遥かなる時空の中で3 十六夜記


 こちらは十六夜記に登場した和歌や漢詩などをのせています。
   適当な訳と私見です。 あらかじめご了承ください。


梶原景時     二章 京の花霞
野草芳菲(やそうほうび)たり 紅錦(こうきん)の地
遊糸繚乱(ゆうしりょうらん)たり 碧羅(へきら)の天(てん)
野草芳菲紅錦地
遊糸繚乱碧羅天
作者 劉禹錫(りゅう うしゃく)    出典  和漢朗詠集 上巻 春 春興
野にはいっぱいに春のかぐわしい草花が咲いていて、まるで紅の錦を敷きつめたようであり、
空にはかげろうがゆらゆら揺れて、ちょうど深い緑色の薄絹を張ったようです。

※ 遊糸・・・かげろう。 一説では、クモの子が糸をひいて飛ぶのを言う。

美しい春の様子を詠った歌です。
京邸の庭が春めいてきたという表現に景時が使いました。


梶原朔     二章 京の花霞
磯の上に 生(お)ふる馬酔木(あせび)を 手折(たお)らめど 見すべき君が 在(あ)りと言はなくに
作者 大来皇女(おおくのひめみこ)     出典 万葉集 巻2 166
岩のほとりの馬酔木を手折ったのに、見せてあげたいあなたがこの世にいるとはもう誰も言ってくれない。

作者の弟が処刑され、葬られたときに詠んだ歌。 画面右下の花が馬酔木です。
朔が大好きな馬酔木の花が咲いているのを黒龍にも見せてあげたいのに、そのあなたはもうどこにもいない。
昔、黒龍と京邸の庭の馬酔木を見た思い出があるのかもしれません。 切ない想いが伝わってきます。


銀     二章 京の花霞
てりもせず くもりもはてぬ 春の夜の おぼろ月夜に しく物ぞなき
作者 大江千里(おおえのちさと)    出典 新古今和歌集 巻1 春歌上 55
くっきりと輝くこともなく、かといってすっかり雲に覆われてしまうわけでもない春の夜の朧月夜・・・
これに匹敵する月夜なぞありはしない。

源氏物語 第八帖 花宴(はなのえん)で、朧月夜の君が口ずさんでいた歌でもあります。
この帖は、頭中将が柳花苑を舞った話ものっているところ・・・こういう関連が分かってくるとおもしろいです。
ちなみに銀が光とともに現れた神子に言った 「かぐやの君」 はかぐや姫。 「桂の君」 は月の姫という意味です。


銀     七章 黄金色の都、平泉
萩の露 玉にぬかむと とればけぬ よし見む人は 枝ながら見よ
作者 奈良帝(平城天皇)?    出典 古今和歌集 巻4 秋歌上 222
萩の葉の露を玉のように糸に貫こうとして枝を手に取れば、露はたちどころに消えてしまう。
しかたがない。鑑賞したい人は枝にその露をつけたまま見ることだ。

澄んだ瞳の神子には水晶の首飾りが似合う・・・ と、以前、銀は言っていました。
露を連ねて首飾りにすることができたなら、そう思ったのかもしれません。


銀     終章 失われたこころ
一樹(いちじゅ)の陰(かげ)に宿りあひ 同じ流(ながれ)をむすぶも みな是(これ)先世(ぜんぜ)のちぎり
出典  平家物語 10巻 7 千手前(せんじゅのまえ)
旅人同士がわずかな間、同じ木陰に身を寄せ、同じ流れの水を汲んで飲むのも、すべて前世で結ばれた縁なのです。

説法明眼論の 「一樹の蔭 一河(いちが)の流も 他生(たしょう)の縁」 を翻案して謡物としたもの。
平家物語において、生田の森から逃げる途中に捕らわれた平重衡(しげひら)は鎌倉で源頼朝に会いました。
その後、預けられたところで世話をした千手の前という女房が酒の席で歌った白拍子です。

ひとつの木の下で雨宿りし、同じ水筒から水を飲んだ、これらはみな前世からの因縁によるもの。
苦しめてしまうと分かっていながら、心惹かれていく自分を止めることができない。
昔の、ほんのわずかな逢瀬だった十六夜の夜からずっと・・・神子に捧げる一途な愛が胸に迫ります。


リズヴァーン     二章 京の花霞
楽園
隠れ里の跡をリズヴァーンと共に訪れると、自分の名前の意味を教えてくれます。

1.Rizvan ・・・・・天国の門を番する天使。 天国の中の特別な庭(Rizvan)の番人。
 (リズワーン)  イスラムの教義で、地上の楽園の入り口にいる天使。
2.Ridvan・・・・・・・・天国、楽園の意味。 バグダッドの郊外、チグリス川を渡った所にあったナジブ・パシャの庭園。
(リドワーン・レズワン)  バハイ信教(19世紀半ばにイランでおこった一神教)の創始者バハオラがここに12日間滞在した。
              信者の間では、この庭園はレズワンの園とよばれ、その12日間はレズワンの祝日とされている。

このどちらかが由来だと思います。
楽園の番人という意味なら、自分が守っている、と同時に、逆に楽園にしばられて逃れることができないととれなくもありません。
今は穏やかな場所。しかし過去の記憶は神子への思いとともに永遠に消え去ることはないのでしょう。


リズヴァーン     奥州、平泉ノーマルED
青陽 二三月
柳青くして 桃復(ま)た紅なり

車馬 相識らず
音は黄埃(こうあい)の中(うち)に落つ
青陽二三月
柳青桃復紅
車馬不相識
音落黄埃中
作者 謝尚(しゃしょう)     出典 大道曲(大道の曲)
(草木青々として、陽気うららかな)春の2月、3月は、柳は青く、桃の花ははや紅の花を咲かせている。
行き交う車や馬は多いけれども互いを見知らず 音だけが黄色い土ぼこりの中に落ちてゆく。

北の大地に遅い春がおとずれ、広い草原には緑があふれている。
戦が終わった人の世には平和が、冬が終わった大地には春が訪れる。
厳しいときをのりこえた神子たちの心境そのもののようです。


ヒノエ     二章 京の花霞
正を以(も)って合い、奇を以って勝つ
作者 孫武     出典 孫子兵法 05 勢篇
原典は、「戦者以正合、以奇勝 (戦(いくさ)は正を以って合うも、奇を以って勝つ)」
戦いは正攻法によって会戦しても、その後の情勢の変化を見て奇策を用いることにより、勝利を得る。

京邸の蜜月イベントで、コインの裏を選ぶと、ヒノエが思わせぶりに言います。
実ははったりなのですが、自信たっぷりなヒノエの様子に、不安になった神子は表に変えてしまうのでした。
しかし奇策も、正攻法を取り合わせて用いなければ相手に読まれてしまいます。
読まれている奇襲ほどブザマな負け方もない。 これもヒノエのセリフです。


ヒノエ     二章 京の花霞
下窺(かちょう)して高鳥(こうちょう)を指さし
俯聴(ふちょう)して驚風(きょうふう)を聞く
下窺指高鳥
俯聴聞驚風
作者 岑参(しんじん)
出典 唐詩選 巻1 五言古詩 : 高適(こうせき)、薛拠(せっきょ)と同(とも)に慈恩寺の浮図(ふと)に登る
もとの詩は五言22句です。 浮図とは、寺塔のこと。
中国の慈恩寺(じおんじ)にある大雁塔に登ったときの詩で、ヒノエが言った部分の訳は
(この塔に登って)下を見れば、高く飛ぶ鳥も足元に指さすことができ、俯いて耳をすますと、吹きすさむ風の音も下のほうに聞こえる。となります。

それほど高いということですが、ヒノエはこの詩を清水の舞台の高さの表現に使っています。


ヒノエ     三章 三草山、夜陰の戦場
始めは処女の如く
敵人(てきじん)戸(こ)を開くや
後(のち)は脱兎(だっと)の如く
敵 拒(ふせ)ぐに及ばず
始如処女
敵人開戸
後如脱兎
敵不及拒
作者 孫武     出典 孫子兵法 11 九地篇
初めのうちは処女のようにおとなしく、弱々しく振舞って、敵の油断を誘い、
敵のスキを見い出したら脱走する兎のように激しい勢いで襲いかかれば、敵は防ぐ余裕がない。

「戦が始まったら、後は素早く動けるほうが勝つってこと」 神出鬼没のヒノエらしいです。
ちなみに「史記」で司馬遷はこの言葉を引用し、「反間の計」 「火牛の計」などの奇策で勝利した斉の名将田単(でんたん)を賞賛しています。


ヒノエ     四章 熊野参詣
君に勧む 惜しむなかれ 金縷(きんる)の衣(い)
君に勧む
 須(すべか)らく惜しむべし 少年の時
花開いて折るに堪えなば 直(ただ)ちに須らく折るべし
花無きを待って空しく枝を折る莫(なか)れ
勧君莫惜金縷衣
勧君須惜少年時
花開堪折直須折
莫待無花空折枝
作者 杜秋娘(としゅうじょう)     出典 金縷衣(金縷の衣) : 全唐詩 雑詩
金糸で織った衣など惜しむに足りない。
青春の日をこそ惜しむべきだ。
花が咲いて手折るのに良い時が来たら、すぐに手折るが良い。
花が散ってしまってから枝だけ折っても仕方ないでしょうに。

この詩が本当に杜秋娘の作かは疑問が残るところです。
杜秋娘を妾とした李?(りき)がこの歌を好んでうたわせたというだけで、作者は不明、または李?という説もあります。

二度とこない若い日を大切にしろ という意味です。
密月イベント2段階目、ヒノエの誘いを断ると、この詩をあげて、今を楽しまなきゃ損、といいますが、
それならなおさら今日できることは今日やらなきゃ、と逆に神子に説教されてしまいました。


ヒノエ     四章 緑陰の熊野御幸
郭公(ほととぎす) まだうちとけぬ 忍びねは 来ぬ人を待つ われのみぞ聞く
作者 白河院     出典 新古今和歌集 巻3 夏 198
ほととぎすの、まだ里に慣れないで心がくつろがないでいるような忍び音は、いつまでも来ない客を待っている私だけが聞くことだ。

忍び音・・・初夏、まだ相手の見つかっていないホトトギスが声をひそめるように鳴く声。ホトトギスの初音。

夜の静けさのなかで、人を待ちわび、じっと耳を澄ましていたので、ほととぎすの微妙な忍び音を聞きとめられた。
忍びねを、来るはずなのにやってこない偲ぶる(思慕する)人を待ちに待っているときの、人知れぬつらい思いを忍んでいる、と
とるのは、さすがにしつこすぎでしょうか。

神子に、身体をふくならあちらで、といったヒノエが理由をきかれると、この歌でこたえました。
ヒノエが言うには、濡れた体をふく刺激的な光景はオレだけの楽しみにとっておいてくれ、だそうです。
愛しい人を待ち焦がれている私だけがホトトギスの忍び音を聞けた、それと同じように、
人目を忍ぶべき艶かしい姿は、神子に恋焦がれているオレだけに見せてくれ、ということでしょう。


ヒノエ     五章 壇ノ浦、夢の終焉
夫(そ)れ呉人(ごひと)と越人(えつひと)とは相憎むなり
其の舟を同じくして済(わた)りて風に遇(あ)うに当たりては
其の相救うや、左右の手の如し
夫呉人与越人相悪也
当其同舟而済遇風
其相救也、如左右手
作者 孫武     出典 孫子兵法 11 九地篇
呉越同舟の語源です。 春秋時代、呉と越の国は敵対関係にあり、国民同士の仲も非常に悪いものでした。
その互いを憎みあっている呉の国の人と越の国の人とが同じ舟で川を渡り、風に翻弄されたときには、
互いに助け合うことが一人の人の左右の手のようでした。

これが兵法にのっているのは、敵同士であっても、危難の場合には互いに助け合うものである。
兵士たちを必死の状況において、全軍が一致協力させるようにするのが優れた兵法である。ということになるからです。

現在の一般的な意味は、仲の悪い者どうしが同じ場所に居ること。また、行動をともにすること。
頼朝から逃げる舟のなかで、敵同士であった将臣と九郎のやりとりをみたヒノエのセリフです。


ヒノエ     六章 紀ノ川逃避行
兵家の勢、先に伝うべからざるなり 此兵家之勝、不可先伝也
作者 孫武     出典 孫子兵法 01 計篇
「兵とは詭道(きどう)なり」 戦争の本質は敵を欺くものである。
あるいは敵に手の内を見せない方法を用いることだ、で始まるこの一文。
どういうことをすればよいのか十二条にわたって述べてあり、最後に、
「此(こ)れ、兵家の勝にして、先(ま)ず伝う可(べ)からざるなり」 でしめています。
以上のことはいずれも詭道の戦法で、これを用いれば勝つことができるが、あらかじめ敵の出方がわからないし、
いろいろな奇策は、その時の情勢によって考えられることだから、前もって言うことはできない。

つまり、いろんな策を心得て、臨機応変に対処しなさい、という意味です。
ヒノエが高野山で神子たちを見送るときに言いました。


ヒノエ     六章 (密月イベント3段階目)
忘るなよ ほどは雲居(くもい)に なりぬとも 空ゆく月の めぐりあふまで
作者 橘忠幹(たちばなのただもと)   出典 伊勢物語 第11段
忘れないでおくれ。(ふたりの)距離が地上と雲のように遙かに離れてしまったとしても、
雲に隠れ見えなくなった空の月がまためぐってきて元の姿を見せるように、ふたたび会えるまで(忘れないでおくれ)。

「雲居」には亡くなったという意味で雲の上の人、天上の人になったとする考えもあります。
神子が月の人(天女)といわれているのをふまえて、ヒノエ風に訳すと
忘れるなよ。身は天上の人になった(自分の世界に戻った)としても、空をめぐる月のようにいつかきっと逢いにいくから。

かなり意訳ですが、こんな感じでしょうか。
蜜月イベントの最終段階です。 ヒノエはこの時点で神子をもとの世界に帰そうと心に決めていたんですね。


ヒノエ     終章 壇ノ浦決戦
夕月夜(ゆうづくよ) さすやをかべの 松の葉の いつともわかぬ 恋もするかな
出典  古今和歌集 巻11 恋歌1 490
夕方の月の光がさしている丘のあたりの常緑の松の葉のように、時が経つのも忘れるほど夢中で恋をするものなんだな。

※ 松 は 待つ とかけています。

一説では、夕暮れに男を待つ女が目の前で眺める景色、とされています。
松の葉は常に緑なことから、季節感(時間の感覚)がないことのたとえです。

密月ED、この歌をよんだあと、ヒノエは 「恋は・・・するものだね」 といいます。
前に進む力、変える力を持つ白龍の神子に出会って、ヒノエの運命は確実に変わったのでしょう。


後白河法皇     四章 緑陰の熊野御幸
大峰聖(おおみねひじり)を舟に乗せ 粉河(こかわ)の聖を舳(へ)に立てて 正きう聖に楫(かじ)とらせ
や 乗せて渡さん 常住仏性(じょうじゅうぶっしょう)や極楽へ
出典  梁塵秘抄 巻2 188
大峰山の聖を舟に乗せ、粉河寺の聖を舳先に立てて、正きう聖にかじをとらせ、
これらの高僧の導きで生死(しょうじ)の苦海に沈み苦しむ 庶生(しゅじょう)を救いとり、乗せて渡そう、変わることのない仏性極楽へ。

「大峰山」 は修験者が修行する場所として有名。 「聖」 は修験者、苦行をする僧のこと。
「粉河」 は天台宗の寺。 「正きう」 は書写(天台宗の霊場) の誤写かもしれないそうです。

後白河法皇が熊野の海で舟にのったときに言った今様。
七福神が舟に相乗りしているさまのように、諸聖を船頭に見立てているところが、この歌のほほえましいところですが、
この歌より、そのあと女房に海水をかけた法皇を弁慶がさりげなく悪く言っていたことのほうが笑えました。


後白河法皇     四章 緑陰の熊野御幸
松の木陰に立ち寄りて 岩もる水を掬(むす)ぶまに 扇の風も忘られて 夏なき年とぞ思いぬる
出典  梁塵秘抄 巻2 433
松の木陰に立ち寄って一休みし、岩間から漏れ出る清水を手にすくって飲めば、涼しさもまた格別。
扇の風など欲しいとも思わなくなって、炎暑の夏のない今年よと思ったことである。

川の近くは涼しくて気持ちがよいということを言いたかったのではないでしょうか。
ちなみに神子のことを言った 「飛天もかくや」 とは、天女もこのようであろう という意味です。


女房     四章 緑陰の熊野御幸
池の涼しき汀(みぎわ)には 夏のかげこそなかりけれ 小高き松を吹く風の 声も秋とぞ聞こえぬる
作者 寂然(じゃくぜん)     出典  梁塵秘抄 巻2 434 : 唯心房集
池の涼しい水ぎわには、暑い夏の様子は少しも感じられない。
こずえの高い松を吹く風の、その音も爽涼で、もう秋も来たかと思われる。

※ 木高き松 となっているものもあります。

後白河法皇が言った上の歌にこたえるように、女房がこの歌を続けました。
この女房、海は嫌いですが、川だとご機嫌なようです。


平知盛     四章 緑陰の熊野御幸
かよいこぞよ かえりはてなば 飛びかけり 育(はごく)み立てよ 大鳥の神
作者 平清盛     出典 平治物語 上巻9 六波羅より紀州へ早馬を立てらるる事
いま卵であるわたしが雛にかえれば、飛ぶばかりです。大鳥の神よ、わたしの前途をお守りください。

※ かいこぞよ としているものもあります。 かえりはてなば は、(京に)帰る とかけています。
   育み立てる とは、親鳥が羽でおおって育てること。かばい守る意味から、ここでは前途を守るとなっています。

平治元年(1159)12月、重盛たちと熊野参詣の途中、清盛は都が攻められたことを知り、引き返すことにしました。
そのときに立ち寄った大鳥大社で、重盛は秘蔵の馬を神馬として奉納し、清盛は大鳥にちなんだ歌を詠んで捧げ、武運を祈願しました。
知盛は清盛の歌を示すことで、自分たちは清盛にゆかりある者(平氏)であることを言外にほのめかしています。


平知盛     四章 緑陰の熊野御幸
柳花苑(りゅうかえん)
出典  源氏物語 第八帖  花宴(はなのえん)
神子とともに柳花苑を舞う知盛を見て、白拍子が、「絵巻の頭(とう)の君(源氏物語に出てくる頭中将)のよう・・・」 とうっとりします。
頭中将(とうのちゅうじょう)は、葵の上(光源氏の正妻)の兄。
物語のなかで、光源氏が春鴬囀(しゅんのうてん)の舞の一節を舞ったのち、頭中将は帝の催促により、柳花苑という舞を上手に舞いました。
柳花苑の舞は、左方の唐楽で双調の曲。四人の女舞ですが、舞は現在、絶えてしまっています。


平知盛     五章 壇ノ浦、夢の終焉
家国興亡(かこくこうぼう) 自(おの)ずから時有り
呉人(ごひと) 何を苦しんで西施(せいし)を怨(うら)む
西施若(も)し 呉国を傾くるを解せば
越国亡来 又 是れ誰(たれ)ぞ
家国興亡自有時
呉人何苦怨西施
西施若解傾呉国
越国亡来又是誰
作者 羅隠(らいん)     出典 西施
国の興亡の時は自ずとやってくるものだ。
呉国の民は、どうしてわざわざ西施を恨むのか。
西施がもし、意図的に呉の国を滅ぼしたというのなら、
越の国に滅びをもたらしたのは、一体誰だというのだろう。

傾国の美女ともよばれる西施は、王昭君、貂嬋(ちょうせん) 、楊貴妃と並び、中国四大美女のひとりです。
越国の村の薪売りの娘でしたが、その美しさが軍師、范蠡(はんれい)の目にとまり、敵国である呉の国へ送りこまれます。
西施の美貌のとりこになった呉国の王、夫差(ふさ)は、国政をかえりみなくなり、ついに越に滅ぼされてしまいました。

壇ノ浦で神子と戦う前につぶやいた漢詩です。 これを知盛の言葉で言えば、
「平家が滅びるのは時代(とき)の定め。源氏の神子、平家がおまえをうらむのは・・・筋違い、だろうな」 こんな感じでしょうか。


平知盛     終章 壇ノ浦決戦
君に勧(すす)む 金屈巵(きんくっし)
満酌辞するを須(もち)いず
花発(ひら)けば風雨多し
人生 別離足る
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
作者 干武陵(う ぶりょう)    出典 勧酒(酒を勧む) : 唐詩選 巻6 五言絶句
君よ、この酒杯を受けてくれ。
なみなみとついだこの酒、遠慮するものではない。
花が咲くときにかぎって強い風や雨がやってくるように、(とかくこの世はままならぬもの)
人生に別れはつきものさ。(くよくよせずに飲みほしたまえ)

※ 金屈巵・・・椀のような形で、曲がった取っ手のついた黄金の杯。ぜいたくな酒器。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ    (訳 井伏鱒二)

人生はままならぬものだから、おまえと別れなければならないのも仕方がないことだ。
決戦を前に酒をくみ交わす知盛が詩をそらんじました。
還内府が経正と別れのさかずきを交わしたとき、なみなみとそそいでくれ、といったのもここからです。


平知盛     終章 邂逅
君とわれ いかなることを ちぎりけむ 昔のよこそ 知らまほしけれ
出典  和漢朗詠集 巻下 交友 : 新千載和歌集 巻11 恋歌1 1033
今思いあうあなたと私とは、前世においてどのような約束をかわしたのだろう。 その昔のことが知りたいものだ。

「妬ける・・・な」 これほどまでに神子に激しく想われた違う時空の自分。 この一言にすべてが凝縮されています。


藤原泰衡     終章 失われたこころ   /    梶原景時     終章 平泉、雪上戦
ナウマク サンマンダ ボダナン マカカラヤ(マカキャラヤ) ソワカ
大黒天の真言で、「あまねく諸仏に帰依したてまつる、大黒天よ、成就あれ!」 という意味です。
最後のソワカは、サンスクリットではスヴァーハにあたり、成就せり、めでたし、と神仏に感謝する言葉です。

大黒天はインドのマハーカーラという神が起源で、ヒンズー教の三大神のひとり、シヴァ神の化身とされています。
マハーは「大きい」、カーラは「黒」を意味するので、そのまま訳して大黒天になりました。
仏教では大日如来の化身とされ、人を食らう悪鬼である茶吉尼天(だきにてん)を調伏した仏法の守護神です。


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