CHAPTER 6 高き城 |
湖岸から城へ伸びる橋を渡っている頃、 はやくも陽は沈み、月がのぼりはじめていた。 闇に降り注ぐ幾筋もの細い光、 月光はさざなみひとつ立たない湖面を静かに照らしていた。 湖上に光る道が走り、ふたつの人影がくっきりと浮かびあがる。 カイルたちは掛け違いになっている5つの橋の ちょうど真ん中あたり、3番目の橋の上にいた。 橋は水面すれすれに、手すりもなく道のように伸びているので、 まるで光漂う湖面を歩いているような不思議な感覚になる。 「ここって私たちが来てもいい場所なのかしら?」 ふと、つぶやいたレイルの疑問も無理からぬことだった。 返事はしなかったものの、カイルも同感だった。 無言で視線をさまよわせれば、月光に満たされた湖は 優しい光を含み、輝き、それを取り囲む森はきらめく霧に覆われ、 何度見ても目を奪われるほどの美しい光景をつくりだしている。 が、それは音のない完全な静寂が支配する世界だった。 空気は澄んでいるが、風もなく、生き物の気配さえもしない。 まるで名画の中を旅しているような奇妙な錯覚すら覚える。 普段いる世界と一緒とは到底思えない、完全に隔絶された世界だった。 やがて3つめの橋の終わりが近づいてきた。 「これで5分の3か。 レイル、少し休む?」 大きく伸びをしながらカイルは言った。 この調子じゃ城に着くのが夜中過ぎになるな。 そんな思いがふと頭をよぎった。 「ええ。それにしても、まだ半分ちょっとなのね」 レイルも同じことを考えてたのだろう。 ため息まじりの返事がかえってきた。 疲れはしないのだが、ずいぶん歩いたのに なかなか距離が縮まらないのにはいい加減うんざりする。 気高くそびえる城はすぐ近くに見えるのに、あと2つ、 この長い橋を渡らなければいけないなんて・・・ 橋は見た目以上に長く、渡るのに想像以上の時間がかかっていた。 後ろを振り返れば3つの橋の彼方に陸地は遠く横たわり、 ずいぶん遠くまで来たのだとあらためて思う。 2人は荷物をおろし座った。 頭上の夜空には澄んだ大気に輝く無数の星がちりばめられていた。 「きれいな星空だね」 カイルは天を仰ぎ、星空に身を委ねるように目を閉じた。 「何? どういうこと?」 「レイル?」 狼狽した声にカイルは驚きの目を向けた。 レイルは両手で口をおおい、困惑した表情を浮かべ、星空を見つめていた。 「ねえ、ここってどこ?」 急にカイルを見つめ尋ねる。 いつもらしからぬ様子にカイルは一瞬、答えにつまってしまった。 「どこって・・・キュリスの森の中じゃないのかな」 「そうよね。でも・・・」 相当動揺しているようだった。 こんなレイルは初めて見る。 「どうしたの?」 「違うのよ」 もう一度、夜空を見上げる。 カイルもつられて空を見たが、別段変わったものなど何もなかった。 頭上には宝石箱をひっくり返したような満天の星空が広がっている。 「何が違うの?」 「星たちが。 カイル、早くあの城に行きましょ」 言葉より早く、レイルはふたたび足早に歩きだした。 慌ててカイルも荷物を拾い上げ、あとをおいかける。 レイルは考えこみながら歩いていた。 追いついたカイルはそんなレイルを後ろから 不思議そうに見守りながらついていった。 ようやく橋を渡り終えたのは、真夜中より少し前。 途中から足早に歩いてきたせいか、予想より少し早く着くことができた。 月は中空にさしかかり、湖面の照り返しを受けて 城門は白く浮かび上がっていた。 城は威厳をもって、真夜中の訪問者を受け入れる。 城内は暗く静まりかえっていて人の気配はまるでなかったが、 そのかわり、予想外のものがふたりを出迎えてくれた。 庭一面に狂い咲く純白の麗しい花。 かぐわしい香りが月明かりの差しこむ庭全体に漂っていた。 「きれい!」 ふさいでいたレイルの表情が輝き、庭へ駆け寄る。 「リネスの花。初めて見た」 レイルに続いて庭に足を踏み入れたカイルも感動を隠せなかった。 可憐な花びらを手にとってみる。 カイルに応えるように、真珠の花びらはぽうっと淡い光を放った。 清らかに咲き誇る花に覆われて、 庭は白いベールをしきつめているようだった。 「なぜ光ってるの?」 となりに座りこんだレイルが不思議そうに、光る花をのぞきこんだ。 「たぶん僕の精霊力に反応したんだ。 この花自体、精霊力を蓄える性質があるから」 「だからここはこんなに精霊力が満ちているのね。 素晴らしいわ。なんていう花なの?」 「リネス。 月夜に花咲く清楚な姿から 別名“乙女の祈り”とも呼ばれてる。 月の光を受けて成長するらしいんだけど、本物を見たのは初めてだ。 この花は万病に効く薬になるんだよ」 「ねえ、私、思うんだけど・・・」 レイルはふと真顔になった。 「ここってもしかして・・・ あなたもさっき言ってたわよね。ヴィシェラートって。 あれって精霊伝説に出てくる水の館の名前でしょ」 「そんなこと言ったかな? さっきっていつ?」 「ほら、湖のほとりで急に頭が痛くなったときよ」 「あの時? ・・・何か言った覚えはないけど。 でも確かにヴィシェラートは水の精霊王が住む高き城の呼び名だよね」 「ここって、まさにその場所なんじゃないかしら」 「え?」 カイルはあっけにとられてレイルを見つめた。 しかし彼女の表情は真剣そのもので、 冗談を言ってるようには見えなかった。 「私、さっきから思ってるんだけど、 ここは私たちが普段いる世界とは違うかもしれない」 「そんな・・・」 「星がキュリスの空じゃないのよ。 まったく違うの」 「・・・」 それきり2人は黙りこんだ。 レイルの話は普通に聞けば、突拍子もないことだが、 カイルには笑って否定することはできなかった。 この場所は風景もそうだが、何よりも神秘的な雰囲気を肌で感じる。 遥か昔に忘れてしまった何かがここにはあった。 無意識にカイルは次元袋から細長い布の包みを取り出した。 厳重にくるんである布をほどくと、 中から見事な一振りの剣が姿を現す。 青く煌めく優美な長剣。 柄の部分にはまった蒼い宝石が月光のもと、つややかに輝いた。 レイルが初めて見る剣に目を見張る。 「カイル、その剣! まさかあなたの預かった剣って・・・」 言葉は最後まで続かなかった。 姿を現した水の剣は逆らいがたい力で波長を高ぶらせていった。 咲き乱れるリネスの花が剣の波動にあわせて、 いっせいに淡く光りだす。 「レイル!」 とっさにカイルはレイルの腕を掴み、強引に引き寄せた。 この波動は瞬間移動の前兆。 次元を歪め、遥か彼方まで飛ばしてしまう。 下手すれば2人ともばらばらに飛ばされて、どこに行くか分からない。 同調した剣とリネスの波動が共鳴し、頂点に達した瞬間、 カイルはレイルを強く抱きしめた。 同時にものすごい衝撃が走る。 頭の奥がキーンと締めつけられ、 すべての感覚がばらばらにふっ飛んでいく。 一瞬にして、彼の意識はブラックアウトした。 ◇ ◇ ◇ 暗闇の中でレイルは目を開けた。 なにかあったかい。 手足の感覚が時間差でよみがえり、とりあえず腕を動かしてみる。 冷たい床の感触とあたたかい人の感触。 「!」 状況を把握し、レイルは真っ赤になった。 レイルの上に覆い被さるようにしてカイルが倒れている。 ちょうどカイルに抱きしめられている恰好で 2人は床の上に折り重なって倒れていた。 あせって腕を抜き、カイルの背中を2、3度叩いて見るが反応はない。 とりあえず起きようと、ひじをつき体を起こすと、 意外なほど簡単に起きあがることができた。 頭の後ろにまわされていた腕は容易にほどけ、 体を起こしたレイルのわきにカイルの体は力なく崩れ落ちた。 「カイル?」 ぐったりと倒れたままだった。 肩をゆさぶっても目を覚ます気配がない。 「嘘・・・冗談でしょ? ねえ、どうしたの? カイル!」 レイルの表情がこわばった。 カイルを仰向けにして胸に耳を当てる。 よかった。 心臓はちゃんと動いてる。 少し安心したレイルは体を冷やさないようにカイルの下に寝袋をしき、 自分のマントをかけると、ふぅっと一息ついた。 いったい何が起こったのかしら。 さっきまでリネスの花咲く庭にいたのに。 あたりを見回したレイルの視線が少し離れたところに転がっている剣でとまった。 カイルが庭で取り出した美しい剣。 あの剣を出した時、異変が起こった。 次元が歪むような、空間がねじれる奇妙な感覚がして、 いきなりカイルに腕を引っ張られた。そして・・・ 顔が熱くなるのを感じながらも、できるだけ冷静に思い出そうとした。 「かばってくれた?」 ピンと思考がひらめき、同時に言葉がもれた。 きっとそうだわ。 激しいショックを受けて私は気を失った。 じゃあ、私をかばってくれたカイルはきっと その何倍ものショックを受けたに違いない。 だいぶ時は過ぎた。 カイルはまだ目を覚まさない。 「お願い・・・目を開けて」 涙があふれそうになる。 今ほど治癒魔法を使える神官や精霊使いを うらやましく思ったことはなかった。 私には何もできない。 「だいじょうぶよ」 「!」 頭上から響く女性の声にレイルは驚いて顔を上げた。 銀色のやわらかい光が目の前にゆっくり降りてくる。 なぜか懐かしい、それにどこかで聞いたような声・・・ そうだわ! レイルは思い出した。 霧の森で精霊族の魔詩をきいて、意識が飛ばされてしまった時。 今の声はさまよう私の意識に語りかけた声と同じだった。 そして森まで導いてくれた銀色の光。 舞い降りた銀色の光は凝縮し、ひとりの女性の姿をかたちどった。 あっ! レイルの口から小さな叫び声がもれた。 その女性は神殿内でレイルが着ていたのと似た衣服に身をつつみ、 神話に出てくる女神のように人間離れした優雅さと気品をたたえていた。 物静かな眼差しがカイルに注がれ、 その仕草にさらさらとした銀糸の髪が肩からすべり落ちる。 銀の淑女はレイルの声に驚いたふうもなく、言葉を続けた。 「彼はあまりにも強い水の精霊力にさらされてショック状態になっただけ。 大地の守護がある彼も今は変革の時期で抵抗力が弱っています。 けれどそれももう終わり。 安心して。彼はじき目を覚ますわ」 「・・・あなたは、誰?」 レイルは、突如目の前に現われた この女の人から視線を外すことができなかった。 夢に出てくる女性。 この人こそ、レイルが旅に出る原因となった女性だった。 たびたび見る夢のなかで、彼女はレイルを呼んでいた。 滅紫の瞳にレイルを映し、彼女は告げた。 「レイル、あなたがここにいるのは偶然ではありません。 変革の時はあなたにもすぐそこまでせまっています。 その時が再会の時」 いとおしげに目を細め、女性はふたたび銀色の光にとけこんだ。 光はみるみるうすくなり、完全に消えてしまう。 夢のような出来事だったが、 取り乱していた心はすっかり落ち着きを取り戻していた。 カイルにかけたマントのずれを直そうとした時、 「う・・・」 カイルの表情が一瞬ゆがみ、 はっとして見守る中、緑の瞳がゆっくりと開かれた。 「レイル?」 カイルの目に飛び込んだのは、 心配そうにのぞきこんでいるレイルの顔だった。 大きく見開かれた宝石のような瞳がみるみるうちにうるんでいく。 「! いたた・・」 慌てて飛び起きたカイルは、頭に残る鈍い痛みに顔をしかめた。 「どうしたの? また発作?」 心配げなレイルの声に頭を押さえてうつむきながらも、 身振りで否定してみせる。 余韻を残す痛みをこらえ、カイルは顔を上げた。 レイルが不安そうにこちらを見つめている。 そんな彼女を安心させるように、カイルは微笑んでみせた。 「少し疲れちゃったみたいだ。 しばらく休んでもいいかな」 「ええ。お好きなだけどうぞ」 目をこすりながらレイルも微笑った。 壁に背をもたれたカイルはため息とともに口の中で小さく呟いた。 「ごめん。また心配かけちゃったんだね」 |
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