二月の丘

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後ろ手に扉を閉めたノイッシュは、ゆっくりと歩き出した。


「ミシェイル、私はどこにもいかない。
さあ、2人を放すんだ」

しかし長い髪を振り乱したミシェイルは両手を額に押し当て、
呪文のように叫んでいた。

「許さない、許さない」

ツタは容赦なくウェルとアヤを締めつけ、
気絶してぐったりとなったふたりを空高く持ち上げていた。


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


その時、館の中では僕が転がるように言われた部屋へ飛び込んでいた。

ごほっ

 ここは・・・ 物置?

ほこりっぽい部屋の中は雑多なものが置かれ、転がっていた。
腕で口を覆いながら必死にたくさんある棚を片っ端から探し回る。

ほんとにいろんなものがしまわれているな、ここは。

「あった!」

色あせた布をめくると、縁に玉飾りのついた、
曇りひとつない見事な鏡があらわれた。

「?! 何これ!?」

僕は後ろを振り向いた。

・・・誰もいない。

また、鏡をのぞきこんだ。

鏡に映る背景と位置を何度も確認してみた。

「違うっ! こんなことしてる場合じゃない」

ふいに我に帰ると、僕は鏡を脇に抱え、部屋を飛び出した。

玄関の扉は閉まっている。



「ミシェイル」

「イヤよ! 絶対に許さない!!」

扉を開けた向こうの世界ではすさまじい光景が広がっていた。

地面から無数のツタが絡みあがり、うなだれているウェル先生のオレンジ色の髪と
アヤの黒い髪が高いところで揺れているのを見て、僕は立ちすくんだ。

「シェラ! 鏡を向けろ!」

玄関のすぐそばでミシェイルさんを抱きとめていたノイッシュさんが僕を見て叫んだ。

ノイッシュさんの胸に顔をうずめ、うつむいていたミシェイルさんが
僕に気づいて乱れた髪の隙間から刺すような視線を向ける。

見る者の心を凍らせる、その憎悪の眼差しに僕は射すくめられて動けなかった。

「シェラ!」 

鋭い呼び声にびくっと体が震え、反射的に夢中で鏡を向ける。

「!?」

そのとき一瞬だけ鏡に映った2人の姿を見て、僕の思考は混乱してしまったけど、
続いて響き渡った空気を引き裂く絶叫に、それ以上考える余裕はなかった。

「イヤー!!!」

ミシェイルさんの焦点が鏡にあった瞬間、美しい顔が歪み、
何本もからまったツタが鏡に向かって、まっすぐ襲いかかってきた。

よける間もない。

ツタは勢いよく鏡を砕き、無数の鏡の破片とともに僕を吹っ飛ばした。

館の壁に激しく全身を叩きつけられ、気が遠くなる直前、
僕の脳裏にはさっき鏡に映った二人の姿が
一枚の絵画のごとく鮮明に浮かんでいた。

鏡の中にいたふたりは
目の前にいるミシェイルさんとノイッシュさんではなかった。

人間ではない、透明な緑色の肌をした宝石のような少女。

でもその愛らしい顔は絶望にゆがみ、悲しみに全身をさいなまされていた。

その少女の傍らには、烏のような漆黒の髪に
雪のような白い肌の若い騎士がいた。

黒い水晶の瞳は痛々しげな少女を映し、静かに揺らめいていた。

うすれゆく意識にミシェイルさんの声がかすかに響く。

「そうよ。私はずっと待ってた・・・」


彼女は泣きじゃくっていた。
途切れ途切れの言葉はもう聞こえない。

ノイッシュさんがミシェイルさんを抱きしめているのがぼんやり映って、
そこで僕の記憶は闇にのまれた。


◆     ◆     ◆


「シェラ・・・」

頬に手が触れる感覚に僕は目を開けた。

目の前にはバッツ先生が心配そうに僕の顔をのぞきこんでいた。

「先生!? うっ」

起き上がろうとした瞬間、全身を駆け抜けた痛みに
僕は両手で自分の体を抱きしめた。

「だいじょうぶか? 壁に激突したからな」

痛みの余韻に耐えながら、
なるべく体を動かさないように視線だけめぐらせた。

この部屋は・・・丘の上の館の居間だ。

暖炉には火がくべられ、近くのソファには
毛布をかけられたウェル先生とアヤが横たわっていた。

「ほら」 

古風な衣装をまとったノイッシュさんではなく、
普段の服装に身を包んだバッツ先生が湯気の立つティーカップを差し出した。

「あ、ありがとうございます。
先生、ふたりは・・・」

「ああ。ふたりならだいじょうぶ。
気絶しているだけだ。ケガはしてない。
一番重症なのは全身打撲のおまえだよ。
・・・すまなかったな」

バッツ先生は軽く息をつくと、後ろの壁に寄りかかった。
夢じゃなかったんだ。僕は先生を見つめた。

「いえ、そんな。
・・・いったい何があったんですか?」

人の動く気配に僕とバッツ先生は視線を向けた。

ウェル先生がゆっくりと起き上がり、
宙をさまよわせていた視線がバッツ先生を見つけて、とまった。

「バッツ? バッツなのか?」

「ああ。 ウェル、具合はどうだ?」

バッツ先生は壁から身をおこし、ウェル先生のほうへ歩いていった。

「・・・。 アヤちゃん」 

すぐ横で寝ているアヤに気づき、ウェル先生が肩をやさしく揺らす。

低いうめき声をもらし、アヤは大きな目を開けた。

「あれ? ウェル先生・・・ここどこ?
 ! バッツせんせ!」

アヤは毛布をはねのけると、勢いよくバッツ先生に飛びついた。

「! ミシェイルさんは?」

 はっと気づいたアヤは瞬時に身を離すと、部屋の中をせわしなく見渡した。

「彼女は、森にかえったよ」 

バッツ先生はアヤの質問に寂しそうな笑顔でこたえた。



僕らは暖炉の周りに座って
バッツ先生が淹れてくれた紅茶を静かに飲んでいた。

森に入ってどれくらい経ったのだろうという思いがちらっと僕の頭をよぎったけど、
時間感覚がマヒしてて、見当すらつかなかった。

外はいつのまにか曇っていたけど、まだ陽は高かった。

「バッツ、説明してくれるな?」

湯気のたっているティーカップをことりと置いて、ウェル先生が沈黙を破った。
僕とアヤの視線もバッツ先生に注がれる。

「ああ」

 バッツ先生もティーカップをおき、目をふせた。

先生の表情は沈んでいた。

「みんな、心配させてすまなかった」

「ミシェイルさんて何者だったの?」 

アヤが最初に尋ねた。

「彼女は森の妖精、ドリアードだ」

「妖精?」

ウェル先生は知っているみたいだったけど、
僕とアヤは初めて聞く言葉におうむ返しに言った。

バッツ先生はそんな僕らにちょっとだけ微笑んだ。

「昔、この世界には精霊の力を宿した精霊人が住んでいた、
という話は聞いたことあるか?」

僕とアヤはうなずいた。

それぐらいなら、みんな子供の時に一度は聞いて知っているはずだ。
精霊伝説とよばれる有名なおとぎ話だった。


「やがて人と精霊は別れてしまったんだが、
まれに精霊使いといって精霊を宿した人がいる。
妖精はその逆だ。人の心を宿した精霊で、とても強い力を持っている。
でも心はたぶん人間よりもずっと純粋で繊細なんだ、と思う」

僕たちはバッツ先生の言葉を黙って聞いていた。

先生は長いまつげを伏せて、ティーカップを手にとった。

暖炉の中の火がぱちぱちとなっていた。

「森の中で出会った彼女、ミシェイルはある人の帰りをずっと待ってた。
だけどその人は帰ってこなかった。
でも彼女は約束を信じて、ずっと待ってたんだ。
強すぎる想いは彼女の心を止め、そしてこの丘の時さえも止めてしまった。
それほどまでに妖精は強い力を持ってるんだ」

「・・・なんだかかわいそう」 

アヤがぽつりと言った。

「ちょっと待て」 

ウェル先生が口をはさんだ。

「ミシェイルが待ってた人がノイッシュっていう男だったのか? 
だが、なぜおまえがノイッシュになっていた? 
あんなメモを渡すくらいだ。自分の意志はあったんだろう?」

「それがな・・・」

 バッツ先生は口ごもった。

「俺にもよく分からないんだ。
森でミシェイルに会って、それから指輪をするまで覚えてない」

バッツ先生は指輪をはめている手を少し持ち上げてみせてくれた。

「これをはめた時、頭のもやが急に晴れたようにすっきりしてきた」

ソファに身を沈めたウェル先生が考えながら言った。

「ドリアードは精神や夢にかかわる力も持ってるからな。
おまえがあやつられたとしても不思議じゃない。
おおかたその指輪には精神を守る力があるんだろう。
だが、なぜミシェイルがその指輪をおまえにさせたのかは不明だが・・・」

「なんだー! それは精神を守るヤツだったんだ。
私はてっきり、先生がその指輪に操られてるのかと」

アヤが照れたように頭をかいた。

「それで?
 なぜ正気に戻ったあともずっとだまされていたフリを?」

「え? ああ、あまりにも必死だったからつい」

「ふざけるなっ!!」

 突然、居間に響き渡った怒鳴り声に僕は心臓が止まるくらいびっくりした。

ウェル先生が勢いよくソファから立ち上がり、
バッツ先生の胸ぐらを掴まんばかりににらみつけてた。

普段涼やかな目が怒りにあふれていて、
その迫力に、はたから見ているだけの僕の方がどきどきしていた。

「おまえ、人がいいのもいい加減にしろよ!
 何がつい、だ! 人が心配してるのも知らないで!」

激しい怒りに声を震わすウェル先生が
今にもバッツ先生を殴るんじゃないかと思って、
僕は固唾を飲んで、なりゆきを見守っていた。

いつも知的で落ち着いている先生がこんなに怒るなんて信じられなかった。

「そうだな。悪かった」

ふいに視線を外して言ったバッツ先生の声に
ウェル先生もふいっとそっぽを向いた。

「もういい。帰ろう。
話の残りは帰りながら聞く」

「・・・シェラ、ぐあいはどうだ?」 

バッツ先生が僕の顔をのぞきこんだ。

「なに? どうしたの?」 

アヤが僕の前にしゃがみこむ。
ウェル先生もそばに来た。

「シェラは壁に激突したんだ」 

バッツ先生が2人に説明してくれた。

足元にしゃがんだアヤが下から僕の顔をのぞきこむ。

「なんなら今日はここに泊まる?」 

アヤの申し出に僕は首を振った。

「だいじょうぶ。帰ろう。
遅くなると家の人が心配するし」

実際痛みはだいぶひいてたし、
もし今日中に帰れなかったら、うちが大騒ぎになるに決まってる。
ある意味それだけは絶対に避けたかった。

ウェル先生は僕の言葉を聞くと、皮肉げにバッツ先生を見た。

「だとさ。誰かさんに聞かせたいセリフだな。
では、行こう。シェラ、くれぐれも無理するなよ。つらかったらすぐに言え」

「はい」

廊下に出るとぞくっとする寒気が体を包んで、
僕はリュックに詰めていたコートを急いで取り出した。

「わあ、すごーい!」

外へ出たとき、アヤが白い息をはきながら歓声をあげた。