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黒ベールの美姫  その6




冷え切った牢につながれたバッツのもとに来た神官たちは、
鎖をつけたまま彼を最深部の薄暗い地下室へと引き立てていった。

広い空間のそこは様々な香木の匂いと腐臭がたちこめ、
赤黒く変色した床には巨大な魔法陣が描かれていた。
バッツの後にミシェイルが別の神官たちに連れてこられてきたが
足を踏み入れるなり、充満した血の気配に気を失ってしまった。

魔法陣の手前に悪魔から身を守るための小さな魔法陣がある。
バッツはそこへ押し出され、倒れたミシェイルも運ばれた。
すでにそこで待ち受けていたゼットは五芒星 (ペンタグラム)六芒星(ヘキサグラム)
入った衣をまとい、神官時にはなかった凄みを漂わせていた。

「この魔法陣の印はアンドレアルフス・・・
やはり彼女に呪いをかけたのは彼ですか。
領主夫妻を殺したのはヴェパルの力ですね」

「ご名答」 バッツの声にゼットの喉の奥を低く鳴らした。

「呪いには生贄が必要だったはずです」

「ああ。さすが悪魔のはしくれよ。
生贄にはこの村の神父を使った。
あたりを嗅ぎまわって目障りだったからな」

「・・・。 彼女を得たかったらグレモリーに尋ねればよかったのに」

「無駄話は終わりだ。
まずはアンドレアルフスにこの女を元に戻させる。
おまえを生贄にしてな」

悪魔に魅入られた狂気の光をバッツはじっと見つめた。

「今なら間に合います。やめなさい。
裁きはすぐそこまで迫ってますよ」

「くく 命乞いか。あいにく俺は偉大なる魔術師。
予言された破滅などひねり潰してくれるわ。見よ、我が力を!」

魔術師の衣をひるがえして、詠唱が始まった。
魔法陣が光り、鮮やかな羽根が浮かび上がってきたかと思うと、
目を見張るほど美しい孔雀がその場に現れた。
シジルを掲げたゼットの声が響く。

「アンドレアルフス、この女をもとに戻せ。
代価にこの男を与えよう」

「・・・悪魔まで使役するとは、人とは恐ろしい」

バッツは腕を振った。
戒めの鎖が切れた瞬間、ガクンと小さな衝動が地に走る。

なっ! 驚くゼットを尻目に彼は小さな魔法陣から外に出た。
召喚された美しい孔雀はいつのまにか人の形をとっていて、
中央に立ったまま、バッツの動きをじっと目で追っていた。
足を止めたバッツは悪魔の視線を正面から受け止め、言った。

「美貌公、彼女を戻せ。喰ったら許さんぞ」

「何いってる!? 気でも狂ったか」 

バッツはゼットのほうを振り返った。

「いつまで見ている気だ?」

「?」 バッツの視線はゼットを通り越して後ろを見ていた。

「なんだ、バレてたのか」

場違いな明るい声とともにオレンジ色の髪が入り口の影からのぞいた。
・・・。 姿を現したウェルの瞳からすっと笑みが引き、射る眼差しが
ゼットをとらえる。 その威圧感にゼットの体はすくんだ。

「ゼット、勘違いしてるようだが、喰われるのはおまえたちのほうだぞ。
その魔法陣は何の効果もない。さっきバッツが壊してしまったからな」

「な、なんだと?」 

「安心しろ。人間は守ってやるよ」

ふたりのやりとりを無視して、
バッツは鷹揚に魔法陣の中央に立つ悪魔に語りかけた。

「何をしている? 公、早く戻せ」

「仰せのままに」 厳かな声が響き、
役目を終えたアンドレアルフスは姿を消した。

「なぜだ? なぜ、代価も出さずに使役できる」

「ゴエティアに載っている72柱の悪魔だけがすべてではありません。
それ以外の悪魔もご存じですか」

言い終わるや否やバッツの体から異様な気配が立ちのぼる。
漆黒の髪が風もないのに揺れ、
真っ白な肌に浮かぶ引き結ばれた真紅の唇がゆっくりと微笑った。
ゾッ 本能的に恐怖を感じたゼットの全身の毛が逆立ち、
逃げようとする足が凍りついたそのとき、鋭い声が飛んだ。

「そこまでだ! オレは人間を守るといっただろ」

「・・・罪人でも守るか。やはりおまえは天使だな」

目の前の男からおぞましい迫力がふっと消えた途端、
ゼットの全身から冷や汗が一気に吹き出した。
ウェルは眉ひとつ動かさず、冷ややかなバッツの顔を見つめていた。

「ミシェイルは元に戻った。もういいだろう。
ここは引け、バアル」

「バール? いや、72柱のでは・・・だが」 

ウェルはぶつぶつ呟くゼットを見やった。

「あいつの真の名を知れてよかったな。
魔術師ならバアル・ゼブルの名を知ってるだろう」

「ベルゼブル!?」

ゼットはへなへなとその場に座りこんだ。
真の名を知ればそれが支配の鎖になる。
だが彼の名は召喚師でも呼び出せない高位の悪魔のもの。
愕然とするゼットの頭上にウェルの言葉が降り注いだ。

「悪魔とまで分かっていながら気づかなかったのか。
人形をとれる上位悪魔で地上に実在し続けられるのなんて限定されるだろう。
72柱の魔王クラスですら、呼び出した時にしか存在できないのに」

「なぜ、そんなことが分かる! おまえは誰だ!?」

 顔を上げたゼットの目が大きく見開かれた。
彼の視線はウェルではなく、彼の背から生えている
灼熱色の翼に釘付けになっていた。

「まさか、そんなことが・・・ 滅びはおまえなのか」

「・・・」

近づいたウェルはゼットの手からソロモンのシジルを取り上げた。

「これは存在してはいけないものだ」 

ウェルの手の中でそれは炎に包まれ、消えた。

「ああ・・・うわああああ!!」

放心したようにうなだれたゼットは、
突然、奇声をあげ駆け出した。
ふところからガラスのビンを取り出し、
振り向きざま、中身の液体をバッツにぶちまける。

「くっ!」 バッツがひるんだ隙に
巨大な魔法陣の中央へ走り込み、自らの胸にナイフを突き立てた。
鮮血がほとばしり、魔法陣を紅く染める。
血にまみれた手を掲げ、狂った男は絶叫した。

「来い! 我が血と肉を贄に来たれ! 闇にうごめく者よ」

魔法陣の床がごぼごぼと膨れ上がり、瘴気がたちこめた。

「すごいな、あいつ。
シジルなどなくても高名な魔術師になっただろうに」

「感心してる場合か」

ウェルの一声にむっとしたようにバッツは言葉を返した。

「言っておくが、俺が怯んだのはおまえの作った聖水のせいだぞ!」

「あれは薬として領主の城に届けたはず。なぜやつが」

「・・・なるほど。そういうことか。
まあいい。ちょうど空腹だった」

黒雲の如く湧き上がった悪霊たちは生あるものめがけ、いっせいに押し寄せた。
ウェルは気絶しているミシェイルを抱き上げた。
悪霊たちが襲いかかろうとした瞬間、
ウェルの周囲から炎が吹き出し、おぞましい断末魔の絶叫が響き渡る。

「あとは任せたぞ。一匹たりとも外に出すなよ」

炎のなかでウェルは翼を広げた。
神々しい光にさらに広範囲の悪霊が灼かれ、
光が消えたときにはウェルとミシェイルの姿も消えていた。

「さようなら、ミシェイル」

鮮血を思わせるバッツの紅い唇がそう呟いた。





「お嬢様」

ミシェイルは自室のベッドの中で目を覚ました。
とてもすがすがしい。もう昼なのか、外はかなり明るかった。
天蓋つきのベッドからは薄いベールが垂れ下がっていて、
聞きなれたメリッサの声が外から聞こえていた。
いつもの癖で枕もとの黒ベールに手が伸びる。
そのとき視界のすみに落ちてきた金の髪が目に入った。
とっさに自分の頭にやった手が震えて顔におりてくる。
悪夢のような羽毛ではなく、すべすべした人間の肌の感触。

「メリッサ!」 ミシェイルはベッドから飛び降りた。
はっきりした自分の声に涙があふれてくる。

「鏡を!」

この部屋の鏡はすべて取り払ってあったが、
ミシェイルの言葉を予想していたのか、
メリッサはすぐに大きめの手鏡を差しだした。
そこに映っているのは間違いなく見慣れた自分の姿。

「お嬢様は5日もお起きにならなかったんですよ」

「! バッツは?」 

ミシェイルは鏡からはっと目を離した。
彼女の目の前でメリッサは静かに首を振った。

「分かりません。私も気が付くとこちらにいました。
ウェル様があの晩、私たちを運んでこられたそうです。
翌朝すぐに調べに行かせましたが、神殿は瓦礫になっていました。
神官たちはみな無事だったようですが、何も分からず、
バッツさんとゼットだけはどこにも」

「そんな」 ミシェイルは顔を覆った。

「私、あの人にひどいことを。
それなのに・・・」

きれいな涙がミシェイルの瞳からとめどなくこぼれていった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


それから数日後、ウェルは村の教会の前で話をしていた。

「おまえがここに来るとはな」 

崩れかけた石壁によりかかった
ウェルの視線の先には、 木陰に佇む若い神父がいた。
木漏れ日がまだらに照らすなか、
黒い神父服を着たバッツはウェルへその顔を向けて答えた。

「正確にはつなぎだ。次の神父が正式に赴任するまでの」

バッツの口から無意識に小さなため息がもれた。

「探し人も見つからないし、
なかなかこの世は思い通りにはいかないものだな」

「だが、そのおかげでおまえとまた会えた。オレはうれしいぞ」

「・・・そうだな」

それに、とウェルは何かを見て、ふっと微笑った。

「オレ以外にもおまえがここに来たのを喜んでる者がいる」

ウェルの視線を追うと、少し先で馬車が止まり、
金の髪の、周囲の視線を奪うほど綺麗な女性がおりてくるところだった。
意味を理解していないバッツの目がウェルに向く。

「ミシェイルだよ」

ふたりの視線に気付き、若い女性から花のような笑顔がこぼれた。
自分を呼ぶ声がまぶしい空を吹き抜ける風にのってくる。
バッツは静かに微笑んだ。



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