遙かなる時空の中で 3

こちらはゲームのなかに登場した和歌や漢詩などをのせています。
適当な訳+私見です。 あらかじめご了承ください。
ヒノエは別にしてあります。ヒノエの和歌等を見たい方は、こちら です。

固定ルート,章の冒頭にて。

有川将臣  天の青龍
 有川 将臣     五章 還内府
思いつつ 寝(ぬ)ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを
作者 小野 小町     出典  古今和歌集 巻12 恋歌2 552
あの人のことを思いながら眠ったから夢に出てきたのでしょうか。
夢と知っていたなら、目覚めなかったのに。

夢逢瀬にぴったりの歌です。これが将臣の 「星の一族」 としての力なのでしょうか。
神子がのぞめば、ともに夢に逃げ込んでくれますが、将臣自身は思い出に浸ってても仕方ないと現実を受け止めていましたよね。


九郎義経  地の青龍
 源九郎義経     六章 すれ違う心
古(いにし)への しづのをだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな
出典  伊勢物語 第32段
古代の麻糸の綾織物である倭文(しず)を織るのに使う苧環(おだまき・つむいだ麻を巻いて玉にしたもの)を 繰り返すように、昔を今にする方法があればいいのに。

頼朝を信じ、神子と共にためらうことなく前に進んでいた昔を思う・・・切ないです。


ヒノエ  天の朱雀
 ヒノエ     五章 ヒノエの策略
わが恋は よむともつきじ 荒磯海(ありそうみ)の 浜の真砂(まさご)は よみ尽くすとも
出典  古今和歌集 仮名序
私の恋心は、荒磯海(※)の浜にある砂の全てよりも多いのです。
砂の数を数えつくしたとしても、あなたに対する私の想いは数えつくすことができません。

※ 荒磯海・・・富山湾あたりの海面に露出した奇岩の見られる景勝地をさしていますが、
         歌の中にだけ存在し、そういう地名の海は実在しません。

長く伸びる砂浜のすべての砂の数など比較にならないほど、おまえを想っている。
神子が大好きなヒノエの気持ちがストレートに伝わってきます。


弁慶  地の朱雀
 武蔵坊弁慶     五章 うらぎり
暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端(は)の月
作者 和泉式部    出典  拾遺和歌集 巻20 哀傷 1342
暗い道を辿るように、救いのない無明の世界に生きている私に、山の端にかかる月よ、
はるか彼方まで、慈悲の光を投げかけて私たちの進む道を照らしてください。

もとの歌では、照らす月の光は仏の教えを指しますが、弁慶の場合は違うでしょう。
鬼子と呼ばれ、人を信じたことがなかった弁慶がはじめて命を預けたのは、白龍の神子という肩書きを持った普通の女の子。
謀略という闇のなかにいた弁慶には、自分を一途に信じきってくれる神子が光そのもののように思えたのかもしれません。


有川譲  天の白虎
 有川 譲     七章 苛むものは悪夢
かぎりとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり
作者 紫式部    出典  源氏物語 第一帖 桐壺
人の生死には定めがあり、別れの道を行かねばならない悲しさに、 行きたい(生きたい)と心から願うのは、命ながらえる道のほうです。

※ いかまほしきは 「行かまほし(行きたい)」 と、「生かまほし(生きたい)」 をかけています。

光源氏の母親である桐壺の更衣が別れを惜しむ帝に向けて詠んだ歌です。
死の夢に苛まされている譲が、神子をおいて死にたくない、ともに生きたいという思いが強く伝わってきます。
話はそれますが、扇の的当てのときにいった南無八幡・・・は平家物語中、那須与一が言ったセリフです。


梶原景時  地の白虎
 梶原景時     八章 血塗られた手
我が君の 手向けの駒を 引き連れて 行く末遠き しるしあらはせ
作者 梶原平三景時    出典  吾妻鏡 第15 建久6年(1195) 4月27日 : 武家百人一首
我が主、源頼朝寄進の馬を奉納いたします。
どうか末永く源家が繁栄するよう、霊験をお示しください。

実在の梶原景時が源頼朝の使いとして住吉神社に馬を献上したときに、釣殿の柱に書いた歌です。
実在した景時とゲームでの設定ではだいぶ違う部分があるので、そのまま当てはめるのには無理がありますが、 遙とき3の景時は明るさの裏に苦悩とあきらめがあって、一番苦しんでいたような気がします。


平敦盛  天の玄武
 平敦盛     七章 浄化を願う声
春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる
作者 凡河内躬恒    出典  古今和歌集  巻1  春歌上  41
どこかほのかな春の闇は意味がない。
梅の花の姿こそ見えないが、あの香りまで隠すことはできないのだから。

梅の花は春の闇で姿は見えなくても、香りでその存在を知らせている。
それと同じく、外見は人の姿をとどめていても、怨霊である我が身の穢れは隠しきれないのだろう。
敦盛風に解釈すると、こんな感じでしょうか。


リズヴァーン  地の玄武
 リズヴァーン     五章 たった一人の戦い
人生代代無窮已    人生 代代(だいだい)窮(きわ)まり已(や)むこと無く
江月年年祇相似    江月(こうげつ) 年年(ねんねん)祇(た)だ相似たり
不知江月待何人    知らず 江月の何人(なんぴと)を待つかを
但見長江送流水    但(ただ) 長江の流水を送るを見るのみ
作者 張若虚(ちょう じゃくきょ)     出典  春江花月夜 (しゅんこうはなづきよ)
世々、代々、人は代わり世は移って転変きわまりないが、
川面の月は、毎年毎年、変わることのない姿で照らしている。
いったいこの月は誰を待ちうけているのだろうか。
ただ人の目に映るのは、月光の下、無限に流れ去っていく長江の水だけだ。

かなり長い漢詩の一部を抜粋しています。
春の月に照らされた長江の美しい情景を詠んだ歌ですが、後半は異郷の地にある愛する人を想う情を交えています。
異世界から来た神子(望美は望月(満月)が由来?)を月の人、長江の水を運命に置きかえてみると、
人も世も移り変わるが、おまえ(神子)は変わることなく優しい輝きを放っている。
神子は誰を想っているのだろうか。
いずれにせよ私はただ、おまえのもと流れていく運命を見守るのみ、となります。


白龍  龍神
 白龍     終章 最後の願い、人の願い
恋ひ恋ひて 逢へる時だに 愛(うるわ)しき 言(こと)尽くしてよ 長くと思はば
作者 大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)      出典  万葉集 巻4 661
恋しくて恋しくて、やっと逢えた時ぐらい、優しい言葉を言い尽くして欲しい。
ふたりの仲が長く続いてほしいと、あなたが本気で思ってくれているのなら。

※ 愛しき を うつくしき とよむものもあります。

神子大好き! な白龍にぴったりの歌です。


梶原朔  黒龍の神子
 梶原朔     七章 一筋の光
いにしへは 月にたとへし 君なれど そのひかりなき 深山辺(みやまべ)の里
作者 徳大寺(とくだいじの)左大臣、実定(さねさだ)    出典  平家物語  灌頂の巻
昔は光り輝く月にたとえられたあなたであるが、今はその光も消え、深い山里でわびしい生活をしている。

新月(地球からは月が見えない状態)を朔といいます。光も消えたというのがまさに朔そのもの。
黒龍と過ごした幸せな日々は過ぎ、彼が消えてしまった今、尼僧としてつつましく暮らしている。
黒龍は世界のどこにも生じてはいない・・・ 希望の光を失った朔の深い悲しみが胸を打ちます。


白龍の神子     終章 時空を越えて(大円団ED)
天の原 ふみとどろかし なる神も 思ふなかをば さくるものかは
出典  古今和歌集 巻14 恋歌四 701
大空を踏み轟かして鳴る雷も愛し合っているふたりの仲をさけるだろうか。いや、そんなことはできない。

もう戻れないかもしれない、それでも神子の世界を守るため、時空を越えていく・・・
神子と八葉、そして白龍、朔の絆は固く、何人たりとも裂くことはできません。


そのほか、イベントにて。

平知盛  平家の将
 平知盛     終章 壇ノ浦決戦
これ以上、見るべきものは・・・何もないな。
出典  平家物語 11巻 11 内侍所都入(ないしどころのみやこいり)
実際の知盛が壇ノ浦で海に身を投げる前に 「見るべき程(ほど)の事は見つ。 いまは自害せん」 と言いました。 そこからきたセリフだと思われます。
平家の滅亡を見届けた心境がこの短い言葉から読み取れます。

※ 「自害せん」 の部分が 「何をか期すべき(もう気がかりなことは何一つない)」 や
   「ありとてもなにかせん(生きていたとて何になろう)」など、ほかの言葉になっているものもあるようです。


白龍の神子     終章 決別(義経ED)
吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
出典 吾妻鏡 1186年(文治2年)4月8日 : 義経記 巻6
吉野山の峰の白雪を踏み分けながら山の奥深く入っていったあの人(義経)のあとが恋しく思われる。

実在した静御前が頼朝夫婦の前で舞を舞ったときに詠んだ歌です。
本歌は 「み吉野の山の白雪踏み分けて入りしにしひとのおとずれもせぬ」(古今和歌集 巻6-327)


白龍の神子     終章 決別(義経ED)
しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
出典 吾妻鏡 1186年(文治2年)4月8日 : 義経記 巻6
しず布を織るために糸を巻くおだまきが繰り返すように、昔を今にする方法があればよいのに。

実在した静御前が頼朝夫婦の前で舞を舞ったときに詠んだ歌です。
本歌は源九郎義経の章冒頭に使われている歌で、変えた最初の部分 「しづやしづ」 は自分の名(静)にかけており、
静、静、と繰り返し私の名を呼んでくれたあの昔のように、判官様(義経)の時めく世にもう一度したいものよ、となります。


平経正     七章 浄化を願う声
千はやふる 神にいのりの かなへばや しるくも色の あらはれにける
作者 平経雅正     出典  平家物語 第七巻 竹生嶋詣
我が祈りがかなったのであろう。はっきりそれと示現があった。

実在した経正が、琵琶湖に浮かぶ小さな島、竹生嶋にまつられている明神に参詣し夜になったところ、
琵琶の名手と知って、僧たちが神社に奉納してあった「仙童の琵琶」を持ち出してきたので、経正は上弦石上の秘曲を奏でた。
するとその素晴らしい音色に明神も感応し、経正の袖の上に白竜となって現れた。
そのときの感慨を詠んだ歌です。
その後、神助があったからにはもはや敵を平らげることも疑いないだろうと喜んで、経正はまた船に乗って島を出ました。

白龍の神子に封印されるときに経正が詠んだ歌です。
神の示現である白龍、唯一の心残りだった弟の敦盛は白龍の神子のもとに道をみつけ、経正は神子の力によって救われる。
意味が分かると、奥が深いです。


平清盛     七章 屋島は赤く染まる
頼めつつ 来ぬ夜つもりの うらみても まつより外(ほか)の 慰めぞなき
作者 平忠度朝臣     出典  新勅撰和歌集 巻13 恋歌3 854
期待させながら来ない夜が積もり積もった。津守の浦ではないけれど、いくら恨んでみたところで、結局松ならぬ待つよりほか、私には慰めなどないのだわ。

※ つもりの は、積もり、と、地名「津守」 のかけことば。 津守は摂津国の歌枕で、松の名所。
   うらみても は、浦 と 恨み のかけことば。 まつより外の は、待つ と 松 のかけことば。

待つ人が来ない思いを女の立場で詠んだ歌です。
源氏に捕らえられ帰ることのない忠度を、知らずに待つ清盛が船の上で下の句をつぶやいていました。


平忠度     七章 屋島は赤く染まる
ゆきくれて 木(こ)の下陰(したかげ)を 宿とせば 花や今宵の 主ならまし
作者 平薩摩守忠度     出典  平家物語 第九巻14 忠度最期
旅の途中で日が暮れて しまったので、桜の木陰を一夜の宿とするなら、桜の花が今夜の宿の主人となり、もてなしてくれるであろうか。

実在した平忠度が 「旅宿の花」 という題で詠んだ歌で、辞世の句となりました。
熊野で育ち、文武両道の名将として知られた忠度は、一の谷の戦いから落ち延びる途中で討ち死にしました。


平忠度     終章 時空を越えて
月を見し 去年(こぞ)の今宵の 友のみや 都にわれを 思ひ出(い)づらむ
作者 平薩摩守忠度     出典  平家物語 第八巻 小手巻
去年の今夜、ともに月見をした友のみだけが、都で私を思い出しているであろう。

和議の前にヒノエと会った忠度がつぶやいたもの。
都落ちした忠度が九月十三夜の名月を旅の空から見ますが、都を思い出す涙に曇って明るく見えない。
月を見て歌会を催したこともただ今のように思われる、そんな心情のときに詠んだ歌です。
まさかふたたび都に帰れるとは・・・ 忠度の胸には様々な思いが去来しているのでしょう。


梶原景時     一章 宇治川、霧に惑う
ひふみ よいむなや こともちろらね・・・
出典  ひふみうた : ひふみ祓詞(ひふみのはらえことば)
平惟盛が落とした八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) のかけらをお祓いをしたときの言葉。
47の清音のみで構成されるひふみの祓詞は鎮魂の祝詞で、古来この言霊を発すれば、よろずの災厄が 幸に転換されると信じられてきました。
この神歌の出だしの 「ひふみよいむなやこともち」 とは 「一二三四五六七八九十百千」 のことです。
「ひふみよいむなやこと」 はそのまま十種神宝 『瀛津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、 生玉(いくたま)、足玉(たるたま)、死反玉(まかるかえしのたま)、道反玉(ちがえしのたま)、蛇比礼(へみのひれ)、 蜂比礼(はちのひれ)、品物比礼(くさぐさのもののひれ)』 とも照応しています。


梶原景時     二章 京の花霞
極めて汚も 滞無れば 穢とはあらじ 内外の玉垣 清浄と申す
(きわめてきたなきも たまりなければ きたなきとはあらじ うちとのたまがき きよくきよしともうす)
出典  一切成就祓(いっさいじょうじゅのはらい)
神道の祝詞のひとつで、リズヴァーンの庵に続く道 と 奥州の大社の結界を解くときにいった言葉です。
どんなに汚いけがれでも、留まらず流し去れば穢れているとは言えない。
だから心身ともにいつも磨いておきましょう。
滞ることがなかったなら、この世の中には罪、穢れ、厄いなどがなくなり、一切のことが成就する。
というような意味らしいです。 玉垣とは、一般人は入れない神社の聖域を囲む垣根のことです。


梶原景時     三章 三草山、夜陰の戦場
上総介(かずさのすけ)
景時のうわさ話にでてきた、上総介の件とは、景時が頼朝の命により、
千葉上総介広常(ひろつね)の館に行き、碁の勝負にかこつけて、短刀で胸を刺して暗殺したことをいっています。
その後、朝比奈切通しへ向かう途中で血刀を洗ったといわれる小さな流れが鎌倉五名水のひとつ、太刀洗です。


後白河法皇     五章 福原事変
移りゆく 雲に嵐の声すなり 散るか正木(まさき)の 葛城(かづらき)の山
作者 藤原雅経     出典  新古今和歌集 巻6 冬歌 561
葛城山を見渡せば、空を飛び動いていく雲の中から嵐の音が聞こえてくる。
この嵐で、美しく紅葉していたまさきのかずらは散るのであろうか。

※ 正木の葛城 は、まさきのかづら(テイカカヅラ、またはツルマサキ) と、葛城山をかけています。

法皇が話していた華やかな蝶とは平家のこと。
偽りの和議で風雲急を告げる時代の風に吹かれ、蝶(平家)はどこへ流されてゆくのか、
それとも策謀の網に捕らえられ、ここで散ってしまうのか。
一波乱起こりそうなあやしい雲行きをうまくあらわしています。


平敦盛     五章 福原事変
桐の葉も 踏み分けがたく なりにけり 必ず人を 待つとなけれど
作者 式子(しょくし)内親王     出典 新古今和歌集 巻5 秋歌下 534
桐の葉がすっかり落ちて道に踏み入ってくるのが難しくなってしまった。
必ずしも誰かが来てくれるのを待っているわけではないのだけれど・・・(でも枯葉で道が歩きづらいから誰も来てくれないだろうな)。

枯葉の降り積もる道を眺めて、人の訪れに対する淡い期待と、来ないだろうなあというあきらめの気持ちが堂々巡りしています。
控えめな敦盛らしいですが、和歌の心得がまったくない神子は意味はもちろん、誰が書いたのかさえ、
リズヴァーンに教えてもらうまで分からなかったのでした。


リズヴァーン     戦闘開始時
葡萄の美酒 夜光の杯 (ぶどうのびしゅ やこうのはい)
飲まんと欲すれば 琵琶(びわ)馬上(ばじょう)に催(もよお)す
酔うて沙場(さじょう)に臥(ふ)するを 君笑うことなかれ
古来征戦幾人か回る (こらいせいせんいくにんかかえる)
葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔臥沙場君莫笑
古来征戦幾人回
作者 王翰(おうかん)     出典 涼州詞(りょしゅうし)
葡萄の美酒を夜光杯につぎ
飲もうとしていると、馬上で琵琶が奏でられている
酔って砂の上に寝てしまったとしてもどうか笑わないでくれ
昔から戦に赴いた人がどれだけ帰ってこれたというのだ

リズヴァーンが言いたかったのは、油断してはいけない、ということだと思います。


リズヴァーン     特技習得時
十年 一剣を磨く (じゅうねん いっけんをみがく)
霜刃 未だ曾て試みず (そうじん いまだかつてこころみず)
今日把りて君に以す (きょうとりてきみにしめす)
誰か不平の事を為さん (だれかふへいのことをなさん)
十年磨一剣
霜刃未曽試
今日把似君
誰為不平事
作者 賈島(かとう)     出典  剣客
十年の間、一振りの剣を磨いてきたが、霜のように光るこの刃の切れ味をまだ試した事はない。
今、これを君に捧げよう。(この剣を手にすれば邪魔者を一刀両断できるから)誰が心中に不平などいだくものか。

『十年、一剣を磨く』 とは、剣を振るう機会が訪れるのかは分からない、
しかしその時が来るまで、十年もの長き間、ただ一振りの剣を磨きつづけるという意味から
長い間、武術の修練を積むこと。また武術の修練を積み、力を発揮する機会を待つことをいいます。
才能や技術、学問など人それぞれが持つ個性と特性を、長い間、専心努力することを表現した言葉です。

作者の賈島は、“推敲” の語源となった詩人です。
この言葉は、頼山陽(らいさんよう)が川中島の一騎打ちを詠んだ、題不識庵撃機山図にも使われています。


リズヴァーン     五章 福原事変
黒雲 城を圧し 城 摧(くだ)けんと欲す
甲光(こうこう) 月に向かいて金鱗開く
黒雲圧城城欲摧
甲光向月金鱗開
作者 李賀(りが)     出典 雁門太守行(がんもんたいしゅのうた)
リズヴァーンは最初の部分しか言いませんが、全体の訳は、

黒雲が城を圧し、城はくだけんばかりだ
よろいの光は月にきらめき、金色のうろこが開いたよう
つのぶえの音が天に(秋空のなかに)響き渡り
城壁の上の真紅の血潮は、夜、紫に固まる
半ば巻かれた赤い旗が、易水(川の名前)に向かって垂れ
霜が厚く太鼓の音は、寒々として冴えない
黄金台を築いて招いて下さったあなたのおこころざしに報い
輝く剣を手にさげ、あなたのために死のう

福原事変が終わったあと、鎌倉、京、倶利伽羅のどこへ行こうか意見を求めたときに答える言葉です。
リズヴァーンが言いたかったのは、たぶん最後の2行ではないかと思います。 遙とき風に考えると、
八葉として受け入れてくれた神子の心に報いるため、剣を振るい、お前のために死のう。となります。
私を導くのは月の光(神子)だから、お前がどこへ行こうと影である私は従うのみだ、ということでしょうか。


リズヴァーン     五章 福原事変
狡兎(こうと)死して、走狗(そうく)烹(に)られ、
高鳥(こうちょう)尽きて、良弓(りょうきゅう)蔵(ぞう)せられ、
敵国破れて、謀臣(ぼうしん)滅ぶ。
出典  史記 越王勾践世家(えつおうこうせんせんか) 淮陰侯伝(わいいんこうでん)  : 十八史略 巻2 西漢 高祖
狡兎が死ねば、走狗は煮らるるものだ
リズヴァーンが官位を受けようとする九郎に対して、こう忠告しました。

すばしこいウサギが死ねば、猟犬は不要となって煮て食われる。
高く飛ぶ鳥がいなくなれば、良い弓はしまいこまれる。
敵国が滅びると、功のあった知謀の臣下は邪魔にされて殺される。

張良(ちょうりょう)、蕭何(しょうか)とともに、漢の三傑に数えられた将、韓信(かんしん)が謀反の嫌疑で捕らえられたときの言葉です。
一国中に並ぶ者がいないほど優れた人物という意味の 「国士無双」、必死の覚悟で事に当たるという意味の 「背水の陣」 は彼の故事からうまれました。
漢王朝を開いた劉邦(りゅうほう)のもと活躍しますが、天下平定がなると危険人物とみなされ、最後は斬首されてしまいました。

もとは、越王勾践(こうせん)の重臣、范蠡(はんれい)が呉を滅ぼした越王のもとを去るとき、宰相として越に留まる文種(ぶんしょう)に手紙で忠告した
「飛鳥(ひちょう)尽きて良弓蔵(しま)われ、狡兎死して走狗烹らる」 からです。
越王勾践はともに苦労することはできても、楽しみをともにすることはできない。
軍事につくした功臣であるあなたも、敵国が滅んだ今となっては御用済みの身。どうして越を去らないのですか。
これを読んだ文種は病気と称して家に引きこもりましたが、かえって謀反の嫌疑をかけられ、自殺を命じられました。

平家との戦いが終われば、頼朝にとって九郎は用済み。
今までの働きが目覚ましいほど上に立つものに恐れられる、それが世の習いとの弁慶の言葉通り、
天下を平定した覇者が内に向ける猜疑心の強さはどこの国でも同じようです。


リズヴァーン     バッドED直後
君見ずや
黄河の水 天上より来たり
奔流 海に至りて また回(かえ)らず
君不見
黄河之水天上来
奔流到海不復回
作者 李白     出典 将進酒 (酒を将(ささ)げ進(たてまつ)る)
君よ見たまえ。黄河の水は天上から降り注ぎ、
激しく海に流れいって、決して戻って来ることはない。

ふたりの友と酒を酌み交わしている詩の冒頭部分で、李白の詩のなかでも大作です。
運命の流れは川と同じでめぐってくることはない。 過ぎたものはもう戻ってこない。
だが、天がこの世に私を生んだからには、必ず課せられた役割があるはず。
時空の流れを、運命と呼ばれるような大きな流れを変えようとするなら、その流れ出づるもとから変えていくこと・・・
そしておまえにはその力がある。そう助言し、悩んでいる神子を導いてくれます。

  ヒノエ については こちら です。

遙かなる時空の中で3 公式サイト  「遙かなる時空の中で」シリーズは、株式会社コーエーの登録商標です。

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