卒業式を来月にむかえる私たちにとって最後の学園祭。

「今日は建校記念日、歓喜に満ちたこの日を・・・。
 日ごろの成果を・・・・・・。 ・・・ ・・・」

ふ〜、いつもながら、校長の話長かった〜
さあ、今年もはりきって文学部の準備に行かなくちゃ。

と、その前に。足がぴたりと止まった。
文芸部の発表は午後からだし、今のうちに他のところを見学してこようかな。

さて、どこに行こう・・・。
そんなことを考えていたとき、近くを通る女子生徒の会話のなかに
“ナオジ様” という言葉が出てきて、思わず耳をそばだててしまった。

「存じてるわ。中庭でしょう?」

「ええ! 本当に素敵でしたわ。
 制服とはまた雰囲気が違っていらして、思わず見とれてしまって・・・」

? なんだろう。
よく分からないけど、見に行ってみよっと。

中庭に出る角の先から時々歓声があがるのが聞こえてくる。
いったい何をやっているのかしら。
小走りに近いほど足を早めて角を曲がると、人の向こうに
以前見たことのある大きな弓がいくつか並んでいているのが目に入った。
あ、あれは。

「エリカ殿、きていただけたのですね」

ナオジ様。
わぁ、さっきの女生徒が言っていたとおりだわ。
今日のナオジ様は見慣れた制服姿と違って、とても新鮮。
白い着物につややかな黒髪が映えて、いつにもまして凛として見える。
気をゆるめると目を奪われてしまいそうで、並べられた弓矢に何気なく視線をそらせた。

「ナオジ様、弓道を?」

「ええ。日本の文化を、少しでも理解してもらおうと思って。
 エリカ殿、あなたも引いてみますか?」

「あの、でも・・・」

「大丈夫です。きっとできますよ。さあ、どうぞ」

・・・よし、やってみようかな。

「いいですか。あの的の少し上を狙って、指から弦を放してください」

「・・・はい。くぅ・・・か、硬い」

力をこめて引いても弦はびくともしなくて、
ついに根負けした私はがっくりと肩を落として、息をついた。

「はぁ、ダメです・・・引っ張れません」

「弦が硬すぎますか? 私がお手伝いしましょう」

「え? あ・・・」

そばに来たナオジ様は私の背後に立つと、包み込むように手を添えて、
一緒に弦を引いてくれた。
確かに引けたことは引けたけど・・・
ナオジ様、これは心臓に悪すぎます〜!!
体温が伝わるほどすぐ近くにナオジ様を感じて、急にどきどきしてしまう。
顔が火照っていくのが分かって、たまらずうつむきかけたとき、

「そのまま、まっすぐ的を見据えて・・・」

「は、はい!」

ナオジ様の声に慌てて視線を戻した。
落ち着け、私。
呼吸を整え、弦を引き絞って狙いを定める。

「さあ、指を離して!」

ピュッ
勢いよく飛び出した矢は弧を描いて、的の上のほうに見事命中した。

「あ! 当たったわ」

さっきまでの動揺はどこへやら、すっかりはしゃいだ私を見て
ナオジ様はまぶしそうに目を細めた。

「くす、なかなか筋がいいですね。エリカ殿」

「ふふ、弓道って面白いですね」

「興味を持っていただけましたか? 今度あなた用の弓をご用意しますよ」

「わあ、本当ですか? すごく嬉しいです」

「ええ。約束します。あなたの無邪気な笑顔が見られるのなら・・・」

「ナオジ様・・・」

ナオジ様は私の手から弓を受け取ると、矢をつがえ、すっと構えた。
きれいな姿勢から放たれた矢は吸い込まれるように的の中心に突き刺さる。
すごい・・・。弓をおろしたナオジ様は私のほうに向き直った。

「午後は自分も文学部の発表会に参加します。
 あなたの発表を楽しみにしてますよ」

そしてつつがなく発表会も終わり、放課後。

あっ、忘れ物をしてしまった。取りに行かなきゃ!
あれ、人の声? とっさに物音を立てぬよう立ち止まってしまった。
誰かいるの? もう皆帰ったはずなのに。
ちょっと覗いてみよう。 ・・・・・・。

「ナオジ、お前は故郷に未練があるのか?」

!! ルーイ様と、ナオジ様!? 全身に緊張が走った。
本当はいけないことだけど、この会話の内容・・・気になる。
息を殺して、じっと耳をすませると、間を置いてナオジ様の声が聞こえた。

「・・・未練・・・ではありませんが、行く末を案じてはいます」

「お前一人が故郷に帰ったところで、何か変わるのか?」

「・・・」

近寄ったルーイ様の手がナオジ様の頬にかかる。
ごくん。見ているこっちのほうがどきどきしてしまう。
視線をそらしたナオジ様を見つめ、ルーイ様は言った。

「ここに残り、私と手を組め。
 世界を一つに纏めてみせよう。
 そうすれば、お前が故郷を案ずることも無くなるだろう」

「・・・」

「悪い話ではないと思うが?」

「・・・ええ、ですが、自分はご一緒できません」

ナオジ様はルーイ様の手を外すと、すっと顔を上げた。
その眼差しはさきほど弓を射たときと同じ、迷いのない、まっすぐなものだった。

「自分はここに来てからずっと考えていました。
 家族の事、祖国の事、自分の事。
 ずっと迷っていました・・・。しかし自分は!」

「もう良い。わかった。
 お前が自分の道を行くと言うのならば・・・」

「ルーイ・・・」

「願わくば、ナオジの行く末が明るいものであることを・・・」

「ありがとう、ルーイ」

「・・・変わったな、ナオジ。何があった?」

夕暮れ前のやわらかな光が斜めに部屋に差し込んでいる。

「・・・。 ある方が、私にも光があると言ってくれました。
 自分はその言葉に応えたい。
 そのためには自信を持って己の道を進まなければ、と気が付いたのです」

ほう、と小さな声が漏れて、ルーイ様の目に興味深げな光がよぎった。

「その者はおまえにとって何なのだ?」

「自分にとっては太陽のような方です」

「ふっ 凡庸な答えだな」 

「そうですね」  ナオジ様もわずかに表情を崩した。

「今の自分は例えれば月です。
 月が太陽の光で輝くように、今の自分はあの方がいないと輝きを失ってしまう。
 ですが、いつかは自分の力で輝きたい。そう思っています」

「そうか」

ルーイ様の返事はそれだけだったけれど、いつもの人を寄せ付けない雰囲気はなくて、
ひとりの友人として、どこか優しい響きを含んでいた。
ナオジ様の黒い瞳も穏やかな光を帯びていて、ふたりの間には
なにか通じ合う者同士のようなゆるやかな時間が流れていた。

・・・。ナオジ様、答えを見つけられたみたいでよかった。
私は音を立てずにドアから身を引いた。
さて、そっと逃げよう。