季節はめぐって、春。
初日の出のときに外で眠ってしまったのが原因なのか、年明け早々にひいた
風邪がずいぶんと長引いてしまって、1月2月と休みがちになってしまいました。
おかげで冬のあいだ、部活動にほとんど参加できなかったので、
そのぶん今はがんばって文学研究部で活動中。
今日は日曜日だけど、うららかで、うってつけの読書日和。
そんなわけで、文学の心を磨きにいってきまーす。

校庭には桜が植えられている一角があって、この季節はとてもきれい。
あら、あそこにいらっしゃるのは・・・?

桜の花びらが雪のように舞い散る美しい風景のなか、
芝生の上に横になったナオジ様が片肘をついて本をめくっていた。
あんなにくつろいだご様子はめずらしいかも。

「どなたの詩集を読んでらっしゃるのですか?」

私の声に、本に視線を落としていたナオジ様は顔を上げた。
起き上がって、後ろの桜の幹にゆったりと背中を預けると、
手にしていた本を閉じて表紙を見せてくれる。

「これは、トラベオ出身の詩人の本です。
 牧歌的で美しい故郷への想いが詠われています」

「トラベオですか・・・。 行ってみたい・・・」

「そうですね。 自然との調和がとれた所だと聞いています。
 もし機会があれば、自分も訪れてみたい」

ピュ〜

突然この季節には珍しい冷たい風が吹いて、桜の花びらをいっそう散らせた。

「・・・少し風が出てきました。戻りましょうか?」

軽く服をはらったあと、ふと上げたナオジ様の視線が何かに気付いて止まった。

「ん? エリカ殿。少しじっとしていてください」

「え?」

ナオジ様が近づいてきて、ふわりと私の頭上に手をかざす。
うわぁ。 髪に指先が触れる、かすかな感覚につい身を硬くしてしまった。

「・・・・・・。 さあ、取れました」

「・・・葉っぱ・・・?」

「今の風であなたの髪に付いてしまったようですね」

「ありがとうございます」

「・・・あ・・・」

「ナオジ様?」

「また・・・だ・・・。この感覚・・・」

「え?」

見開いたナオジ様の目は懸命に何かを思い出そうとしているみたいで・・・。
いったいどうされたのかしら。
心配そうに見つめる私に気付いて、ナオジ様はそれ以上考えることをやめたみたいだった。

「ああ、いえ。なんでもありません。
 せっかくだから、この落ち葉を利用させて頂きましょう。
 この詩集のしおりに、とても似合うと思いませんか?
 ・・・このしおり、大切にします」

「え・・・?」 

最後の言葉の打って変わった響きに思わず聞き返してしまったけど、
ナオジ様はそれには答えてはくれず、穏やかな微笑みだけを返してくれた。

「くす。さあ、行きましょうか」

そばについて歩きながら、私は不思議な高揚感に包まれていた。
なんだろう。この感じ。
すごくどきどきする。
あとで思えば、このとき考え事をしながら歩いていたのがいけなかったんだわ。

「きゃっ」

「エリカ殿?!」

太い根で地面が盛り上がっているのに気付かず、私はもろに転倒した。

「だいじょうぶですか?」

「は・・・い、すみません。 だいじょうぶです」

うう、恥ずかしい。
だけどもっと悪いことに立ち上がろうと体重をかけたとたん、足首に痛みがはしった。
っ! これはちょっとマズいかも。
・・・。
地面に座り直した私はナオジ様を見上げて、にっこりと微笑んだ。

「すみません、ナオジ様、先に行って下さい。
 私、もう少し花を眺めていきます」

「・・・。怪我人を置いてはいけませんよ。立てないのですか?」

「いえ、たぶん・・・だいじょうぶです」

近くの木にすがって立ち上がろうとすると、ナオジ様が手を貸してくれた。
ふと顔を上げると、すぐ目の前にナオジ様がいて・・・、
あせって距離をとろうとした瞬間、思いっきり痛めた足に体重をかけてしまった。
痛っ! さっきとは比べ物にならない激痛が駆け抜けて体がぐらりと揺れる。

「あぶないっ! 失礼!」

ぐいっと引き戻されたかと思うと、次の瞬間、私の体はふわりと宙に浮いていた。

「ナ、ナオジ様!? あ、あのっ!」

「暴れないでください」

「はい・・・申し訳ありません」

ナオジ様に抱き上げられた私は真っ赤になってうつむいた。
心臓が破裂しそうなほどドキドキと鳴っている。
足首の痛みなんて、もうとっくの昔にどこかに飛んでいっていた。
そのままナオジ様は私を保健室へと運んでくれたんだけど、
保健室に着く頃には私もだいぶ落ち着きを取り戻してきていて、
今日が日曜でほかの生徒がいなくてほんとによかったと
心から安堵のため息をついていた。

「失礼します」  保健室のドアをあけると、

「ふーん、昼間からずいぶんと見せつけてくれるじゃない?」

奥のほうから、ちょっとけだるげな女の人の声が私たちを出迎えた。
顔を向けると、露出度の高い服に白衣をまとった女の先生が
足を高く組んで、回転式の椅子からおもしろそうにこちらを見ている。
同性の私から見てもすごく色っぽい先生。この人が校医のフランシス先生かぁ。

「あら、どうしたの?」

「足を痛めたようなのでみていただけますか。自分は外で待っています」

ナオジ様が出て行くのを見送った視線はやがて私に向けられた。

「へぇ〜、あなたもやるわね。ちょっといじめてあげたいけど・・・」

え?

「冗談よ。子ウサギちゃん」

そんな含みのある笑みで言われても、全然冗談に聞こえないんですけど・・・。
ちょっと聞きには物騒な会話をしつつも、フランシス先生は派手なマニキュアをしている指で
器用に手当てをしてくれた。

「はいおしまい。鎮痛剤でも注射しておく?」

「いいえ、けっこうです・・・。ありがとうございました」

「・・・」

しばらく値踏みするように私を見ていた先生は、やがて艶のある微笑を浮かべた。

「もし悩み事や他の生徒のことで知りたいことがあったら遠慮なく保健室へいらっしゃい。
 私はドロドロとした人間関係が大好きなの。期待しているわよ」

「はぁ・・・。では失礼します」

たいしたケガではなかったのか、はたまたフランシス先生の手当てがよかったのか、
ナオジ様につきそわれて寮に帰ったあと、おとなしくしていたら、だいぶよくなりました。
そして夜、ベッドに入って、今日の出来事を思い返していたときに、
ふと思い出したのです。 初夢のことを。
・・・うーん、似てるようなところもあったけど、ちょっと違うかな。
それに昼間のドキドキが恋のせいか分からないし。
だってナオジ様みたいな素敵な方に急に抱き上げられたら誰だってどきどきするでしょ。
そう思いませんか?