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僕らはバッツ先生の名前を呼びながら 森の奥へとどんどん踏み入っていった。 奥へいくほど緑がうっそうと茂っていったけど、 皇帝のおひざもとであるこの森一帯は他とは違って魔物や危険な動植物はいない。 だから皇都の人たちも気軽に遊びにきたりするし、 ここへ行こうとする人を、子供ならともかく大人を止める者はいなかっただろう。 鳥のさえずりが聞こえる森は 高く茂る緑が時折日差しを隠すものの静かで平和だった。 「先生、アヤって、どこの出身なんですか?」 僕は先生に横に並ぶと、アヤの後姿を見つつ小声で尋ねた。 「ああ、あの子ちょっと変わってるだろ?」 先生もちらっと先頭を行くアヤに視線を走らせた。 「小さな島国の少数民族の子なんだ。 研修生なんだが、霊感があるから、いろいろ研究を助けてもらってる。 本人が言うには、巫女の家系だかららしいが」 「巫女? 霊感?」 「そうか。シェラには聞きなれない言葉だったな。 巫女は神に仕える女性のことだ」 「それって、母上と同じ・・・神官とは違うんですか?」 「うーん。アイーシャ様のような神官とは全然違うな。 シャーマンというか、どっちかっていうと呪術師に近いか。 霊感も・・・これもうまい言葉が見つからんが、一種の魔力みたいなものと考えてくれ」 「ふーん」 「先生! シェラ!」 バッツ先生の名前を連呼しながら先頭を歩いていたアヤが ふいに振り返って、腰に手を当てて僕らをにらんだ。 「ちゃんと探してくださいよ。ピクニックじゃないんだから!」 「ごめん」 アヤがまた向きを変えて歩きだすと、 先生は苦笑いして僕の肩をぽんと叩いた。 「ああいう子だけど、いい子だからおまえも仲良くしてやってくれよな」 名前を呼んで森をさまよっていたアヤが急に立ち止まった。 「なんっかヘン!」 「どうしたの?」 僕はアヤのそばへ寄った。 額にしわを寄せて難しい顔をしている。 「あたしね、巫女やってる家で育ったから わりかし不思議なのに敏感なんだけど、この森なんっかおかしいよ。 ちょっと待ってて」 目を閉じたアヤはすっと両手を前へ突き出した。 アンテナのようにさまざまな方向へゆっくり動かしている。 やがて静かに目を開けて、手を前へ出したまま慎重に歩き始めた。 「これが霊感ってやつなんですか?」 アヤの後ろをついていきつつ振り返ると、 先生は黙ってうなずいてみせた。 「彼女は魔力を感じることができるんだ。 だから遺跡から発掘されたものがあると彼女に見てもらっている。 だけど問題点がひとつあるんだ・・・」 何を思い出したのか先生は唇の端をわずかに歪め、苦笑した。 僕が首をかしげたその時、 「ビンゴー!」 突然アヤがうれしそうに叫んだ。 アヤのまん前にはなんの変哲もない小径が続いている。 「んー このくらいだったらイケるかな?」 アヤは振り向いた。 「先生、試してみてもいい?」 ウェル先生はしばらく考えて聞いた。 「アヤちゃん、それは強いか?」 「んーとね、破るのはムリだけど、通り抜けるだけなら楽勝だよ」 「じゃ、やってみてくれ。 シェラ、すぐ剣を抜けるように準備しておけ」 「? ・・・はい」 「いっくよー!」 アヤはしげみに手をかざした。 キーン! 空間に波紋が広がる。 「オッケー♪」 「よし。行こう」 ウェル先生が先頭にたってあるきだした。 「ねえ、アヤ・・・」 「なにこれ?! どうなってんの?!」 突然返ってきたすっとんきょうな声にびっくりしたけど、 それは僕に向けられたものではなかった。 アヤが何に驚いたのか、数歩遅れて僕もそれに気づいた。 ある境界線を越えた瞬間、空気がまるで違う。 陽が高く上がったからとかそんなもんじゃない。 はりつめていた空気がとけて穏やかに木々の間を漂う。 これは、春だ。 「あっついよー!」 アヤが忙しそうに手で顔をぱたぱたあおぎながら、コートを脱ぎだす。 ・・・ひとりでも十分賑やかだな。 僕は、今脱いだコートを肩からかけているポシェットに うんうんいいながら押し込んでるアヤの姿に奇妙な感心すら覚えてた。 普通ならどう考えてもコートが小さなポシェットに収まるわけないんだけど、 きっと次元袋なんだろう。 生き物以外ならなんでもおさめてしまう次元袋は様々な色や形があり、 冒険者や旅行者の必需品になっていた。 僕も足を止め、コートやマフラーをリュックに詰め込んだ。 「そうだ。シェラ、さっきなにか言いかけなかった?」 ブラウス一枚になったアヤはふと顔を僕に向けた。 「あ、ああ。さっき、あそこで何したの? 波紋が見えたような気がしたんだけど」 森の変わりようにすっかり疑問を忘れてた僕ははっとして聞いた。 アヤと先生は何事もなかったみたいに進んでいるけど、 さっきアヤは何をやったんだろう。 僕にはさっぱりわけがわからなかった。 気がつくと、アヤの黒い瞳が驚きを隠そうともせず僕を見ていた。 「へえ。シェラにはアレが見えたんだ? 魔法の才能あるかもよ。 あっ・・・質問の答えね。 あそこね、封印みたいな状態になってたから、少しの間だけ破ってみた」 「破ったって・・・ それってディスペルの魔法!?」 僕は自分でも意外なほど大きな声で叫んでしまった。 魔法解除(ディスペル)の呪文が魔法の中でも 上位に属するものであることぐらい魔法を使えない僕だって知ってる。 でもまさかこんな・・・僕とたいして年の違わなそうな子が そんな高位な魔法を使えるなんて信じられなかった。 第一、アヤには魔法使い特有の神秘的な雰囲気とか全然ないし、 どの角度から見ても魔法を使えそうには思えなかったから。 僕は驚きを通り越して、あぜんとしてしまったらしい。 そんな僕を見てアヤは屈託なく笑った。 「あはは。そんなたいしたもんじゃないって。 だって私、魔法使えないもん。 巫女ってね、破魔を生業にする仕事だからさ、 私も真似事でちょっとできちゃったりするんだよねー」 「ある意味すごいんだが」 僕らの会話が耳に入ったのか、先生が言葉を足した。 「せっかく見つけた魔法の品物を台無しにするときもあるんだ」 「まあ、それはほら、 たいした魔力がなかったっていうことで・・・ ねっ」 「こらこら。シェラに同意を求めるな。 !?」 視線をふたたび前に向けた先生は急に足を止めた。 視線の先には森がきれ、低木の茂みに覆われた小高い丘があった。 薄暗い森をずっとさまよっていたせいか、 丘は優しい光に包まれ、降り注ぐ光が踊ってるように見える。 その丘の上に小さな館が建っていた。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ その頃、丘の上にたつ館の二階では 黒髪の若い男が窓際の揺り椅子に身を預け、本を読みふけっていた。 「・・・ノイッシュ様」 「! ミシェイル。気づかなかったよ」 遠慮がちな声に振り返った男の視線の先には、 扉の近くで控えめに立っている長い髪の美しい女性がいた。 ためらう素振りを見せながら女性はおずおずと口を開いた。 「お邪魔でしたか? ノックしてもお返事がないので勝手に入ってしまいましたが」 「そんなことはないよ」 手にした本をぱたんと閉じ、男は優しく微笑みかけた。 それを見てやっとミシェイルの固かった表情がほぐれ、 はにかむような笑顔に変わる。 「お茶が入ったので、ご一緒にいかがかと思って」 「そうだね。一息入れようか。おや?」 「どうかしましたか」 ノイッシュの視線を追って窓へ歩み寄ったミシェイルは 丘のすそにいる3人に気がつき、眉を曇らせた。 「・・・」 「ウェル?」 何気なくもれでたノイッシュの言葉に、ミシェイルの表情が固く凍りついた。 「?!」 急に感じた腕の重みが心細そうに、 でも痛いくらいしがみついているミシェイルだと知って、 ノイッシュはわずかに目を見開いた。 彼の目をみつめ、語りかけるミシェイルの声はわずかに震えていた。 「あなたがあの人たちを知ってるはずないわ。 だってあなたはずっとここにいたんですもの。 ね、そうでしょ。かわいそうに。きっと道に迷ってしまったのね」 薄い翠色の瞳が男の黒い瞳を深くとらえた。 「・・・。 そうだね。 彼らもこんなところまで迷ってきてしまって、きっと困ってるだろう。 ここにきたら少し休んでもらうといい」 小さく息をはいたノイッシュはふたたび揺り椅子に身を落とした。 ミシェイルが心配そうに身をかがめる。 「ノイッシュ様。ずっとここにいてくださいますよね」 ささやくような声は弱々しく怯えていた。 「もちろんだよ。ミシェイル。 そんな顔をしないで」 ノイッシュは手を伸ばし、そっとミシェイルの頬にふれた。 指にはめられた銀色の指輪が 窓からの日差しに反射して静かにきらめいていた。 「・・・。 私は・・・あなたを信じてもいいんですよね」 ミシェイルは頬にふれたノイッシュの手に いとおしそうに自分の手を重ね、目を閉じた。 「ミシェイル・・・」 急に呼び鈴が響き、ミシェイルはつと立ち上がり出て行った。 「誓うよ。この指輪にかけてね」 自分の指に光る指輪に口づけしてノイッシュは低くつぶやいた。 |