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黒ベールの美姫  その2





「おや、出かけるのかい?」

馬に鞍をつけているバッツを見かけて、宿屋のおかみが声をかけた。

「ええ。少し遠くまで」

馬に乗ったバッツは村を出て東に向かった。
小さかった領主の城が近づいてくる。

遠目に様子をうかがうと、 高い城壁に囲まれている
城の唯一の出入り口の門には番兵がいて、
そこを通ろうとする者は例外なく厳しいチェックを受けていた。
固く閉じられた門は人が出入りする時にだけ開けられ、
通ったあとはすぐ閉じられる。
思っていた以上のものものしい警備ぶりだった。

城の少し手前でバッツは馬を降りた。
そばの木に曳いていった馬をつなぐと、
散歩をしているかのようにのんびりと一人で城の周囲を歩き出す。
一周まわって馬のところまで戻ってくると、
木陰で草を食んでいる馬の首筋をなでながらしばらく思案していたが、
やがてまた城壁の下へと歩いて行った。
高さを測るように壁を見上げ、まわりを見回す。
誰もいないのを確認すると、バッツは大地を蹴って跳んだ。
次の瞬間、彼の身体は信じられないくらい高々と宙に舞い、
そそり立つ城壁を軽く越え、向こう側へ消えていった。

着地した庭の片隅は木が茂っていた。
できるだけ音を立てないように建物を目指して進んでいくと、
木が途切れる少し先の東屋に若い女性が背を向けて腰掛けているのが見えた。
バッツは足を止め、木陰から彼女を眺めた。

日陰なのに薄絹を頭からかぶり、全身真っ黒な服を着ている。
近くにかけてあった黒いベールが不意に巻き起こった強い風に飛び、
バッツのすぐ近くの木に引っかかった。
それを手に取ったバッツの気配に気付いて女は振り向いた。

「っ!
 
突然、甲高い笛のような悲鳴が空気を切り裂いた。
いや、正確には鳴いた、というべきなのかもしれない。
バッツは立ち尽くしたまま、彼女から視線を外すことができないでいた。
滅多なことでは驚かない彼が、この時だけはあきらかに戸惑っていた。

バッツの目の前にいる女は・・・
彼女の頭は、まぎれもなく白い鳥のものだった。

「お嬢様!」

突然、年配の女性がものすごい勢いで駆けつけてきて、
状況を見て取るとベールをひったくり、女にかぶせた。
直後、武装した屈強な男たちがかけつけ、
あっという間にバッツは取り囲まれた。

「待ってください! 私はフォレスト神父の知り合いです」

ベールの女がわずかに反応する。

「待ちなさい」 

  ベールの女を背後にかばいながら、年配の女性が警備の男たちを止めた。

「おまえが神父様の知り合いだと証明できるものがあるのですか」

バッツは内ポケットから教皇庁発行の身分証明証を差し出した。
男のひとりが乱暴に取り上げ、年配の女性に渡す。
身分証明書とバッツを油断なく交互に見て確認すると、伺うように後ろへ目を向ける。
背にすがり、完全に怯えていた女はそれでもうなずいたのか、
彼女は向き直ると、警備の者たちへ凛とした声で命じた。

「・・・応接室へ連れてゆきなさい」

ベールの女と、年配の女、ふたりは応接間で向かい合っている男をまじまじと見た。
漆黒の髪に透けるような白い肌はあまりにも対照的で思わず目がいってしまう。
まだ若いように思えるのに年に似合わぬ物静かな風貌をしていた。

「最初に約束してください。さっき見たことは誰にも口外しないと」

年配の女は油断なくバッツを見つめた。
警備の者たちは扉の外に待機させており、応接室のなかには3人しかいなかった。

「はい。誓います」 

首からさげているロザリオを少し掲げてみせると、
それで少し安堵したのか、年配の女の肩から一瞬力が抜けた。
バッツは何気なく彼女に目をやった。
背の高い痩せた女で、きっちりまとめた髪には白い筋が束になっていたが、
動作や口調はきびきびしていて見た目ほどの年を感じさせなかった。
もうひとりの女を常に気遣ってるのが態度から伝わってくる。
黒いベールをかぶった女はただそこに沈黙を守って座っていた。
彼女は再び口を開いた。

「私はメリッサと申します。
あなたは何の用でこちらにいらしたのか、説明してもらえますか」

教会ゆかりのものと分かり、丁寧な口調で対しているが警戒は解いていない。

「さきほどは驚かせてしまい、すいませんでした。
私はバッツといいます。実はフォレスト神父より手紙があり、
そのことで調査にきたのですが・・・」

バッツはいったん言葉を切り、黒ベールの女を見た。

「続けてください」 メリッサが言った。

「彼が行方不明と聞いて、あなたに話を伺いにきたのです。
彼の手紙にはあなたがたのことも書いてありましたので」

「フォレスト神父が行方不明?」

ふたりとも初耳なのか、ショックを受けた様子だった。

「ええ。実際、この村には奇妙なことが起こっているようです。
あなたがたは何かご存知なのではないですか」

「・・・。フォレスト神父はどんな手紙を送ったのです?」

「それは」 一瞬ためらったが、バッツは答えた。

「最近、村に来た神の代理人を名乗る男についてです」

「ゼットのことですね」

「何かご存知であれば話していただけませんか。
もし今のその姿も関係しているとすれば、
元に戻す方法が見つかるかもしれません」

「本当ですか!?」 

メリッサの顔にかすかな希望が輝いた。
伺うようにベールの女へ顔を向けると、彼女は弱々しくうなずいた。

「分かりました。ちょっと失礼いたします」

メリッサはつと立ち上がると窓をしっかりしめ、
廊下に続く扉を開けて警備の者たちを下がらせた。
戻ってくると真剣な表情でバッツに向き直る。

「これからお話することは決して他言なさらぬようお願いします」

バッツがうなずくとメリッサは身を起こし、それでも声をひそめて話し出した。

「もうお気付きだと思いますが、こちらのお方は領主の
ご息女であられる、ミシェイル様です。
私たちもゼットについて、詳しいことを知っているわけではありません。
ただあの男はこともあろうにお嬢様に求婚したのです。
神の代理人として奇跡を行うのは知っていましたが、素性の知れぬ者。
当然だんなさまはお断りになられました。
すると怒ったゼットはこれからこの家に神の怒りが降り注ぐだろうと予言したのです。
その後すぐに、だんなさまと奥さまは病にお倒れになりました。
お嬢様がそのことを心に病んで結婚するとおっしゃられても、
おふたりははっきりと断られて・・・そしてわずか3日で。うっ」

声が高ぶってきて、こらえきれずメリッサは目頭を押さえた。
ミシェイルもうつむく。

「ご両親が亡くなられた後、ゼットは言いました。
親を見捨てた罪を神は許しはしないと。
そしてこのようなおいたわしい姿になってしまわれたのです。
この罪は自分と結婚するまで許されることはないと」

「それは違いますね」

「え?」

意外な言葉にふたりとも思わずバッツの顔を見つめた。
もともと感情が乏しいのか、男の表情には同情も哀れみもなかった。
淡々とした声で彼は言った。

「そもそも神は望まぬ結婚を祝福しません。
ゼットという男、やはり調べてみる必要があるようです」

「ではお嬢様は結婚しなくても元に戻れるのですか」

「可能性はあります」

メリッサは赤くなった目をミシェイルに向けた。
ミシェイルがはっきりとうなずいたのを確認すると、
彼女は背筋を正してバッツに向き直った。
覚悟を決めたのかメリッサの声は落ち着いていた。

「では、私たちからも調査をお願いいたします。
解決するまで館の客として、こちらに滞在してください。
もちろん協力は惜しみません。
ただ条件として外出される時は館の者を同行させますが、よろしいですね」

「ええ」  相変わらずの無表情でバッツは答えた。

「ですが、宿に馬車と荷物を取りに行かなくては。
あと外の木に馬をつないであるので、それも・・・」

「全部こちらでやっておきます」

それを聞いて、やっとバッツの表情に変化が訪れた。
儀礼的ではあるが、かすかな微笑みがうかぶ。

「ご親切に感謝します」


それから数日間、バッツは毎日どこかしらへ出かけていった。
そのたびに必ず館の者が2人ついてきた。
そして毎晩、ミシェイルに結果を報告するのが日課となっていった。
それは彼女の闇に閉ざされた心に少しづつ、
だが確実に変化を起こしているようだった。
毎日そばにいるメリッサはその変化を敏感に感じ取り、
うれしく思うと同時に、もしこれ以上お嬢様が傷つくことになったらと
不安を覚えずにはいられなかった。
ある晩、いつもの報告を終えたバッツはミシェイルに言った。

「ミシェイルさん、ご両親の死因について調べに行きたいのですが、
病院に紹介状を書いてくださいますか」

黒いベールの下でミシェイルは深くうなずいた。
バッツはそんな彼女をじっと見つめていた。

「ありがとうございます。それともうひとつお願いがあります」

バッツは座っている彼女のそばに歩いていった。

「失礼します」 

バッツの手がミシェイルの顔にかかっている黒ベールをそっとめくった。
悲鳴こそあげないものの、とっさに手で覆って顔を背けたミシェイルを
下からのぞきこむようにバッツは片ひざをついた。
黒い光をたたえる瞳のなかに震える彼女が映っている。
ミシェイルがつけているほのかな香水の香りがはっきり分かるほどすぐ近くで、
バッツは静かに告げた。

「あなたは気高い女性です。
私はあなたを尊敬していますよ。
ですから私しかいない時はベールで隠さないでほしい」

「!」

バッツは立ち上がった。

「では今日はこれで。失礼します」

パタンとドアが閉まった音がしたあともミシェイルは椅子に腰掛けたままだった。
無表情な鳥の目からこぼれ落ちた涙が
羽毛に覆われた頬の上をぽろぽろと流れ落ちていった。



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