CHAPTER 4 森の魔女 |
「あら、おはよう。どこに行ってたの?」 カイルが戻ってきたのを最初に見つけたのはレイルだった。 「おはよう。ちょっと散歩にね」 「レピウスが心配してたのよ。 まさか、内緒で行っちゃったんじゃないかって」 声を聞きつけてレピウスが顔をのぞかせた。 ほっとした色が広がる。 「おはようございます」 「おはよう。昨日はよく眠れたかい?」 「はい」 レピウスは思い出した。 昨日とても幸せな眠りについたのを。 心から全身に広がっていくような、あったかいものに包まれて 眠りにおちていったことを。 カイルは知ってるのだろうか。 「それはよかった」 カイルはいつものごとく、穏やかに微笑んでいる。 「なんで急にそんなこと聞くんです?」 「え、なんでって・・・ うーん、なんとなく?」 「・・・」 「カイル、朝からそんなことで悩まないでよ。 レピウスもごはん作ってる途中でしょ」 あきれたようなレイルの声にレピウスはふいと向きを変え、台所へ戻っていった。 「どうしたのかな」 後ろ姿を目で追いながら、カイルは首をかしげた。 「きっと淋しいのよ。あなたのこと大好きみたいだから」 テーブルを拭き終わったレイルは振り向いた。 長い髪を器用に結い上げてピンで留め、 簡素な服の袖をひじまで折り上げている。 質素だが清潔な服もまた彼女によく似合っていた。 拭き終わったふきんを四つ折りにしている ごくなんでもない仕草を、カイルは眺めていた。 「どうしたの? 急に黙っちゃって」 「・・・もうすっかり家事が板についちゃったね」 「そうね。慣れるとけっこう楽しいものなのよね」 「きっとレイルはさ、いいお嫁さんになれると思うよ」 カイルの言葉にレイルはおかしそうに笑った。 「からかわないでよ。 でもこういう生活もいいわね。 こんなふうに自然に囲まれて穏やかに暮らせたら」 本心からの言葉なのだろう。 今の彼女は夢見るような目をしていた。 まるで自分には到底かなわないと知っていて、なお憧れているみたいに。 「レイルー 運ぶの手伝って」 「はーい」 レピウスに呼ばれて、レイルは急ぎ足で台所へ消えていった。 最後ということを意識しているのか、その日の朝食はどこかぎこちなかった。 「ごちそっさま」 まっさきに席を立ったレピウスは台所へ消えると、 包みを持ってまた戻ってきた。 それをテーブルの上に置く。 「これ、弁当」 「! ありがとう」 「・・・。じゃ、ちょっと出かけてくるから」 「え?」 声をかける間もなく、レピウスは外に飛び出していった。 「やれやれ。あの子もまだまだ子供だねえ」 食後のお茶をすすりながら、ぼそっとバネッサが呟く。 「あの・・・」 バネッサの目だけがちらりと反応した。 カイルはちょっと迷う素振りを見せたが、思い切って口を開いた。 「レピウスの両親はなんで旅に出たんですか?」 バネッサはまったくの無反応だった。 聞いているのか分からないほど無言でお茶をすすっている。 「レピウスから聞きました。 冒険者だった両親は彼を置いて旅に出て、旅先で亡くなってしまったと。 それ以上は言わなかったですけど」 「ふぅ〜」 飲み干した湯飲みをテーブルに置いた際のトンという音が 場違いなほど大きく響いた。 「・・・そんなことおぬしには関係ないんじゃないのかね」 素っ気なくバネッサは一蹴した。 「さしでがましいのは十分承知しています。 でも、あまりにもレピウスの傷が深そうなので気になって」 「ほう。いったい何が言いたいんじゃ?」 「単なる思い過ごしかもしれないんですけど、 あの子は明るい性格とはうらはらに 心は不安だらけのような気がするんです」 バネッサの表情に変化はなかった。 ただ黙っている。 「ときどき感じていたんですけど、 レピウスは失うことをとても恐れているように見えるんです。 今あるものでもいつかなくなってしまう、 そんな不安が、過敏なほどつきまとってて・・・ でもそれを強い意思の力でおさえて明るく振るまっている。 あの子は年のわりに大人びているし、頭もいい。 そういう子は誇り高くて、人に弱みをさらけ出せないと思うんです」 ここでカイルは言葉を切り、バネッサの意見を求めた。 しかしバネッサは口を閉ざし、何かを言う気配はまったくなかった。 肯定も否定もない態度に、ふたたびカイルは話しはじめた。 「それで、もしかしたら原因は彼の両親にあるんじゃないかって。 両親が自分を置いて旅に出ていってしまったことが無意識に レピウスの心に深い傷になってるんじゃないかと思ったんです。 だから、もし両親が彼を置いてまで旅に出なくてはならない理由があって、 レピウスがそれを知らないんだとしたら、話してあげてほしいんです」 「・・・。不思議な男じゃな。おぬしは」 静かな声には驚きと感嘆が入り混じっていた。 テーブルに置かれた湯飲みを包みこむように組み合わせた指先に力がこもり、 中に残ったわずかなお茶が揺れていた。 カイルはバネッサから目が離せなかった。 話し終わった直後、自分を見るバネッサの目が深く心を見透かしているようで 自分から視線を外すことができなかった。 ふたりの間には一種の緊張感が漂っていた。 「たしかにそうかもしれん」 ふいにバネッサがうなだれた。 視線から解き放たれて、カイルもふっと力が抜ける。 「もうすっかり忘れているものと思ってたが、やはり親は親か」 深いため息がバネッサから漏れた。 「今晩にでも話してやることにしよう。 あの子の両親がどんなにあの子を愛していたか。 どれだけ行く末を気にしていたか」 「それと、あなたがどれだけレピウスを愛しているのかもね」 黙ってふたりのやりとりを見守っていたレイルが付け加えた。 「レピウスの料理、みんなあなたが教えてくれたって言ってたわ。 まだ子供なのに、ひとりですべてやっていける。 どんな理由があるにせよ、たいしたものだわ。 ここまで立派に育て上げたあなたの愛情は 決して本当の親にもひけをとらないはずよ」 「・・・。ありがとよ」 驚いたようにレイルを見つめていたバネッサの顔がふっと緩んだ。 心なしか晴れ晴れとした表情が浮かび、それに応えてレイルは微笑んだ。 ◇ ◇ ◇ 「さて、準備はいいかね」 戸口で杖を手にしたバネッサはふたりを振り返った。 「ええ。いつでも」 「よろしくお願いします」 やっと行ける。 カイルの胸はいつになく高ぶっていた。 バネッサについて、ふたりは森の奥へと進んで行った。 今日もいい天気で、木陰のひんやりした空気が肌に心地よい。 かれこれ2時間ほど歩いただろうか。 小道はけもの道になり、それもいつしかなくなった。 森は途切れるどころか、ますます深くなっていく。 バネッサは疲れたふうもなく草をかきわけ先頭を歩いていた。 バネッサの後ろにレイル、しんがりにカイルと縦になって続く。 緑はいっそう深く濃くなり、迷宮の様を呈してきた。 カイルは心配になってきた。 自分たちのことを、ではない。 こんな森奥深くまできて、バネッサがひとりで無事に家まで戻れるかどうかをだ。 「あの・・」 「ここらへんでいいかの」 ふいにバネッサは立ち止まった。 そして後ろを振り返った瞬間、 「きゃっ!」 眩しい光がふたりを襲った。 カイルもレイルも目がくらみ、腕で顔を覆う。 「あー びっくりした」 光はすぐに消え、ふたりは驚いた顔で互いに顔を見合わせた。 「ふたりともどうかしたかい」 「バネッサさん、だいじょうぶでしたか?」 「何がじゃね? まあいい。 さ、ついたぞ」 「え?」 ふたりはあっけにとられて周囲を見回した。 だが360度見渡しても、緑の木々がうっそうと茂る 森のど真ん中にいることが分かるだけで、 話に聞いた白魔の森はどこにも見えなかった。 「白魔の森はどこですか?」 「そんなに行きたいかい?」 「はい」 「そうかい。それじゃ、わしを倒すことじゃな」 「え!?」 「わしは、オルテアの森の番人。 わしがおる限り、森への道は開かん」 「そんな! そんなことできるわけないじゃないですか!」 「選択の余地はあるぞ。 わしを倒すのがいやならば、あきらめて引き返すことじゃ」 バネッサは手にした杖で軽く地面を突いた。 と同時にレイルがその場に崩れ落ちる。 「レイル!」 あわててカイルが駆け寄る。 「心配するな。単に眠ってもらっただけじゃ。 おぬしがひとりで決断できるようにの。 わしを倒すか、それともあきらめて引き返すか。 時間はたっぷりある。よく考えるがよい。 じゃが、あきらめたら二度と森へは入れんぞ」 「・・・」 どれくらいたっただろう。 そばの木に寄りかかり、カイルは微動だにしなかった。 ずっと思ってた。 オルテアの森にいるであろう水の剣の主人。 どうしてもその人に会いたい。 神殿でエレノアに会ってから、もやもやした感情がいつもつきまとっていた。 そこへ行けば何かが分かる確信があった。 だけどバネッサを倒してまで行かなくてはならないのか。 そんなことできるわけない。 そう、そんなことをすれば今度こそ本当に レピウスはひとりぼっちになってしまう。 答えは決まっていた。 バネッサと戦うことはできない。 でもそれではエレノアとの約束は果たせない。 自分の中に渦巻いている謎も永久に解けないかもしれない。 カイルの右手は無意識に胸元を握りしめていた。 エレノアが残した緑色の石、 カイルはそれを目の粗い網に入れて、ひもを通し、 首からぶらさげていた。 その石を服の上からシワになるほど強く握りしめていた。 やっぱりどうしてもあきらめることはできない。 ・・・・・・。 やがてカイルは顔を上げた。 バネッサが気づいて目を向ける。 「決まったかね?」 「はい」 カイルはうなずいた。 「今までで一番悩みました。 やっぱり僕はあなたと戦うことはできません」 「そうか。ではあきらめるんじゃな?」 「いいえ」 「どういうことじゃ?」 けげんそうな顔がカイルを見つめる。 「僕はあきらめはしません。 別の方法を探します。 バネッサさん、今までどうもありがとうございました」 やっとカイルはいつもの微笑みを見せた。 「・・・そうか。それがおぬしの答えか。 ではレイルを起こさなくてはな」 杖を一振りしたその瞬間、 「うわっ!」 再びあの閃光がカイルの目に飛びこんだ。 とっさに強く目を閉じる。 「カイル」 レイルの声がして、優しく肩が揺さぶられた。 光はもう消えていた。 だが、あの閃光を直視してしまった目は眩んでいて、 森がほうっとかすんで見える。 「これは・・・バネッサさん?」 周囲は薄霧に包まれていた。 上空から降り注ぐ太陽の光をきらきらと反射して、霧全体が淡く輝いている。 到底、この世のものとは思えぬ幻想的な光景だった。 「きれい・・・」 うっとりとレイルがつぶやく。 「ここがオルテアの森じゃ」 バネッサの声にふたりは振り返った。 「どうして・・・」 カイルの言葉をさえぎるかのようにバネッサは言った。 「わしは番人でもなんでもない。 ただ、ここへ来る愚か者が絶えなくて、幻影の魔法をかけて森を隠しただけさ。 わしを倒してまで森へ行こうとする輩は 嘆きの霧に迷って死ぬのがオチじゃからな。 試して悪かったの」 「いいえ。・・・ありがとうございます」 カイルは深々と頭を下げた。 「喜ぶのはまだ早いぞ。 この嘆きの霧は森の涙。心に影ある者を飲み込んでしまう。 禁忌の森と呼ばれるのは伊達ではない。 入ったら二度と帰ってこれぬかもしれん。 それでも行くかい?」 「はい」 きっぱりと答えたカイルはレイルの顔を見た。 「レイル、君は・・・」 「私も行くわ」 彼女の瞳には強い決意が宿っていた。 カイルが口を開くより早く、レイルが告げる。 「前にも言ったけど、私はあなたの運命を見届けたいの。 これは別にあなたのためじゃなくて、私のわがままよ。 私はあなたと行きます」 レイルは予兆を感じていた。 星が運命を告げられない人。 この先には何か想像を越えたとてつもないことが待ち受けている。 そしてそれを見極めたい自分がいることを認めていた。 「ふたりとも意思は固いようじゃな。 では行くがいい。 おぬしたちなら嘆きの霧を取り払えるかもしれん。 無事帰ってきたら顔を見せとくれ。 大地の 「え!?」 バネッサは再び杖を振った。 忽然と姿が消える。 「あれ? バネッサさん!?」 きょろきょろしてるカイルを見かねて、レイルが教えてくれた。 「瞬間移動よ。 こんな大きな森ひとつ隠せるほどの魔力の持ち主ですもの。 家まで魔法で帰るくらい簡単よ」 「へえ。魔法使いってすごいんだね。へえ・・・」 心底、感心したようにカイルは何度も感嘆の声をもらしていた。 |
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