ・・・・・・!?)
村の人たちがどよめいた。
「静かに! 領主様の前だぞ!」
村長さんが収めようとするけど、みんなの心に生じた衝撃はかんたんには収まらない。
それはわたしも同じだった。
(花嫁・・・・・・わたしが、この方の?)
信じられない。というよりも、あり得ない。
(だって、わたしは・・・・・・わたし・・・・・・)
「お待ちなさい」
(・・・・・・あっ!?)
敢然と前に進みでたのはバージニア様だった。
バージニア総長は、教会で一番偉い方。
かたわらには、ダニエラさんの姿もある。
(バージニア様・・・・・・ダニエラさん・・・・・・)
「・・・・・・教会の者か」
「その子は、教会の子。たとえ 『貴族』
であろうと、『異端』 に渡すわけにはいきません」
(『異端』?)
正当ではない、という意味だろうか?
それとも、なにか別の意味があるのだろうか。
どちらにしても、初めて耳にする表現だった。
「この子は絶対に渡さないわ。なにがあろうと」
「余は争いは好まぬ。特に教会との争いはな」
「ならば、お下がりなさい、魔物よ!」
「・・・・・・・・・・・・」
「こらーっ! 人間ふぜいが生意気だぞ。
ジェラルド様? コイツら全員、食べちゃってもいいですか?」
レルムの言葉に村人の輪が激しく揺れた。全員が二歩、三歩下がる。
『冗談じゃない!』
『オレはまだ死にたくねぇ!』
そんな言葉がわたしの耳に届く。
「ま、待ってください!」
気がつくと、わたしは間に割って入っていた。
「・・・・・・!」
「あ、あ、あのっ・・・・・・」
声が、足が、震えていた。
怖い。わたしだって、死にたくない。
でも、こうなったのがわたしの責任なら、なんとかしなきゃダメだ。
「なに?」 レルムの不機嫌な声がかえってくる。
「お願いです! ひどいことをするのは、やめてください。
この人たちは、バージニア様もダニエラさんも、わたしにとっては家族なんです。
だから・・・・・・だから、お願いします。ジェラルド様!」
「・・・・・・・・・・・・」
「ああ、メアリ・・・・・・」 バージニア様がつぶやいた。
「レルム様も、お願いします!」
「うわあ、『レルム様』 だって。 わあっ、わあっ、わあっ
いやだなあ、メアリ。そんなふうに呼ばれたら、ボク、照れちゃうよ。
冗談だよ、じょーだん。ボクみたいに善良な使い魔が、そんなコトするはずないじゃない。
ねえ、ジェラルド様? そうですよね?」
「レルムよ。そなたはとても良い子だが、イタズラが過ぎるのが玉にキズだな。
人間はとても弱い生き物だ。あまり驚かせるものではない」
「はい、ジェラルド様」
「メアリ・・・・・・今日はそなたを驚かせてばかりだな。すまぬ」
「い、いえ、そんな・・・・・・」
たしかに驚いてばかりだ。けれど、ジェラルド様に謝ってもらうと恐縮してしまう。
(どうしてだろう・・・・・・? この人は怖くない)
人間でないことは明らかだ。魔物・・・・・・いや、『貴族』 だというのに少しも怖くない。
言葉をかわすことも嫌じゃない。
「じゃあね、村長。たしかに伝えたからね」
「いや、ですが・・・・・・」
「もし拒んだりしたら、その時は・・・・・・」
「ど、どうなりますか?」
「さあねー。恐ろしいことが起こったりしないとも限らないんじゃないかな」
「・・・・・・」
「よーく考えて決めたほうがいいよ? 軽率な行動は命取りになるからね。
そうですよね、ジェラルド様?」
「・・・・・・そうだ」
「・・・・・・」
話しているのは主にレルムで、領主様のほうは時々、彼に対して指示を出すくらいだった。
それでも、わたしの視線は領主様――ジェラルド様に集中していた。
なんといっても私を花嫁にしたいと仰ったのはジェラルド様なのだし、それに、かの人はとても美しかった。
女性的な美しさとは似ているけれどちょっと違う。男性的な力強さでもなかった。
(なんだろう・・・・・・)
瞳から、顔から、身体全体から発せられる魅力。
目を奪われるような、心の奥底に直接響いてくるような吸引力。
(あぁ、なんて素敵な方なんだろう・・・・・・
・・・・・・! わたしったら、なにを考えているの!? 教会に身を捧げる決心をしたばかりだっていうのに!)
「どうしてですか・・・・・・」
「ん?」
「ジェラルド様、どうしてわたしを・・・・・・」
「いずれわかる」
「いずれ・・・・・・」
「いまはまだその時ではない。そなたが知るべき時が訪れてはいないのだ」
「・・・・・・」
「だが、わかっておいてほしい。
余が決して、そなたを苦しめるために来たのではないということを」
ジェラルド様は優しい眼差しでわたしを見た。
「答えはいますぐ出す必要はない。ゆっくり考えるといい」
「はい、でも、あの・・・・・・」
「行くぞ、レルム」
「はい、ジェラルド様」
ジェラルド様が黒衣をひるがえす。
と、一陣の風が突如として吹きおこり、村人たちはたまらず目を閉じた。
(・・・・・・あっ!?)
次の瞬間にはもう、ジェラルド様とレルムの姿は消え失せていたのだった。