数日後、バッツはミシェイルの紹介状を持って街の総合病院を訪れた。
モダンな建物が並ぶなか、その病院は一風変わっていた。
格調高い玄関をくぐった先のロビーは病院とは思えない豪華な造りで
壁にかけられた巨大な名画が目を引いた。
受付の横には大きな陶器の花瓶に色とりどりの花が活けてあって、
今まで無機質な病院を見慣れてきたバッツは、ここが本当に病院なのかと
ソファに座る患者たちをあらためて確認してしまうほどだった。
大理石でできた受付へ行くと、
向こうがわで書類を書いていた事務員の女性が顔を上げた。
「先に連絡がいってると思いますが、ミシェイル様の代理の者です。
死亡診断書の閲覧と担当した医師に話を伺いに来ました」
「少々お待ちください」
話が通っているらしく、すぐにペンを置いた女性は
部屋を出てバッツのもとへやってきた。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
女性は背を向け、廊下を進んで行った。
そのあとをついて歩きながら、バッツは興味深げにあたりを観察した。
そこかしこに置いてある調度品はアンティーク調で統一されており、
壁には等間隔に蝋燭型のランプが埋め込まれている。 まるで城だなとバッツは思った。
豪華な応接室へ通され、ひとり残されたバッツは、壁に飾られた
いくつかの絵画の前に立ち止まっては眺め、時間をつぶしていた。
ミシェイルの館から同行した人たちには部屋の外で待ってもらっている。
やがてノックの音が響いた。
「失礼します」
目を向けると、白衣を羽織った若い医師が
カルテを手にちょうど入ってくるところだった。
眼鏡をかけているものの、 医者にはめずらしい長身のすらりとした体躯の持ち主で、
陽に灼けた明るい茶色の髪は光の加減によってはオレンジ色に見えた。
が、そんなことはこのさいどうでもいい。
バッツはその若い医師を凝視していた。
まばたきもしない黒い瞳がすばやく白衣の胸についた
プレートをとらえた瞬間、開いた口から言葉がこぼれた。
「ウェル」
「!? バッツか!?」
バッツと同い年くらいのその医師は、 かけていた眼鏡を邪魔そうに取り払った。
見開かれた目は驚きに満ちていたが、
それが満面の喜びへととって変わるのにそう時間はかからなかった。
「何年ぶりだ? 研究所以来だな」
うれしそうに肩に手をかけたウェルの顔をバッツはちらりと見やった。
「目が悪くなったのか」
「ああ。これか」
手をはなすと、片手に持ったままの眼鏡へ目をやる。
「こういう職業してると外見にこだわる人もけっこう多くてな。
どうもオレは遊び人に見えるらしくて、 なかなか信用されないから少し箔をつけてみた。
どうだ? 理知的に見えるだろ?」
昔と変わらないいたずらっぽい口調で 感想を求められたバッツは小さく肩をすくめてみせた。
「・・・。 おまえはおまえだ」
素っ気無い返事に切れ長の目がふっと笑う。
眼鏡を白衣の胸ポケットにしまい、バッツを見たウェルの瞳は
楽しくて仕方ないとでもいいたげな輝きをたたえていた。
「相変わらずだな。 これでも看護婦や一部の患者にはウケがいいんだぞ」
声さえも笑みを帯びている。
身振りでソファを勧めたウェルは、
バッツが座ったのを確認してから自らも向かい合わせに腰掛けた。
「確かおまえ、貴族じゃなかったか。なぜここにいる?」
けげんそうに向けられたバッツの視線を 曖昧な微笑でさりげなくかわす。
「まあ・・・いろいろあってな。ここで嘱託医として働いてるんだ。
おまえこそなんでここに? 外で待ってるやつらは付き人か」
「いや、あの人たちはミシェイルさんの館の人たちだ」
「ミシェイル?
そうか。ここには調べもので来たんだったな。 とすると、探偵かなにかか?
そういえば昔から誰か探してるって口癖のように言ってたよな」
ウェルはソファに深くよりかかり、
手に持ったカルテの背で自分の首筋をトントンと叩きはじめた。
「探偵じゃない。聖職者だ」
「は?」
肩を叩く手が止まった。
しばしの沈黙が周囲をただよう。
ややあって、一呼吸のあと、ウェルはゆっくりと口を開いた。
「すまん。もう一度いってくれないか? 聖職者と聞き間違えた」
バッツはまじまじと見るウェルの顔を見返した。
「安心しろ。おまえの耳は正常だ」
「・・・」
「どうした?」
「いや、あまりにも突飛すぎて。
おまえとは一番縁遠い職業だと思ってたから」
バッツは小さく息をついた。 おもむろにテーブルの上に封書を差し出す。
「紹介状だ」
「おっと、そうだったな。じゃ、さっそく本題に入ろうか」
形式上さっと紹介状に目を通し、元通りに折りたたむと 長い足を組んだその上にカルテを開いた。
「一言で言えば不可解だな」
折りたたんだ紹介状でカルテをなぞりながら ウェルは一転してまじめな口調で言った。
「ほんの数日で全身が腐り死亡するという恐ろしい病だ。
死体は骨すら残らない。 悪臭を放つ泥のようなものがシーツに溜まっていた。
原因は不明。伝染性ではないようだ」
「彼らの診察はおまえが?」
「ああ。かなりひどい状態だった。
あとで薬を届けさせたんだが手遅れだったんだな・・・
ここだけの話、あれは病気じゃない。悪魔の仕業としか思えないよ」
目を伏せたウェルは額に手をやり、さらさらとした髪に爪をたてた。
深いため息がもれ、腕の横から上目づかいにバッツを見る。
「ミシェイルは元気か?」
「・・・」
「・・・元気だっていうほうが無理か」
ウェルはまたため息をついた。
「花のような笑顔だったんだけどな」
「知ってるのか?」
少し驚いた声にウェルは埋めていた顔を上げた。
気持ちを吹っ切るように前に落ちた髪を勢いよくはねのける。
それでもまだ伏せがちになる視線を意識的に上げ、 ほんの少しだけ微笑ってみせた。
「これでも一応、貴族のはしくれだからな。
ウワサじゃ、城から一歩も外に出てないらしいじゃないか」
「ああ」
「もったいないと思わないか?」
「何が?」
「彼女、美人だろ」
ウェルの顔から暗さが消えていった。
それと引き換えにいたずらっぽい光が戻ってくる。
「美人かどうかはともかく」 バッツは少し考え込んだ。
「強い女性だと思う」
「へえ」
わずかに見開いた目を細めて、ウェルは目の前の旧友を見つめた。
「なんだ?」
「めずらしいな。おまえが他人をほめるなんて。
オレもこの件には興味がある。 よければまた今度、話を聞かせてくれ」
「ああ。・・・それで状態を詳しく知りたいんだが」
二人の顔から笑みがひき、真剣な声音で話し込んだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「まだ私と結婚する気にはなりませんか」
「・・・」
黒ベールの下で押し黙ったままのミシェイルにゼットは息をはいた。
「強情な方だ。新たな神の罰が訪れたことも知らないで。
あなたの館に出入りしている黒髪の男、ヤツは悪魔ですよ」
「!」 ミシェイルは強く首を横に振った。
「ずいぶん気に入られてるようですが、愚かな望みは抱かぬことですな。
今のあなたを愛する男など誰もいやしない。
彼がここに留まっているのは別の目的があるからです。
信用させて容易に裏切る。 あの男は心の中ではあなたを嘲笑っているのですよ」
ミシェイルはゼットの言葉を拒むように身を固くしていた。
ゼットはそんな様子をしばらく眺めていたが、
やがて持ってきた鞄からビンを取り出した。 中には透明な液体が入っている。
「もし私の言葉を信じる気になったら、ためしにこれを飲ませてごらんなさい。
これは聖水です。私やあなたが飲んでも何も起こりませんが、 悪魔には毒になります」
ゼットはミシェイルの目の前でビンを軽く振って見せると、
コップに少し注ぎ自ら飲んでみせた。
「お渡ししておきますので、お好きな時にどうぞ」
ゼットが帰っても、ミシェイルの頭からゼットの言葉が離れなかった。
彼が神父の知り合いってことだけで簡単に信用してしまっていたけど・・・
それで本当によかったのだろうか。
次々にわいてくる疑惑を追い払うようにミシェイルは首を振った。
バッツの帰りはだいぶ遅かった。
病院で知り合いの医師に会って遅くなったと言っていた。
供につけさせた者も何も言わなかったから事実そうなのだろう。
だが、いつもは気にしないささいなことに過敏になっている自分に気付いて、
ミシェイルは思わずため息をついた。
視界にゼットのくれたビンがうつって何気なく手に取ってみる。
見た限り、それは水のようだった。
かいでみたが匂いもなく、肌につけてみてもなにも起こらなかった。
「お嬢様」
突然背後からかけられた声にびくっと身を震わせ、
振り向きざま、とっさにビンを後ろ手に隠した。
視線の先にいたメリッサは、いつもピンと伸ばしている背筋を少し丸め、
珍しく困惑ぎみの表情を浮かべていた。
なにやらいいづらそうな様子にミシェイルは首をかしげて、
それでも彼女が話し出すのをじっと待っていた。
メリッサのほうもミシェイルが待ってくれているのを重々承知していたが、
それでもやはり迷うような素振りをしつつ、歯切れの悪い言葉で話し出した。
「実はバッツさんのことなのですが・・・ メイドからよくない話を」
ミシェイルのことを思い、それとなくバッツの動向を気にかけていたメリッサは
ためらいがちにそのあとの言葉を綴っていった。
|