CHAPTER 12 終わりの始まり |
壮大な皇城の玄関には黒塗りの馬車が横付けされていた。 白い花をかたどった、シンプルな具象図形の紋章が目にとまる。 手綱をもったまま、ぼんやりと玄関を眺めていた御者が 突然弾かれたように御者台から飛び降り、扉をあけた。 頭を下げて待つ御者の前を鮮やかなマントがひるがえし、フィガロが通り過ぎる。 主人が席についたのを確認すると、御者は一礼して扉を閉めた。 やがて手綱の鳴る音と御者のかけ声が響き、馬車は静かに皇城を後にした。 馬車は皇城の周囲を取り囲む貴族たちの邸宅街に向かっていた。 城にほど近いこのあたりは貴族の中でも 特に身分の高い者たちの屋敷が建ち並んでいる。 代々、将軍として皇帝に仕えるルネス家の邸宅もこの一角にあった。 手入れの行き届いた広大な庭は緑の芝生が敷きつめられ、 四季折々の花や緑の木々が彩りを添えていたが、 フィガロは馬車を降りるや、庭を愛でることもなく館へ消えていった。 「ご主人さま!」 久々の当主の帰宅に屋敷の者たちが総出で出迎える。 その中から急いで歩み寄ってきた年配の女性にフィガロは問いかけた。 「アイーシャは?」 「はい。こちらでございます」 召使い頭らしいその女性が長い廊下を案内する。 豪華ではないが洗練された調度品の数々が この家の家風を物語っていた。 扉の前で立ち止まった召使い頭は館の主人にうやうやしく伝えた。 「奥方様はお命に差し障りはございませんが、だいぶお疲れで、 当分の間、安静が必要とのことでございます」 「分かった」 扉を開けると、天蓋付きのゆったりとしたベッドの上で身を起こし、 上半身を枕にもたせかけている可憐な女性の姿があった。 となりで安らかに眠る赤ん坊を見やる女性の表情は穏やかで、 レースのカーテン越しに差し込む薄い光に包まれ、まるで聖母のようだった。 「あなた?」 レース越しの影が動き、きれいな声が響く。 白く細い手が天蓋から垂れるレースをめくった。 そこから長い金の髪をゆるく三つ編みにまとめた愛らしい女性が 驚いたようにフィガロを見上げていた。 「アイーシャ、起きてだいじょうぶなのか」 ベッドからおりようとするアイーシャを手で制し、 フィガロはベッドに歩み寄った。 今まで漂っていた冷ややかさは消え、声には心配げな響きすらある。 アイーシャはフィガロを見つめ、微笑んだ。 「はい。だいぶよくなりました。 あなた、おかえりなさい」 「ああ。 長く留守にしていて悪かった。 この子が私たちの・・・」 「ええ」 フィガロがそっと赤ん坊に触れようとした時、 健やかに眠っていた赤ん坊が目をあけた。 フィガロの顔に驚きが走り、無意識に手が止まる。 「この子は」 はじめて見る赤ん坊の瞳は深く澄んだ水色だった。 髪は青と銀色の髪が混ざり合っためずらしい混髪。 「・・・。 名前はもう決まったな」 フィガロは手を伸ばし、優しく赤ん坊の頬にふれた。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 夕刻、テラスに出た皇帝は、傍らに控えている 占術師グアンローヴに声をかけた。 「ついに水の血が復活したな」 そこには鏡を通してずっとカイルたちの動きを見ていた あのローブ姿の老人がいた。 側近として玉座にある皇帝のそばに常につき従っている彼は、 突然勅命によって召し抱えられ、それ以前の過去を知る者はいない。 そのため、なかには信頼できないと悪く言う者もいるが、魔術に長け、 的確な助言をする彼は、今や皇帝の右腕的存在となっていた。 この正体不明の老人、謎が多すぎるが、 賢者の智恵の持ち主ということは誰もが認めていた。 「近頃、城下ではシンボルの 大噴水の人魚が歌ったなどと話題になっております。 ルネス殿の子が生まれたころ、私も水のざわめきを感じました。 まず間違いないでしょうな」 「これでそろってしまったか・・・」 「御意」 「・・・黄昏、か・・・」 まだ眩しさを残す夕暮れの光が皇帝の横顔を照らしていた。 ここからは城下が一望できる。 無数の人々が息づく街に長い影が伸びていた。 「これからこの世界は長い夜の時代を迎えるだろう。 希望の光が黎明へと導くのか、それとも終幕へ向かう永遠の闇に沈むのか。 いよいよ始まるのだな」 黄昏の残光を惜しむように、皇帝は空の果てを見つめていた。 ◆ ◆ ◆ それからしばらく後、アイーシャの体調が回復するのを待って、 フィガロは屋敷の者を集めた。 階下のホールに全員を集め、 ホールを見下ろす二階にフィガロとアイーシャが姿を現す。 アイーシャの腕の中では赤ん坊が 水色の目をくりくりさせながら、何かを追うように手を空に伸ばしていた。 屋敷のすべての者が注目する中、フィガロが階下を見渡し、告げた。 「今日、集まってもらったのは、皆に我が子を紹介するためだ。 もうすでに知っていると思うが、あらためてルネス家の一員として、 この子を見知っておいてもらいたいと思う。 我がルネス家の始祖以来初めて青銀の髪と水の瞳を持つ子。 ルネス家の鍵を担うであろうこの子に 我が一族に伝わるもっとも名誉ある名を与える」 「おお」 階下がいっせいにどよめいた。 この世界の者ならば誰でも知っている精霊界と魔界との大戦を綴った伝説。 ルネス家はその伝説に登場する精霊王のひとりの末裔と言われていた。 水の瞳と優美な青銀の髪をなびかせた水の精霊王の名は・・・ 期待に満ちた予感がひとりひとりの胸に満ちあふれていた。 静まった空間にフィガロの声が高らかに響く。 「名は、シェラフィータ!」 次の瞬間、わーっと歓声がわき起こった。 誰かが叫ぶ声に、皆が和する。 「シェラフィータ様ばんざーい! ルネス家に御栄あれ!」 歓喜にわく人々の興奮はしばらく冷めることはなかった。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ そのころ、遥か遠くエレノアの墓石がある神殿では、 カイルが彼女の像と向かい合っていた。 「エレノア、君にも水の喜びが伝わった? シェラが転生したね。 3人でよく出かけたあの草原、今でも精霊の力が強く残っているよ。 僕らがいなくなってからも君がいてくれたから」 それきりカイルは口を閉ざし、うつむいた。 故郷であるリムズにいったん戻ったカイルは、となりの学者の家に通ったり、 王立図書館に出かけては精霊伝説に関する文献を調べて知識を深めていた。 その日もいつものように 窓辺で書物をよみふけっていたカイルはふと顔をあげた。 壁に立てかけてある水の剣が静かな喜びを奏でている。 心の隅々にまで波紋を広げるような優しい歌。 「シェラ・・・転生したのか?」 彼は今まで経てきた信じられない冒険について思い出した。 水の聖地での出来事、巫女の存在、 そして一連の冒険の発端となったエレノアから剣を預かった時のこと・・・ 「そうか!」 叫ぶのと勢いよく立ち上がるのが同時だった。 跳ね飛ばされた椅子が転がって派手な音をたてる。 「そうだったんだ。 あれはそういう意味だったんだ」 次の日、カイルは旅支度をしてリムズを出発した。 そして今、森の奥深く眠るエレノアの墓を訪ねたカイルは 彼女の像を見つめ、ふたたび話しかけた。 「シドゥーンを連れてゆくよ。 さみしいかもしれないけど、これからの僕には必要だから」 カイルは大地の剣を取り出した。 霧の森で意識が飛ばされた時に見た大地の剣。 何かが違っていた。 柄に近い刃の付け根部分に四角い空間がある。 今まではこういうデザインだと思って何も疑っていなかったけど、 この剣も水の剣と同じ。 精霊獣が変化する宝石があってこそ完全なものとなる。 それは覚醒した時に気づいていた。 しかし大地の宝石がどこにあるのかまでは思い及ばなかった。 それがまさかこんなところにあったなんて。 キュリスを出てから本を調べるばかりで、 自分が経てきた冒険について深く思い返しもしなかった。 きっとエレノアの墓をつくってくれたカイン・アルデハイドという人が 彼女のために剣と宝石を分けたのだろう。 「おいで、シドゥーン。僕の半身よ」 カイルは大地の剣を抜き放った。 さらさらとした前髪がかかる額に緑の五芒星が浮かび上がる。 その呼びかけの光に応えるかのように像が愛しむように抱いている 一輪のつぼみが花開き、きらきらと輝く砂がこぼれ落ちた。 黄金の砂は弧を描いて巻き上がり、それがおさまったとき、 巨大な竜が身を伏せ、頭を垂れていた。 『主殿、お待ち致しておりました』 一見獰猛そうな瞳が開き、カイルを静かに映しだした。 カイルの琥珀の眼差しが大地の竜に注がれる。 「シドゥーン、永い間エレノアを守ってくれてありがとう。 またおまえの力を貸してくれるかい?」 『お望みのままに』 大地の竜はまた砂塵を巻き上げると、 手の平ほどの大きさの橙色の宝石に姿を変えた。 差し出した手の平の上に質量のある宝石がぽとりと落ちる。 カイルはそれを大地の剣の根元にある四角い空間にはめこんだ。 宝石がぴたりとおさまった瞬間、剣は荘厳な大地の歌を奏でだす。 穏やかな喜びに満ちた精霊力が神殿内のすみずみにまで満ちあふれてゆく。 黄金のさざ波に似た祝福のなか、 カイルの瞳はすべてを包み込む優しさに満ちていた。 そこに存在するのは人ではなく、 大地の豊穣を約束する精霊王その人。 やがて奇跡の時は過ぎ、歌は止み、 力を隠したカイルの瞳は金色から翠色になっていた。 「そろそろ行くよ。 エレノア、ありがとう・・・」 最後に像を見つめ、カイルは神殿をあとにした。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ あの草原をのぞむ丘にカイルはたたずんでいた。 大地の祝福に満ちた草原。 前に来た時はとなりにレイルがいた。 あれからそんなに経っていないのに、短い間にいろいろあったせいで、 今では何年も昔のことのように感じる。 レイルも水の喜びを感じたはず。 彼女は今どうしているだろう。 時の神殿で待つファーラのもとへ無事にたどりつけただろうか。 カイルは遥かな地平線へ目をやった。 大地はどこまでも広くカイルを包みこんでいた。 |
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