二月の丘

 PAGE 4



「うっきゃー!
 もう、ヤになっちゃう!」


「・・・」

ひとりで騒いでるアヤを冷静な目で追いながら、
僕は何かを思い出そうとしていた。

なんだっけ? アレ。

あ、思い出した。

ひそかな満足感を得た僕は、
他のふたりに気づかれないようそっと手を打ち合わせた。

脳裏には昔、山で見た猿とアヤがだぶっている。

そういえばいたよなー ああいうヤツ。


森から出た僕らはぐるっと丘を一回りしてみたものの、
低木の茂みは切れ目なく続いていて完全に館を孤立させていた。

それで仕方なく茂みの中を強行突破することになったんだけど、
その低木は密集してる上に小さなトゲを持っていて、
それがよく服に引っかかった。

「山査子め〜」 

アヤのイライラはもはや頂点に達していた。

「サンザシ?」

「そう! これよ、これ!」

アヤはすぐ近くの枝をいまいましげに引っ張って、僕に突きつけた。

「よく知ってるね」

先頭で茂みをかきわけていたウェル先生が手を休めて振り返った。
額にはわずかに汗が光ってる。

「はい! この実はですね、薬になるんですよー
うちにいたころはよく食べさせられてました。
それにしてもいっかにも怪しげな場所ですよねー」

先生にほめられて一転して上機嫌になったアヤの声は、
言葉とはうらはらにわくわくした響きを持っていた。

「アヤ・・・なんだかうれしそうに聞こえるよ」

「そんなことないけど。 怪しすぎると思わない?
この異常なあたたかさといい、茂みに囲まれた丘の館といい、
絶対何かあるよ」

「確かに」

ウェル先生は空を見上げた。
僕もつられてまわりを見渡した。

冬とは到底思えない穏やかな光が肌に心地いい。
アヤのいうとおり、この丘一帯だけ春になったような陽気だった。

「案外バッツ先生、ここにいたりして」

アヤの声は相変わらず楽しそうだ。

「アヤちゃんの勘は当たるからな。
本当にバッツがここにいてくれるといいんだが」

やっと山査子の茂みを抜けた先生は一息ついて、額の汗をぬぐった。

ここからだと洋館の外観がはっきり見える。
壁にはツタが絡みついて長い年月を感じさせたけど、
荒れ果てた様子はなかった。

館の横には葉をつけてない裸の古木が枝を広げていて、
それだけが唯一、冬を思わせた。


館の玄関の前までたどりついた僕たちは無言で顔を見合わせ、
しばらくしてウェル先生が呼び鈴を鳴らした。


「はい」 


女の人の声が奥から聞こえ、少しきしんだ音を立てて扉が開いた。

僕は思わず息を飲んだ。

扉に手をかけて僕らを見上げてるのは、
古風な衣服をまとっているけれど若くて綺麗な女の人だった。

長い髪がたおやかなその人を可憐に彩って、
    宮殿で華やかに着飾っている女の人たちとは違う、
どこか、いまにも消えてしまいそうな儚げな空気をまとっていた。

森の中にこんな若い女の人がひっそりと住んでいるなど
思いもよらなかったのは、 先生やアヤも同じだったみたいで、
ふたりとも目を見開いて女の人を見つめていた。


「あの・・・なにか?」

遠慮がちな声でウェル先生は我に返ったみたいだった。

「ちょっとお尋ねしたいんですが」

「はい」

「人を探してるんですが、
こちらで私と同じくらいの年の男がお世話になってないでしょうか」

「・・・いいえ。どなたもお見かけしておりませんが」

「あの、すいません。
あなたはここでおひとりで暮らしてるんですか」

アヤがふたりの間に割り込んできた。

「・・・」

その時、聞き覚えのある男の人の声が奥から聞こえた。

「ミシェイル。上がっていただきなさい」

あれ? この声って? 

先生もアヤも何も言わなかったけど、たぶん同じことに気づいていたんだと思う。

「・・・。みなさん、森の中を歩いてお疲れでしょう。
どうぞおあがりください」

ミシェイルと呼ばれた女の人はためらう素振りをみせたけど、
男の人の声にしたがって僕らを中に入れてくれた。

居間では男の人がソファに腰掛けてくつろいでいた。
僕らが入っていくと、立ち上がって出迎えてくれる。

「バッツ先生!?」
「バッツ!?」

僕らはもしかしたらって予感はしてたんだけど、
やっぱりその人を見たら叫ばずにはいられなかった。

「どうかしましたか?」


黒い髪に黒い瞳。

懐かしい声で問いかけるその男の人はバッツ先生にうりふたつだった。






ミシェイルさんと同じ古風な黒い衣服は、騎士の雰囲気を漂わせていた。

その男の人の不思議そうな表情を見て、ウェル先生は軽く頭を下げた。

「失礼しました。
私たちの知人にあなたが似ていたものでつい」


「・・・そうですか。 
私はノイッシュ。彼女はミシェイル。ふたりでこの館に住んでいます」

ノイッシュさんの口元が穏やかに微笑んだ。
見れば見るほどバッツ先生に似てる。

「あの・・・最近、あなたに似た人をこの森で見かけなかったでしょうか」

「!?」

 アヤの声音の変わりぶりに僕は耳を疑った。
こころなしか目がきらきらして見えるのは気のせいだろうか。

「残念ながら。
私は滅多に外へは出ないものですから」

「そうですか」

 ウェル先生がため息をつくのをノイッシュさんはじっと見ていた。

「どうぞ」 

ミシェイルさんが全員に紅茶を淹れてくれた。

「ありがとうございます」

それからは僕たちは他愛もない話をした。

「では、私たちはこれで。
ごちそうさまでした」

「帰り道は分かりますか?」

「ええ。大丈夫です。ありがとうございます」

「それではお気をつけて」

玄関までわざわざ送ってくれたノイッシュさんは
帰り際、ウェル先生に手を差し出し握手を求めた。

「!?」

ウェル先生は握手した手をそのままポケットにいれて、くるりと向きを変えた。




「絶対おかしいよー!」

山査子の茂み近くまで戻ってきたとき、
アヤが突然がまんしきれないように叫んだ。

「あのミシェイルって女の人。
それにノイッシュさんがはめていた指輪。
あの館、魔法の匂いがぷんぷんするよ!」

「指輪って、あの銀の指輪?」 

僕はノイッシュさんの指に光っていた指輪を思い出した。

「そう! アレ、なんか魔力あるよ」

「じゃ、もしかしてノイッシュさんは本当はバッツ先生で、
あの指輪にあやつられているとか」

「きっとそうだよ!」

僕の言葉にアヤは力強く身を乗り出した。

「いずれにしても、あのノイッシュという男がバッツだということは間違いない」

「え?」 

冷静な声が発した意外な一言に僕とアヤは驚いて、声の主を振り返った。

ウェル先生はポケットから小さく折りたたまれた紙をとり出して見せると、
それを僕に手渡した。

アヤが後ろからのぞきこむ。

広げた紙には『きっと帰る。心配するな』と走り書きされていた。

「これ、バッツ先生の字じゃないですか。どこでこれを?」

アヤが先生を見上げた。

「帰り際、ノイッシュと握手した時に一緒に渡された」

「! それで先生どうするんですか?」 

アヤの声はうわずっていた。

「心配するなって言われてもな・・・
このまま帰るわけにもいかないだろ」

「そうくると思った! さすがウェル先生! 
で、どうするんですか」

アヤの声にはまた楽しそうな響きが混じってて、
僕は半分あきれてしまった。

「アヤ。緊迫感ゼロ。
なんでそんなに楽しそうなの? 
ノイッシュさんと話してる時と全然違うじゃん」

「だってー あの人、カッコよかったんだもん」

頬を両手ではさんでアヤは恥ずかしそうに笑った。

あっ、そ。

僕はもう何も言わなかった。

「なんとかバッツと話ができればな」 

ウェル先生は考え込んだ。

「バッツは滅多に外に出ないっていってたから、
ミシェイルが出かけたりするのかもしれない」

「でも、どこを通って出かけてるんでしょうね。
道なんてないのに」

僕は苦労してのぼってきた山査子の茂みを見渡した。

切れ間なく取り囲んでいる茂みをいちいちかきわけて通っているなんて思えない。

「だ・か・ら! あのミシェイルっていう人はただもんじゃないのよ」

アヤがこぶしを握って力説した。

「ちょっと様子を見てみようか」

 ウェル先生は館の中から見えない位置へ何気なく歩いていった。

不思議なことにどれくらい待ってたか分からない。
何日も待っていたような気もするし、ほんの数分だったかもしれない。
とにかく待っていると、ミシェイルさんが出かけていくのが見えた。

隠れたまま目で追うと山査子の間を苦もなく通り抜けてゆく。

僕らはミシェイルさんに気づかれないように
ぐるりと館をまわりこんで玄関に行き、扉をたたいた。

「はい」 

ややあってノイッシュさんが出てくる。

僕らを見ると一瞬、驚愕の色を浮かべたけど、すぐに笑顔を見せた。

「ウェル・・・さん。それにみなさん、
いったいどうなされたんですか」

「それはこっちのセリフだ。
バッツ、いったいどうしたんだ?」

「・・・。 何をおっしゃってるんです?
人違いをされてるようですね。
さ、みなさん、お急ぎにならないと帰りが遅くなってしまいます」

ノイッシュさんが無理やり扉を閉めようとしたのを感づいた僕は
とっさに体をドアの間にすべりこませた。

「バッツ先生、どういうことですか? 
ちゃんと説明してください」

「そうです。 私たち、先生を探しにきたんですよ。
 このまま黙って帰るなんてできません」

「!」

ノイッシュさんはハッと何かに気づき、急に顔つきが険しくなった。

「とにかくみなさん、お願いですからいったんお帰りください」

「ちょっと待てよ」

 ウェル先生も強引に扉を押さえた。

「! あぶないっ!」

いきなりノイッシュさんが僕の腕を乱暴につかみ、
力任せに自分の後ろへ放り投げた。

「きゃあっ」

 アヤの悲鳴が聞こえたけど、
僕はノイッシュさんにさえぎられて何があったのか全然見えない。

体勢を立て直してノイッシュさんの後ろから覗き見た光景に僕は声を失った。

無数のツタが生き物のように地面から突きあがり
アヤとウェル先生を高々とからみあげていた。

ツタはぎしぎしと幾重にも固く絡まり、ふたりを容赦なく締めつけている。

「ノイッシュ様を連れて行こうなんて許せない!」

少し離れたところからミシェイルさんがこちらをにらみ、叫んでいた。

あの控えめな目が激しい怒りに逆巻いている。

「違う! ミシェイル! やめるんだ」

ノイッシュさんはわけもわからず立ち尽くしている僕を隠すように前に立った。

ちらっと僕に視線を送ると、外へ顔を向けたまま小声で言った。

「シェラ。突き当たりの右の部屋に布のかかった鏡がある。
それを持ってきてくれ」

「バッツ先生?」

「早くっ!」

「はいっ!」 

鋭い声に後押しされて、僕は一目散に廊下を走っていった。

途中、背後で扉が閉まる音がした。